自然体験
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その1、自然体験と不登校思い直しの一節
思い直しの道
  
 かつて、私の心が激しく動揺していたとき、「何か」
 都会に住み着き、二十年ばかりたって、長男が望
の誘いかけにより、私がなびいていったのは、殊更
む大学に入れなかったとき、家族を連れて故郷へ行
だつたから目立ち、受けとめたときの印象が強く残る
くことにした。 
ようになった。
 かつて、私が中学生のとき、思いあまって学校を
 なのに、穏やかにしている常々、心情が大きく変わ
止めようとして故郷へ帰る途中、想い直した道のあたり
らなくてもよいときには目立たず、その場の印象が潜
にさしかると長男は、
在してしまい、それが常だから、印象が目だったとき
「僕は、ここが好き。ここに来たらこまごましたことを考え
に疑うようになる。
ないようになる。気が修まる」
「何か」は同じ。だが、感じ受けとめるのは、そのとき
と言い、しばらくして、
の心情に依って違ってくる。
「けれど、ここにずっといたら、そのことを気付かなく
 今回、心の動揺が大きかった長男と、それほどで
なるかも知れない」
はなかったワイフとでも違いがあった。
と言った。共に居たワイフは、山歩きが好きなので、
 それで良い。なのに、このようになるのは自分だけ
「そうね、山へ行くと今まで言えなかった愚痴を言っ
なのだろうか、人はどのようなのだろうか憶測すると
てしまいたくなって言ってしまう。けれど、景色を見
き、いわゆる雑念が入るときに疑問が増してゆくのだ
ながら話しているうちに、景色に申し訳無いことをし
ろう。
ているような気になって恥ずかしくなる。ここでも同じ
  心の若さ
やわ」
 それほど深く考えることではないと思いながら、長
と言った。
男が言った二言が頭に残った。
 私も、前に、ここで思いが変わり胸が修まった。そ
 このとき、私は四十八歳。長男は十八歳で、私が
のときは、変わって良かったとだけおもっていたのだ
前にここで思いなおしたときと同じ年ごろだった。
が、そののち、山河の「何か」が心のわだかまりを遠
 その若人がここに来てすぐに、
のかせるように誘い掛け、なびかせようとしているよ
「僕は、ここが好き。ここに来たら、こまごましたことを
うだ。でも、そのように感じるのは私だけなのかと疑
考えなくなる。気が修まる」
って、すっきりとは受けとめていなかった。
と言った。その言いかたに、十代の直感と、感じたこ
 なのに、二人は素直になびいて受けとめたとおり
とを、すらりと言う素直さを感じさせられ「なぜ」と問う
を言った。それで良いのだ。
ことができなかった。
 「何か」は、良い方向へ誘いかけなびかせる。
 私には、十代の素直さがなくなっていた。

その2、自然体験、賢母と慈母の一節
    
 サムエルウルマンの青春
 
 過ぎる年の、確か九月三日、近鉄吉野線の
下市駅に下車。
 
 ここから吉野の黒滝村へ向かう一行は二
十二人、そのうちに、女性が三人、それに、
黒滝村で吉野杉の山林を所有している山本山
主(さんしゅ)も加わっているとのこと。
 その二十二人のうち、健脚者、十二名はす
でに出発してしまっている。残っているのは
足に自信が無い者、十名だけである。

 皆、ラフな格好をしている。こういうとき、
論文をまともに書けない者がペンを持たせて
もらえるのである。
 
 そのわけだが、今日の一行は、日ごろ、コ
ンピューターと取り組み、H Oを始め、地
球環境とかバイオとか、ハイテクとかの論文
を発表し、いつでも総て理路整然とした討論
をしている会の会員だから。

 そのひらめく頭を登山帽で隠していると、
だれだかな、と戸惑う。
今日は、その方が良い。吉野の黒滝や大天
井岳の自然、それに、吉野杉を見に行くのだ
から。

 同行の女性は佐伯会員のほかに、野尻会員
の奥さんとお母さんの二人が参加していると
のこと。和やかな紀行になるだろう。
天気も良い。
会長の高橋さんは、常々、
「山本山主と、どこかえ行くときには雨が降
ることに決まってんだ」
と言っていたから、皆、雨の用意をしてきて
いる。だが、今日は違う、だから、会長も山
主も、いたって、上機嫌である。

 さて、タクシーに分乗して出発する。私と
の同乗者は、東さんと北村さん。車は下市町
通りを走り抜ける。この町は細長い。北村さ
ん、
「長い町やな」
運転手、
「そうです、昔はフンドシの町と、あだ名が
ついていたのです。川を挟んでいるし細長い
から」
「なるほどなるほど、うまい表現をやな、飛
鳥時代の人もなかなか言うね」
と北村さん。東さんは、
「飛鳥時代にフンドシをしとったんかな、女
性は腰巻やったのかな、腰箕と違ごたんかな」
「ウン、面白い、面白い推測やな」
と北村さんは喜ぶ。
このように、ものごとに常に興味を示し、
ときに歓喜する。それが青春だと、サムエル
ウルマンは詠っている。
その詩の一節、

青春は
心の持ち方
想像力の豊かさ 情熱を言う
年だけでは人は老いない

とも詠っている。
そうだ、今日の一行のうち半分は、この詩
とともに青春を歐歌しようとしている。
そして、佐伯女子は、バラの面差し、紅の
唇との、ウルマンの表現にぴったと添いつつ
であり、男性の高坂さんほか数名は、老いな
んて、われ、関係無しとしながら、回りに同調し
ようと努めている。
 そして、われは、ウルマンに傾倒し、詩心
に従って青春を歐歌し、興味深くものを見て
想像しなければならない。

  市の町 

 下市町は紀の川の上流になる吉野川とそ
の支流、秋野川に添い、川沿いに店が並び、
前の道を挟んで山側にも店々、その上に人家
建ち、その上は濃い緑が覆う山。

 この道を車で走るのは無粋、歩いてみなけ
ればと思わせる町並み、店々、道々である。
町には「市」と言う名がついているし、こ
こを流れている吉野川は飛鳥の地と吉野の山
地の境を流れていて、このあたりでは、もっ
とも大きい川である。

 それゆえ、縄文弥生時代には、ここで、山
の幸、川の幸の交換をやり始め、次に、吉野
と飛鳥の産物の物々交換が盛んに行なわれる
ようにもなっていったのではないだろうか。

 それが、次第に市の形態を成し、ここに吉
野や飛鳥の幸を背負ってきてひさぐ人、求め
る人々でにぎわい始め、店々には、蕎麦、粟
じねんじょなど、それに、栗、栢などの実、
猪肉や川魚などなどが並び、さらに、杉、ひ
のき、割り箸や祝い箸など吉野杉の加工品な
どのほか、鹿皮や鹿の角、麻や絹、紙などの
店が加わっていき、やがて、旅篭や小料理屋
も建ち、茶店もでき、地酒もあり、栗餅、黍
餅も売られるようになり、団子や饅頭を頬ば
る人もいるようになったのだろう。

 そのように偲べるところであり、そう偲ぶ
とますます情緒深く感じ、この町を車で走り
ぬけることの無粋さをつくずく感じる。

ここを先に歩いていった人々を羨ましく
思っているうちに、市の通りを過ぎて山間の
道に差し掛かる。
 この道を、古には、市の日、吉野の幸を運
ぶ人々が歩んだのだろう。
 牛の背に荷を乗せ、手綱を持つ人。オイゴ
を背負っている人々が、三々五々連れ立って
歩んでいたのだろう。

 それに、南朝の隠れ人や義経をかばう人々
が潜みながら通ったこともあるのだろう、と
古に心を導かれていると、東さん、
「昔からこのような道筋やったのやろうか」
と言う。
 やはり、山間の道、古から人々が踏み均し
ながら造ってきた道は多くの人の心を導く。
「そうね、踏み均して、「そま道」になり、
だんだん広がったのやろうな。今の道筋は、
昔とあまり変わっていないのではないだろう
か。舗装をしているけれど」
これに比し、大阪の御堂筋は、人と車を大
きく導いてくれるが、心を導いてくれると感
じさせない。その違いをそこはかと感じてい
る人は少なくないようである。

 でも、この道を常に通っている人は、それ
ほど感じることはなく、日ごろ、銀座通りや
御堂筋、境筋を歩き回っている人がここに来
たときに感じるのが強いのではないだろうか。
 いや、疑わなくても良い、きっとそうであ
ると言いきって良い。

ワーズワースの自然観と我が自然観
   本物と似非物

 その道は渓谷に沿い、川上へ向かい、僅か
な登り坂である。
 この辺りの渓谷には人口は何ら加わって
いない本物の渓谷である。これに比し、ちか
ごろ、似非物が増えてきた。それを造るのは
総て人である。だから、人が少ない所に本物
があるとみるのは大きくは間違っていない。

 そして、その本物と日々接している人々が
最も良く自然を理解しているとみるのも間違
っていない。
 わんさと、人が群れ溢れている町のビルの
中で自然ウンヌンについて記したりシャベッ
タリしている人と自然観が違ってくるのも確
かだろう。このことについて私は、自然が明
らかに人に勝っていると見て取れ、感じると
きと所での自然観と、人が自然に勝っている
錯覚するときと所での自然観は異なってくる
とみている。

 たとえば、人が自然に勝っていると錯覚す
るときと所、街中のビルの一室で水の話が始
まると、H Oという記号が先に頭に浮かぶ。
だが、今、ここの清水を眺めて、H Oを頭
に浮かべている人は居ないはずである。
今日の一行はみんな、
「綺麗な水やな」
と思っている。

 その流れは、次第に細まり、連れて清まり
ゆく。それを車内から眺めながら、また、こ
こを先に歩いていった方たちを羨む。
このあたりの自然はワーズワースの詩を
思い出させる。

自然は その創造物に
人間の魂を結び付けた
さて 人間が造る その様を思うとき
わが心は深く愁う

まことに良い詩である。これに比し「本物
と似非物」としか表現できない己の哀れさを
ひしひしと感じる。
 その美しい創造物に添って車は登って行
く。前方に連山が見え始めた。東さんは、
「下市町からどの方向にむかっとるのやろ
う」
北山さんが地図を開く。

  賢母と慈母

 地図によると下市町から南へ向かい、秋野
川の上流になる黒滝川に沿って黒滝村へ向か
っている。その黒滝村は吉野山の南(奥)六
キロメートルばかりの山間にある。
 吉野山は桜の名所として全国に知られて
いるが黒滝村を知っている人は少ない。

 この山間と同じような所で私は育った。そ
して、素朴な山河は慈母のようであり、桜や
もみじの名所は賢母のようだと感じている。
賢母は見るべきものを指し示し、ときには、
強いて目を向けさせようとする。慈母は心の
向くままに見させて強いない。

 この例えは、人に受け入れられるか否か分
からないが己だけでは、この例えで満足して
いる。そして、つねには、賢母も慈母も慕っ
ているが、ときに、慈母の懐を慕う方が強く
なるのである。

 そしたら、都会は何母かと問われると、ま
だ、適当な答えを持っていない。
その都会である大阪や奈良を北山さんは
地図上で指差し、
「このあたりは赤やら黒やらでゴチャゴチャ
しとるな。それに比べたら、今、我々が居る
ところはスッキリしとるな」
全く、言うとおり、地図ではスッキリとゴ
チャゴチヤ。慈母はスッキリで賢母はゴチャ
ゴチャか、いや、その例えは合っていない。
東さん、
「こんな所て住んでみたいな」

清水とH

 やはり、皆、好んでゴチャゴチャしている
所に住んでいるのではない。ということは
Oと言いたくなる所ではなく、綺麗な水
と言う所に居たい。だが、ここは名所ではな
い。それでも良い。言いかえると慈母の所に
居たいのである。

 高坂さんは水専門で日々ビルの中で
Oとか汚水、浄化などと記し続けている
のだろうが、その人だって今は、
「綺麗な水やな」
とだけしか思っていないだろう。
佐伯さんも、日々ビルの中でコンピュータ
ーとにらめっこばかりしているが、今は、そ
の目を細めて清流を見つめているのだろう。

 あるいは、松崎さんは、魚専門だから、
「水、清ければ、魚住まず」
などと思っているのだろうか、いや、そうい
うことは、絶対に無い。冷凍マグロの姿が頭
から失せてしまっているに違いない。
清流は二十二名総ての心を捕える魅力を
持っている。H Oには、それが全く無い。
だが、これは、豊かな想像力と言えるのか。
いや、臆さなくても良い、サムエルウルマ
ンは、

臆病さをさける勇気あるとき
も青春だと詠っている。

 −−−−−−−略−−−−−−
  大天井岳へ

 さて、黒滝村につき着き車四台に分乗して
黒谷添いの坂を登り大天井岳へ向かう。
ワーズワースの詩が、また、頭に浮かぶ。

見たことがない小川や丘が君を招くとき
いつでもどこても喜んで君を迎え 報い 
てくれるだろう

この詩は見たことがない山や川へ強く誘
う。見たことが無かった黒谷渓谷は次第に細
まりゆき、それに、連れて水は清さを増して
いく。
 
  若人と若やぎ人の自然観


 このせせらぎは、かつて、若人のときに見
ていたせせらぎと、その水辺の草木を思い起
こさせ、かつての風情と重なりあって目を惹
き付ける。
その水辺の草木、
 
 冬 枝に氷柱をつけてたわみ
 春 雪解け水に洗われ
 夏 茂って流れをほどほどに隠し
 秋 わずかに彩り 
 四季 水に倒され 立ち直り

それを、山河で遊びまわって育っていたと
き「あの草木と水とは寄り添い会っているよ
うだ」と感じ始めていたのである。
なのに、ある時期、ある人々は、H O
の水利だけに傾き、あの寄り添いを無視して
水辺をコンクリートで固め、草木を駆逐して
しまった。

あちこちの小川で、そうしてしまってから、
言い始めたのである。
「あの草木は水辺の風情を良くするだけでは
ないのだ」
と。もっと前から言えばよかったのに。
だから、自然を見るとき、無欲で理屈抜き
で常に山川を見つめている若人と、その若人
のときに立ちかえって若やいで見つめてみよ
うとする人々の目を侮ってはいけない。その
若人と若やいでいる人々の目はまた、

谷川の瀬は水を躍らせ弾ませ空気を混ぜ 
ている 
淵は泥や砂を沈めている

と見ている。
なのに、これも、水利土木の技術のみをも
てはやしたがった人々は、瀬や淵を均し、コ
ンクリートで覆いにかかり、おおよそ、覆い
尽くしたころになって、それは良くないこと
だと言い出したのである。

だが、黒滝のせせらぎには瀬あり淵有り水
辺の草木が茂っている。それを挟んでそびえ
る山は高く、そこに茂る吉野杉は大きく、森
深まるに連れて緑濃くなっていく。

この山についても、若人のときには、
「大きい木が茂っている山の中には、綺麗な
水が溜まっている、池のようだ゛一月や二月
雨が降らなくてもうまい美しい清水が湧き出
てくる」と見ていた。

 そして、草木は土と水で育つが、水も草木
と土に守られている。助け合っていると見て
いた。理屈を知らない若いときのもののみか
たなのだな、とひととき思っていたが、その
思いが全く正しかったのだと、今、改めて思
い直すのである。

 その山を仰いだり、清流を見下ろしたりし
ている一行のダベリは次第に小声になり、さ
さやきになってゆく。さわやかな水に心を洗
われ、大樹の精気に気圧(きお)されていく。
二十二名の力よりも清水や生木の力が勝って
いく。自然が明らかに人に勝っていく。

 大樹と潅木

 渓谷がぐっと狭まったところで谷を背に
して土道の急坂を登り、林に入る。吉野杉が
すくすく伸び育っている。この林を、下市町
の町外れから、山として見ていた。黒滝村に
到達し、山を間近にして森だと見ていて、今、
その山、森の中に入って林と見ている。

 この山、森、林の風情はそれぞれ、比べて
見る要はない。しかし、林の中をつぶさに見
つめて、のち離れて山とし森として見るとき
の風情は、また、異なる。
林を成す大樹。すくすく伸び育ってる木々
を見るのも良い。加えて大樹の元、木陰に茂
っている潅木、いや、小木の風情を見つめる
のも、また良い。これは、山、森を眺めてい
るときには見えない。

木漏れ日をもらって育つ か細い幹
なよやかな枝々 先につく薄い葉
浅い緑 なのに 健気に育って
大樹を栄えさせている

 その様をもっともっと誉めてやりたいが
誉める言葉が見当たらない。ただただ、その
風情見逃してはいないど、といってやりたい。
このように、林の中をつぶさに見たのちに
は、遠くから見る山、森の風情は変わって見
える。
これも、今に始まったことではない、若人
時からの想いなのである。

 喜んで迎え報いてくれる所

そのような林の中の急坂を登り、少し平坦
な窪地につく。日本全国に知れ渡っている吉
野杉が林立している。立派である。それ以上
の適切な言葉が見当たらない。
その木陰に、ご座を敷き詰めて、弁当を食
べる場がしつらえられている。林業社社長一
家皆さんのご苦労である。この山奥に、よう
こそ、しつらえてくださった。

 一行は靴を脱ぎ捨てる喜びを味わいなが
ら、ご座に座る。佐伯さんは、
「太い足」
と言い、隠そうと努めながらご座に座る。  
太過ぎませんよ、とても良い形ですよ、な
のに、近頃、スリムと言う言葉が流行りすぎ
ています。パーフェクトスリムはミイラです。

 ミイラに魅力を感じる人は居ません。血肉が
あってこその魅力。ただしありすぎるのはね
―――。佐伯さん、と言いたかったのだが、
言いそびれてしまった。

 それは、さておき、山で食べる弁当はうま
い。子供のころ、この弁当の味に惹かれて抜
き切りや柴切り、田植えや稲刈りにいったの
である。

 高橋会長を始め、食品専門の方々は、
「子供の舌が覚えた味は一生失せない」
と言うが、そのとおりだらう。それと同じく、
子供のときに見覚え、受けた山川や花木の印
象は一生失せないようだと思う。
そのうまい弁当、林業社社長一家皆さんが
調えてくださった弁当に味噌汁、お茶、黒滝
川の水、社長宅自家製の漬物を添えてご馳走
になったのである。

腹ごしらえを住ませて吉野杉林を去ると
きに思った。
 我々は、日ごろ、枯れた木の住み家で暮ら
している。今日は生きた吉野の杉に会いに来
た。木の精に触れに来た。その目的を十分に
果たしたのはだれだれなのだろう。
そうだ、野尻さんのお母さんは年配。よっ
て、きっと果たしている。それに、土井さん
は薬師寺で、心の美学を学んでいるから、彼
もきっと果たしている。その他の人は?
ともすると、うまい弁当の方に心が向いて
しまっていたのかも?。

 いや、二十二名を囲う数千本の木々はすく
すく伸び育っている。ここに、もし、独りで
居たら、その精気に気圧される。今、二十二
名居るときにも、それを各自の心が密かに受
けとめているのだが、意識するのが薄れてい
る。

 それを、清水を見ているときのことから推
し量ってみよう。

綺麗な水を見ているとき、その場では目だ
けが綺麗だとみているようなのだが、あとに
なって思い出すとき、心が清まるのを覚え、
見ていたとき、心が清まっていたのたな、と
気付く。

 素朴な山や川、花木は密かに、その場では
心させずに人の心に働きかけ、物憂さを遠の
かせ心を晴らせる。慈母のように。
いや、余計なことを書かなくても、ワーズ
ワースの次の詩を見るとよい。

 君を招くとき 喜んで君に報いるだろう

よって、ここに来た目的を総ての人が果た
している。
−−−−−略−−−−−

 エビカニキラー

 さて、割り箸工場、憩いの家、庄屋の家、土
産店をめぐり、民宿レストランに着く。
 目の前に並んだ料理には大きいえびへが二
匹もついている。日本料理の評価はエビカニの
大きさで決まる。だが、それを食べるとジンマシ
ンが出るという変わり者がこの一行に加わって
いる。

 その変わり者は、今日の昼、弁当について
いる大きいエビを松崎さんに献上した。彼は
代わりにコロッケをくれた。それを見ていた
佐伯さんは、不思議そうにして、首をかしげ
ながら、
「エビとコロッケのかえこと、兄弟みたい」
と、コロコロ笑った。
 
 佐伯さんだけではなく、しばしば笑う人に
出会う。こちらは、笑われても一行に応えな
い年代に達している。それに、佐伯さんのよ
うな女性に大きいエビを献上すると、あとで、
あれやこれや憶測されることがある。しかし、
人目を引かない女性だったら献上しても良い
ということも。
よって、この場では、隣に居る高坂さんと
土井さんに献上した。

 このように、さっさと献上し、さっさとも
らってくれる人が傍に居るときは誠に幸せで
ある。そうではなく、畏まった宴で、しかも、
エビカニの本場で、隣に美人が畏まって居る
ときにはまことに不幸である。

 折角の、日本料理の象徴のエビカニを隣の
畏まっている美人に献上すると、傍で見てい
る人々は「スケベー」と見てとるし、美人は、
私だからなのね。へんなことをする人、いか
がわしい人と見て取る。

 それに、宴の接待者は、私たち、エビカニ
本場の本物を嫌いな人は、この世に絶対に居
ないと信じ切っている。
 本物に箸をつけない者を見付けると、立派
なエビカニに、ちょっと箸をつけのに気が引
けているのだろうとでも見てとるのか、懸命
に食べて食べてとすすめにくる。

 それでも、箸をつけないと、二、三人もや
ってきて、エビカニの身をほじくり出し、
「さあさあ、あがってあがって」
と赤ん坊に食べさせるようにしてすすめる。
そういうことに会ったことが無い人々は、
「うそうそ、いいかげなことを言う」とか、
「けっこうなこっちゃないか」
というだろう。どっこい、変わり者は大弱り、
断りきれなくなって、あとで出るジンマシン
を恐れながら食べるエビカニの味。その、ご
くごくし乙な味。
そのうえ、
「流石に本場ですね、とてもおいしい」
などと、お世辞を言わなければならないとき
だってある。

 だが、今日は幸いと気を大きく許して高坂
さん土井さんと話す。
「今年は暑かったね」
「暑かった。参った。こういうとき、ほどほ
どに年を召しているものは、少々不義理をせ
んと身が持たん。まじめに、ご会葬に行って
炎天下で立っていたら命が縮まる。それに、
ほどほどにお年召す者が行くと、相手は気の
毒がる」
などなど。

 そのうちに出来あがってしまう。先ほどの
感謝の念など、すつかり無くしてしまって訳
がわからないことをとりとめなく話しまくる。
アルコールは実に不思議な作用を人の頭
に及ぼす。笑い出したら笑い一辺倒にさせ、
怒り出したら一辺倒に怒らせ、踊り出してら
止めさせず、歌い出したも止めさせない。
そういうことを、そのときどきで、まちま
ちにさせる。

 カールルイスと山火事

 そこへ、黒滝村の林業者社長がちょうしを持
ってやってきた。
所対面なのに、さもじっこんそうに「やあ
やあ」と握手をしたり、またまた、あんまり
意味がないことを話まくる。社長も出来あが
っていて、
「黒滝の消防団長をしているのです」
とおっしゃる。それは大変だ。山火事は怖い
。火の風下に居ると火に追っかけられる。
火は梢の葉を焼き、地面の落ち葉を焼きな
がら追っかけてくる。すごく速い。その上下
の火の間の木間を熱風が吹きぬけてくる。

 かつて、オリンピックでカールルイスとい
う選手が短距離、幅跳びなんかで幾つも金メ
ダルを取った

 そのカールルイスだって、この火に追っか
けられたら逃げきれない。
それに、火は飛ぶ、これも、カールルイス
と比べものにならない。ときに、百メートル
も飛ぶ。だから、目の前の火事だけを見てい
ると、後ろからあぶりたてられて、黒焦げに
されてしまう。
この際、山火事のときの注意をもっと加え
ておこう。

 今のことは、あまり詳しくないが、古には、
火事を知らせ半鐘が鳴ると、家に帰って飯を
食い、握り飯を腰にして火事場へ行った。
火事場へ行く山は険しく満ちがある所は
少ない。空き腹では現場につくまでにヘバッ
テしまう。そして、半日で消せるか幾日かか
るのか分からない。都会では、5分で消防車
がやってくる。半日も燃え続けることは少な
い。

 それと同じと軽くみて、野次馬根性で火事
見物をしてやろうと、あちこちうろついてい
ると必ず黒焦げにされてしまう。
なお、火事場近くで長い間いると被服が乾
ききってしまっていて、火から離れていても、
服や衣類が突然、いっきに、一挙に燃え始め
る。そういう経験を三歳のときにしている。
それやこれやのけ経験を多く積み、いかな
る場においても判断を誤らず指示行動できる
人でなければ消防団長は勤まらない。

  カラオケの露払い
   恥を堂々とかかねばならん歳

などなどと取りとめなく前のことを思い
出していたら、社長は、マイクを持ってきて、
「歌を」
「団長がかわきりをしなければ」
それには応えてくれず、土井さんに、
「歌を」
土井さん
「露払いは、いいだしべえの団長や」
「露払いを命じられた」
と団長は機嫌よく歌いはじめた。
 次に土井さんが歌う。露払いを命じた手前
だろう。
 
 だつたら、川切りきりをやれといった者も
恥をしのいで歌わねばならない。こういうと
き、そこそこに年召すものは恥を堂々とかく
心構えが必要である。それをしないで畏まっ
ていたら、若い人は息がつまる。

 これは、わが祖父の持論で、しばしば人前
でホーケタ話をして皆を喜ばせていた。我も、
その年に近づいてきた。
よって、古城と星の流れを歌ったら、次々
に名歌手が登場し青春を謳歌し、最後に社長
の子息が謳歌した。

 そして、歌い終わって 私の手を握り
「この間、山本山主に見せていただいた本は
あなたが書いたものとのことですが、抜き切
りや柴切りのこと、実にうまく書いていまし
た。どのようにしたら、ああいうふうにかけ
るのですか」
「読んでくれましたか、ありがとう。文は人
に読んでもらうために書くものと、大阪文学
学校で教えられています。人に読んでもらう
えるようにすることだと思いますが、それが
なかなか難しいことです」

「それから、今日皆さんと大天井岳に行った
ことを今日明日に書くと、細かいことを全部
覚えているから書いてしまう。だから今日の
出来事の記録、日記のようになってしまう。
日記は自分の記録のために書くもの。だから、
人は読んでも興味が湧かない。もし、今日の
ことを、ちょっと後になって思い出し思い出
し書くと、印象が強かったことごとだけを覚
えていて想いだし、印象が強かったものだけ
を集めた記述になるから、読む人も興味を持
つ記になるのではないだろうか」

「ああ、それで、若いときに行って、それか
ら長いことたって、今でも覚えている山や川
のことや抜き切り柴切りのことを思い出して
書いたのですね。だから、印象が強く残って
いることの集まりになっていて、読み応えが
あるものになっているのですね」
「かもね、これは、私の持論で正しいのかど
うだか。
今日の印象強かったことごとを書くために、
ちょっと経ってから想いだし想いだし書いて
送ります」

 −−−−−略−−−−−−
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