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  4. アリス殺し

アリス殺し/小林泰三

2013年発表 創元クライム・クラブ(東京創元社)

 まず発端となるハンプティ・ダンプティ殺しでは、“目撃者”である白兎の証言によってアリスに疑いが向いていますが、いきなり本文の最初の頁“そこをどいてくれ、メアリーアン!”(3頁)と、白兎によるアリスとメアリーアンの取り違えを示す手がかりがしっかりと配置されているのが大胆。さらに、白兎が視覚ではなく臭いに頼って相手を判別している(57頁)ことが示され、取り違えの原因も明らかになっています。

 このように、ハンプティ・ダンプティ殺しの犯人がメアリーアンであることは、早い段階でわかるように書いてあるといってもいいように思われます。もちろん本書の場合はそこで終わりではなく、“〈現実世界〉では誰が犯人なのか?”――“誰がメアリーアンなのか?”が謎として残るのが見どころ。〈不思議の国〉と〈現実世界〉がリンクする設定を考えれば、二つの世界の間における“人物”の対応関係にトリックが仕掛けられている(アーヴァタール誤認トリック)ことは予測できるのではないかと思われますが、〈現実世界〉でのメアリーアンを示す手がかりはなかなかうまく隠されています。

 一つには、その手がかり――“犯人が偶然知ってしまった事実”(139頁)が、(作中でも言及されているように)“犯人しか知りえない事実”(172頁)ではない、すなわち犯行と直結しない上に、犯人自身ではなく白兎=田中李緒の勘違いが前提となっているため、手がかりとして目に付きにくくなっていることがあります。そしてもう一つ、その李緒の“びっくりパーティーの件、井森君には絶対秘密にしておいてね。”(97頁)という台詞 が、その時点では〈不思議の国〉での話なのか〈現実世界〉での話なのか判然としないため、どのような勘違いなのかわかりにくくなっていることもあるでしょう。

 一方、真相解明につながる、蜥蜴のビル(=井森建)が残した“公爵夫人が犯人だということはあり得ない”(168頁)というダイイングメッセージが秀逸。ダイイングメッセージものでは真犯人の名前がストレートに残されていることはなく、様々な理由で*1解読が困難になっているわけですが、そもそも被害者が犯人の存在(消去や改変の危険性)を恐れた場合、“わざとわかりにくいメッセージを残す”というのは(現実的に考えれば)対策として不十分といわざるを得ないところがあります*2。しかるに本書では、犯人に干渉されないことを最優先にした結果、(一見すると)犯人に有利なメッセージになっているのが非常に面白いところです。

 メッセージの受け手である栗栖川亜理のもとには、犯人の知らない情報――“犯人が偶然知ってしまった事実をぺらぺらと喋ってしまった人物がいる”(139頁)に表れているように、井森がすでに特定の人物を疑っていたこと――があったがゆえに、メッセージから“公爵夫人を犯人だと疑っていた”という意味を読み取ることができているのも巧妙。つまるところ、“公爵夫人が犯人だということはあり得ない”――すなわち“犯人は公爵夫人ではない”という文章に、“犯人は〈非公爵夫人〉(→公爵夫人を装っている人物)”という意味を持たせてあるわけで、『アリス』にふさわしいダイイングメッセージといえるのではないでしょうか。

 犯人・広山准教授がいきなり自殺してしまうのには驚かされましたが、二つの世界の関係については伏線――〈不思議の国〉での死が〈現実世界〉に反映され、逆の例は出てこない――もあり、〈不思議の国〉でメアリーアンが再登場してくるのもすんなりと納得できます。さらにいえば、ショッキングな展開なのは確かですが、本書の題名で堂々と示唆されている“アリス殺し”が待ち受けていることまで、想定できてもおかしくはないかもしれません。

 しかし、ここにもう一つのアーヴァタール誤認トリック――“アリス≠亜理”という真相が用意されているのに脱帽。毎日ハムスターのハム美と話している(63頁~64頁)という亜理の奇矯な行動が伏線となっているのには苦笑を禁じ得ませんし、やや反則気味ではありますが、亜理もしくはアリスはしばしば“誤解”に言及しています(例えば140頁のアリスとビルのやり取り*3)し、冒頭で少しだけとはいえ眠り鼠がアリスとともにしっかり登場しているわけで、完全にしてやられた感があります。さらに、いかにも帽子屋と三月兎をイメージさせる谷丸警部と西中島刑事*4までが意外な正体を明かすことで、〈不思議の国〉での事件が一気に解決されるのが鮮やかです。

 さて、夢見ていた赤の王様{レッド・キング}がついに目覚めるラストでは、世界が混沌に突入する中、チェシャ猫と会話していた亜理が(眠り鼠ではなく)アリスになっているようですが、〈不思議の国〉で殺されたアリスが復活すること自体がおかしな気もしないでもありません。そこから考えられるのは、メアリーアンの“半分は当たっているけど、半分はでたらめだった”(212頁)という言葉が誤っていた可能性で、〈不思議の国〉の住人たちもまた赤の王様{レッド・キング}夢の産物――ただし〈現実世界(=地球)〉より“上位”に位置する――だったということではないでしょうか。

*1: 拙文「私的「ダイイング・メッセージ講義」」を参照。
*2: 知る限りでは、犯人による干渉を計算に入れたメッセージによってこの問題をクリアした作品が一つあります(某国内作家の短編)。
*3: ビルの“井森と君は最近結構親しいんだろ”という言葉に対して、アリスは“まだ、誤解があるようね”(いずれも140頁)と答えています。もっともこのあたりのやり取りは、“井森と亜理が親しい”ことが誤解なのだとミスリードするように書かれており、真相が見えにくくなっているのが巧妙です。
*4: この二人は、作者の他の作品(例えば『密室・殺人』など)にも登場しているおなじみのキャラクターなので、何となくニヤリとさせられます。

2013.10.02読了