天啓の殺意/中町 信
「事件」の章のラストでは、神永頼三が事件の謎を解いたことが匂わされていますが、この時点でアリバイトリック(と“犯人”)はほとんど見え見えで、犯人当てとしてはいささか難度が低すぎてもったいないというか何というか。もちろん、柳生照彦にはきちんとした犯人当てを書く気はなかったわけですし、作者(中町信)にしても“ここで勝負するつもりはない”という意思表示なのかもしれませんが……。
しかし、アリバイトリックを弄した“犯人”――片桐洋子は、続く「追及」の章で何者かに殺害され、新たに容疑者として浮上してくる尾道由起子までもが殺害されてしまい、「捜査」の章では由起子の夫・繁次郎に容疑が向けられるという具合に、二転三転する構図がよくできています。そして繁次郎の証言で、神永朝江の代わりに翁島旅館に泊まった正体不明の女に疑いが向けられるものの、該当する関係者は存在しない……ように見えます。
それをクリアするのが、「真相」の章で明かされるトリック――柳生が書いた原稿、すなわち“作中作”の一部(「追及」の章)を、“作中の現実”だと誤認させる叙述トリックです。柳生が書いた「事件」の章を読んだ花積明日子が、“現実”に起きた事件を調べる過程を描いた「追及」の章――その内容を事実だと思わせることで、明日子が本書の“探偵役”であるかのようにミスリードする(*1)のみならず、最後には由起子殺害の際のアリバイまで用意してある(210頁~211頁)のが実に巧妙。また、明日子が由起子のマンションを訪ねた場面が描かれていることで、由起子を殺した“初めての客”
(282頁)ではあり得ない、と思わせるところもよくできています。
もっとも、亜駆良人氏の解説でも“叙述トリックをメインに押し出し、それを思うがままに駆使してきた。”
(345頁)と紹介されているような、作者の作風を事前に知っていると、さすがにかなりの部分が見えてしまうのが残念。
本書で使われている叙述トリックは、少なくともメインのネタとしてはあまり見かけないものではありますが、それでも叙述トリックの具体的な手法――叙述の中で情報を明示せず曖昧にした箇所について、読者の先入観などを利用して誤認させる(*2)――がわかっていると、本書で曖昧にされているのがテキストレベルくらいしかないことから、どのような叙述トリックが仕掛けられているのか見当をつけることができます。
そして、叙述トリックがまだそれほど大々的には使われていない時代に書かれたせいか、手がかりがわかりやすく書かれているということもあります。例えば、編集者・橋井真弓の所属や亀岡タツ殺害の手口などは、“作中の現実”(「プロローグ」/「捜査」)と“作中作”(「追及」)の間の矛盾として、かなり目につきやすいものになっています。
さて「真相」の章では、“意外な探偵役”の趣向が秀逸。「あとがき」で述べられているように“地味な脇役でしかない登場人物のひとり”
(337頁)であった入内島之大が、突然再登場して謎解きを始めるのには一瞬唖然とさせられますが、入内島が“柳生の原稿は必ず一通余分にコピー”
(240頁)していたことを考えれば、本書の探偵役としては打ってつけといえるでしょう。
拙文「叙述トリック概論#トリックの解明」にも書いたように、作中の登場人物は叙述トリックの存在を認識することができないわけで、当然ながらそれを“解明”することも不可能。実際のところ、「捜査」の章のラストで警察は、叙述トリックとはまったく無関係に花積明日子にたどり着いているので、そこで“探偵役”が登場してくること自体が正直予想外でした(*3)。
しかし本書では叙述トリックを、作中においては柳生の書いた原稿の枚数の問題に帰結させることで、「追及」の章として読者に示された部分までが“作中作”であったことを、入内島の謎解きを通じて間接的に読者に解説する形になっているのが見事です。
花積明日子にはもちろん犯行に至る自分自身の動機があったわけですが、尾道夫妻への復讐を目論む柳生照彦の動機がそこに重なり、“操り”の構図を呈しているのが興味深いところです。とりわけ、片桐洋子・亀岡タツの殺害や尾道由起子の紅茶茶碗のしまい場所(82頁/283頁)など、柳生の書いた原稿が具体的な“犯行の手引き”となっているあたりは、某有名海外古典(*4)を思い起こさせます。
全体として、“絵空事”を抜きにした“現実的”なミステリの枠内で、最大限のトリック/サプライズを模索した結果の産物という印象。ネタバレなしの感想にも書いたように、個人的にはやや魅力に欠ける部分もありますが、それでも作者の姿勢には頭が下がります。
*2: 必要であれば拙文「叙述トリック概論」を参照。
*3: 例えば、逮捕された犯人の独白といった形で仕掛けを説明することは可能なので、そういう手法なのかと予想していたのですが……。
*4: いうまでもないかもしれませんが、(作家名)エラリイ・クイーン(ここまで)の長編(作品名)『Yの悲劇』(ここまで)。
2013.06.21読了