- 叙述トリックとは
- 叙述トリックの対象による分類
- 叙述トリックとフェアプレイ(その1) (改稿予定)
- 叙述トリックとフェアプレイ(その2) (予定)
叙述トリックとは
ミステリにおいてしばしば使われる“叙述トリック”は、他の一般的なトリックとは異なるいくつかの特徴を備えています。
- [1] 騙す者と騙される者
- 叙述トリックは、文字通り叙述によるトリックであるわけですが、この叙述――すなわち“語り”とは、情報の伝達(あるいは伝達される情報そのもの)ととらえることができるでしょう。そしてそこに関与するのは、伝達される情報そのものを間に挟んで対峙する、送り手と受け手(典型的には作者と読者(*1))のみ。したがって、叙述トリックとは情報の送り手が受け手に対して仕掛けるトリックであるといえます。
これは、作中の登場人物(例えば犯人)が他の登場人物(例えば探偵役)に対して仕掛ける一般的なトリックとの、大きな相違点となっています。
- [2] トリックの所在
- 通常のトリックでは、作中――仮想の物語世界――において、ある事象Aが別の事象Bに改変される(あるいは登場人物が事象Bと誤認させられる)ことになります([図1]参照)。したがって、トリックは物語世界の中に存在すると考えることができるでしょう。
[図1:通常のトリックの構図] 物語世界事象A ――→ 事象B
これに対して叙述トリックでは、仮想の物語世界の中のある事象Aを、送り手(例えば作者)がA'と表現して伝達し、それを受け取った受け手(例えば読者)が別の事象Bだと誤認させられる形になります([図2]参照)。
[図2:叙述トリックの構図] 物語世界 事象A
――→送り手 叙述A'
――→受け手 誤認B
[図2]からもわかるように、事象Aが物語世界の中で改変(または誤認)されることはないのですから、叙述トリックは仮想の物語世界の中ではなく、送り手がそれを表現した叙述の中にのみ存在すると考えることができます。
- [3] トリックの解明
- [図2]に示したように、通常のトリックとは異なり、叙述トリックでは物語世界の中の事象Aが改変されることはありません。すなわち、叙述トリックは物語世界に影響を与えない、と表現することもできるでしょう(*2)。
ところがこれは、物語世界の中の登場人物は叙述トリックの存在を認識することすらできない(*3)、ということを意味します。したがって、叙述トリックが仕掛けられた物語の登場人物は、叙述トリックによって隠された真相そのもの(例えば[図2]における事象A)を直接的に示すことはできる(*4)としても、叙述トリックを解き明かす(仕掛けを説明する)ことはできない、ということになります。
叙述トリックを使ったミステリでは時に、最後に示された真相がにわかに納得しがたいものになっている例が見受けられますが、これは真相そのものの問題というよりも、通常行われるはずの登場人物による解明がなされない(できない)という理由が大きいのではないでしょうか。また逆に考えれば、叙述トリックは原則として、真相を示すだけで受け手を納得させることができるような、ある程度シンプルなものにならざるを得ない、ともいえるでしょう。
もちろん、叙述トリックを認識できるメタレベルからであれば、トリックを解明することも可能です。叙述トリックを使ったミステリではしばしば、作中作などによるメタフィクションの形式が採用されますが、これもトリックそのものの要請だけでなく解明の必要性によるところがあると考えられます。
以上の三点は叙述トリックに特有の性質であり、叙述トリックと通常のトリックとを峻別する特徴といえるのではないでしょうか。
さらに、叙述トリック特有ではないものの、重要な性質として以下の二点を挙げることができます。
- [4] 偽の真相
- トリックを、その目的に着目して“隠すトリック”と“騙すトリック”の二つに分けるとすれば、叙述トリックは明らかに後者に該当します。
例えば密室トリックやアリバイトリックの一部のように、どうやって実現したのかわからないという状況を生じるものは、真相を不明にするための“隠すトリック”といえます。これに対して、叙述トリックは真相が不明な状況を生じるのではなく、何らかの形で“偽の真相”が暗示される、“騙すトリック”となります([図3]参照)。
[図3:“騙すトリック”] 隠された
真相ミスディレクション
――――――――→偽の真相
つまり叙述トリックとは、受け手を“偽の真相”に誘導するトリックであり、真相の隠蔽とミスディレクションという二つの機能によってそれが実現されるということになるでしょう。
- [5] トリックの隠密性
-
安眠練炭さんの指摘(「叙述トリックについてのはしりがき」)を受けて、以下のように修正。
例えば密室トリックでは、トリックが使われたことが明かされたとしても、どうやって密室を構成したかというトリックの中身が見抜かれない限り格別の問題がない場合がほとんどではないでしょうか。
これに対して叙述トリックでは、トリックが仕掛けられていることが見えてしまうと、“偽の真相”が十分に機能しなくなり(それが“偽の真相”であることが見えてしまう)、(一般的には)それと対立する“隠された真相”まで見抜かれてしまうおそれがあります(理由については安眠練炭さん「叙述トリックについてのはしりがき」を参照)。特に、叙述トリックは[3]で述べたようにシンプルなものになる傾向があるので、なおさらその危険性が高くなります。
それを回避するために、叙述トリックはその存在自体が極力隠蔽されることになります。つまり、隠されてきた真相が示される時にはじめて存在が明るみに出るのが、理想的な叙述トリックといえるでしょう。
最後に、典型的な叙述トリックの機構を示しておきます。
事象A | 叙述A' | 誤認B | ||
---|---|---|---|---|
情報
a1,a2,...,an | ―――→ ↓ a1 | 情報
a2,a3,...,an | ―――→ ↑ b1 | 情報
b1,a2,...,an |
送り手に よる欠落 | 受け手に よる補完 | |||
a1及びb1がそれぞれ事象A及び事象Bを決定づける情報であり、a2,...,anが事象A及び事象Bのどちらとも矛盾せず、しかも全体として事象Bの方をより強く示唆する(*5)情報であるとします。この場合、送り手がa1を欠落させる(真相の隠蔽)とともに、a2,...,anをそのまま伝える(ミスディレクション)ことで、受け手がa2,...,anの示唆によりb1を補完してしまった結果、事象Bだと誤認することになります。
真相の隠蔽はミステリの大部分で一般的に行われていることなので、ミスディレクション――“真相”にも“偽の真相”にも当てはまり、なおかつ“偽の真相”の方をより強く示唆する情報(あるいは“表現”というべきか)――こそが、叙述トリックのポイントといえます。そしてまた、どのような情報をどのように扱うことができるかを考えれば、誤認の対象となる事象の選択が重要になってくることも間違いないでしょう。
(2023.02.19)
以下、一点追記します。
- [6] 叙述トリックと信頼できない語り手
- まず、似鳥鶏『叙述トリック短編集』巻頭の「読者への挑戦状」から引用します。
「叙述トリック」とは、小説の文章そのものの書き方で読者を騙すタイプのトリックです。たとえば、
犯人は「事件の時に一人だった人間」である。主人公は事件の時、「松方」という人物と話していた。だから犯人ではない、と読者は思ったが、実は「松方」という人物は実在せず、主人公が作り出した妄想であった。つまり主人公は、客観的には事件時に「一人」だったのであり、犯人は主人公である。
こういうやつです。この作品は主人公の視点で書かれており、「主人公にとっては松方は存在する」のだから、「松方が言った」とか書いても嘘ではない訳です。(後略)
(似鳥鶏『叙述トリック短編集』 講談社タイガ 8頁)
[図5:似鳥鶏による例] 作中の現実 語り手の認識 語り手の叙述 読者の認識 事象A
―――→
↑妄想B
―――→
叙述B
―――→
誤認B語り手に
よる誤認
上の図のように、作中の事象A(松方は存在しない/会話していない)に対して、主人公が妄想B(松方は存在する/会話していた)という誤認を生じ、それを主人公がそのまま叙述Bとして語り、読者も語られた誤認Bをそのまま受け入れる――という流れで読者が騙されることになりますが、誤認が生じるのは叙述よりも前の段階です。読者が叙述を介して騙されるのは確かです(*8)が、叙述によって騙されるのではない――トリックの核心となるのはあくまでも作中の語り手の認識であって、叙述そのものには何らトリックが仕掛けられていないわけですから、叙述トリックとは到底いえないでしょう(*9)。
つまるところ、叙述トリックと“信頼できない語り手”は、実作者が混同してしまうほど似ている部分もある――特に、読者が叙述を信用することで騙される点、そして読者が何について騙されたか――のですが、そもそもは異なる概念であり(*10)、さらに、例えば「信頼できない語り手 - Wikipedia」に“叙述トリックの一種”
と書かれているような包含関係にあるわけでもない、といえます。
とはいえ、“信頼できない語り手”といえども、必ずしもすべての事象を誤認するわけではない(*11)、ということを踏まえると、叙述トリックと“信頼できない語り手”は決して排他的な関係――“信頼できない語り手”であれば叙述トリックではない、あるいはその逆――ではなく、両立できる余地があるのではないかと考えられます。例えば、上に引用した似鳥鶏による例を一部改変した、以下のような例ではどうでしょうか。
犯人は「事件の時に一人だった人間」である。主人公は事件の時、「松方」という人物と話していた。だから犯人ではない、と読者は思ったが、実は「松方」は人間ではなく人形であり、主人公は「松方」が人形と知りながらそれを明示せず、会話する妄想をしていた。つまり主人公は、客観的には事件時に「一人」だったのであり、犯人は主人公である。
(似鳥鶏『叙述トリック短編集』の例を筆者が改変)
[図6:改変した例] 作中の現実 語り手の認識 語り手の叙述 読者の認識 事象A
―――→
妄想B
―――→
叙述B
―――→
誤認B事象P
p1,p2,...,pn
―――→
認識P
p1,p2,...,pn
―――→
↓
p1叙述P'
p2,p3,...,pn
―――→
↑
q1誤認Q
q1,p2,...,pn語り手に
よる欠落読者に
よる補完
作中の事象A(会話していない)から読者の誤認B(会話していた)に至る上段は[図5]と同様ですが、作中の事象P(松方は人形)から読者の誤認Q(松方は人間)に至る下段の方は、作中の語り手を介している以外は[図4]と同じになります。誤認Q(松方は人間)を引き起こす最大の要因となるのが、妄想B(に端を発する叙述Bの内容)であることに引っ掛かりを覚える向きもあるかもしれませんが、しかし語り手の叙述次第では成立しない、すなわち叙述P'によって成立するトリックとなっているのですから、誤認Qに関する部分に限れば十分に叙述トリックといっていいのではないでしょうか。
このように、“信頼できない語り手”と叙述トリックは両立し得る――正確にいえば、“信頼できない語り手”を利用した叙述トリックさえ成立し得ると考えられます。
作者 | ―― | 物語
| ―→ | 読者 | |||||
*2: 叙述トリックの大半は、別のトリックによってそれと同じ(あるいは類似の)現象を作中に生じさせることが可能なので、例えば[例を表示]といった形で、受け手(読者)と同時に作中の登場人物も騙すことができます。しかし、一見同じ(ように見える)現象であっても、登場人物は叙述トリックではなく別のトリックによって騙されている、ということに注意すべきでしょう。
*3: 物語の中に登場し、物語世界の事象をリアルタイムで語る一人称の視点人物が叙述トリックを仕掛ける場合は、その視点人物自身は当然叙述トリックを認識できることになります(一人称の叙述であっても過去の回想などの場合には、叙述トリックを仕掛ける語り手自身はメタレベルに位置すると考えられます)。
*4: 叙述トリックの種類によっては、これさえ(不可能ではないものの)困難な場合もあります。
*5: 主な原因は、受け手の先入観(もしくは偏見)ということになります。
*6:
“しかし、小説における語りの技術や構造(いわゆるナラトロジー、物語論)に多少詳しい方ならば、ここで(あれ?)と首を傾げるのではないでしょうか。似鳥の例は、「信頼できない語り手」について述べたものであると見做しても、完全に成り立つからです。”。
*7: 上に引用したように、孔田多紀さんはここまで断言してはいませんが……。
*8: これは実のところ、作中の登場人物が実行する一般的なトリックでも同じになってしまうわけですから、直ちに叙述トリックはといえないことは明らかでしょう。
*9: ついでにいえば、この例は似鳥鶏がいうような
“小説の文章そのものの書き方”よりもむしろ、“小説の文章に書かれた内容”で読者を騙すトリックになっていると思います。
*10: 詳細は、「1-3 「信頼できない語り手」と「叙述トリック」はどう違うのか? - 新・叙述トリック試論(孔田多紀) - カクヨム」などを参照。
*11: “信頼できない語り手”である以上、その叙述は総体として信頼できない、という考え方もあるかもしれませんが、そもそもフィクションであるからには、語り手がいくら非現実的なことを語っていてもそれが“作中の現実”でないとは限らない(そのような設定かもしれない)のですから、“信頼できない語り手”か否かは一般的に、作中の事実が判明・確定してから事後的に判断されることになりますし、“どこまで信頼できたのか”も同時に明らかになるのではないでしょうか(これは“地の文の嘘”についても同様だと考えられます)。
(2006.05.01一部修正)
(2023.02.19[6]を追記)
叙述トリックの対象による分類
前項の最後に述べたように、叙述トリックにおいては誤認の対象が重要なポイントの一つであると考えられます。
例えば、物語の舞台となる具体的な地名や詳細な日時などは、作中で示されなくてもとりたてて不自然ではありませんが、ある人物の名前が示されることなく人称代名詞のみが使われるといった状況では、いささか不自然に感じられるのは否めません。このように、重要な(あるいは具体的な)情報をどこまで隠すことができるか、どのようにミスディレクションを仕掛けることができるか、といったところに、誤認の対象によって差が出てくるのは間違いないでしょう。
したがって、誤認の対象に基づいて叙述トリックを分類することには、なにがしかの意味があるといえるでしょう。そして、誤認の対象とは送り手から受け手へと伝達される情報の一部なのですから、伝達すべき情報を整理する際に使われる、いわゆる“5W1H”の考え方を参考にしつつ、以下のように分類してみます(*1)。
- 人物に関するトリック (誰が)
- 時間に関するトリック (いつ)
- 場所・状況に関するトリック (どこで)
- 物品に関するトリック (何を)
- 行為に関するトリック (どのように)
- 動機・心理に関するトリック (なぜ)
- その他のトリック
各項目の詳細については、「叙述トリック分類」(別ページ)にて説明します。
以下の項では、「叙述トリックとフェアプレイ」に関して思いついたことを書き連ねていますが、より厳密性を欠いた暴論になっているかと思いますので、その点はご了承下さい。
叙述トリックとフェアプレイ(その1)
「叙述トリックとは」の[図4]には、送り手による情報の欠落と受け手による情報の補完に基づく叙述トリックの機構を示しましたが、これに対して次のような例はどうでしょうか。
事象A | 叙述B | 誤認B | ||
---|---|---|---|---|
情報 a1,a2,...,an | ――→ ↓ ↑ a1 b1 | 情報 b1,a2,...,an | ――→ | 情報 b1,a2,...,an |
[図7]の例では、送り手が事象Aを決定づける情報a1を欠落させるとともに、事象Bを決定づける(事象Aと矛盾する)情報b1を追加して伝達し、受け手はそれをそのまま認識して騙されることになります。これは要するに、叙述に虚偽(嘘)が含まれている場合です。
虚偽の情報を含む叙述によって騙すことは、叙述トリックには該当しない(*1)とする考え方もありますが、やはり叙述によって受け手を騙す手法には違いないのですから、これも叙述トリックの一種として扱うのが妥当でしょう。ただし、問題を生じやすいトリックであることは間違いありません。それは、騙し方として安易な手法だということもありますが、それ以上に作品がアンフェアなものになってしまう場合がほとんどだからです。
しかしながら、虚偽の情報を含む叙述トリック(以下、「虚偽叙述トリック」という)を使用したミステリの中にも、アンフェアとはいい難い作品が存在します。そこで、本項では主に「虚偽叙述トリック」とフェアプレイについて検討してみます。
ミステリにおけるフェアプレイとは、“作者が提示した謎を読者が解くことができるか否か”という作者と読者の勝負が、公正なものであることを指すと考えられます。このフェアプレイという概念の扱いについては、人により様々な考え方があると思われますが、いずれにせよ、それがミステリにおいて重要な要素の一つであることは確かでしょう。
そして、一般的には以下の2点が、ミステリにおけるフェアプレイの原則とされています。
- 地の文に嘘を書いてはならない。 (以下、「原則1」という)
- 解決のための手がかりがすべて読者に提示されなければならない。 (以下、「原則2」という)
さて、「虚偽叙述トリック」を使ったミステリは一見したところ、「原則1」に反しているためにアンフェアとなってしまうようにも思われます。しかし私見では、「虚偽叙述トリック」を使ったミステリが直ちにアンフェアであるとはいえません。なぜなら、「原則1」は必ずしもフェアプレイの原則として適切ではないと考えられるからです。
ミステリにおけるフェアプレイとは前述のように、作者と読者の勝負が公正であることだと考えられます。裏を返せば、作者と読者の勝負が公正でない場合を指してアンフェアと称することになります。しかしミステリの場合、何をもって公正な勝負(または不公正な勝負)とするかは、個々の読者の判断に委ねられる部分が大きく、また時代によっても変遷するなど、必ずしも明確ではありません。それは、例えば「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」の現代における扱いなどからも明らかではないでしょうか(*2)。
ただし、一方にまったく勝ち目がないような勝負が、公正な勝負といえないのは確かでしょう。したがって、少なくとも読者の側に(*3)まったく勝ち目がない、すなわち読者が絶対に謎を解くことができない状況は間違いなくアンフェアであり、逆にフェアプレイとは読者が謎を解くことができる可能性を保証することを意味すると考えられます。
この点を念頭に置いてみると、極楽橋水軒さんが“「地の文で嘘を書いてはならない」を弱いルール、「解決に必要なデータが予めすべて読者に提示されていなければならない」を強いルールと呼ぶ”
ことを提案している(*4)ように、「原則1」と「原則2」の効果が異なっていることは明らかです。すなわち、解決のための手がかりの提示を求める「原則2」が、読者が謎を解決できることを積極的に保証するのに対して、“地の文の嘘”を禁じる「原則1」は、アンフェアな状態を生じやすい要素を排除することで読者が謎を解決できることを消極的に保証する性格のものといえるでしょう。
しかしながら、“地の文の嘘”がどのようなものであっても必ずアンフェアな状態を生じるとは限りません(*5)し、逆に“地の文”でなければアンフェアにならないというわけでもないでしょう(*6)。問題となるのは、それを信用する限り絶対に謎を解くことができなくなるような“嘘”、すなわち“作者の用意した真相と矛盾する情報”であり、しかもそれが読者に(作中における)絶対的な“事実”として受け取られてしまう場合です。つまり、“真相と矛盾する情報”という内容そのものと、“事実として”(あるいは“事実であるかのような形で”)という読者への提示とが相まって、アンフェアな状態を生じることになるのではないでしょうか。
この“読者への提示”の部分をもう少し考えてみると、真相と矛盾する情報が読者に絶対的な事実として受け取られることが問題であるのならば、さらにそれと矛盾する情報を配置して信憑性を低下させることで、ある程度は問題を解消できるようにも思えます。そこで、このあたりを考慮して、「原則1」を次のように改変してみます。
- 用意された真相と矛盾する情報を、それ自身と矛盾する他の情報によって信憑性が損なわれることのないまま、読者に提示してはならない。 (以下、「原則1・改」という)
“真相と矛盾する情報”と“矛盾する他の情報”とは、“真相と矛盾する情報”が事実でないことを直接的に示唆するか、あるいは隠された真相を示唆することにより“真相と矛盾する情報”が事実でないことを間接的に示唆するようなものであるでしょう。これは要するに、“真相と矛盾する情報”を否定する手がかり(または伏線)を求めるもので、それによって謎解きを阻止する致命的な障害は排除され得ると考えられます(*7)。
さて、ここで話を「虚偽叙述トリック」に戻しますが、「原則1」に代えて「原則1・改」を採用すれば、「虚偽叙述トリック」を使用したミステリがアンフェアとならない条件がある程度明確になります。すなわち、「虚偽叙述トリック」が虚偽の情報であることを示す手がかり(伏線)、もしくは「虚偽叙述トリック」によって隠された真相を示す手がかり(伏線)のいずれかを作中に配置することにより、「虚偽叙述トリック」という謎解きの障害は致命的なものではなくなるでしょう。
このような手がかりや伏線の配置は「叙述トリックとは」の[5]で述べた“トリックの隠密性”に反するもので、叙述トリックとしては異例のリスキーな手法です。が、虚偽の記述というきわめて強力なミスディレクションを使用するのですから、それもやむを得ないところでしょう。あるいは逆に、(少なくともフェアプレイを意識する限り)そこまで強力なミスディレクションによってしか真相を隠しきれない、きわめて脆弱なトリックということなのかもしれません。
そして、[図4]に示したような典型的な叙述トリックを使ったミステリでは、真相と矛盾する情報を提示することなく読者を誤認させることが主眼となるのに対し、[図5]のような「虚偽叙述トリック」を使ったミステリでは真相と矛盾する情報をいかに否定するかに重点が置かれることになります。前者ではいわば“嘘をつかずにいかに騙すか”という誤認の過程が重視され、後者では“ついた嘘をいかに暴くか”という解明の過程が重視されるというように、両者はその方向性が大きく異なっているといえます。
また、「虚偽叙述トリック」を使ったミステリでは解明の過程が重視されるとすれば、「叙述トリックとは」の[3]で最後に述べたように、解明の過程を作中に盛り込むために原則としてメタフィクション形式を採用することになるでしょう。つまり、作中作などに仕掛けられた「虚偽叙述トリック」を、メタレベルから解明する形式です。
最後に、「虚偽叙述トリック」を使った、アンフェアでない(と思われる)ミステリの具体例を二つ挙げておきます。
- ・『作品A』の場合
- まず『作品A』では、ある登場人物が聴き手に対して語る物語の中に「虚偽叙述トリック」が仕掛けられているのに対し、語りの外部(メタレベル)に配置され、作者によって保証された信頼できる手がかりによって虚偽が暴かれる構造となっています(下の[図8]参照)。
[図8:『作品A』の手法] 作者 ―― 『作品A』
語り手 ―― 語り虚偽―→ 聴き手 ↑ 手がかり―→ 読者
これは実のところ、登場人物の偽証を他の手がかりによって否定する手順と何ら変わるところはなく、十分にフェアだといえるでしょう。
- ・『作品B』の場合
- 次に『作品B』では、作中作に「虚偽叙述トリック」が仕掛けられるとともに、虚偽を暴くための手がかりも配置されています。つまり、解明自体はメタレベルから行われるものの、手がかりとなるのはあくまでも作中作の記述です(下の[図9]参照)。
[図9:『作品B』の手法] 作者 ―― 『作品B』
書き手 ―― 作中作虚偽↑手がかり―→ 読み手 ―→ 読者
虚偽の記述と手がかりが同じレベルに配置されている(*8)点で、『作品A』の場合と違ってやや微妙にも思えますが、虚偽の記述がごくわずかな箇所にとどまるのに対して手がかりは多数に上り、真相は妥当だといえます。
“基本的な叙述トリックでは、あくまでも心理的な誘導を行うことがメインであり、意図的に偽の情報を与えるといった行為はこれに該当しない。あくまでも与える情報は「事実」のみである事が重要である。”と記されています。
*2: このあたりのことを考えていると、「いわゆる“ミステリのルール”は普遍的なルールではなく、ミステリとしての面白さの判断基準と、(ある程度の)面白さを担保するための暗黙の了解にすぎない」という結論に達してしまったのですが……。
*3: ミステリの場合には、作者の側にまったく勝ち目がない状況、すなわちすべての読者が必ず謎を解くことができるという状況は実質的にあり得ないと思われるので、考慮の対象外としました。
*4: 小田牧央さん「*the long fish*」内の「犯人当て小説のためのフェア・プレイ変換の提案について:補足資料」を参照。
*5: 例えば、謎解きと無関係な“嘘”が地の文に書かれている場合。
*6: 例えば、会話文だけで構成された作品において“嘘”が書かれている場合。
*7: もっとも、どの程度否定すれば十分なのかという点については、検討の余地があるかと思いますが。
*8: 厳密にはそれぞれ違う場所に配置されているともいえる[もう少し詳しい説明を表示]ので、その点も考慮すべきなのかもしれません。