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誰のための綾織/飛鳥部勝則

2005年発表 ミステリー・リーグ(原書房)

 本書では、冒頭の飛鳥部と稲毛のやり取りで言及されている“登場人物以外の犯人”……ではなく、“名前のない登場人物が犯人”という無茶なネタが使われている上に、それでもなおフーダニットが一応は成立しているという、なかなかとんでもないことになっています。

 本書『誰のための綾織』は、鹿取モネによる作中作『蛭女』、作家・飛鳥部と編集者・稲毛が登場する“枠”部分である「プロローグ」・「エピローグ」、そして作者・飛鳥部勝則による「あとがき 我ための祝祭あるいは《終章》もどき」という、三つの部分から構成されており、それぞれテキストレベルが異なっています。これら三つの部分の関係は、以下に示す図のようになっています。

[飛鳥部勝則『誰のための綾織』の構造]
「あとがき」
〈作者〉
      ―→作者による謎解き
「プロローグ」・「エピローグ」
〈飛鳥部と稲毛〉
真相2
犯人=飛鳥部
*****
    ―→飛鳥部による謎解き
『蛭女』
〈鹿取モネ・他〉
真相1
犯人=“先生”

 まず、作中作『蛭女』という物語の内部では、モネも佐井光次も犯人の正体を知っており、謎が存在しない状態となっています。そして、モネが唯一の読者として想定していた“先生”にとっても犯人は自明であるため、モネにとっては『蛭女』の中で真相を積極的に示す必要性がありません。それどころか、原稿から“あの人を消し去ることに決めていた”(142頁)のですから、(不可避である)“犯人”という呼称以上の情報を提示することは不可能ともいえます。したがって、モネが書いた『蛭女』がこのような形になるのは、十分納得できるところです。

 しかしながら、少なくとも「プロローグ」・「エピローグ」のレベルの、『蛭女』という原稿の(“先生”以外の)読者にとっては、『蛭女』未解決の謎を含んだ物語となります。つまり、『蛭女』の謎はメタレベルの視点からみて初めて認識できるものであり、したがってメタレベルからのみ解明できるということになります。かくして、作家・飛鳥部は「エピローグ」において、『蛭女』の原稿から“名前のない登場人物(=“先生”)が犯人”という真相を導き出しています。

 一方、この「エピローグ」では、作家・飛鳥部(麗子)が犯人というさらなる真相が示されていますが、この“犯人”とは作中作『蛭女』で描かれた事件の(作中の)現実の犯人を意味するものであって、作中作『蛭女』から導き出されるものではありません。しかも、この真相は作家・飛鳥部にとっても編集者・稲毛にとっても自明であり、先の『蛭女』内部と同様に謎が存在しない状態であるために、単に真相が提示されるだけで終わっています。したがって、『誰のための綾織』という小説の外部にいる読者にとっては、作家・飛鳥部が犯人という真相が導き出されるプロセスが謎のままで残されているということになります。

 これに対して作者・飛鳥部勝則は、「あとがき」という形でもう一つ上のテキストレベル(あるいは外側の“枠”)を設定し、そこに作家・飛鳥部が犯人という真相を導き出すプロセスを示しています。すなわち、テキストレベルの異なる『蛭女』「プロローグ」を組み合わせることで、『誰のための綾織』の謎を解明し事件の犯人を指摘できる(“読者はエピローグの前で、犯人を名指し(少なくとも苗字を指摘)することができるはずである”(385頁))というもので、メタフィクションという形式を十分に生かした、非常に面白い仕掛けだといえるでしょう。

*****

 このユニークな仕掛けを成立させるために、本書には二つの叙述トリックが盛り込まれています。

 まず、作中作『蛭女』に仕掛けられているのが、複数の登場人物を混同させることで登場人物の存在を隠蔽するトリック(「叙述トリック分類」[A-3-3]第三者の隠匿を参照)です。このトリックには前例があります(少なくとも、1990年代に東京創元社から刊行された国内長編で使われています→[前例を表示])が、本書では“初稿”から“暫定稿”へと書き直されるにあたって“先生”の存在が可能な限り抹消されたという設定が巧妙で、いわば“天然の叙述トリック”になっているというスタイルが面白く感じられます。
 なお、「エピローグ」で稲毛は、“モネたちは犯人に聞いたはずなんです。“どうして先生も誘拐されたの?”と。この質問にはどう答えたんでしょうか”(378頁)と疑問を呈していますが、これについては『蛭女』の中に“「瞳のお父さんは、どうして先生まで拉致したんでしょうか」/「頭のおかしい人の考えることなんて、知りませんよ」”(147頁)というやり取りが描かれています。

 そしてもう一つ、「プロローグ」・「エピローグ」には“作家・飛鳥部”を飛鳥部勝則と誤認させるトリックが仕掛けられています(こちらも前例があるようですが、未確認)。新潟県中越地震のような現実の事件の話題までも盛り込んで騙そうとしている反面、トリックを見破るための直接の手がかりはまったく配されていません。「あとがき」に示されているように、『蛭女』が犯人である“先生”に渡されたと考えれば見破るのは不可能ではないかもしれませんが、十分に真相を隠蔽し得る強力なトリックであると思います。

*****

 パズル屋敷というバカトリック(?)や、廊下の足跡の真相(“パンツ一丁”!)には思わず苦笑。

2006.09.10読了
(2007.04.10追記)

 堀川成美さん(「堀川成美の世界」)による「飛鳥部勝則『誰のための綾織』盗作認定は妥当か」において、本書を四つの作品のパスティーシュと見立てた論考が行われています。必ずしも全面的に同意できるわけではありませんが、非常に興味深い内容になっていますので、関心のある方はぜひ一度ご覧になってみて下さい。
 ただし、A.クリスティ『アクロイド殺人事件』及び『そして誰もいなくなった』、並びに横溝正史『本陣殺人事件』の内容に触れられた箇所がありますので、これらの作品を未読の方はご注意を。



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