T島事件/詠坂雄二
“依頼人が犯人”という月島凪の早すぎる指摘に惑わされる荻田洋と塚原蛍ですが、逆にそれを足がかりにして、(瓶子の共犯という形とはいえ)皆原が槇を殺したこと、“当初の計画では皆殺しにするはずじゃなかった”
(215頁)こと、さらに“実際に人が死んでゆく映像作品を制作したかった”
(218頁~219頁)という動機まで、凪が解き明かした“真実”にかなり近いところまで迫っています。
それを受けた凪による解決では、一連の死の中で最も不可解な皆原の死に着目し、映像では“蔓がやたら這っていて歩きにくい”
(162頁)はずの現場に蔓草がないことを手がかりとして、皆原自身が地上から風見鶏を引っ張り落としたという、ある意味で意外な真相が導き出されています(*1)。“どうやって風見鶏を命中させたのか”というハウダニットに関して、不可能犯罪としての難易度を下げるのと引き替えに、落ちてくる風見鶏に自分から当たりにいくという、何とも狂気じみた光景が用意されているのが強烈です。
このように、「第一章」から「第七章」の“本篇”は、主に(本書の副題にもなっている)“絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか”についてすっきりしないものを残しつつ(*2)も、“皆原が犯人”という結論で幕を閉じています。「補遺」で詠坂雄二が指摘するように“まだ詰め切れていないところがある”
(294頁)としても、凪の解決に先立つ荻田と塚原による検討まで踏まえると、とても“別の解決”が成立する余地があるようには思えません。
しかし本書冒頭の詠坂による「前説」を振り返ってみると、“本書が提示する犯人に伺いを立てた(中略)その人物は現在も存命である。”
(4頁)と記されている(*3)ので、ここでいわれる“犯人”は明らかに皆原ではない、ということになります。つまり、“本篇”が終わったところで「前説」が新たな“犯人探し”(さらにそのための“伏線探し”)を促す“読者への挑戦状”に変容すると同時に、“本篇”もまた、ビデオテープの映像、盗聴音声データ(*4)、そして荻田から聞いた話をもとに事件(とその解決)を描いた(フェイク)ドキュメンタリーから、“問題篇のテキスト”へと姿を変えている、ということになります(*5)。
そうなると、きちんと文章にして伏線を回収する(302頁)ために、「補遺」に作者・詠坂雄二自身が登場してくるのは半ば必然といえますし、“読者”として作者と対峙するのは名探偵・月島凪の他にはあり得ません。そして「補遺」での凪は、(その時点ではまだ「前説」が書かれていないとしても)原稿に密かに張られた伏線を拾い上げて詠坂の企みを見抜いていますが、それは詠坂が想定する“犯人”――“こいつ、どこかで見た覚えが――”
(228頁)という藍川慎司の言葉(*6)で皆原とのつながりが暗示され、“人の死を記録する”のではなく“名探偵の活躍を描く”という真の動機(*7)の中心に位置し、事件が引き起こされた原因という意味での“犯人”を、自らの手で明るみに出す作業だといえるでしょう(*8)。
皆原が構想した作品の主題が“名探偵の活躍”であれば、事件を自身の死で締めるつもりだった皆原としては、どうあがいても自分の手で作品を完成させることは不可能なのですから、“作品が完成していない”ことが自殺を否定する根拠とはならなくなる――どころか、“次の作品を完成させるため死んだ”
(311頁)という解釈に説得力があります。
しかしそれでも、皆原が構想した“映像”は完成をみることなく、年月がたってからようやく詠坂が“小説”の形で完成させることになっています。その理由について、詠坂は「補遺」で“ディレクターがリーフェンシュタールではなかったということ”
(312頁)としていますが、瓶子が映像の発表を断念した直接の理由――“すべて嫌な景色になるだろう”
(269頁)と判断することを、はたして皆原は予見できなかったのでしょうか。むしろ、凪と同じように“事件が発表にいたるなら、別の形でだろう”
(312頁)とまで考えて、(直接には使われないかもしれない)“素材”の提供に徹したという可能性もあるのではないか、とも思われます。
……閑話休題。凪が最後の伏線として指摘する、島の名前の不在が何とも絶妙で、“あるはずのものがない”という形のために目立たないのもさることながら、事件関係者の名前と同じく差し障りがあるので伏せられている、とミスリードされてしまうのがうまいところ。何より、作中に島の名前が登場しなくとも、その穴を埋めるように題名の“T島”(*9)が存在感をアピールしているのが巧妙です。で、この題名はミスディレクションとして機能しているので、凪のように題名を知らない状態で“犯人”から逆算する方が企みを見抜きやすいのではないか(*10)、とも思いますが、いずれにしてもまさかの“題名当て”から“これは月島{あなた}の事件ですよ”
(316頁)と、最後の一行で題名の意味と“犯人”の名前を明示する趣向が鮮やかです。
ところで、綾辻行人〈館シリーズ〉をお読みになっている方はお気づきかと思いますが、一見すると“詠坂版『十角館の殺人』”としか思えない体裁を取っている本書の正体は、“詠坂版『迷路館の殺人』”といっていいのではないでしょうか。
*2: 肝心の作品が完成していないことが最大の原因なのは、いうまでもないでしょう。
*3: これは、凪の“瓶子が犯人”という指摘を補強しつつ“皆原が犯人”という“真実”を隠蔽する役割も果たしています。
*4: ビデオテープについては
“島から帰る船の中で、そちらで処分してくれと依頼人から言われた”ものの、
“月島線企に置きっぱなしだった”(いずれも284頁)と説明されていますが、瓶子の手元にあったはずの盗聴音声データは、どのような経緯で詠坂の手に渡ったのでしょうか。瓶子としては、ビデオテープと同じく月島線企にとっても不要なものだと考えたでしょうから、わざわざ送りつけたとは考えにくいのですが……。
*5: ネタバレなしの感想にも少し書きましたが、「第七章」を読み終える頃には「前説」の内容をほとんど忘れていたので、恥ずかしながら再読するまで気づきませんでした。
*6: もう一つ、凪の事件への関わりについての、
“義務感”ではなく
“義理で付き合ってやってる感じ”(いずれも237頁)という藍川の表現も。
*7: 「補遺」では触れられていませんが、映像を見ながら書いた
“6人を殺して何が作れるか”(129頁)という疑問に対して、後に荻田自身が思いついた
“6人も死ねば名探偵が呼べる”(237頁)という答は、皆原の真の動機をかなりあからさまに示唆しています。
*8: 凪が「第七章」で皆原の真の動機を解明しなかったのは、自身が“犯人”だと明かしたくなかったから……ではなく、やはり
“二次創作みたいな動機”(312頁)に面白味を感じなかったからだと考えられます。「第七章」で荻田が撮影していたビデオテープの提供を申し出ている(267頁)のですから、瓶子の意向次第で“名探偵・月島凪の活躍”を描いた作品が公開されることも容認しているわけで、そこまでいけば誰かが皆原の真の動機に気づくのは避けられないでしょう。
*9: さらに、「拾えなかった伏線――『T島事件 絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか』著者新刊エッセイ 詠坂雄二 | レビュー | Book Bang -ブックバン-」を本書より先に読んでおくと、綾辻行人『十角館の殺人』へのオマージュとして
“つのじま”になぞらえた、と思い込まされる効果もあるかもしれません(……といいつつ、カバーなどでは題名に、“てぃーじま”ではなく
“てぃーしま”とルビが振られていますが)。
*10: 凪が原稿を読むことは想定外だったので仕方ありませんが、詠坂はせめて原稿に題名を、『壜詰事件(仮)』(「(仮)」はフェアプレイのため)とでもつけておくべきだったのかもしれません。
2017.08.01読了