〈館シリーズ〉

綾辻行人
『十角館の殺人』 『水車館の殺人』 『迷路館の殺人』 『人形館の殺人』 『時計館の殺人』
『黒猫館の殺人』 『暗黒館の殺人(上下)』 『びっくり館の殺人』 『奇面館の殺人』
『霧越邸殺人事件』 



シリーズ紹介
「僕にとって推理小説とは、あくまでも知的な遊びの一つなんだ。小説という形式を使った読者対名探偵の、あるいは読者対作者の、刺激的な論理の遊び。それ以上でもそれ以下でもない。
 だから、一時期日本でもてはやされた“社会派”式のリアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。(中略)ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうがやっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……絵空事で大いにけっこう。要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまでも知的に、ね」
 (講談社文庫〈新装改訂版〉『十角館の殺人』13頁〜14頁)

 いわずと知れた、1987年のデビュー作『十角館の殺人』を含む綾辻行人のメインワークにして、いわゆる“新本格ミステリ”というムーブメントを象徴するシリーズです。

 一部の作品で探偵役をつとめる島田潔*1など共通する登場人物も存在しますが、シリーズの主役はあくまでも奇矯な建築家・中村青司に縁のある一連の風変わりな“館”。それは、“僕にとって“本格ミステリ”というのは(中略)“雰囲気”なのです。”*2という作者自身の本格ミステリ観を体現するための、奇怪な事件にふさわしい“雰囲気”のある舞台――事件を引き起こす“場”として用意されたものといえるでしょう。

 上に引用した『十角館の殺人』冒頭の台詞は、必ずしも“作者綾辻の考えと等号で結ばれるものではなかった”*3とのことですが、それでもそれは〈館シリーズ〉の――ひいては(少なくとも初期の)“新本格ミステリ”の――メインコンセプトとなっているように思われます。つまり、あくまでも“虚構としてのミステリ”の面白さを追求するために、現実の束縛を(ある程度)離れて構築された“ミステリのための世界”――それを端的にわかりやすい形で具現化したものが、このシリーズの“館”であると考えていいのではないでしょうか。

 第1作『十角館の殺人』が発表されてからすでに20年以上が過ぎ、初期の作品はすでに“現代の古典”の域に入りつつあるようにも思われますが、もともと“現実”にぴったり寄り添っていないこともあって、現在でもさほど違和感なく読むことができると思います。当サイトをご覧になっているような方ならすでにお読みになっているかとは思いますが、もし未読の方がいらっしゃいましたら、ぜひ。

 なお、このシリーズを含む綾辻行人関連の情報については「綾辻行人データベースAyalist」が充実しており、参考にさせていただきました。

*1: 島田荘司とその探偵役・御手洗に基づいたネーミングであることは明らかですが、これはもう少し何とかならなかったものか。
*2: 講談社ノベルス版『水車館の殺人』「あとがき」より。
*3: 講談社文庫〈新装改訂版〉『十角館の殺人』「新装改訂版あとがき」より。もちろん、“部分的にはやはり、当時の自分の想いに重なるところがあった”とも説明されています。




作品紹介

 2012年1月現在、『十角館の殺人』から『奇面館の殺人』までの全9作が発表されています。それぞれの作品はほぼ独立していますが、第1作から順番通りに読むことをおすすめします。
 さらに、シリーズの“番外編”に位置づけられることが多い『霧越邸殺人事件』も、ここに含めてあります。
 各作品の刊行状況は、以下の通りです。

十角館の殺人*1講談社ノベルス → 講談社文庫 → 講談社文庫〈新装改訂版〉
水車館の殺人*1
迷路館の殺人
人形館の殺人
時計館の殺人*2
黒猫館の殺人講談社ノベルス → 講談社文庫
暗黒館の殺人*3
びっくり館の殺人講談社ミステリーランド → 講談社ノベルス → 講談社文庫
奇面館の殺人講談社ノベルス
霧越邸殺人事件新潮社 → 新潮文庫 → ノン・ノベル

*1: 他に、少年少女向けのレーベル〈講談社Ya! entertainment〉もあり。
*2: 講談社文庫〈新装改訂版〉は上下2分冊。他に、双葉文庫〈日本推理作家協会賞受賞作全集〉もあり。
*3: 講談社ノベルス版は上下2分冊、講談社文庫版は(一)〜(四)の4分冊。また、他に完全受注生産の〈愛蔵版〉もあり。


十角館の殺人  綾辻行人
 1987年発表 (講談社ノベルス/講談社文庫 あ52-14)ネタバレ感想

[紹介]
 大分県の沖合いに浮かぶ孤島・角島。そこには、奇矯な建築家・中村青司が〈青屋敷〉なる風変わりな邸を建てて住んでいたが、半年前に四人が殺害されて〈青屋敷〉が炎上して以来、無人島となっていた。そして今、K**大学ミステリ研のメンバー七人が島を訪れ、島に残された〈青屋敷〉の別館〈十角館〉で数日を過ごすことになったのだが――旅行に参加せず本土に残ったミステリ研のメンバーの元に、殺されたはずの中村青司の名前で奇怪な手紙が届けられる中、〈十角館〉では不気味な予告通りに連続殺人の幕が上がる。一人、また一人と学生たちの命を奪っていく犯人は、一体何者なのか……?

[感想]

 島田荘司氏による熱い推薦文を付して刊行された記念すべきシリーズ第1作で、大学のミステリ研究会に属する学生たちを主要登場人物とし、シリーズの“影の主役”である建築家・中村青司が住んでいた孤島を舞台に、A.クリスティの傑作『そして誰もいなくなった』を下敷きにした*1孤島の連続殺人が展開される作品です。

 ミステリ研の学生たちが主役とされていることで、シリーズの他の作品よりもマニアックな雰囲気が強めになっている感があり、会の伝統で互いを“エラリィ”や“ポゥ”、“カー”といったニックネーム*2で呼び合うなどの稚気には苦笑を禁じ得ないところもありますが、島へ渡った当初から状況を『そして誰もいなくなった』になぞらえるような――『そして誰もいなくなった』のロールプレイをするかのようなマニア気質が、単に殺人事件が起きた場所という以上の不穏な空気を漂わせることになっているのが見逃せません。

 一方、「島」のパートと並行して進んでいく「本土」のパートでは、関係者に届けられた死者からの手紙をきっかけとして、未解決に終わっている半年前の事件がクローズアップされていきます。その謎を探っていく島田潔ら登場人物自身はそれと知らないまま、島で殺されていく学生たち自身もなかなか気づかない事件の背景を明らかにすることにつながっているのが面白いところで、読者のみが事件全体を俯瞰することができる本書の構成は、「プロローグ」での“犯人”による“神ならぬ人はすべてを見通すことができない”といった趣旨の述懐に対応しているように思われます。

 島での連続殺人については、毒殺が犯行の中心となっていることで抵抗の難しさもあり、比較的あっさりと進んでいく印象ではありますが、生き残りが少なくなっていくことで疑心暗鬼も生じる中、残されたいくつかの手がかりをもとに繰り広げられる推理には見ごたえがあります。そして……ついにほぼすべての真相を明らかにする、終幕の“たった一行”の破壊力はやはり抜群*3。加えて、そこに至るまでの部分で見せ方がしっかりと工夫されているのも見事です。

 読者が論理的に真相に到達するための手がかりが不足しているのは確か*4ですが、“謎”に対する“真相”の強烈なサプライズを優先する上ではやむを得ないところ。ある種宿命論的な結末も多少好みの分かれるところかもしれませんが、今にして思えば実に作者らしい味わいともいえます。非の打ち所がないとはいいませんが、やはり必読の傑作といっていいのではないでしょうか。

*1: ネタバレがあるわけではありませんが、『そして誰もいなくなった』を先に読んでおいた方がより楽しめると思います。
*2: 講談社ノベルス初版で“エラリィ”“ポゥ”“ルルゥ”と表記されている3人については、講談社文庫〈新装改訂版〉では“エラリイ”“ポウ”“ルルウ”と改められています。
*3: 講談社文庫〈新装改訂版〉では、この“一行”が最大限の効果を発揮するような配置となっており、おすすめです。
*4: これをもって本書を“本格ミステリとはいえない”とする意見も理解できなくはないのですが、私自身はそれに与しません(→拙文『本格ミステリ問答』を参照)。

2010.06.17再読了  [綾辻行人]

水車館の殺人  綾辻行人
 1988年発表 (講談社ノベルス/講談社文庫 あ52-19)ネタバレ感想

[紹介]
 幻想的な作風で知られた画家・藤沼一成の息子である藤沼紀一の依頼で、建築家・中村青司が岡山県の山間に建てた、三連水車を擁する〈水車館〉。自動車事故で負った傷のために常にゴムの仮面をつけている紀一と、幼な妻の由里絵が閉じこもって暮らすその館に、年に一度だけ客人たちが招かれて収蔵された一成の絵画――幻の遺作『幻影群像』を除く――が披露されるその日、嵐の中で事件は起きた。塔から転落死した家政婦、盗まれた絵画、そして焼却炉で焼かれたバラバラ死体――事件の容疑者が密室から消失したままちょうど一年が過ぎ、再び客人たちが集う〈水車館〉を訪れた“招かれざる客”は……。

[感想]

 前作『十角館の殺人』から5ヶ月という、今から考えれば驚異的なペース(苦笑)で刊行されたシリーズ第2作。前作では〈十角館〉を含む島全体が一つの舞台となっており、〈十角館〉そのものの扱いは相対的にやや軽めとなっていましたが、本書では打って変わって物語の全編が〈水車館〉の中で展開され、〈館シリーズ〉の名に恥じることなく*1“館”という舞台が存分に存在感を発揮しています。

 塔や水車を擁する古風な洋館、幻想的な絵画の数々、仮面に素顔を隠した主人、幽囚同然の美少女、無表情で忠実な執事――といった、ゴシックロマン的な雰囲気が横溢する、しかし見方によっては思いきりアナクロニズムともいえる舞台装置は、講談社ノベルス版の「著者のことば」にある“僕好みの“探偵小説””を実現するためのもの。一連の〈館シリーズ〉をみるに、そのコンセプトの一つとして“ロマンに彩られたミステリ”の復権があるのではないかと思われますが、本書はそれが最もストレートな形で表れた作品といえるように思います。

 「現在」「過去」が交互に配された本書の特に序盤では、間に一年の時間を挟みながらも随所でほぼ同じ描写が繰り返されることで、〈水車館〉内に構築された“世界”の不変性が強く印象づけられます。もちろん、「過去」での事件の発生と「現在」での“招かれざる客”の登場により両者の差異は拡大していくのですが、それでも「過去」の、すなわち“一年前の現在”の描写がそのまま回想の代わりに「現在」に差し挟まれることで、やはり“館”の内部が時の流れと無縁であるかのような錯覚を誘うのが面白いところです。

 その“館”で起きた事件は、道具立てにふさわしく古典的な様相を呈しており、そのせいもあって、真相のある程度の部分を直感的に見抜くのはさほど難しくはありませんが、全編に注意深く配された手がかりを見落とすことなく丹念に拾ってそれを裏づけるのは、決して簡単なことではないように思います。その意味で本書は、前作から一転して作者なりにフェアな謎解きを重視したのみならず、後の〈安楽椅子探偵シリーズ〉のような“犯人だけ当てられても痛くもかゆくもない”*2という姿勢で書かれた作品なのかもしれません。

 しかして、ある意味で本書の最大の見どころとなっているのが、事件の真相がすべて解明された後に用意されている何ともいえない結末。不可解な事件の謎が合理的に解体されてなお、“館”が独特の“魔力”に支配され続けているかのような印象を与える、実に見事な幕切れといっていいのではないでしょうか。

*1: 講談社文庫〈新装改訂版〉の「新装改訂版あとがき」によれば、“「館」シリーズという長編連作のコンセプトを思いついたのは、この(注:本書の)執筆に際してのことだった。”とのこと。
*2: これ自体は、〈安楽椅子探偵シリーズ〉のもう一人の作者である有栖川有栖の発言ですが。

2010.06.20再読了  [綾辻行人]

迷路館の殺人  綾辻行人
 1988年発表 (講談社ノベルス/講談社文庫 あ52-20)ネタバレ感想

[紹介]
 稀譚社ノベルスの一冊として刊行された、作家・鹿谷門実による『迷路館の殺人』。それは現実に起きた「迷路館殺人事件」を、事件関係者の一人が“推理小説”として再現したものだった――。
 ――老推理作家・宮垣葉太郎が住む、各部屋が迷路によってつながれた奇怪な地下の館〈迷路館〉。宮垣の誕生日を祝うために招かれた四人の推理作家たちを待ち受けていたのは、驚くべき遺言状だった。その指示に従い、宮垣の莫大な遺産をかけて〈迷路館〉を舞台にした推理小説の競作に取りかかる作家たち。だが、やがて閉ざされた館の中で恐るべき連続殺人の幕が上がり……。

[感想]

 「島」「本土」の二元中継、「現在」「過去」の重ね合わせに続いて、シリーズ第3作となる本書の趣向は作中作。外枠部分のエピソードの間に“鹿谷門実『迷路館の殺人』”が挟み込まれた構成で、講談社ノベルスそのままのデザインで“稀譚社ノベルス”の扉と奥付*1まで用意されている*2凝った体裁にニヤリとさせられます。

 作中作だから、というわけではないかもしれませんが、その『迷路館の殺人』は現実離れした“館”の構造も相まって、シリーズ中で最も人工的な印象が強い内容となっています。招かれた推理作家たちが、閉ざされた“館”の中で遺産をかけて推理小説の競作に挑むという発端も目を引きますが、見立て殺人、過去の名作を踏まえた殺害手段、ダイイングメッセージ、そして密室といった具合に、徹底して推理小説的趣向に淫した作品といっても過言ではないでしょう。

 さらに、(冒頭部分だけとはいえ)“競作・迷路館の殺人”が“作中作中作”として盛り込まれているのもユニーク。特にその“お題”が、“〈迷路館〉を舞台に、実際にその場にいる人々を登場人物とし、それぞれの作家自身を殺人事件の被害者とする”という、(作中作中の)“現実”を“虚構”に取り込むメタフィクショナルなものとされていることで、何とも異様な効果を生じている――とりわけ“第一の作品”のインパクトはなかなか強烈――のが非常に興味深いところです。

 前述のように推理小説的趣向が盛り沢山の事件に対して、推理作家をはじめとするミステリマニアの登場人物が揃っていることもあって、手がかりをもとにした論理的な推理が前面に出されているのも大きな見どころ。結果として全編が“いかにも推理小説的な推理小説”(?)に仕上がっているのは、あるいは好みの分かれるところでもあるかもしれませんが、“現実”の事件を“推理小説として再現した”という設定や〈迷路館〉という突飛な舞台装置などには合致しているように思われます。

 ついに“推理の迷宮”の扉が開かれた後に用意されているのは、ある意味で非常に衝撃的な結末。現実的に考えれば突っ込みどころがあるのは確かですが、そのあたりは“作中作”と“現実”との隙間にうまく落とし込まれている感もあり、全体として実によく考えられた作品といっていいのではないでしょうか。

 ちなみに、作中に登場する――前川淳氏による「新装改訂版解説」でも紹介されている――折り紙の「悪魔」を自分でも一度折ったことがある*3のですが、最終的にはかなり細かい作業になっていくので、挑戦される方は大きめの紙を使われることをおすすめします。

*1: ここに記されている“発行者”については、「綾辻行人 - Wikipedia」を参照。
*2: 講談社文庫〈新装改訂版〉でもノベルス版仕様のままなのが少々残念ですが、“鹿谷門実『迷路館の殺人』”が最初に“稀譚社ノベルス”で刊行されたという“事実”を変更するわけにもいかないので、致し方ないところでしょう。
*3: 本書を読んで興味を持ち、「新装改訂版解説」で紹介されている前川淳作・笠原邦彦編『ビバ!おりがみ』を店頭で見かけて購入しました。

2010.06.23再読了  [綾辻行人]

人形館の殺人  綾辻行人
 1989年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 病で入院していた画家・飛龍想一は、養母に連れられて京都の屋敷〈人形館〉へと越してきた。想一と養母、管理人の老夫婦、そして三人の下宿人――小説家、大学院生、盲目のマッサージ師――が住む屋敷の随所には、彫刻家だった亡父が遺した異形のマネキン人形が怪しく佇んでいた。やがて、近所で子供たちを狙った連続通り魔殺人が発生し、また屋敷の周辺では何者かの嫌がらせと思しき不穏な出来事が続く中、幼なじみの架場久茂と十数年ぶりに再会した想一は、封印された忌まわしい記憶に悩まされるようになっていく。そして、想一を狙う得体の知れない悪意はついに事件を引き起こし、想一は友人の島田潔に助けを求めようとするが……。

[感想]

 人工的でかっちりとした印象を与える前作『迷路館の殺人』とは対照的に、終始ぼんやりとしたとらえどころのない雰囲気に包まれたシリーズ第4作。他の作品とは違って、本書における〈人形館〉はまったく孤立した状態になく、物語の舞台は“館”の外部にまでかなり広がっており、結果として必ずしも“館”そのものが主役とはなっていない、シリーズ中でも異色の作品といえます。

 とはいえ、屋敷内のあちらこちらに意味ありげに配置されている、それぞれに身体の一部が欠けたマネキン人形*1は、〈人形館〉の名にふさわしく十分にミステリアスな空気をかもし出しています。また、屋敷の周辺で頻発する通り魔殺人や嫌がらせと、どことなく怪しげな下宿人たちの存在とが組み合わされることで、物語が“下宿もの”ミステリ*2の様相を呈しているあたりなどは、他の作品とは一味違った“館”の魅力といえるかもしれません。

 しかして、全編を通じて焦点が当てられているのは、語り手である飛龍想一の内面。何者かの悪意が向けられる標的としての心境が一人称で克明に綴られているのに加えて、その悪意の正体を探る過程でクローズアップされていく想一自身の封印された記憶が、独特の表現を伴って心の奥底から少しずつ姿を現してくるところなど、〈館シリーズ〉の一作でありながらも『緋色の囁き』に始まる三部作に通じる、サイコサスペンス色の強い作品となっているのも本書の大きな特徴です。

 やがて起きる“人形館の殺人”は、決して派手なものではありませんが、身辺に迫りくる悪意は飛龍想一をさらに追い詰めていき、そして――救援を求める飛龍想一に応えて、ついに島田潔が〈人形館〉を訪れる終幕に待ち受けているのは、見方によっては麻耶雄嵩ばりともいえる強烈なカタストロフ(≠カタルシス)。一読して唖然とさせられるのはまず確実で、かなり好みの分かれるところではあるでしょうが、“ファーストコンタクト”の衝撃から立ち直って冷静に読み返してみると、なかなかよく考えられていると思います。

 すべてが決着した後に用意されている、何ともいえない落ち着かなさを残す結末もまた印象的。全般的にみて、シリーズ最大の問題作といっても決して過言ではありませんが、他の作品とは一線を画した独特の印象はなかなか捨てがたいところではあります。お世辞にもシリーズの代表作とはいえませんが、しかし避けて通るのはもったいない、そんな感じの作品です。

*1: これらマネキン人形の姿からの連想で、“戦前の梅沢家事件”(→島田荘司『占星術殺人事件』)に言及されているところには、思わずニヤリとさせられます。
*2: P.アルテ『カーテンの陰の死』やS=A・ステーマン『殺人者は21番地に住む』などを参照。

2010.06.25再読了  [綾辻行人]

時計館の殺人  綾辻行人
 1991年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 日本有数の時計会社の元会長・古峨倫典が、一人娘・永遠のために建てたという鎌倉の屋敷〈時計館〉。一家の中でただ一人生き残った少年と管理人らが暮らす、針のない時計塔を擁する《新館》に対して、振り子時計を象った複雑な形の《旧館》には今では一人の住人もいないまま、108個もの時計のコレクションがただ時を刻み、10年前に亡くなった少女・永遠の亡霊が徘徊するという。超常現象をテーマとした雑誌の企画で、亡霊の取材をするため《旧館》に三日間閉じこもることになった取材チーム総勢九名を待ち受けていたのは、恐るべき無差別殺人だった。外部に助けを求めることもかなわぬまま、次々と繰り返される惨劇の果ては……?

[感想]

 シリーズ最長の座こそ『暗黒館の殺人』に譲ったものの、ノベルス版で450頁を超えるボリュームの大作にして、見事に第45回日本推理作家協会賞を受賞したシリーズ第5作。明らかに異色作であった前作『人形館の殺人』からシリーズの“王道”へと回帰した感があり、また作者自身が“ど真ん中のストレート”にたとえる*1堂々たる内容から、シリーズ代表作に推す声も少なくありません。

 〈時計館〉という名にふさわしすぎるほどの装飾が施された舞台、徘徊する少女の亡霊、そして美人霊能力者による降霊会と、のっけからコテコテの道具立てが並べられる中、降霊会をきっかけに因縁めいた過去が浮かび上がり、不吉な予感を漂わせていくなど、序盤からこれでもかというほどの雰囲気に包まれた物語は実に魅力的。道具立ての割に事件の幕開けは派手ではない――どころかはっきりしない形とされています*2が、これは犯行をスムーズに進める上で必須かと。

 一方、取材チームがこもった《旧館》内部と交互に描かれる《旧館》外部では、内部での事件の発生を知らないまま、古峨家の過去にまつわる事情が少しずつ掘り下げられていき、物語に厚みを加えています。特に、ある登場人物の絶妙な配置が注目すべきところで、その存在によって《旧館》内部の降霊会で浮上した過去の因縁に外部でも焦点が当てられ、結果として事件の背景がじっくりと描かれることになっているのが巧妙です。

 “閉ざされた館”の中での連続殺人は『迷路館の殺人』に通じるところがありますが、本書では事件が無差別殺人の様相を呈することで、だいぶ味わいが違っています。とりわけ、殺されていく被害者視点の描写が多用されているのが効果的で、緊迫感を高めるのに大きく貢献しているだけでなく、その中で次々と断片的な謎――例えば、絶命するその瞬間まで被害者をとらえていた強烈な驚愕の正体は何か――が提示されていくことで、総体として“何が起こっているのか”という大きな謎が生み出されています。

 “解決篇”もその大きな謎に見合うだけの大ボリュームで、そこでついに明らかにされる大胆なトリックは非常に秀逸。と同時に、物語の中で周到に構築された要素によってそれがしっかりと支えられているところも、見逃すべきではないでしょう。そして最後に用意されている、美しくも壮絶な幕切れはまさに圧巻。質量ともに十分な満足感を与えてくれる、見事な作品といっていいのではないでしょうか。

*1: 講談社ノベルス版『黒猫館の殺人』「著者のことば」より。
*2: もちろん読者にとっては見え見えではありますが。

2010.06.29再読了  [綾辻行人]

黒猫館の殺人  綾辻行人
 1992年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 自分が何者なのかを調べてほしい――事故に巻き込まれて記憶喪失となった老人は、『迷路館の殺人』を読んでその作者・鹿谷門実に救いを求めてきた。唯一の手がかりとなるのは、老人が携えていた、自ら書いたと思しき「手記」。そこに記されていたのは、〈迷路館〉と同じく建築家・中村青司が建てたという風変わりな意匠の〈黒猫館〉――その管理人をつとめる鮎田冬馬という人物が、〈黒猫館〉の所有者の息子らを迎えた際に遭遇した奇怪な殺人事件の顛末だった。鹿谷は、〈黒猫館〉を訪ねて老人の失われた記憶を取り戻すべく、〈黒猫館〉のかつての所有者である異端の生物学者・天羽辰也の足跡を追い求めるが……。

[感想]

 前作『時計館の殺人』“ど真ん中のストレート”に対して“長年温存してきた「消える魔球」”*という、シリーズ第6作。『迷路館の殺人』に続いて再び作中作という趣向が採用されていますが、そちらでは本筋の“迷路館の殺人”に外枠部分が付け足されているのに対し、本書ではあくまでも“鮎田冬馬”老人の失われた記憶を取り戻すのが本筋であり、“黒猫館の殺人”を描いた「手記」はそのための手がかりとしてのテキストという扱いになっています。

 そのような扱いに加えて、“黒猫館の殺人”そのものが他の事件に比べると派手さに欠けるきらいもあり、やや物足りなさを覚える向きもあるかもしれません。しかしながら、そのあたりの結果として「手記」の内容が微妙に現実感を欠いたものになっているのが面白いところで、“鮎田冬馬”老人の記憶が失われていることも相まって、「手記」に記された“黒猫館の殺人”――どころか〈黒猫館〉の存在からして現実か虚構か判然としない、宙ぶらりんの感覚が何ともいえません。

 “鮎田冬馬”老人の依頼を受けた鹿谷門実は調査に乗り出しますが、その過程で得られる情報もすべての謎を解明するには不可欠であるとはいえ、中心となるのはやはり「手記」をいかに読み解くかであって、その意味で本書はテキストをベースにした“安楽椅子探偵もの”の一種ととらえることもできるでしょう。それはすなわち、真相解明のための手がかりが(ほぼ)すべて読者に対して示されていることになるわけで、どちらかといえばサプライズが優先されているこのシリーズにあって、最もフェアな作品ともいえるのではないでしょうか。

 実際のところ、解決場面で次から次へと列挙されていく伏線は圧巻で、「手記」の正体――そのまま伏線の塊といっても過言ではない、実に見事な“問題篇”には脱帽せざるを得ません。そしてまた、真相のある程度の部分までは事前に見当をつけることも不可能ではないにせよ、クライマックスで明らかにされる意外な真相――某古典へのオマージュであるとともに、そこからポイントをずらした仕掛け――のインパクトは強烈です。

 「エピローグ」で淡々と明かされる最後の真相は、それ自体は一見するとやや拍子抜けの感がなくもないものの、それが“どのように隠されていたか”に目を向けてみると、作者の巧みな手腕が浮かび上がってきます。やや地味で小ぢんまりとした印象を与えてしまう部分もありますが、個人的にはサプライズとフェアプレイを両立させた快作といっていいように思います。

*: いずれも本書・講談社ノベルス版の「著者のことば」より。

2010.07.02再読了  [綾辻行人]

暗黒館の殺人(上下)  綾辻行人
 2004年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 母の葬儀で九州に帰郷した際に、建築家・中村青司が改築に関わった“館”の存在を聞かされた江南孝明は、熊本の山奥、湖の中に浮かぶその“館”――〈暗黒館〉を目指す。道中、地震による事故で負傷しながら、何とか〈暗黒館〉にたどり着いた江南だったが、呼び鈴に応える者はいなかった。そのまま、敷地内に建てられた十角形の塔に登り、バルコニーから館の中に人影を見出したのも束の間、再びの地震によって江南は塔から転落してしまう……。
 ……〈暗黒館〉の当主・浦登柳士郎の息子である玄児と東京で知り合った学生“中也”は、休暇を利用して〈暗黒館〉に滞在していた。折からの地震で、正体不明の青年が塔から転落して記憶を失い、また使用人が事故で瀕死の重傷を負うなど凶事が続く中、年に一度の〈ダリアの夜〉、浦登一族にとって特別な〈宴〉に招かれた中也は……。

[感想]

 前作『黒猫館の殺人』から、実に12年のブランクを経て発表されたシリーズ第7作。まず目を引くのが、シリーズでこれまで最長だった『時計館の殺人』のおよそ2倍という飛び抜けた分量で、巻頭の見取図*1に描かれた館の規模もまた最大。そして、どれがメインなのかわからなくなるほどに数多く盛り込まれた謎と、どこをとってもシリーズ屈指の大作であることは間違いありません。

 本書がこれほどまでのボリュームとなっている所以は、謎そのものの量もさることながら、作者好みの“本格ミステリ”らしい雰囲気の醸成今まで以上に力が注がれている点にあります。そしてその観点でいえば、“館そのものが主役”というコンセプトゆえかこれまでの作品ではあえて“排除”されてきた節のある*2、しかし本来であれば“館ものミステリ”に付きもののといってもよさそうな“館の主”としてのいわくありげな一族が、いわば満を持して登場しているのも見逃せないところでしょう。

 加えて、少なくとも物語が〈暗黒館〉の内部に移ってからは、館への来訪者ではあるもののまったくの部外者ともいえない、“内寄り”の立場である中也青年に描写の視点が据えられることで、館の主である浦登一族のありようにしっかりと焦点が当てられている感があります。かくして、光に背を向けたように暗く閉ざされた〈暗黒館〉のたたずまいと、怪しげな秘密を抱えた浦登一族の奇妙な言動とが相まって、半ばホラー小説の域に踏み込むほど幻想と怪奇が色濃く表れているのが本書の最大の特徴といえます。

 事件が起きるまでがかなり長い……というより長いにもほどがあるのは確かですが、〈ダリアの夜〉の異様な〈宴〉で一つのクライマックスを迎える“浦登一族の物語”には興味深いものがありますし、その中にもあちらこちらに謎や違和感が配されることで、読み進めながらあれことれ考えさせられる状態となるため、長くとも退屈させられるには至らないかと思います。そして、少々意外な形で事件が幕を開けてからは事態が次第に加速していき、展開から目が離せなくなります。

 事件そのものは派手ではなく、長大な分量に見合っているかといえば疑問も残りますが、容易に説明のつかない不可解さはなかなかのもの。また、このシリーズではお約束の“アレ”をもとに展開される、ロジカルな推理には見ごたえがあります。18年前に起きたという人間消失なども含めて数多く組み込まれた謎のうち、一部は真相がやや見えやすくなっているきらいはありますが、それでもすべてを解き明かすのは至難の業で、作者の狙い通りの“誰もがどこかで驚く”ミステリ*3に仕上がっているように思います。

 残念なことに、終盤に示される“ある部分”をめぐって大きく評価が分かれるのはまず間違いないところで、万人におすすめできる傑作というわけにはいきませんが、個人的には(読み終えた際の達成感もあって/苦笑)かなり満足のいく出来。他の作品との微妙なつながりが散見されるなど、シリーズの集大成としての意味合いもあり、シリーズのファンにとっては必読の作品でしょう。

*1: 折り込みの形態で2枚(4頁)という見取図は、(縮尺の問題もあるにせよ)〈時計館〉などの倍以上です。
*2: 『十角館の殺人』では住人が不在、『黒猫館の殺人』では管理人のみ、そして他の作品でも館の住人(家族)は驚くほど少数となっています。
*3: “長大な作品である分、読む人によって驚きどころは様々でしょう。作者としては基本的に、どこか一箇所ででも「おっ」と声を上げていただければ本望なのですが”(講談社ノベルス版(下巻)「著者のことば」より)

2010.06.09 / 06.13読了  [綾辻行人]

びっくり館の殺人  綾辻行人
 2006年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 古本屋で偶然手に取った、鹿谷門実『迷路館の殺人』という本。著者近影になぜか見覚えがあり、さらに読み進めるうちに“中村青司”という記憶にある名前に出くわしたぼくは、10年以上前、1994年12月25日に〈お屋敷町のびっくり館〉で起きた事件のことを思い出す……。
 ……小学六年生の夏、ぼくはふとしたことから、怪しい噂が囁かれる〈びっくり館〉に出入りするようになった。そこに住むのはぼくと同い年の内気な少年・俊生と、その祖父で白髪に白いひげの古屋敷老人、そして風変わりな人形・リリカ。そしてクリスマスの夜、〈びっくり館〉に招かれたぼくたちは、壁に七色のびっくり箱が仕掛けられた〈リリカの部屋〉で、奇怪な密室殺人に遭遇したのだ……。

[感想]

 いつもの講談社ノベルスではなく、“かつて子どもだったあなたと少年少女のための――”というコピーが付された(一応は)ジュヴナイルの叢書、〈講談社ミステリーランド〉で最初に刊行されることになった*1、異色のシリーズ第8作。〈館シリーズ〉の一作とはいえ、ジュヴナイルとしての要請もあって、シリーズのほかの作品とはだいぶ毛色の違った作品となっています。

 物語の導入部は2005年、主人公・永沢三知也が古本屋で偶然手にした鹿谷門実『迷路館の殺人』*2をきっかけに、10年以上前の小学生時代に遭遇した事件を思い出すというもの。つまり本書では、本題となる事件が完全に過去の回想という形で語られるわけで、子供を主人公とするジュヴナイルの“お約束”に則っているのもさることながら、必然的に事件の“その後”にも光が当てられることになる*3のが、シリーズとしては異例で興味深いところです。

 導入部の“現在”からカットバック的な死体発見の場面を間に挟み、主人公の三知也が〈びっくり館〉に住む少年・俊生と出会う経緯から始まる小学生時代の回想のパートは、普通の小学生が主人公に据えられている*4こともあって比較的ゆったりとした展開。また、舞台となる〈びっくり館〉も日常の中に位置しており、“中村青司の館”らしい雰囲気はほとんど感じられず、むしろ――少年の視点を通していることもあって――ある種のお化け屋敷のような印象となっているのは、好みの分かれるところかもしれません。

 それを生み出しているのは〈びっくり館〉そのものではなく、(館の一部ではあるものの)“七色のびっくり箱”という仕掛けや、死んだ俊生の姉・梨里香から名前を取った大きな人形・リリカといった異様な“小道具”であり、さらには〈びっくり館〉の主である古屋敷老人が時おり見せる奇矯な振る舞いの背後にうかがえる“狂気”であり――そしてそれらが何ともグロテスクな語りとして結実し、不気味さが最高潮に達する「びっくり館縁起」の章は圧巻。本書は総じてそちら寄りではありますが、このあたりは特に怪奇小説に近い味わいとなっています*5

 終盤になって明らかにされる密室殺人の真相は、純粋にトリックだけ取り出せばたわいもないものともいえますが、しかしそれを成立させている要素がもたらす薄ら寒い感覚はなかなか強烈。そして、ここで事件の“その後”がクローズアップされることになるのですが……主人公の三知也自身にとっても事件は衝撃であったはずなのですが、にもかかわらず過去へのノスタルジックな思いが去来しているのが何ともいえません。そのままの調子でたどり着く結末も、ミステリとしてはいざ知らず、本書にはこれ以上ないほどふさわしいものといえるのではないでしょうか。

*1: その後2008年に講談社ノベルスでも刊行されています(さらに2010年に講談社文庫で刊行)。
*2: いうまでもないでしょうが、『迷路館の殺人』を参照。
*3: 実のところ本書では、(一応伏せ字)2005年現在でも“犯人が誰なのかは今もって不明”とされている(ここまで)ことが序盤(17頁)の段階で示されており、否が応でも事件の“その後”に興味を引かれるようになっています。
*4: “中村青司の館に興味のある小学生”というのはさすがに無理がある(苦笑)でしょうから、このような展開や“館”の位置づけもやむを得ないところではないでしょうか。
*5: その意味で、本書を“楳図かずお作品へのリスペクト”と位置づけている「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » びっくり館の殺人 / 綾辻行人」を、興味深く読ませてもらいました。

2010.07.04読了  [綾辻行人]

奇面館の殺人  綾辻行人
 2012年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 〈奇面館〉に招かれた六人の男たちは、〈祈りの仮面〉で顔を隠した〈奇面館〉の主人・影山逸史と同じように、館に伝わる奇妙な仮面――それぞれ〈歓び〉〈驚き〉〈嘆き〉〈懊悩〉〈哄笑〉〈怒り〉を表す仮面をかぶった。知り合いの作家・日向京助の依頼を受け、日向になりすまして〈奇面館〉を訪れた鹿谷門実も、もちろん例外ではなく……。やがて季節外れの吹雪で孤立した館で、異様な事件が発生する。主人の居室である“奇面の間”で発見されたのは、凄惨きわまりない首なし死体。そして六人の男たちの仮面には鍵がかけられて、はずすことができなくなってしまったのだ……。

[感想]

 『暗黒館の殺人』『びっくり館の殺人』と幻想/怪奇小説寄りの作品が続いたこのシリーズですが、本書は一転して『迷路館の殺人』あたりを思い起こさせる作風――すなわち、クローズドサークルの内部で展開される推理に重きが置かれた、まさに“推理小説”というべき作品となっています。岡嶋二人『そして扉が閉ざされた』ほど極端ではないにせよ、閉じ込められた登場人物たちがひたすら推理を繰り広げるという点で、“推理小説としての純度”はシリーズ中随一といっていいかもしれません。

 しかし、一筋縄ではいかないのが推理の前提となる設定。全員が仮面をかぶった中で事件が起きるというのは、都筑道夫「覆面条例」『銀河盗賊ビリイ・アレグロ』収録)など*1の例もありますが、本書では(使用人を除いて)体格などもほぼ同じである上に、事件発生以降は仮面に鍵がかけられてはずすことができなくなってしまうのがものすごいところで、個人識別の手がかりがかぶっている仮面の種類しかないところまで徹底的に、登場人物たちのアイデンティティが剥奪された状態*2となっています。

 つまり、仮面の中身が誰なのか確定させるのが困難であり*3、誰がどのように入れ替わっていてもおかしくない――当初の参加者以外の人物まで含めて――わけで、そこに定番の(?)首なし死体はもちろん、〈奇面館〉主人・影山逸史が探していたという〈もう一人の自分〉までが絡んでくることで、“被害者は誰なのか”に加えて“容疑者は誰なのか”というところから検討を始めざるを得なくなり、想定すべき仮説が大幅に増大しているのが注目すべきところでしょう。

 その数多い仮説が一つ一つ吟味され、少しずつ謎が絞り込まれていき、ゆっくりと、しかし着実に真相へと迫っていく推理のプロセスは、やはり見ごたえ十分。とりわけ、前述の仮面に関する設定も含めて〈奇面館〉という舞台ならではの、一風変わった――ある種“異世界本格”めいた謎と推理が非常に面白く、魅力的です。そして、存分にひねくり回された末のフーダニットでは、思いのほかシンプルながらもよく考えられた手がかりに脱帽せざるを得ません。

 と同時に炸裂する、稚気あふれるネタには思わず驚愕。よくもこんなネタを仕込んで成立させたものだと、感心させられるとともにニヤニヤ笑いが止まりません*4。もはや懐かしい感覚さえ覚えるど真ん中の新本格ミステリであり、それゆえにあるいは好みの分かれるところもあるかもしれませんが、個人的には大いに満足のいった作品です。

*1: 他には、ジャック・ヴァンス「月の蛾」『奇跡なす者たち』(国書刊行会)/中村融・山岸真 編『20世紀SF3 1960年代 砂の檻』(河出文庫)収録)も同様の状況です。
*2: もっとも、ジョン・ヴァーリイ「バービーはなぜ殺される」『バービーはなぜ殺される』収録)のように個人の識別が不可能なところまでいっているわけではありませんが。
*3: そのような状況にあって、鹿谷門実のユニークな“身元証明”にはニヤリとさせられます。
*4: このネタに関して、「エピローグ」の“メタ発言”を作者の言い訳ととらえる向きもあるようですが、私としては“無茶なネタなのはわかっててやってますよ”という宣言だと受け取りました。

2012.01.10読了  [綾辻行人]

霧越邸殺人事件  綾辻行人
 1990年発表 (ノン・ノベル)ネタバレ感想

[紹介]
 演出家・槍中秋清が率いる劇団〈暗色天幕〉のメンバーと劇団に協力する作家・鈴藤稜一の総勢八名は、公演の打ち上げ旅行で信州のリゾート地を訪れた帰りに、車の故障で駅まで歩こうとしている最中、突然の猛吹雪に遭遇する。危うく遭難しかけたところで眼前に現れた、湖の畔にたたずむ大きな洋館〈霧越邸〉に助けを求めた一行だったが、なぜか姿を見せるのは無愛想な使用人たちのみ。そして邸内には、劇団員たちにまつわる奇妙な暗合が次々に出現する。やがて邸が完全に雪に閉ざされる中、北原白秋の童謡「雨」の見立てが施された殺人事件が発生。ついに現れた邸の主人・白須賀秀一郎は槍中に事件の解決を求めるが、さらに殺人は続き……。

[感想]

 題名からもおわかりのように、本書は厳密には〈館シリーズ〉ではなくノンシリーズの作品ですが、物語の舞台となる“邸”の存在感という点ではある意味〈館シリーズ〉以上ともいえるもので、しばしば〈館シリーズ〉の“番外編”として扱われています。加えて、本格ミステリと幻想という作者の二つの方向性を同居させた本書は、『黒猫館の殺人』までの“初期”〈館シリーズ〉『暗黒館の殺人』以降近年の〈館シリーズ〉とをつなぐ“ミッシングリンク”*1といっていいかもしれません。

 猛吹雪の中、劇団〈暗色天幕〉の一行がたどり着いた“邸”に閉じ込められてしまうという発端は、ベタベタなまでに“吹雪の山荘”ものの定型ですし、その状況がミステリ談義に発展するあたりもなかなかマニアック。さらに、相次いで発生する事件は北原白秋の童謡の見立て殺人であり、事件の解決に――警察が介入できない“吹雪の山荘”であるがゆえに――素人探偵が挑むという展開など、盛り込まれた本格ミステリの“お約束”は過剰気味とも思えるほどです。

 しかしその一方で、舞台となっている〈霧越邸〉が――衒学趣味を添えた数々の装飾や収蔵品も含めて――美しく幻想的な雰囲気を作り出すのに貢献しているのみならず、随所に登場してくる不可解な暗合と暗示という形で、いわば“積極的”に事件に絡んでいるのが本書の大きな特徴。そしてそれらの現象は、“この家には、少々変わったところがありますので”(93頁)という一言で片付けられるほど〈霧越邸〉の住人に受け入れられており、合理的な説明のつけようがないまま確固たる“実在”をアピールしています*2

 それでいて、巧みなミスディレクションによって隠蔽された真相を、物語全編にさりげなくちりばめられた手がかりをもとに、一つ一つのステップをおろそかにすることなく積み重ねたロジックで合理的に解き明かす――というクライマックスは、オーソドックスかつ重厚な本格ミステリ以外の何物でもないのがものすごいところ。裏を返せば、“幻想の論理”が謎解きに(さほど)寄与しないという点で、幻想――超自然的な要素が導入されたミステリとしてはユニークな処理がなされた作品といえるのではないでしょうか。

 それでも、事件の真相が解き明かされた後にクローズアップされるのはやはり、主役である“邸”が生み出す幻想で、事件の真相と相まって何ともいえない読後感をもたらしています。本格ミステリと幻想とががっぷり四つに組んで実に読みごたえのある、堂々たる風格の傑作といっていいでしょう。

*1: ただし、本書が実際に刊行された時期は、〈館シリーズ〉でいえば『人形館の殺人』『時計館の殺人』の間にあたります。
*2: このあたりは、「新書版あとがき」“ここ数年、僕は『霧越邸』とは違う形でまた、この作品の主題であったものの一つに挑もうとしています。”(注:ノン・ノベル初版の刊行は2002年)とあるように、『暗黒館の殺人』に受け継がれている感があります。

2010.07.11再読了  [綾辻行人]

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