バーニング・ダンサー/阿津川辰海
最初に気になるのが、“スズキ”が遣う『軽くする』のコトダマ――“事物にかかる重力を和らげ、対象の重さを実質的に軽くする。”
(168頁)というコトダマに関連する現象で、その描写には色々と問題があるように思われます。
- 1.軽くされた物体の挙動
まず、作中で初めて『軽くする』の能力が披露される場面(150頁)からして、釘の動きにおかしなところがあります。最初の
“釘はカタカタと揺れながら、次第に上を向き、尖端をこちらに向けてきた”
というのは、釘の尖端側だけを空気よりも軽くして、浮力で尖端側を持ち上げたということかもしれませんが、能力のコントロールの精度の問題もさることながら、そもそも物体の一部だけを軽くすることが可能なのかどうか、少々疑問です(*1)。そして、
“釘が猛スピードで上に向けて飛んできた”
は確実に不可能。釘は体積が小さいため、空気による浮力だけではまったく不十分(*2)で、地球の回転による遠心力の作用の方がまだ大きいと思いますが、それでも、例えば東京(北緯およそ36度)の地表での遠心力による加速度は、「地球表面の緯度における遠心力の計算」によれば約0.0274m/s2なので、釘が無重量にされてから約12秒かけてようやく成人男性の頭部付近の高さ――その時点で速度は秒速33cm(時速にして1.2km弱)程度――に達する計算になります(*3)。その後の、窓から落下した
“男の体が、グンッ、と浮いた”
(153頁)という箇所は、落下の最中に『軽くする』能力を強めたことで空気抵抗の影響が大きくなった、と考えれば問題はありませんが、それ以外の箇所は全体として『軽くする』で浮くのが速く感じられるなど、『軽くする』の極限である無重力を通り越して、“反重力”が発生しているような描写になっている感があります……が、このあたりはまあ筆が滑ったというか、勢い(?)を優先して許容してもよさそうなところではあります。また、『軽くする』という言葉のイメージからはややずれてしまいますが、重力加速度を負の値にまで持っていける能力だとすれば、前述の“猛スピード”まで可能になるのですが……。*1: これが可能であれば、追っ手の全身を浮かせるよりも、まず脚だけを軽くして転倒させる方が効果的ではないかと思われます。
*2: 釘にかかる浮力は、釘と同じ体積の空気にかかる重力と同等ですし、『軽くする』のコトダマでも質量はそのまま(168頁)なので、浮力によって得られる加速度はごくわずかになります(アイザック・アシモフの某短編((以下伏せ字)「反重力ビリヤード」(『アシモフのミステリ世界』収録)(ここまで))のように、質量そのものを変化させるものであれば、また違ったかとは思いますが)。
*3: 加速度aの場合、t秒後の速度はa*t、移動距離はa*t2/2ですが、地面からの高さはsin(90-36)°をかける必要がある――遠心力は回転半径の方向に作用するので、釘は真上ではなく南に36度傾いた方向に飛び上がる――ため、a=0.0274として計算すると、釘は12秒後におよそ1.6mの高さまで到達し(0.5*0.0274*12*12*sin54°=1.596)、その時の速度は0.0274*12=0.3288(m/s)→1.184(km/h)になります。
- 2.白金殺しの扱い
もう一つ、より大きな問題となっているのが、“スズキ”の犯行とされている白金殺しです。これは明らかに作者が勘違いをしていると思われるのですが、血液の沸騰は(起こるとすれば)気圧の低下による沸点降下のせいであって、無重力それ自体はまったく関係ありません(*4)。つまり、たとえ殺害時に『軽くする』のコトダマを遣ったとしても、実際には、“スズキ”のコトダマは殺害にはまったく寄与していないことになります。
これが“スズキ”一人だけの思い込みであれば、“自分が手を下した”と“スズキ”に思わせるために“ホムラ”が騙した、と考えることもできますが、当の“ホムラ”はおろか、探偵役の永嶺まで同じ勘違いをしている(*5)ことで、“あり得ない真相”が“あり得ない推理”によって導き出される形になっているのが大きな難点で、勘違いしていない読者にとっては推理不能となってしまうのが困ったところです。
実際、いくら
“火の勢い・大きさを調整することが出来る。”
(61頁)とはいえ、血液の沸騰という現象はどうも『燃やす』のコトダマらしくない(*6)一方で、“真空状態を作れる真空室”
(81頁)の存在が示されていることから、これは真空室を使った殺害だろう……と思ったのですが、そうだとすれば、“ホムラ”がいうように“恐怖し、苦痛を感じる暇すらなかった”
(33頁)はずがない(*7)ことに加えて、コトダマではなくあえて真空室を使って殺害する意味がわからないので、読んでいて頭を抱えてしまいました。*4: そもそも、宇宙飛行士が宇宙遊泳をすることを考えれば、無重力で人を殺すことなど不可能なのは明らかでしょう。
*5: 作者が勘違いしているので当然ではありますが。
*6: これはまた後述しますが、あくまでも“対象を発火させる”
(61頁)能力だとすれば、何かを燃やしたはずですが、何をどのように燃やせば全身の血液が沸騰することになるのか、なかなか想定しがたいものがあります。
ちなみに、真空室を使った殺害の場合には温度上昇によらない沸騰なので、血管などの組織が熱変性することなく、そこから『燃やす』コトダマによる犯行ではないことが露見しそうです。
*7: 宇宙空間と違って被害者をいきなり真空中に放り出すことはできない――事故を防ぐために真空状態では扉が開かない設計になっていると思いますし、仮に扉が開いても途端に外部の空気が流れ込んで真空ではなくなります――ので、被害者を真空室に入れてから室内の空気を抜いていくという手順になり、時間がかかりますし、血液が沸騰するより前に酸欠で死ぬことになります。
さて、“ホムラ”のコトダマについては、前述のように白金殺しが『燃やす』の能力らしくない――草薙殺しの一酸化炭素中毒も微妙――というのはさておき、『燃やす』の能力が“対象を発火させる”
(61頁)ことを踏まえると、“ホムラの手の中でパッと赤い炎が燃えた。”
(33頁)や“手の平の上に小さな炎を浮かべた。”
(267頁)といった場面で“何を燃やしているのか”が気になるところ(*8)で、これは『燃やす』能力ではないことを示唆する手がかりか……と思いきや、そうではありませんでした(*9)が、いずれにしても、作中でやや唐突に説明されている(167頁)『化ける』のコトダマであることは予想ができました。
それでも、『燃やす』でないために点火に不可欠なマッチ――死体に残された“赤リン”
(71頁)――を、被害者の監禁場所につながる手がかりとして利用させる(*10)ことで、手がかりとしての“真の意味”を巧みに隠してあるところにうならされます。また、“導火線”の軌道や錆びた鉄塔(82頁)(*11)といった、『化ける』の能力に直接つながる手がかりもよくできています。
“ホムラ”が『燃やす』のコトダマを装っているとすると、本物、すなわち『燃やす』のコトダマ遣いを探すという目的、ひいては“ホムラ”の正体まで、おおよそ見当がついてしまうのが苦しいところではありますが、身代わりの死体まで用意した“スズキ”(山田)をあっさり捨て駒にしつつ、原子力発電所を狙ったテロを演出する壮大なミスディレクションはやはり強烈です。
その“ホムラ”の正体については、容疑者として山田の写真をスクリーンに映した際に“俺の背後を見つめていた”
(217頁)桐山の態度から、“俺の斜め後ろ”
(215頁)にいた森嶋が不自然な反応を見せたことが推測できますし、そもそも前述のように“ホムラ”の目的に気づけば見え見えになってしまうきらいがありますが、“ホムラ”が山田に怒りを表したタイミング――山田が外出したことは予想できたにもかかわらず、文庫本と招き猫を目にして初めて怒ったこと――や、“ホムラ”が冷蔵庫の方向に銃を撃ったこと――“冷蔵庫の上”
(236頁)にある招き猫が標的だったという手がかりが秀逸で、一気に“ホムラ”の正体が推理で導き出されるのが鮮やかです。
*8: 片里鴎『異世界の名探偵1』の感想の脚注2でも指摘しましたが、“手の平の上の炎”については燃料の供給がネックで、むしろ『化ける』の方が燃料(水素など)を補充し続けることができるため、『燃やす』よりも実現できる可能性が高いといえます。
*9: 終盤に、三笠が“手の平の上に炎を出した”
(348頁)り、“その手から、鞭状の炎が伸びる。”
(351頁)という描写があったりするので、『燃やす』のコトダマでそれができる設定になっているのは確かです。
*10: 赤リンが“二人の遺体に共通して残された”
(71頁)ということで、発火させていない白金の死体にまで赤リンを残しておくことで、点火という用途を隠蔽してあるのも見逃せないところです。
*11: お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、『化ける』でも金属を腐食させることができるわけですから、『腐る』のコトダマ(の少なくとも一部)は『化ける』に包含されるといってよさそうです。
真相が明らかになった後の決着は、おおむね予想できるのではないでしょうか。残りの分量からもう一波乱起きそうだということもありますが、SWORDの面々が“間に合わない”
(321頁)中で、森嶋がすんなりと標的を殺して逃走するようでは面白味に欠けるのは否めません(*12)し、本庁に残った三笠に連絡がつかない(314頁)こともあって、三笠が森嶋と対峙する展開を予想するのも難しくないでしょう。そしてそうなると、『読む』のコトダマでは明らかに森嶋の『化ける』と勝負にならない一方で、いまだ登場していない中では『真似る』のコトダマが最も説明されているので、三笠が『真似る』のコトダマ遣いである可能性が高いといえます(*13)。
予想できるとはいえ、森嶋に対する三笠の態度は終始薄ら寒いものを感じさせますし、三笠がすでに獲得した能力の数には森嶋ならずとも戦慄させられます。そして、SWORD設立(*14)の真の目的がやはり強烈。三笠は“被疑者死亡”
(355頁)にだけ言及していますが、SWORDのメンバーとして集めたコトダマ遣いたちもまた“標的”として視野に入れていることは間違いないでしょう。
三笠に対する疑念を坂東と共有した永嶺が、入院中の三笠を訪ねた“最後の対決”では、表面上三笠に動機がない問題に対して“あるピースが使えるならば”
と仮定をおきつつ、“山田は別の病院に移送しました”
(いずれも369頁)と宣言しているところをみると、永嶺は三笠が『真似る』のコトダマ遣いだと疑っている――そしてそれが三笠本人にも伝わっているわけで、ここからどのように続編を組み立てるのか、大いに興味を引かれるところです。
*12: 「31 勝利」の終盤までのような森嶋の独白から、『燃やす』のコトダマ遣い・坂本との対決までは描くことができるとしても、対決の結果がどちらに転んでも読者にとって新たな事実はほとんどありませんし、森嶋の目的からすると次作につながる“強大な敵”にもなり得ない――逃走した場合にはただの逃亡犯にすぎないので、すっきりしないだけの結末になりかねません。
*13: 作者好みの表現でいえば“チェーホフの銃”(→Wikipedia)ということになるでしょうが、特殊設定の場合には単に言及するだけでなく説明まで必要になるので、特に目につきやすい傾向があると思います。
*14: イーサンが死んだ――三笠が『真似る』を獲得した――のは一年前(174頁)なので、二年前(26頁)に設立の議論が始まったというコトダマ研究所の方は、三笠にとって“結果オーライ”だったということになりますが。
ところで、事件が決着した後のコトダマ研究所の現場では、何か『聞く』ことができるものがないか問われた望月が、“せいぜい、銃弾くらいでしょうか”
(359頁)と答えていますが、これはかなり疑問です。そもそも、小銭入れの“ゼニー君”との会話(100頁~103頁)をみる限り、十分な視覚や聴覚を備えているかのような、しっかりした“目撃証言”が得られるわけで、地味に強力すぎるため能力に制限をかけてはあるのですが、これが難しいところです。
すなわち、対象は“両手に載るぐらいの大きさ”
(99頁)までとされているものの、鍵は『燃やす』で溶かされているとしても、森嶋や三笠の持ち物――少なくとも森嶋の“結婚指輪”
(38頁)はいけそうです(*15)し、他の装身具や、今どきであればIDカードを首からぶら下げていることも十分に考えられるでしょう。さらに、三笠が“森嶋のポケットから鍵を取り出し”
(354頁)て溶かしているところをみると、ポケットの中の持ち物も(“聴覚”については)期待できるかもしれません(*16)。
もちろん、三笠と森嶋の対決の模様がそのままSWORDの面々に伝わってしまっては難があるので、『聞く』が役に立たない状況とせざるを得ないのは理解できますが、ご都合主義に感じられてしまうのが少々残念です(重箱の隅ではありますが)。
*15: 指から外すことができるかどうか、という問題もあるかもしれませんが、“目撃証言”を入手するために、背に腹は代えられないのではないでしょうか。
*16: あとは地味なところで、靴下も可能性があるように思います(望月は心理的に抵抗があるかもしれませんが……)。