狂人の部屋/P.アルテ
La chambre du fou/P.Halter
“狂人の部屋”の絨毯は、事件――ハーヴィー、ハリス、セイラの死と、フランシスの“事故”――が発生するごとに水に濡れることになったわけですが、フランシスの自作自演はさておき、各人の死の真相と深く関わっている上にそれぞれ違った理由が用意されているのが秀逸です。
まずハーヴィーが死んだ際には、大事な原稿がくべられた暖炉の火を消そうとして水がこぼれたということになっていますが、ツイスト博士の目の前でかんしゃくを起こしたハースト警部の行動(151頁)がほとんどそのままのヒントになっているのがなかなか笑えます。またあまり目立ちませんが、“縁まで水を入れたコップ”
(46頁)だったために絨毯に水がこぼれてしまったというあたりも抜かりがありません。
次にハリスの殺害では、血痕を洗い流すという至極オーソドックスな目的で水が使われたにもかかわらず、絨毯が濡れるという現象と事件とが一体となってしまい、ちょうどギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』でいうところの“論理数列”のような効果が生じているのがよくできています。またこの事件では、“セイラは何を見て気絶したのか”という謎に対する逆説的な真相が非常に面白いと思います。
二度にわたる“事件”を通じて形成された凶事と濡れた絨毯との結びつきを見逃さず、それをさらに補強するフランシスの自演も巧妙です。特に、ブライアンの不吉な予言をうまく計画に取り込んで、不気味な雰囲気を一層高めている――それによってセイラの心臓にかかる負担も強まる――ところが実に見事です。
そして最後の事件ですが、心臓の悪いセイラをショック死させるために、ハリスの死体を冷凍保存しておくという発想が強烈です。確かに、セイラを脅かすためには最も効果的な小道具(?)であることは間違いないのですが、そのために一年もの間定期的にドライアイスを補充し続けるという遠大で手間のかかる計画が、何ともいえない“バカミス感”をかもし出しています。また、“一時間前から解凍中の死体を置いておけば……絨毯を濡らすために水をまく必要もありません”
(236頁)という記述から漂う奇妙にユーモラスな雰囲気も見逃せません。
この、死体を冷凍して保存し、後に解凍するというトリックは、エドワード・D・ホックの短編に前例((以下伏せ字)「水車小屋の謎」(『サム・ホーソーンの事件簿I』収録)(ここまで))があります。具体的な手順は、(以下伏せ字)犯人が被害者を密かに殺害して死体を氷室に隠し、しばらくの間被害者の身代わりを演じた後、氷室に放火することで凍結した死体を解凍し、自らは行方をくらます(ここまで)というもので、全体的にかなりスマートに処理されている印象を受けます。それに比べると本書では、前述のように無茶な計画になっているところにかえって味がありますし、(棺が開かれたのは犯人自身も不本意だったとはいえ)一年前に死んだことがはっきりしているにもかかわらず真新しい死体の出現が、さらなる怪現象として扱われているのがユニークです。
重要な場面を目撃した(148頁)はずのパトリックが、それを一向に明かそうとしないのはいかがなものかとも思いましたが、フランシスの妻であるポーラとのロマンスがその行為に説得力を与えているのには感心させられました。そして、正面切った告発によらず真相を明るみに出すための計画が、奇怪な謎――真相自体はもちろん脱力ものですが――となっているのもうまいところです。
最後の最後になって、雰囲気十分で魅力的に感じられた「プロローグ」が思わぬ形で再登場するという趣向も鮮やかに決まっています。
2007.07.06読了