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  4. 『アリス・ミラー城』殺人事件

『アリス・ミラー城』殺人事件/北山猛邦

2003年発表 講談社ノベルス(講談社)/講談社文庫 き53-3(講談社)

(2008.11.02)
 文庫化の際に加えられた修正*を受けて、若干改稿しました。



 本書のメイントリックはもちろん、犯人であるアリスの存在を隠匿する叙述トリックです(「叙述トリック分類」[A-3]人物の隠匿の項、特に[A-3-3]第三者の隠匿(視点人物でも聴き手でもない、“三人称の人物”の隠匿)の項を参照)。アリスは物語の最後になっていきなり登場したわけではなく、序盤から堂々と登場しているにもかかわらず、叙述トリックによって読者の目からは隠されているのです。

 その叙述トリック――いかにしてアリスは隠されたのか――を詳しくみてみると、[1]人数の誤認、[2]人物の誤認、[3]人間/非人間の誤認、という三つの現象が組み合わされていることがわかります。

[1]人数の誤認

 アリスの存在を隠匿するにあたって、島に渡った人数(十一人)を“十人”と誤認させる仕掛けがいくつか見受けられます。

[1-1]登場人物の身分

 物語が始まってすぐ、観月・古加持・无多・入瀬を出迎えた鷲羽の台詞に、いきなり罠が仕掛けられています。

 (前略)「ぼくも皆さんと同様に、探偵の一人です。この島には探偵が八人集まる予定だそうですが、招待側の人間は二人しかいないみたいですよ」
  (ノベルス7頁/文庫10頁)

 これをみると、“探偵が八人“招待側の人間は二人を合わせて、総勢十人が島に集まるように受け取れます。実際には、探偵ではない入瀬が加わって十一人が島に渡ってきているわけですが、“ぼくも皆さんと同様に、探偵の一人です”という鷲羽の言葉もあって、入瀬もまた探偵の一人であるかのようにミスリードされてしまいます。

 さらにその後、全員が一堂に会した場面での无多による紹介(ノベルス49頁~50頁/文庫76頁~77頁)でも、入瀬が探偵であるともないとも明言されないまま。かくして、入瀬も探偵の一人だと思い込まされることで、全体の人数を誤認させられてしまうのです。

 なお、“何しろ、僕は依頼人を守る義務もあるからね”(ノベルス127頁/文庫195頁)『アリス・ミラー』が欲しいって云ったのは君だぜ”(ノベルス126頁/文庫193頁)、さらには“君の依頼を果たせないまま終わりたくはない”(ノベルス168頁/文庫257頁)といった无多の台詞によって、そこにいる入瀬こそが无多の依頼人であることが示唆されていますし、入瀬が无多に“『たんていさん』”(ノベルス168頁/文庫257頁)と呼びかけていることが、入瀬自身が探偵でない(自分も探偵だとすれば不自然)ことを暗示しています。

[1-2]チェス盤と駒

 次に目を引くのがチェス盤と駒を使って人数を誤認させるトリックで、以下に引用する窓端と海上の会話の中に仕掛けられています。

「白の駒が十個ある」
 (中略)
(前略)おまけに十という数字じゃ。いやでも想像してしまう。いいか。ワシはこう思うんじゃよ。白の駒はインディアン人形の代わりなんじゃろうと
 (中略)
「チェス盤を見たまえ。鷲羽君たちが無事に城に着けば、彼を含めて五人増えるわけだから、ワシら先着組の人間を足して、人数は盤上の駒と同じになる。ワシらはさしずめ、チェス盤に置かれた白の駒なんじゃよ
「待てよ。ルディって女は数から除外されるんじゃないのか?」
「いや、招待主も例外ではあるまい。同じ盤上に立ってこそできることもあるからな。メイドとして雇われたという堂戸さんも、人数に含まれておる。(後略)
  (ノベルス21頁~22頁/文庫31頁~33頁)

 この後の会話で言及されているように、実際には黒の駒も一個盤上にあるのですが、窓端はまず十個の白の駒だけに着目しています。アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』の重要な小道具である十体のインディアン人形を持ち出すことで、白の駒だけに言及することに説得力を持たせているところがなかなか巧妙です。

 そして、人数は盤上の駒と同じになる”という言葉が実に見事。ここで窓端は、総勢11人――鷲羽を除いた先着組はルディ・堂戸・アリス・窓端・山根・海上の六人で、そこに“彼を含めて五人(鷲羽・観月・古加持・无多・入瀬)が加わると合計十一人――を十一個の駒(白の駒+黒の駒)に見立てているのですが、白の駒だけに着目した直前までの会話の流れに引きずられて、“盤上の駒”を“白の駒”と思い込まされてしまうことになります。

 続く“ワシらはさしずめ、チェス盤に置かれた白の駒なんじゃよ”という発言は、先に引用した鷲羽の台詞と同様に“招待側の人間”と“探偵”で十人――入瀬を除外――という認識なのだと思われます*1が、これによって“全体の人数=白の駒の数”という誤認が一層補強されるのです。

 ただし、真相を踏まえてこの部分を見直してみると、少々おかしなことになってしまうのは否めません。

 “人数は盤上の駒と同じになる”という言葉を口にした時の窓端は、十一人を十一個の駒にたとえているわけですから、人と駒を一対一で対応させていることになります。その考え方をそのまま進めれば、続く発言で十人を十個の駒になぞらえた際には当然、残る一人に余った駒が対応することになるでしょう。ところがその余った駒は、後に窓端自身が“盤上から駒を消す死神”(ノベルス26頁/文庫38頁)と表現している黒の駒。つまり、十一人のうち十人を白の駒にたとえることは、残った一人に“犯人”役を割り振っているのも同然といえるのではないでしょうか。

 もちろん実際のところは、窓端は『そして誰もいなくなった』を意識して(一応伏せ字)白の駒になぞらえた十人の中に“犯人”がいる(ここまで)ことを想定しているわけですし、後の“見えざる犯人の黒き(ノベルス26頁/文庫38頁)という言葉にもそれが表れています。しかしながら、人と駒を1対1で対応させて“人数は盤上の駒と同じになる”という台詞を口にしながら、すぐ次の瞬間に十一個の駒を十人に対応させるというのは、方針転換があまりにも唐突で不自然さが拭えません。

 そもそも、島に渡ったのが十一人であり、チェス盤上に十個の白の駒と一個の黒の駒が配置されている以上、“十人の犠牲者と一人の犯人”という構図の方が自然なのは明らかです*2。にもかかわらず、わざわざ十一人から一人を除外して(一応伏せ字)犠牲者たるべき十人の中に犯人もいる(ここまで)と考えるというのは、(ミスディレクションの一つであることは理解できるにしても)『そして誰もいなくなった』呪縛がいささか強すぎるように感じられます*3

*1: 窓端は招待主のルディもメイドの堂戸も数に含めていますし、探偵たちには除外されるべき理由はないでしょう。
*2: 窓端が一貫して入瀬の存在を考慮していないのであればともかく、少なくとも一度は“人数”に含めているのですから、なおさらそうではないでしょうか。
*3: それこそインディアン人形のように、犠牲者を象徴する十個の物だけが用意されている状況ならば、たとえ全体の人数が十一人であっても(例えば探偵でない入瀬、あるいは単なるメイドにすぎない堂戸を除外するなどして)“十人”を前提として解釈する余地もあると思いますが……。

[1-3]チェス盤の図と章題

 完全にメタレベルで仕掛けられているためにわかりにくくなっていますが、各章の扉に掲げられたチェス盤の図と章題のトリックも巧妙です。

 まず最初の章の扉(ノベルス5頁/文庫7頁)では、盤上には白の駒十個と黒の駒一個が配置されており、また章題はremain 10となっています。一人殺されるごとに章題の数字が一つずつ減っていき、なおかつそれが常に盤上の白の駒の数と一致していることから、読者は“章題の数字=白の駒の数=生き残っている人数”とミスリードされ、結果として最初の人数が十人だったという思い込みから逃れることが困難になるでしょう。

 しかし本書の最後の部分(ノベルス300頁/文庫452頁)で、黒の女王ただ一つが残ったチェス盤の図とともに、章題にあたる箇所にremain 0でも――And then, there was none.でもなく)――And then, there was one.と記されていることからみて、章題の数字は白の駒の数ではなく黒の駒(=アリス)を含めた数だと考えられます。

 それでは、最初の章題がremain 11になっていないのはなぜか。无多が殺されてアリスだけが生き残る最後の章([remain 1*4を手がかりに考えてみると、チェス盤の図はその章の開始時点の状態を、そして章題はその章の終了時点(から次の章が始まるまでの間)の生き残り人数を表している*5、というのが真相ではないでしょうか。つまり、最初の章のremain 10は(開始時点で)“十人残っている”ことを意味しているのではなく、この章(から次の章までの間)で鷲羽が殺されて“十人残る(ことになる)”という意味なのでしょう*6

*4: 无多もこの章に登場してはいるものの、章題の数字が黒の駒(=アリス)も含んでいると考えれば、“1”が最後の生き残りであるアリスを指しているのは明白でしょう。したがって、章題の数字が示しているのは(チェス盤の図とは違って)章の開始時点の人数ではあり得ません。
*5: 各章の扉において、チェス盤の図がに、章題がに配置されていることも、傍証といえるかもしれません。
*6: remain 6remain 4がそれぞれ二つに分かれているところは若干気になりますが、これはチェスの手数の都合でしょうか。

[1-4]食卓の座席

 ノベルス版では、食卓の座席に関して微妙な書き方がされている箇所があります。

 食卓には空席が目立った。殺害された鷲羽と窓端の姿がないのはもちろんだったが、空の椅子がまだ余分に残っているようだった。山根と堂戸が見あたらない。十席ある椅子のうち、四席が空席のままだ
  (ノベルス131頁)
 食卓に“十席”あり、鷲羽・窓端・山根・堂戸の四人が不在で“四席が空席”となれば、全体の人数が十人だと考えて筋が通るように思えます。

 しかし、実際には全体の人数は十一人であり、また最初の夜の“夕食の席に堂戸を除く全員が座った”(ノベルス41頁/文庫63頁)という描写――十席に十人が座った――を考え合わせると、メイドの堂戸の席はこの場に用意されていないことがわかります。つまり、“堂戸の席が空いている”わけではないにもかかわらず、いかにもそうであるように見せかけることで、全体の人数が十人だという誤認が補強されることになるのです。

 この直後、暴走した海上が窓端殺しの犯人としてアリスを告発する際の、あいつがじいさんを殺して鏡の中に逃げたんだっ”(ノベルス136頁)という台詞をみると、もうひとりの不在者はアリスだと考えられます(アリスがこの場にいるのならば、“あいつ”ではなく“お前”という表現になるでしょう)。

 ……と、一度は考えたのですが、それと矛盾する記述を発見してしまいました。入瀬とともに海上の手から逃れた後、地下で誰かが殺害された痕跡を発見した无多が、上に引用した食堂の場面を回想している文章です。

 窓端が殺された後で食堂に集まった時のことを思い出すと、そこに来ていない人間が二人いた。堂戸と山根だ。しかし堂戸は後から現れ、海上に追われることになった。最後まで姿を見せなかったのが山根一人だった。
  (ノベルス167頁/文庫256頁)

 これでは、鷲羽と窓端が殺された後、堂戸と山根だけが不在、すなわちアリスもその場にいたとしか読めません。しかしそうだとすると、ルディ・アリス・海上・観月・古加持・无多・入瀬の七人が着席していたことになるので、席の数が合わなくなってしまいます。

 この点について文庫版では、先に引用したノベルス版の“十席ある椅子のうち、四席が空席のままだ。”という文章が削除される(文庫200頁)とともに、あいつがじいさんを殺して鏡の中に逃げたんだっ”という海上の台詞がお前がじいさんを殺して鏡の中に逃げたんだっ”(文庫207頁)修正されています。これらの修正箇所からみて、アリスは食堂にいたと考えてよさそうです。

[2]人物の誤認

 [A-3-1]視点人物の隠匿では、たとえその存在が読者の目から隠されていても、一貫してその人物の視点を通じた描写が行われます。また[A-3-2]聴き手の隠匿では、語り手は一貫して(読者には見えない)聴き手に語りかけることになります。これらの場合には、隠された人物自身に関する描写が一切なかったとしても、(真相が明かされれば)その人物が作中に登場していたことは比較的納得しやすいのではないかと思います。

 しかし、三人称で記述されるべき人物の存在を隠匿する場合には、かなり事情が異なります。作中で一切描写も言及もされなければ、その人物は(作者の意図はどうあれ)読者にとっては、ずっと作中に登場しないまま、最後になって初めて現れたのと区別がつかないのです。

 本書では、アリスが堂々と物語に登場しているにもかかわらず、その描写をアリスに関するものと気づかせないことで、あたかもその場に存在しないかのように見せかける叙述トリックが使われています。その具体的な手法の一つが、アリスを他の登場人物と誤認させるものです。

 以下に引用するのは、最初の夜、探偵たちが一堂に会した場面です。

「いいえ、日本では(中略)たとえアリスという名前でも。実際、アリスなんて名前はイギリスではありふれている。(後略)
 彼女は肩にかかったブロンドの髪を軽く後ろに払って云った。襟元にふわふわとしたファーのついているワンピース・ドレス。生地は薄手のようだが、多少効き過ぎた暖房のためか寒そうには見えなかった。
  (ノベルス51頁~52頁/文庫79頁)

 上に引用した部分は、一見すると直前まで会話をリードしていたルディの台詞とその描写であるように思わされますが、実際には発言しているのも描写されているのもアリスです。

 省略した部分を含めた台詞全体をみても、この場では一貫して丁寧語でしゃべっているルディとは口調が違っていることがわかりますが、決定的なのは“……ね”という語尾で、“……”という語尾の表記が特徴的なルディの発言ではないことが明らかです。

 外見については、ルディも確かにブロンドではあるのですが、言及されている場合には常に“ポニーテールにしてまとめて”(ノベルス33頁/文庫50頁)おり、“肩にかかった”というのは無理がありそうです*7。また服装の方は、remain 1の以下の描写と対応しているので、アリスであったことがわかります。

 彼女は最初の夜のディナーに着ていたのと同じ服を着ていた。襟元に白いふわふわとしたファーのついているワンピース・ドレス。生地は薄手で、地下の冷たい部屋の中では寒そうに見える。
  (ノベルス295頁/文庫445頁)

 上に引用したアリスの最初の台詞の後、ルディが口を挟んではいるものの、依然としてアリスの紹介が続いている*8と考えられるので、この後“日本は気に入りましたかな?”という窓端の問いかけに対して“ええ”と答えている(ノベルス52頁/文庫79頁~80頁)のもアリスだとみて間違いないでしょう。

*7: もっとも、ルディがこの場面でもポニーテールにしているとは限らないのですが、少なくとも違和感を抱くきっかけにはなり得るのではないでしょうか。
*8: ルディが口にした“フレンド”(ノベルス52頁/文庫79頁)がアリスを指していることはいうまでもありません。

[3]人間/非人間の誤認

 これも先の[2]人物の誤認と同様に、アリスの描写もしくはアリスへの言及を誤認させるものですが、他の登場人物ではなく“登場人物以外の存在”に見せかけるという手法です。

[3-1]フィクションの登場人物

 まず、作中の“現実”に登場している探偵アリスを、(作中でも)フィクションの登場人物である“ルイス・キャロルの『アリス』”と誤認させるトリックが使われています。

 最初の夜のディナーでは、ルディによる探偵アリスの紹介から(前述の探偵アリス自身の台詞を挟んで)“ルイス・キャロルの『アリス』”の説明へとつながっています(ノベルス51頁~55頁/文庫78頁~84頁)。しかしこのルディによる紹介が、舞台である『アリス・ミラー城』に絡めて“アリス”という名前の説明から入るというものであるため、後半の“ルイス・キャロルの『アリス』”の説明に吸収されてしまっているような状態です。

 この部分(に限りませんが)をよく見てみると、登場人物の一人である探偵アリスはそのまま表記されているのに対して、“涙の池に濡れた『アリス』や動物たちが”(ノベルス54頁/文庫82頁)という風に“ルイス・キャロルの『アリス』”は括弧(『』)でくくってあり、両者は実は表記の上ではっきりと区別されています。ところが、後者に関連する語句については過剰なまでに――実在の人物なので必要ないはずの“『アリス・リデル』”(ノベルス53頁/文庫80頁)でさえも――徹底して括弧の中に入れてあることで、それに紛れて“『アリス』”という括弧付きの表記が目立たなくなっているのです*9

[3-2]ビスク・ドール

 そしてもう一つ、探偵アリスをビスク・ドールと誤認させるトリックも仕掛けられているのですが、ここにも“ルイス・キャロルの『アリス』”が絡んできます。

 (前略)硝子戸棚があり、中には背丈が一メートル弱はあろうかという大きなビスク・ドールが置かれていた。ふわふわとした黄色のエプロン・ドレスを身にまとっており、裾にはレースがついている。瞳は宝石のような青。髮はやや褐色がかった金髪で、肩口に柔らかく落ちていた。その人形は『不思議の国のアリス』に挿絵を寄せたジョン・テニエルの描くあの七歳の少女にそっくりだった。
(前略)どう思う、アリス」
 (中略)
 ルディはにっこりとアリスに微笑みかけた。そして戸棚から離れると(後略)
  (ノベルス113頁~114頁/文庫174頁)

 上に引用したのは、ルディが探偵たちから離れて書斎でくつろぐ(?)場面ですが、ここでは戸棚にある“『不思議の国のアリス』に挿絵を寄せたジョン・テニエルの描くあの七歳の少女”、すなわち『アリス』*10にそっくりなビスク・ドールが印象的に描かれている一方で、ルディは“アリス”に話しかけています。

 前述の表記の区別を考えれば、ここでルディが話しかけている相手は探偵アリスだと思われますが、『アリス』そっくりなビスク・ドールの描写とルディの台詞が並べられた上に、発言を終えて“戸棚から離れる”というルディの動きも加わって、あたかもルディが話しかけていたのは『アリス』と名付けられた戸棚の中のビスク・ドールであるかのように、すなわち“アリス=人形”だと思い込まされてしまうことになるのです。

 この思い込みは後になって、読者を致命的な誤認へと誘います。問題となる箇所は、窓端が殺害された際の海上による目撃証言です。

「俺様もそう考えて、部屋に戻った。そうしたら確かに、室内にぼんやりした人影が見えた。やつは屍体の近くに立っていたんだよ」
「どんな影だったんだ?」
「そうだ、思い出してきたぞ。スカートを穿いていたような気がする。暗い中でもわかった。ああ、髮は金色だった。そうか、間違いない。


 俺様が見たのはアリスだ!


 俺が部屋に入ると、やつは暗闇の中に、いや、鏡の中にかき消えてしまった。しかし間違いない、俺様は見たんだ! あいつが(注:文庫では“お前が”と修正)じいさんを殺して鏡の中に逃げたんだっ」
  (ノベルス135頁~136頁/文庫206頁~207頁)

 驚くべきことに、この早い段階で犯人の名前が明らかにされています――と感心させられるのは読み終えてからのこと。ここまでの段階で(他のトリックによって)探偵アリスの存在が巧みに隠されているということもありますが、おそらく多くの方がこれを人形『アリス』のことだと思い込んでしまったのではないでしょうか。

 この告発の直前に海上は、“暗くて見えなかった。とにかくそいつは突然現れ、あのじいさんを刺し、突然消えたんだ”(ノベルス134頁/文庫205頁)と、あるいは“黒い犯人の影がまさにじいさんを刺し、逃げようとしているところだった”(ノベルス135頁/文庫205頁~206頁)という風に、窓端を刺したのが誰かはわからなかったと明言しています。続いて、合わせ鏡の部屋に戻ったところで“アリス”が“屍体の近くに立っていた”のを目撃し、そして“鏡の中にかき消えてしまった”と主張しています。

 しかしこの海上の証言では、“犯人”=“アリス”とは限りませんし、“アリス”が人形だと考えても(鏡の中に消えたのは何らかのトリックによるとして)成立しそうです。また、この時点で海上が錯乱しかけていることもうかがえるので、“人形を犯人として告発する”ことも十分にあり得ると考えられます*11。さらに、この後にたびたび人形が怪しい動きを見せることで、海上が目撃した“アリス”が人形だという誤認が補強されていきます。

 そうなると、後に堂戸が目撃した“逆さまになって天井を歩くアリス”(ノベルス212頁/文庫325頁)――“凹面鏡”(ノベルス220頁/文庫337頁)やその他の鏡に映り込んだ探偵アリス――も、もはや人形『アリス』だとしか考えられなくなってしまうのです。

 このあたりをみると、舞台が『アリス』由来の『アリス・ミラー城』であることがトリックにうまく生かされていると思います。というよりも、『アリス』をミスディレクションに使って探偵アリスの存在を隠すために『アリス・ミラー城』という舞台が設定されているとみるべきでしょう。そしてまた、“アリス”であるがゆえにうまく隠すことができるということを考えれば、犯人がアリスという真相も必然であることがわかります。

*9: 特にこの場面(ノベルス51頁~55頁/文庫78頁~84頁)では、探偵アリスを示す(括弧なしの)“アリス”という表記(ノベルス51頁/文庫78頁)の後、ノベルス版で2頁(文庫版で3頁)にわたって“『アリス・ミラー』”“『アリス・リデル』”“『不思議の国のアリス』”“『地下の国のアリス』”などが続いてからようやく(単独の)“『アリス』”という表記(ノベルス54頁/文庫82頁)が登場するため、表記の違いに気づきにくくなっています。
*10: “ジョン・テニエルの描く『アリス』にそっくり”(←前述の表記のルールにより括弧付き)と書くと、すぐ後のルディの台詞に出てくる“アリス”との違いが際立ってしまうので、それを避けるためにあえて回りくどい表現が採用されていると考えられます。
*11: 多少なりとも怪奇色のあるミステリでは、この種の状況(人間以外の仕業に見える)はおなじみだということもあるでしょう。
*

 このような、様々な仕掛けによって読者の目から隠されている探偵アリスですが、当然ながら他の登場人物はその存在を知っていることになります。その状態で、しかも前述のように海上によって一度は告発されている(ノベルス136頁/文庫207頁)にもかかわらず*12登場人物たちがアリスに疑惑を向けている様子がみられないのは不自然であるようにも思われます。

 この点については、taipeimonochromeさん(「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂」)による以下の考察に納得です。

(前略)探偵の何人かは「彼女」が犯人であると思い至ったのかも、と考えることも可能だと思います。しかし探偵たちが、「彼女」が犯人であると氣がついた描寫は、作者の手によって省かれていたのだ、と。

ここで注目したいのは、本作が多視點で語られているところでありまして、これが冒頭からずっと最後まで无多と入瀬の二人の視點から語られていたら、確かに「彼女」が真犯人である可能性に思い至る描寫がなされていないのはオカシイ、ということになる譯ですけど、多視點で物語が進行する構成ゆえ、作者は意図的に探偵たちの何人かが真犯人に思い至る場面を描かなかったのではないでしょうか。

「ボンクラのキワモノマニアはいかにして「『アリス・ミラー城』殺人事件」の仕掛けに完敗したのか(藤岡真先生への返答)」より)

 あえて補足するならば、単に“作者の手によって省かれていた”というよりもさらに積極的に、(特に最初の方は)アリスが犯人だと気づいた探偵たちから優先的に殺害されていった、という可能性も考えられそうです。本書に登場する探偵がおおむね(本格)ミステリ的な“探偵”である以上、容疑者と一対一の“対決”を好む傾向があってもおかしくないと思いますし、そこで(隙を見て)返り討ちに遭ったということもあり得るのではないでしょうか。

 もう一つ、少なくとも入瀬は、アリスがすでに殺されたと思い込んでいた節があります。それが表れているのがremain 4(後半)の冒頭における、以下に示す无多と入瀬のやり取りです。

『もういきのこってるのは
 わたしたちだけなのよ!
 わたしたちがはんにんじゃないなら
 かれしかいないじゃない』
「屍体をすべて確認したわけじゃないだろ。(後略)
『でもかれいがいにかんがえられない』
「もちろん僕だって警戒しているさ。(後略)
  (ノベルス248頁/文庫379頁)

 ここで入瀬は、この場にいる三人(観月・无多・入瀬)だけが生き残っていると考えているわけですから、この時点で殺されたふりをしている古加持はもちろんのこと、アリスもすでに死んだと思っていることがうかがえます*13

 入瀬がそう思い込むには、何か積極的なきっかけがなければ不自然だと思われます*14。作中に描写されている中で唯一それに該当しそうなのは、海上に追われて逃げ込んだ地下で大量の血液を発見した場面で、无多は“殺されたのは山根に違いない”(ノベルス167頁/文庫256頁)と考えていますが、入瀬の方は犠牲者がアリスだと思ったのかもしれません。ただし、先に引用した无多の回想によれば、この直前までアリスも食堂にいたことになってしまうので、タイミングを考えれば明らかに無理があるのですが……。

*12: もっとも、海上は“アリスが窓端を刺した”場面を目撃したわけではないようですし、後に古加持とルディが検討している場面(ノベルス156頁~157頁/文庫240頁~241頁)に表れているように、告発の時点で錯乱しかけているので信憑性に欠けると判断された、とも考えられます。
*13: 対する无多の方はやや微妙で、“屍体をすべて確認したわけじゃないだろ”という台詞は、“(三人を除いた)全員の死体を発見したわけではない”(→死体が見つかっていないアリスは生き残っているのではないか?)という意味にも、また“すべてが本当に死体だと確認したわけではない”(→死んだふりをしている人間がいるのではないか?)という意味だとも解釈できますし、三人以外に生き残りがいないという入瀬の言葉を肯定も否定もしていないように受け取れます。
*14: 単にアリスの姿が見えないというだけでは、犯人として疑う理由にこそなれ、死んだと考える根拠としては弱すぎるでしょう。

*

 読者が真相を見抜くための最大の手がかりとなりそうなのは、前述“アリス”“『アリス』”という表記の区別でしょうか。かなり巧妙に隠されてはいます*9*10が、並はずれて(?)注意深い読者であれば気づくことも不可能ではなさそうです。そしてそこに気づけば、探偵アリスの存在が浮かび上がってくることになるでしょう。

 また、読み終えてからよく考えてみたのですが、とんでもなく勘のいい方(もしくは先入観にとらわれない方)ならば、各章の扉のチェス盤の図から真相に気づくこともあるかもしれません。というのは、黒の女王が白の駒を次々と取っていくという展開から、(『そして誰もいなくなった』のインディアン人形とは違って)黒の女王だけが盤上に残るという最終局面(ノベルス300頁/文庫452頁)が十分に予想できる*15からです。そして虚心坦懐に眺めれば、その予想される最終局面は十人が殺された後に犯人だけが残るという結末の象徴*16にほかならず、ひいては十人の犠牲者とは別に犯人がいるという真相を、大胆に暗示しているといえるのではないでしょうか。

*15: 『そして誰もいなくなった』では、人間がインディアン人形を一体ずつ持ち去っていくことで、いわば“人間(犯人)vs人形”という構図が成立しています(したがって、(一応伏せ字)犯人が最後の一体を持ち去り、インディアン人形がすべてなくなる(ここまで)ことが予想できます)。これに対して本書では、白の駒を取っていくのはあくまでも黒の駒であり、“黒の駒vs白の駒”という形で盤上で完結しているのですから、白の駒が存在しなくなれば黒の女王が取られることはありません。
*16: 『そして誰もいなくなった』のように(一応伏せ字)十人の“犠牲者”の中に“犯人”もいる(ここまで)とすれば、(窓端がいうところの“見えざる犯人の黒き(ノベルス26頁/文庫38頁)だとしても)黒の女王が盤上に残ったままとなってしまうのは、美しさを欠いているといわざるを得ないでしょう。

2007.03.13読了