密室蒐集家/大山誠一郎
- 「柳の園」
日焼けの跡で普段腕時計をしていたことが明らかであるにもかかわらず、死体の腕に腕時計がなかったことから、“犯人が腕時計を持ち去った”とする推理はごく自然です。しかしその理由が見当たらない中、“被害者が腕時計をしていなかった”と仮定して、なおかつ
“出勤途中で市電が来るのが一分も遅れた”
(12頁)との言葉と整合させるため、懐中時計の存在を導き出す密室蒐集家の推理は、意表を突いていて非常に面白いと思います。ただしそこから先、被害者の左胸を狙った銃弾が胸ポケットの懐中時計に食い止められ、その後に橋爪が“第三の銃弾”(*1)を撃ち込んだとする推理は、一見すると妥当なように思えるかもしれませんが、私見ではまったくダメ。問題は銃弾による胸ポケットの穴で、懐中時計で銃弾が食い止められたところですでに一つ穴が開いているはずですから、胸ポケットにもう一つ穴が開いてしまうと、密室蒐集家の登場を待つまでもなく“第三の銃弾”が撃ち込まれたことが明らかになり、事件も解決されるはず。
警察が解決に至っていない以上、胸ポケットの穴は一つだったとしか考えられませんが、そうすると橋爪は人知れず(作中にもそれをうかがわせる記述はまったくありませんが)、銃弾による胸ポケットの穴を狙って撃ち抜くことが――しかも痕跡を残さないよう100%成功させる自信を持って――できる神業の持ち主だったのか(*2)。そうでなければ、最初の穴に銃口を押し当てるようにして撃ったということも考えられますが、しかし接射によって火薬の焦げ跡がポケットに残り、右胸の側とはっきり違った状態になってしまう(*3)可能性が高いでしょう。また、銃弾が背中まで貫通して発見時とは死体の状態が変わってしまう(*4)危険性も高く、心理的にも無理があると思われます。
にもかかわらず、密室蒐集家が解き明かしたトリックが一見すると成立しているように思えるのは、例えば女学校の生徒である鮎田千鶴に視点を据えることで死体の様子の描写を極力回避し、また密室蒐集家を安楽椅子探偵的なポジションに置いて間接的な情報だけを推理の材料とするなどして、不都合のある具体的な部分を徹底して書かずにすませてあるからで、(一般的な叙述トリックとは違った形ながら)本来は読者に対してしか通用しないはずの一種の叙述トリック――いわば“紙上のトリック”(あるいは、作中の現実から切り離された“概念だけのトリック”)になっているのです。
そもそも、校長をかばうためとはいえ、当の校長を差し置いて(?)自分が殺人犯となる危険を犯すのか、という疑問もありますが、それを抜きにしても、密室蒐集家の推理したトリックは――概念としてはともかく作中の現実としては――実行不可能といわざるを得ず、当然ながらそれを根拠に橋爪を犯人とした推理も成立しないことになります。しかしそれを、犯人とされた橋爪にも肝心の具体的な部分は一切説明させないまま、成立しているように見せかけている作者の手腕は、ある意味で巧妙というべきなのかもしれませんが……。
(追記)
2015年11月に刊行された文春文庫版では、上述の問題を解消するために改稿されているようです(未確認)。*1: 作中ではこのような表現がされてはいないものの、カーター・ディクスン『第三の銃弾』へのオマージュかもしれません。
*2: これで納得できる方もいらっしゃるのかもしれませんが……。
*3: 作中の警察が、これも見逃してしまうほど無能と設定されている可能性もないではありません。
*4: 密室蒐集家の推理が正しいとすれば、音楽室の扉が開かれた時点では少なくとも左側は貫通していない――懐中時計に食い止められたため――わけで、千鶴にはどこまで見えたか不明ですが、少なくとも室内に入った小使いの堂島はその状態を目にしているはずです。
- 「少年と少女の密室」
密室状況を作り出した直接の原因が、柏木刑事による人物取り違えだというのがやはり面白いところ。アリバイトリックではそれなりにポピュラーだと思いますが、密室状況と人物取り違えの組み合わせはなかなか想定しづらいところがあり、ユニークだと思います。実際のところは、人物取り違えによる犯行時刻の錯誤を介して、犯人のアリバイ(不在証明)ならぬ“存在証明”が作り出されているわけで、それが施錠によらない“視線の密室”と組み合わされることで密室トリックに変換されているのが秀逸です。
しかしながら、最初の
“地面に落ちている二つの学生証”
のくだりから“少女がはっとしたように少年を見る。”
(いずれも52頁)の時点で、少年と少女の名前を取り違えさせようとする作者の狙いが見えてしまったのが残念。他にも、地の文で律儀に(?)名前ではなく“少年”
や“少女”
といった表記が多用されている――序盤の会話混じりの箇所はまだしも、肝心の篠山家への出入りが描かれた場面(58頁~59頁)では装飾の少ない地の文が続いているのでかなり目立ちます――ことで、だいぶわかりやすくなっていると思います。で、密室蒐集家による解決でもそうなっているので当然といえば当然ですが、人物取り違えが見抜けるとその後の仕掛けがほとんど不発に終わってしまいます。極端な話、人物取り違えが見えてしまった時点で、それが犯人特定の条件とされることまで予想することも可能であるため、タクシーの運転手も――雨が降り始めた時刻から少年(篠山薫)がタクシーを使ったとする推理はよくできているものの――作者の意図したように“意外な犯人”とはなり得ません。
柏木刑事が、鬼頭真澄と篠山薫の名前を取り違えたままだった経緯(87頁~88頁)は、おおむねよく考えられていると思います。特に、まだテレビがあまり普及していない時代背景が生かされているところは巧妙です。ただし、タクシーで二人をそれぞれの家まで送っていくところで、柏木に真実を告げないのはまだいいとしても、お互いの自宅で一人ずつタクシーを降りるのは、その後それぞれ独りで帰宅する必要があることを考えるといささか不自然。
本来ならば、鬼頭家で二人が下車して少年(篠山薫)が電車で帰るのがいいのでしょうが、柏木の
“まず、篠山さんの家に行こう。女の子だから”
(55頁)という発言は妥当ですし、物語の展開上も柏木が篠山家を一度訪れておく必要があるわけですから、篠山家で二人ともタクシーを降りたことにすれば――それから少年(篠山薫)が少女(鬼頭真澄)を電車で送っていくなどしたことにすれば――不自然さが緩和できたのではないかと思われます。また、同じ運転手がたびたび顔を出すのは――「もしかしたら他の運転手はこの世界に存在しないんじゃないか?」との疑念を抱きつつも(苦笑)――“偶然”以外にやりようがないようにも思われますが、心中の可能性をつぶすために(たまたま)
“二人とも体育の授業で利腕を捻挫した”
(69頁)ことにするというのは、いくら何でも安直すぎるのではないでしょうか。- 「死者はなぜ落ちる」
扉にチェーン錠のかけられた密室があまりに強固なため、“犯人不在”の転落死が妥当とも思える一方で、被害者(内野麻美)が刺殺されたことは確実なため、「少年と少女の密室」と同様に犯人の“存在証明”となっています。この矛盾した状況に対して、“困難は分割せよ”を地でいく解決――転落死と刺殺が別の事件だったという真相がユニークです。
二人の死者がともにセーターとスラックス姿だった(108頁・110頁)という偶然はやや気にならないでもないものの、その偶然に遭遇したことで犯人がトリックを思いついたという順序なので許容範囲。このような、二つの死体(二つの事件)を一つに見せかけて“事件のすり替え”を行うアリバイトリックには、超有名な国内作品(*5)をはじめとしていくつかの前例がありますが、犯人自らが転落を目撃するという現象の鮮やかさの点で、群を抜いていると思います。
そして、
“目をかっと見開いて”
(107頁・124頁)というさりげない手がかりから、発見された死体との矛盾が導き出される推理が秀逸――ただし、結論を出した後で一応は根戸森一にも確認した方がいいと思いますが(苦笑)――ですし、“X”が転落死した状況についての推理も十分に納得できるものです。もっとも、転落死した“X”の正体の隠し方と解き方には、少々不自然なものが感じられるのは否めないところです。
まず、バー〈アンプルール〉のママによる松下についての説明(128頁~129頁)は、騙すべき読者の存在を意識しているかのように奥歯にものがはさまったような表現で、松下なる人物のことを警察に対して説明する証言としてはいただけません。
一方、密室蒐集家は
“松下さんが男性だと、ママが一言でも言ったでしょうか?”
(146頁~147頁)と問い返したり、“ママは松下さんのことを『正確に言うとパトロンやないんですけれど』と言ったそうですが”
(147頁)と指摘したりしていますが、捜査会議では“松下という名前のパトロン”
や“この松下という男”
(いずれも135頁)との認識があるわけで、その捜査陣の“フィルター”を通して情報を受け取っているはずの密室蒐集家としては、いささか無理のある行為ではないかと思われます。*5: (作家名)東野圭吾(ここまで)の長編(作品名)『容疑者Xの献身』(ここまで)。他にも知る限りでは二つほど前例があります。
- 「理由ありの密室」
密室蒐集家が展開する“密室講義(理由篇)”そのものも――とりわけ、それぞれに該当する前例を思い浮かべながら読めば――面白いものになっていますが、「柳の園」との人物のつながりを組み込んでおいて、いくつかの前例を思い起こさせる「八百屋お七」風の“第九の理由”(*6)を持ち出させているところにニヤリとさせられます(*7)。それを、密室蒐集家が説得力のある理由で否定するところもよくできています。
ところで、ここで密室蒐集家が想定していなかった“第九の理由”が持ち出されていることからも明らかなように、“理由”に関しては常に想定外のものが存在し得るために消去法は有効ではなく、この事件の密室が“第八の理由”に該当するという密室蒐集家の推理も(そこまでで終われば)必ずしも妥当とはいえないのですが、“別解潰し”の役割の重複――すなわち“余分なもの”の存在が、“カモフラージュ”という推理をしっかり補強しているのが巧妙です。
被害者が自分で鍵を飲み込んだとなれば、ダイイングメッセージという解釈が出てくるのは自然ですが、あえてそちらの解明には進まない(*8)のが(流れからすれば)意外かつ好印象。あくまでも鍵を中心に被害者の行動を再現していく推理は、遠回りに見えて堅実――本書の中で唯一消去法が使える状況だということもあるでしょうが――ですし、序盤の銭湯の場面が思わぬ形で伏線として使われているところまで含めて、よく考えられていると思います。
“胃”の中に“鍵”を飲み込んで“田+鍵+月”とするダイイングメッセージは、とっさに思いついたとすればできすぎですが(苦笑)、犯人との関係を念頭に置けば普段から考えていてもおかしくはないでしょうし、犯行を躊躇させる防衛手段という点では、(最終的には殺害されてしまったとはいえ)ダイイングメッセージの効果的な使い方といえるかもしれません。
*6: 「八百屋お七」風の前例は“密室を作った理由”ではありませんが、より実利的な意味で探偵を呼び寄せるために密室が作られた前例もあります(国内作家(作家名)北山猛邦(ここまで)の長編(作品名)『『アリス・ミラー城』殺人事件』(ここまで)など)。
*7: この作品の場合、容疑者が三人に絞られているために鮎田千鶴への疑念が本格的なものにならないのが、少々もったいないような気もします。
*8: もっとも、とりあえず名前に“かぎ”の文字が入っていることで、犯人は見え見えだと思いますが。
- 「佳也子の屋根に雪ふりつむ」
“消えた一日”というトリックには、ある国内短編(*9)を思い起こさせるところがありますが、作中に
“男性ならば髭の伸び具合から丸一日眠っていたことに気づいたかもしれませんが”
(255頁)とあるところをみると、実際にそちらの作品を意識したものかと思われます。いずれにしても、この作品では密室トリックがアリバイトリックに“変貌”する構図が鮮やかですし、さりげない手がかりも秀逸。また、香坂典子の伯父の死がきれいに組み込まれるところも見事です。また、本書の中では最も現在に近い2001年という年代設定ならではの、携帯電話の存在がトリックの成立に貢献しているのも興味深いところ。佳也子に日付を誤認させる直接の手段の一つとしてももちろんですが、その誤認を補強する(とともに所在を偽装する)三沢秋穂への連絡も、固定電話が主流の時代では不可能な携帯電話ならではのトリックとなっているのが見逃せないところでしょう。
難点はやはり、トリックに不可欠な同じ種類のブーツが
“天の配剤”
(261頁)で片付けられている点。完全に同じ種類(しかも同じく新品)でなければならないため、まったくの偶然で一致する確率は「死者はなぜ落ちる」の“セーターとスラックス”よりもかなり低そうで、「少年と少女の密室」の“捻挫”と同様に安直に感じられるのは否めません。どうせならば、(降雪や積雪の状況は確実でないとはいえ)アリバイ工作の一環として足跡の偽装が必要になる場合も考慮に入れて、同じブーツを予め用意したくらいの説明があってもよかったのではないかと思います。実際、秋穂が典子を裏切らなかったとしても、佳也子に疑いを持たせないために(一月三日の降雪で消えてしまった)病院から出て行く足跡を残しておかなければならなかったはずですから(*10)。そのあたりの考慮がまったくなされることなく、偶然で片付けられてしまうのは、やはり安直とのそしりを免れないのではないでしょうか。
*9: 国内作家(作家名)泡坂妻夫(ここまで)の短編(作品名)「砂蛾家の消失」(『亜愛一郎の転倒』収録)(ここまで)。
*10: 典子が殺されなければ、いきなり家宅捜索ということもなかったでしょうから、秋穂が典子のブーツを履いて立ち去るだけでも十分だったかもしれませんが……。