慟哭/貫井徳郎
本書に仕掛けられたメイントリックはもちろん、奇数章の“松本”と偶数章の“佐伯”の一人二役トリック(「叙述トリック分類」の[A-1-1]参照)です。名字の違いに関しては、最終章で“妻とは離婚しましたから、今は松本です”
(402頁)と真相が明かされていますが、義父が“佐伯警察庁長官”
(242頁)であることから、“佐伯”が本来の名字ではないことが予測できるかと思います。
この一人二役トリックの成立を助けているのが、奇数章と偶数章の日時の関係に関する叙述トリックです。偶数章を“平成三年”
(21頁)と明示する一方で奇数章には年を明記せず、連続幼女誘拐殺人事件へと至る展開を描くことでそれを平成二年から平成三年にかけての――偶数章と重なっていく――出来事だと誤認させ(「叙述トリック分類」の[B-1-2]、[表7-A]参照)、“佐伯”と“松本”が別人だという誤認を補強しているのです。
ちなみに、日時に関する記述を作中から抜き出してみると、以下の表のようになります(曜日については「あの日は何曜日? 万年カレンダー」内の「1991年カレンダー」及び「1992年カレンダー」で確認)。
奇数章(松本) | 偶数章(佐伯) | 頁 | 備考 |
---|---|---|---|
平成三年一月八日火曜日 | 21頁 | 年も明記されている | |
八月の二日から | 48頁 | 《福音の聖教教会》合宿 八月二日が金曜日なのは平成三年 | |
八月最初の金曜日 | 54頁 | ||
一月十日、木曜日 | 67頁 | ||
土曜日の八月三十一日 | 119頁 | 八月三十一日が土曜日なのは平成三年 | |
一月十三日、日曜日 | 138頁 | ||
一月二十五日、金曜 | 151頁 | ||
九月二十日金曜日 | 159頁 | 九月二十日が金曜日なのは平成三年 | |
二月十日の月曜日 | 228頁 | 実際には平成三年二月十日は日曜日 | |
二月二十日、木曜日 | 306頁 | 実際には平成三年二月二十日は水曜日 | |
三月四日、火曜日 | 340頁 | 実際には平成三年三月四日は月曜日 | |
二月二十九日 | 370頁 | 閏年(平成三年ではない) | |
三月六日木曜日 | 377頁 | 実際には平成三年三月六日は水曜日。 | |
三月十七日月曜日 | 385頁 | 実際には平成三年三月十七日は日曜日 | |
平成三年三月十九日 | 396頁 | ||
平成四年三月十六日 | 400頁 | 月曜日 |
前述のように、「第4章」の冒頭(21頁)で、偶数章が平成三年一月からの物語であることが明示されています。一方、奇数章は八月二日、八月三十一日、九月二十日の曜日からみて、(前年の平成二年ではなく)平成三年夏からの物語であることがわかります。さらに決定的なのが「第63章」の“二月二十九日”
(370頁)という閏年を示す記述で、偶数章と同じ平成三年ではあり得ないことが明らかです。このように、叙述トリックで隠された真相を示す手がかりは、作中に十分示されているといえるでしょう(*)。
偶数章で描かれた事件は“佐伯”=“松本”とは別人の犯行であり、そのために“佐伯”が犯人だとは考えにくくなっているのですが、さらにそれが“衝撃の真相”よりも重い最後の一行につながっているところが何ともいえません。
2007.07.31再読了