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化石少女/麻耶雄嵩

2014年発表 (徳間書店)

 本書の「エピローグ」を除く部分では、探偵役である神舞まりあが披露した推理が検証されないまま、物語が進んでいくという趣向になっています。安楽椅子探偵ものや“日常の謎”では、しばしば推理が検証されることなく物語が終わりますが、殺人事件に遭遇した探偵役の推理が検証されないというのはかなり異色*1。しかも、“日常の謎”などの場合は推理を聞いた人物が納得することで検証の必要がなくなるのに対して、本書ではまりあの推理を聞かされた桑原彰が納得しないために却下するという、何とも凄まじいことになっています。

 そうなってしまう最大の原因は、まりあの推理が“生徒会メンバーが犯人”という前提から出発し、それを成立させ得る“解決”を模索する形になっているからで、そのような手順がとられることにより、手がかりから引き出した蓋然性の高い解釈を積み重ねることで担保されるはずの説得力を欠くことになっている、といえるでしょう。

 このような推理の手順は、(そちらをお読みになった方はお分かりかと思いますが)『さよなら神様』の手法ほぼそのまま――正確にいえば、『さよなら神様』では“神様”と少年探偵団で分担していた役割を、本書ではまりあ一人でこなしている――といえます。しかし、『さよなら神様』では“神様”の言葉を信用せざるを得ない状況が作り出されていたのに対して、同じようなことをやっているにもかかわらず、本書でのまりあの推理は対極的な扱いをされているわけですが、“神様”ならぬ人の身ゆえにそれも致し方ないところでしょうか。

 このような手法が採用されていることで、各章でのまりあの推理は蓋然性を度外視した“荒唐無稽な推理”となっているのですが、しかし決して“間違った推理”ではない――推理を否定する反証は存在しない――のが見逃せないところでしょう。それはもちろん、「エピローグ」で明かされる仕掛けを成立させるために不可欠であるわけで、どちらが先だったのか――“推理を却下される探偵役”という趣向か、『さよなら神様』の手法の応用*2か――はわかりませんが、(積極的に真相を示唆する/裏づける手がかりではなく)可能性をある程度限定するだけの、いわば“消極的な手がかり”の配置と活用も含めて、なかなかよく考えられていると思います。

 もっとも、あからさまに“間違った推理”ではないために、“実はまりあの推理は正しいのではないか?”という疑念が生じやすくなっているのは確かで、結末(の少なくとも一部)が見えやすくなっているのは否めません。つまるところ、作中の“現実”で事件に遭遇する彰らはさておいて、本書をミステリとして読む読者、とりわけ現実よりも少しハードルが下げられた“ミステリのリアリティ”に慣れた読者*3にとっては、まりあの奇天烈な推理よりもむしろ、推理を却下する彰の判断――ひいては“無解決”という結末――の方こそ受け入れがたいものといえるのではないでしょうか。

*

 以下、各章について。

「古生物部、推理する」
 ハルキゲニアから“逆”というキーワードが出てくるのはいいとして、犯行と通報の順序が“逆”だったという奇想が出てくるのが何とも凄まじいというか(苦笑)。しかしよくよく読み返してみると、警官が到着した時刻を“四時二五分頃”(46頁)と明示しておきながら、それ以外の重要な時刻――交番への通報や、廊下にいた生徒たちの“警官が入るまで”(47頁)との証言*4、さらには彰とシーラカンス男との遭遇――をさりげなく伏せてあるのがいやらしいところで、曖昧な状況ゆえにまりあの推理が正しいとも間違っているともいいきれないのが巧妙です。

 逃走の際に古生物部のシーラカンスのかぶり物が使われたことで、容疑者はその存在を知っている生徒会メンバーに限られる――当然ながら、まりあと彰は“シーラカンス男”ではあり得ない――ようにも思われますが、(彰が指摘している(51頁)ように)殺された新聞部長・福井自身が持ち出した可能性という“抜け道”が用意されています。その場合、犯人は応援団の外套だけを盗み出したことになり、いささか不自然な行動になってしまいますが、福井の手元にかぶり物があることを事前に知り得たとも考えられるので、やはり容疑者を絞り込むのは難しそうです。

「真実の壁」
 ブロントサウルスから出てきた“キメラ”というキーワードを事件に当てはめたならば、“真実の壁”に映った影が“合成”だったという推理が飛び出してきてもおかしくはないかもしれません。その前にすでにまりあは、上の部室ではなく下の部室から投影されたという仮説を立てているわけで、そこから先はさほど大きな飛躍でもないように思います。もっとも、(犯人の意図したものではないとはいえ)途方もない偶然に支えられたトリック*5であることは確かで、彰が受け入れがたいのも理解できます。

 そして、まりあの推理を裏づける証拠/手がかりが見当たらないのも難しいところ。例えば、携帯電話越しに聞こえた“派手な金属音”(77頁)にしても、実際のところは何の音だかわかりませんし、一階の部室のスタンドライトが倒れていたかどうかすら定かでない(104頁)のですから、まりあの推理が示されてみればそれに符合はするものの、推理が正しいことを(多少なりとも)保証し得るものではありません。被害者の衣服に付着したであろうコンクリートも“豪雨で洗い流された”(112頁)とすれば、とりあえずは何も証拠がない状態なので、彰ならずともよりシンプルな仮説の方を受け入れるのはやむを得ないところでしょう。

「移行殺人」
 「移行殺人」という題名では何だかよくわかりませんが、“移行化石”というキーワードに被害者・八瀬の姿がなぞらえられ、“嵐電男”の正体が反転する推理は鮮やかです。また、“嵐電男”になれない人物が犯人という推理もよくできていると思います。

 “嵐電男”の出現に、嵐電部に罪を着せるためという納得しやすい説明がつけられるなど、比較的もっともらしい推理ではあると思うのですが、犯行の動機などからして、第一の事件でのまりあの推理が正しいことが事件の前提とされているのが、やはり微妙なところでしょうか。

「自動車墓場」
 草食恐竜の“デンタルバッテリー”とのアナロジーで解き明かされる、豪快なトリックが圧巻。車のビリヤードともいうべきヴィジュアルは強烈なインパクトがありますが、駐車場の状態が事前にはっきり示された上に、現場のこぶまで一直線に斜面を滑り降りる仮説が提示されている(222頁)ことから、読者の心理としてかなり受け入れやすくなっているのは確かではないでしょうか。また、車の下の地面が濡れていなかったことまでうまく説明できるところもよくできています。

 実際のところ、トリックが多少強引ではあるとしても、車の助手席が前に出されて狭くなっていたことは(犯人による偽装でないとすれば)強力な手がかりであるわけで、かなり小柄な稲永渚に疑いを向けるのは自然なはずなのですが、ここで効いてくるのが「古生物部、推理する」から張られてきた伏線――“あさみ”の思い出と重なることで醸成されてきた、彰の渚に対する好意――で、それがこの章においてまりあの推理を却下する大きな原動力となっていることは間違いないでしょう。

「幽霊クラブ」
 地層の褶曲による“逆転”をヒントにした推理ですが、「古生物部、推理する」でのハルキゲニアとかぶり気味なのはさておいて、廊下に置かれた段ボールのせいで折り返す際に列の順序が逆になるのは納得できますし、被害者・浦田の死体から検出された麻酔薬についてもそのタイミングしかなさそうです。“人間増えていると気がつくが、減っていても気がつきにくい。”(250頁)と、伏線が張ってあるのも周到。また犯行の動機についても、「移行殺人」での彰とのやり取りの中で“私も以前に、お友達を失ったの。”(160頁)と伏線を張ってあることで、まりあの推理を受け入れやすくなっています。

 つまるところ、実行するにはあまりにも綱渡りの犯行にすぎるというくらいしか、まりあの推理に対する反論はなさそうですし、対立陣営で警戒されてしまうために他には機会がなかった、という説明がつきそうにも思えるのですが、それでもまりあの推理を却下する彰の胸中はいかに*6

「赤と黒」~「エピローグ」
 光スイッチ説――“視覚”をヒントに、自身の視覚的記憶――特に、床の上にマットがなかったこと――に基づいて解き明かされた、密室への出入りではなく死体の出現がポイントになったトリックは、なかなか面白いと思います。が、トリックを実行するのに必要な体重をもとに犯人とされた生徒会長・荒子の、まりあが推理した犯行の動機を否定する情報が出てきたことで、推理が無事に(?)却下されると同時にまりあの関心がよそへ移る、という流れがよくできています。その後の「エピローグ」ではまりあ自身が、あくまでも光スイッチ説に絡めて推理の誤りを認めているのも面白いところ。

 その「エピローグ」では、彰が却下し続けてきたまりあの推理が正しかったという仕掛け――実際に検証されたのは「自動車墓場」のみ(他の事件はとりあえず検証できそうな要素がない)ですが――が待ち受けています。上述のように、まりあの推理を却下する根拠が弱い(しかも次第に弱くなっていくようにも思える)ため、この仕掛けは見えやすくなっている感がありますが、さらにいえば本書の目次で「エピローグ」の存在が示されているために、最後に全体の“どんでん返し”があることがほぼ確実視できてしまうのが、少々もったいなく感じられます*7

 彰が“まりあの推理は正しかったのではないか?”という疑念を抱くに至った理由、すなわち彰自身が殺人犯だったという真相は、かなり強烈ではあるものの、逆にいかにも麻耶雄嵩らしいと思えてしまう――つまりはこれも予想しやすいところがありますし、他の事件では彰は犯人たり得ない*8ので、「赤と黒」の事件で彰が犯人となるところまで、見当をつけることができなくもないように思います。それでも、馬場の方がまりあを殺そうとしていたという事実とその動機は面白いと思いますし、馬場が古生物に興味がなかったという“もう一つの謎”にすっきりした説明がつくところもよくできています。

 そして、まりあに推理される“対象”となった彰が抱く危惧は、誤りを修正しながら少しずつ“真相”に近づいていくまりあの推理の手法を、最もよく知る人物ならではのもの。 かくして誕生する、“赤点探偵”とその推理を意図的に否定し続ける“腹黒ワトソン”のコンビという、何ともひねくれたユニークな役どころは、軽くユーモラスな雰囲気の漂う異色作の最後の最後にきて、しっかりと麻耶雄嵩作品ならではの味わいを付け加えています。

* * *

*1: もはや日常的に事件が起こっているともいえる状況なので、これこそが麻耶雄嵩版“日常の謎”である――というわけでもないのでしょうが……。
*2: 不可謬である“神様”が登場しない普通の(?)ミステリへの応用、という意味で(本書の「古生物部、推理する」が雑誌に掲載された時点ではすでに、『さよなら神様』のいくつかのエピソードが発表されています)。
*3: さらにいえば、すでに『さよなら神様』を読んでそのアクロバティックともいえる謎解きを体験した読者にとってはなおさらでしょう。
*4: “彼は四時過ぎに入り(中略)五分後に出ていった”(47頁)という証言もしていることから、本来なら“警官”が新聞部の部室に入った時刻も証言するのが自然なはずですが、これはうまくごまかしてあるというべきでしょうか。
 ついでにいえば、“それぞれの入り口は一方からしか見えない”のですから、“クラブ棟側のドアから新聞部に入った者もいないようで、唯一出てきたのが例のシーラカンス男”(いずれも47頁)というのは少々疑問です。
*5: 『さよなら神様』のあるエピソードを読んだ際には、“(“神様”が登場しない)通常のミステリではとても使えないトリック”だと思ったのですが、このような使い方ができるとは思いもよりませんでした。
*6: 「エピローグ」には“まりあの能力に疑義を挟む契機となったのは、例の馬場の事件だった。”(347頁)とあるので、この時点ではまだまりあの推理に否定的だったことは間違いないようですが……。
*7: 「エピローグ」本書全体の“エピローグ”なのは確かですが、「赤と黒」だけの“エピローグ”(目次には示さない)ということにしてしまってもよかったのではないでしょうか(「赤と黒」という題名の意味「エピローグ」にならないと判明しない、ということもありますし)。→徳間文庫版ではこのように変更されています。
*8: 「古生物部、推理する」では“シーラカンス男”と遭遇、「真実の壁」「移行殺人」「自動車墓場」ではまりあと一緒にいて、「幽霊クラブ」では事件の起きた東棟ではなく西棟にいた、という具合に、いずれも犯行の機会がありません。

2014.11.26読了