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消失グラデーション/長沢 樹

2011年発表 角川文庫 な54-1(角川書店)

 本書の仕掛けでまず目を引くのはやはり、椎名康と樋口真由の性別誤認の叙述トリックです。

 語り手をつとめている康については、性別不詳な名前、“僕”という一人称、女子との性行為など、男性だと誤認させる材料がいくつも用意されています*1が、きわめつけはもちろん、「主な登場人物」にも明記されている男子バスケ部員という肩書きです。やりすぎという気もしないでもないですが、さすがにここまで徹底されると真相を見抜くのはかなり困難で、これ以上ないほど強力な仕掛けといえるでしょう。

 もっとも、すべての真相を踏まえてみると、康のバスケ部での立場や振る舞いの中途半端さ――部活をちょくちょくサボりながらほぼ黙認状態なのはいかがなものか。練習に関しては(真由が指摘している(254頁~255頁)ように)怪我の問題もあるかもしれませんが、それでも本来のマネージャー業務(420頁)の方があるわけで、田丸瑞季の憤激も当然でしょうし、強豪校であればなおさら監督らが放置しているのはかなり不自然だと思います*2

 さて、康の性別誤認を補強するような形になっているのが、真由の性別を――康とはに――女性だと誤認させるトリックで、例えば「序章」で久住祐人の視点から男子生徒(注:真由)と対峙するように、不機嫌そうな女子生徒(注:康)。”(24頁)と描写されている*3ように、康と二人で登場する際に男性の存在を明示できるのが効果的です。男性を女性に見せかける叙述トリックは、逆のトリックに比べて困難なところがあるので例も少ない*4のですが、本書では真由が性同一性障害であるため、(当然といえば当然ながら)ミスリードもスムーズになっています。

 一つ気になるのは、康と争いになった際に柴田佐紀が口にしたゲイ野郎が”(112頁)という言葉。直後に鳥越が口を挟んでいることもあって、康と鳥越の関係を揶揄したものだと、すなわち康を男性だと誤認させるのに一役買っているのですが、“ゲイ”が(正しくは)男女を問わず同性愛者全般を指すとはいえ、康に対する言葉として*5まずこれが出てくるのはいささか不自然に感じられますし、“野郎”までついた“ゲイ野郎”とくればなおさらです。

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 この叙述トリックの方が目立ってしまっているきらいはありますが、物語の中心に据えられているのはあくまでも、真由らが解き明かしていく網川緑をめぐる謎の方でしょう*6。事件の真相解明に先立って、まず緑の不自然な言動とその秘密が解き明かされますが、モデルまでつとめる美少女が男性(仮性半陰陽)だったというショッキングな真相もさることながら、作中にも“自分の性について色々疑問を持っていたから、昔、少し調べたことがあって”(362頁)とあるように、それが真由でなければ(容易には)到達できない真相だったというところが秀逸です。

 そして屋上からの転落については、バスケットボールが“凶器”だという真相が何とも皮肉。その手段自体は康の“坪谷犯行説”の時点で示されますが、ボールの厳しい管理状況から盲点の“真犯人”が導き出されるところがよくできていますし、康の性別誤認に絡めた意外な動機が示されているのも面白いところ。最終的にはそこに悪意はなかった、というのがまた皮肉ですが……。

 最後に残るのは、監視カメラによる密室状況の学校からの消失ですが、康が襲われたことから“ヒカル君”が関わっていることは明らかであるものの、その“ヒカル君”が単独で脱出する姿が映像に残っているため、可能性はかなり限られてくることになると思います。加えて、緑の抱えていた秘密が明らかになった時点で、自発的に姿を消したことまで想定できるのですが、転落による負傷で血に染まった制服がネックとなります。つまり、前述の叙述トリックによって制服のすり替えという真相が隠蔽されているわけで、よくできた仕掛けだと思います*7

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 最後の最後で、“緑がいなくなって一番得をするのは誰か”(369頁)という伏線が回収されたのはご愛嬌(苦笑)として、“網川緑の物語”を傍観者として眺めていた康が主役となって“椎名康の物語”に転じる結末は、鮮やかな印象を残します。

* * *

*1: 鳥越に告白された際の、“その背後に深紅の薔薇の幻覚が見えるほど動揺もした。”(55頁)なども、地味ながら効いています。
*2: せめてマネージャーの任を解いて完全に“選手”扱い(試合には出られなくとも)としてあれば、まだしも角が立たないでしょうし納得もできるのですが……。
*3: その直前の、“制服姿の男女――藤崎と呼ばれた少女は着衣が乱れ(後略)(24頁)という記述は、“男”と藤崎をセットにしているように読めるので、やや反則気味に思われます。
*4: 拙文「叙述トリック分類#[A-2-1]性別の誤認」を参照。
*5: その場面を読み返してみると、止めに入った真由への言葉であるようにも受け取れるのですが、康が“その言葉が、暗に樋口に向けられたものだったから。”(310頁)と認識していることから、まずは康に向けられた言葉だということになるでしょう。
*6: これは、叙述トリックが暴露されるタイミングをみても明らかではないでしょうか。
*7: ただし、セーターがなくなっていることを康がまったく気にかけている様子がないのは、少々気になりますが……。

2014.09.08読了