花嫁は二度眠る/泡坂妻夫
二つの事件をぴったりと重ね合わせるユニークな構成は、作者が読者に対して仕掛けたトリックといえるのではないでしょうか。例えば、実際に“二度殺された”貴詩の事件が重ね合わされることで、カナも“二度殺された”という思い込みが強固になりますし、逆に貴詩はカナと同様に発見された現場で二度殺されたという印象が強まっている感があります。
二つの事件で犯人が使ったトリックはいずれもアリバイトリックですが、第一の事件では“二度目の犯行”をでっち上げることで、また第二の事件では死体の移動を隠すことで、それぞれアリバイが成立しています。この二つの事件が重ね合わされることによって、それぞれのトリックのポイントが互いに補強されるという効果が生じるわけで、非常に面白い試みだと思います。
もっとも、第二の事件の真相を見えにくくしている最大の要因が、被害者である貴詩自身の極端な心境の変化であることは間違いありません。以前の貴詩からは、飛行機に乗って東京までやって来るなど考えられないのはもちろんですが、それをよく知っている幹夫の視点で全編が記述されているため、読者としてもそれに引きずられてしまうところがあるように思われます。
貴詩の変化についてはもう一つ、それまでとらわれてきた迷信に対して挑戦するかのような行動が目につきますが、〈亜愛一郎シリーズ〉の一篇を思わせる、作者らしい極端化された心理が魅力です。東京までともに旅してきた夕輝子がその変化にまったく気づかなかったわけではないのでしょうが、直前に幹夫が迷信を話題にしたせいもあって、“烏が変に啼いたから”
(38頁)といわずもがなのことをつい口にしてしまったのかもしれません。
全編に散りばめられた伏線の数々は圧巻ですが、特に犯行の動機――とりわけ犯人の生い立ち――に関わる伏線がしっかりと張られているのが秀逸です。父に関する恨みと、母に関する無念――これらが明かされることで、事件が単純な財産目当ての犯行ではない、奥の深いものになっているのが作者らしいところでしょう。ただ、“島田美子”を“しま・たみこ”と読ませるのは少々苦しいところですが……。
ところで、“だから、幹夫は馬市の車と擦れ違ったことに全く気付かなかった。”
(224頁)という最後の一文が何だか意味ありげなのですが、よく考えてもわかりません。とりたてて深い意味はないのでしょうか。