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純喫茶「一服堂」の四季/東川篤哉

2014年発表 (講談社)

 本書では、語り手らの推理を探偵役の安楽椅子(ヨリ子)が鮮やかにひっくり返すという趣向ゆえに、犯人が見え見えになってしまうきらいがあります。もともと“安楽椅子探偵もの”では容疑者が限られる傾向がある――語り手が言及しない人物を犯人とするのは難しい――のですが、本書の特に「春」「秋」では露骨に一人の人物が容疑から外されているため、ヨリ子がその人物を犯人と指摘することになるのは明らかといっていいでしょう。

 これが直ちに致命的な欠点というわけではありませんが、本書の「夏」「秋」では、想定できる犯人から逆算する――“その犯人”に可能な手段を検討することで、トリックまで見えてしまうのが大きな難点。もう少し何とかならなかったのかとは思うものの、分量などとのかね合いもあって致し方ない部分もあるのかもしれません。

*
「春の十字架」
 関係者の中で一人だけ容疑者から除外されている、大島圭一が真犯人であることは予想できると思いますが、その途端に事件が密室殺人に変貌するのが面白いところで、天窓が開いているために他の容疑者にとっては密室でも何でもない現場が、その体格ゆえに天窓を通り抜けることができない大島だけにとっては密室となる、ユニークな状況がよくできています*1

 犯人が中に入れないとはいえ天窓という開口があるわけですから、本来であればいくらでもやりようはあるはずなのですが、死体が磔にされた十字架が大きな障害となり、室外での/室外からの犯行が不可能であるように思わされてしまうのが巧妙。しかも死体発見時には、死後硬直を起こした死体を利用して十字架がしっかり完成していたように見せかけるトリックも用意されており、十字架という小道具を非常に効果的に使った、実に周到な企みといえるでしょう。

「もっとも猟奇的な夏」
 「春」と同じく十字架に磔にされた死体が扱われていますが、こちらは猟奇的な演出の陰から(密室ではなく)アリバイものの姿が現れてくるのが見どころ。被害者をカカシに偽装して、田んぼで堂々と犯行に及ぶトリックはもちろんユニークですし、十字架に磔になった死体はそのままに猟奇的な装飾を施すことで、“アリバイトリックのための磔”を隠蔽する事後処理もうまいところです。

 惜しむらくは、犯人が関谷耕作であることが見え見えで、そうすると犯行の機会が著しく限定されているために、“可能な手段”を考えればトリックまで見当がついてしまうのが難点。実際、関谷が怪しい動きをしたタイミングは“そこ”しかなく、“カカシの首に巻かれたタオルで、両手を拭いているところ”(76頁)がまさに犯行の瞬間である*2ことに思い至るのは、さほど難しくはないように思います。

 ところでこの作品、何となく横溝正史の某作品を思い起こさせるところがある*3のですが、そう感じるのは私だけでしょうか。

「切りとられた死体の秋」
 南田五郎の話の中には、“大沢明彦”なる正体不明の人物や“ユリア”という謎の女性も登場してはいるものの、実質的に容疑者は東山敦哉ただ一人で、たとえ強固なアリバイがあろうとも東山が犯人であることは見え見えです。もっとも、「夏」とは違ってアリバイトリックの性質上――というのは、犯人(東山)が長時間にわたって証人(南田)に“監視”されていたことだけで、つまりその間の犯行現場の様子や被害者の足取り、ひいては死亡推定時刻までもすべてすっ飛ばして、犯人の側だけでアリバイが成立している(ように見える)ためですが――他の容疑者を登場させると、その容疑を晴らすためにかなりややこしいことになってしまう*4ので、仕方ないといえば仕方ないところではあるのですが……。

 とはいえ、東山が犯人だとすれば犯行の機会は南田が訪ねてくるしかなく、しかもその時点で殺害のみならず首と手首の切断まで済んでいることになるわけですから、切断した首を自宅に運んで被害者がまだ生きているように見せかけるトリックは、十分に予想できる範囲内といわざるを得ませんし、謎の女性“ユリア”の(これまた見え見えな)正体も、むしろその予想を補強する材料となってしまうきらいがあります。

 ちなみにこの、死体から切断した生首によるアリバイトリックには、海外古典長編*5をはじめとしていくつかの前例があり、首だけでなく腕をも切断した例*6まであります。それらの前例と比べると、首から下の部分にスーパーリアルドール(苦笑)を使ったところは新しくはあるのですが、アリバイトリックに限らなければ生首と人形の胴体の組み合わせはよくある話ですから、あまり面白味のあるトリックとはいえません。

「バラバラ死体と密室の冬」
 まずはやはり、事件の起きた年代を誤認させる叙述トリックが非常に秀逸。実のところ、冒頭の一幕では後輩刑事と刑事課長の名前が明かされず、事件の回想に入ってから黛刑事と下園課長の名前が出てくるあたりで少々怪しく感じはしたのですが、“春の十字架事件(中略)の少し前の二月”(194頁~195頁)とはっきり書かれているために騙されてしまいました。『純喫茶「一服堂」の四季という題名で、一年を描いた物語だと思わせておいて、まさか十年ずつ間を置いた三十年にわたる物語だったとは、完全に予想外で脱帽です(と同時に、ヨリ子らの気の長さ(?)には苦笑せざるを得ませんが)。

 事件としては最新の「秋」(2004年)の中で、“メール”(122頁)“携帯”(134頁)、さらに“静脈認証システム”(165頁)*7などが登場している一方で、「春」「夏」では状況からして携帯電話が登場しなくてもおかしくない――「春」では被害者が仕事でこもる離れに携帯電話を持っていかなくても不自然ではありませんし、「夏」の被害者は老人なので携帯電話を持っていないことも十分あり得る――のがうまいところ。また、ヨリ子の若い頃を描いたカバーイラストも、仕掛けに大きく貢献しているのが見逃せないところです。

 さて、その叙述トリックによって巧妙に隠蔽されているメイントリック――現在(2014年)が舞台では成立しづらい、汲み取り式便所を利用したトリックですが……過去(1984年)に起きた事件ではあるものの、その当時の作品としてはこれまた成立しづらい、汲み取り式便所の実物を知らない読者が多くなった現在の作品だからこそ成立しているトリック、ともいえるのではないでしょうか。というのも、その実物を知っている人間からすると、どうもかなり微妙なトリックのように思えてならないからです。

 まず、汲み取り式便所を概念としてしか知らない読者にとっては予想外の“抜け穴”なのかもしれませんが、実体験としてそれを知っていると、そこが屋外につながっていることを一度くらいは意識したことがあるはず。例えば「汲み取り式便所#汲み取り口 - Wikipedia」にも“外部から賊などが侵入することもあり、また蓋のすき間から寒風の吹き入れなどの欠点もあり、その大きさは人体が通り得ないものがよく、蓋は密閉し得るものがよいとされた。”とあるように、あまり盲点とはいえないところがあり、真相が明かされても驚きはさほどでもありません。
 そしてまた、事件発生当時の警察――現場で汲み取り式便所の実物を目にし、またどこかで使ったことのある人間もそれなりにいると思われる――は、密室殺人の可能性を検討した場合には汲み取り式便所からの脱出も考慮する蓋然性が高い、ということになるのではないでしょうか(少なくとも証拠品の捜索などでは対象になりそうにも思いますし)。もちろん、早々に“岡部健二の自殺”という判断で決着すれば別ですし、作中ではそのような経緯をたどったようではありますが……。

 もう一つ気になるのは、トリックが実行不可能ではないか、という点です。
 新しめの汲み取り式便所であれば、落下防止のために便器の側も汲み取り口の側もかなり狭く作ってあるのが普通で、特に汲み取り口はバキュームカーの普及以降、ホースで吸引できれば十分なので必要以上に広く作る理由はありません。もちろん現場が、1984年当時で例えば築二十年以上も経っているような古い家であれば、どちらもそれなりに広くなっている可能性はあるかもしれませんが、それにしても和式便器の大きさはたかが知れているので、犯人・寺山政彦が“小柄”(214頁)であったとしてもそこを通り抜けるのは難しいように思います。
 で、犯人は便器に落ちて脱出するだけでなく、バラバラ死体を持ち込むために便器から侵入しなければならないわけですが、糞壺の中で腕を上に伸ばして立ち上がった際に、肘から腋のあたりまで、つまりは顔が完全に便器から上に突き出す程度の深さでなければ*8、肘が引っかかって上に登ることはできないと考えられます。ところがその程度の深さだと、一軒家の床が通常地面より少し上にあることを考えると、糞壺が壁をぶち抜いて作ってありでもしなければ、切断された死体を抱えて屋外から屋内へ通り抜けるにはやや低すぎることになりそうです。
 そしてそのあたりが大丈夫だとしても、糞壺――例えば風呂桶などよりは確実に深い――から、(例の長い柄の柄杓ではなく)バケツで糞尿を残らず汲み出すのは至難の業。リアルに想像してみてください、深い糞壺の底の方まで汲み取り口から上半身を突っ込んで、バケツで糞尿を汲み上げる作業を……絶対に不可能とまではいえないかもしれませんが、普通に考えれば無理。心が折れることは確実です。いっそ、ウェットスーツでも着込んで糞尿の中に浸かる方が(腰あたりまでなら)まだましかもしれませんが、その場合には後の掃除がえらいことになるのは避けられません。
 ……というわけで、下園課長の見立てどおりに岡部健二の自殺という結論でいいのではないでしょうか(投げやり)。

* * *

*1: 松尾由美「バルーン・タウンの密室」『バルーン・タウンの殺人』収録)の“穴だらけの密室”にも似たところがあります。
*2: 村崎蓮司の“あったんだろ、関谷家の田んぼにも、カカシの一本くらい”(111頁)という台詞をみると、天童美幸はこの場面を語ってはいないと考えられるので、ヨリ子がそれを推理するのは少々難しいようにも思われますが……。
*3: 連想したのは横溝正史の長編(作品名)『獄門島』(ここまで)で、第一の事件での(以下伏せ字)金田一耕助に“目撃”された状態での犯行(ここまで)や、第二の事件での(以下伏せ字)“偽の釣鐘”を処分する口実(ここまで)と、こちらの作品は通じるところがあるように思います。
*4: 例えば、都合が悪いのではっきりさせずにすませてある死亡推定時刻などは、明示しないわけにはいかなくなると思われます。
*5: (作家名)クリスチアナ・ブランド(ここまで)(作品名)『ジェゼベルの死』(ここまで)
*6: 数年前に刊行された国内短編集の収録作。→(作家名)麻耶雄嵩(ここまで)(作品名)「トリッチ・トラッチ・ポルカ」(『貴族探偵』収録)(ここまで)
*7: ただしこれについては、「バイオメトリクスのマスリテールにおける実用化:日本で進む静脈認証ATMカード | Celent」によると、“2004年10月に、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)が手のひら静脈認証キャッシュカード のサービスを開始”とのことなので、2004年の“十一月”(122頁)の時点で“最近では(中略)銀行などでも導入するところが増えてきましたわね”(165頁)というのは、やや危ない記述かもしれません。
*8: 寺山が“背の低い小柄な男性”(214頁)という事実が、ここでは逆に作用することになります。

2014.10.31読了