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ジェシカが駆け抜けた七年間について/歌野晶午

2004年発表 ミステリー・リーグ(原書房)

 本書のメイントリックは、エチオピア暦と西暦(グレゴリオ暦)との日付の相違を利用して、各章の日時及びその関係を誤認させるというものです。「ハラダアユミを名乗る女」「アユミ・ハラダに呪われた男」では西暦での日付が記述されているのに対して、ジェシカの視点で描かれた「七年前」「七年後」ではジェシカが使用するエチオピア暦での日付が記述されています。

 拙文「叙述トリック分類」では「[B] 時間に関するトリック」として思いついたパターンをいくつか挙げてありますが、本書ではそれらが全部網羅されているのがものすごいところです(次の[表1]を参照)。

[表1:時間に関するトリック]
トリックの種類章題
[B-1-1]日時そのものの誤認
(正しい日時→誤った日時)
「七年前」
「七年後」
[B-1-2]
日時の関係の誤認
[表7-A]
(ずれ→同時)
「七年後」
「アユミ・ハラダに呪われた男」
[表7-B]
(同時→ずれ)
「七年前」
「アユミ・ハラダに呪われた男」
[B-2]時系列の誤認
(順序の逆転)
「七年前」
「ハラダアユミを名乗る女」

 まず、全体を支えるメカニズムとしてのエチオピア暦による日付の誤認(「七年前」及び「七年後」)があり、それによって「七年後」「アユミ・ハラダに呪われた男」の関係、「七年前」「アユミ・ハラダに呪われた男」の関係、さらに「七年前」「ハラダアユミを名乗る女」の関係について、それぞれ違った形の誤認が生じているのです。

*

 以下、トリックの内容をもう少し具体的にみてみます。

 まず、本書における“真相”――作中のエチオピア暦による日付を西暦に変換し*1、各章と主な出来事を現実の時系列に沿って並べたもの――は、次の[表2]のようになります。

[表2:西暦の日付によるタイムテーブル]
西暦の日付章題出来事
2002年10月15日ハラダアユミを名乗る女北原・三浦、“ハラダアユミ”と会う。
2004年10月26日  七年前   ジェシカ、アユミの丑の刻参りを目撃。
2004年11月28日アユミ・ハラダ
に呪われた男
“カントク”こと金沢勉、殺害される。
2004年12月12日原田歩の死。
2004年12月14日 ジェシカ、アユミの死を知らされる。
2012年8月4日七年後ジェシカ、レース中に“カントク”と会う。

 現実の時系列では、「ハラダアユミを名乗る女」が先頭で「七年後」が最後、そしてその間で「七年前」「アユミ・ハラダに呪われた男」が重なる形になっています。この状態では、「ハラダアユミを名乗る女」で北原と三浦がハラダアユミと出会ってもおかしなことはありませんし、「七年後」でジェシカがレース中に競技場で会った“カントク”はツトム・カナザワではないことになります。そしてまた、ツトム・カナザワ――金沢勉が殺害された時点でアユミ・ハラダ――原田歩はまだ生きているのですから、金沢勉を殺すことは不可能ではありません。

 ところが、「七年前」「七年後」におけるエチオピア暦の日付をそのまま採用し、各章と主な出来事を作中に記された日付に沿って並べ替えてみると、次の[表3]のようになってしまいます。

[表3:作中の日付によるタイムテーブル]
作中の日付章題出来事
1997年2月16日七年前ジェシカ、アユミの丑の刻参りを目撃。
1997年4月5日ジェシカ、アユミの死を知らされる。
2002年10月15日ハラダアユミを名乗る女北原・三浦、“ハラダアユミ”と会う。
2004年11月28日  七年後  アユミ・ハラダ
に呪われた男
ジェシカ、レース中に“カントク”と会う。
“カントク”こと金沢勉、殺害される。
2004年12月12日 原田歩の死。

 そしてトリックの主な効果は、以下の三点です。

 他にも、“分身”の扱い、「ハラダアユミを名乗る女という絶妙な章題、“カントク”という呼称を利用した人物誤認トリック、ジェシカからアユミにプレゼントされたネックレス*2、ジェシカがレースを途中で棄権したこと、さらに日本海国際女子マラソンが二つの“2004年11月28日”に開催されたという設定など、よく考え抜かれた仕掛けだと思います。

 目についたところで一箇所だけ気になったのが、「七年後」“あこがれの緑のランニングシャツと赤いランニングパンツを着ける時が来たのだ。”(154頁)という記述で、後に明らかになるところによればすでにジェシカは引退しているはずですから、少々問題のある表現だといわざるを得ないように思います。

* * *

 一方、読者がトリックを見破るための材料としては、まず「ハラダアユミを名乗る女」というエピソードが間接的なヒントとなっていることが挙げられます。主人公であるジェシカがまったく登場しない*3ために、本書の中で若干浮いている感のあるエピソードですが、ここでは最後に時刻の誤認――しかも一般的な時差とは違った形の局所的に異なる“時間”に基づく――を利用したトリックが披露されています。これは、エチオピア暦を利用したメイントリックと同じ原理であり、作者の以前の作品((以下伏せ字)『安達ヶ原の鬼密室』(ここまで))と同じように、本筋とは別のエピソードの中でメイントリックの原理を示しておくことで解決のヒントとする手法が採用されているのです。

 もっとも、ここではそれがアリバイトリックとして使用され、“同じ時刻に二つの場所にいた”という現象が前面に出ているために、ヒントとしてそれほどあからさまなものではなくなっている感があります。しかも、「七年前」の冒頭で示された“分身”というキーワードがここでも強調されており*4、それによっていわば“双子トリック”的な方向へとミスリードされてしまうのは避けがたいのではないでしょうか。

*

 しかし、すでにお気づきの方も多いかと思いますが、本書にはさらに強力な手がかりが存在します。それは、次に引用する部分の記述です。

 一九九七年二月十六日の欄に青のマジックで「33」と数字が書いてある。昨十五日には「34」とあり、明十七日には「32」とある。明後日には「31」、その次は「30」と、数字は毎日カウントダウンしていき、三月十八日についに「1」となり、その次の日はというと、日付を塗り潰すように二重三重の丸印が赤マジックでつけられている。今から三十三日後の一九九七年三月十九日、ジェシカは42・195キロのレースに臨む。
(17頁)

 ここではこのように書かれていますが、西暦では1997年2月16日の33日後は3月19日ではなく3月21日となります。日付とカウントダウンの数字がくどいほど繰り返されていることからみて、作者が間違いを犯している可能性は低いと考えられるので、ここでジェシカが目にしているカレンダーは明らかに西暦に基づくものではないということになるでしょう。そして、ジェシカがエチオピア時間で生活していること(38頁~39頁)を考えると、使っている暦もエチオピア式である蓋然性が非常に高いといえます。このように、十分に注意深い読者であれば、作中の記述だけをもとにして“ジェシカの暦がエチオピア式である”というところまでは推理することが可能なのです。

 ただし、トリックのメカニズムまでは推理できたとしても、具体的な真相――「七年前」「七年後」のジェシカ視点での日付が西暦でどうなるのかについては、やはり作中の記述だけでは推理不可能で、解決にはエチオピア暦に関する知識が必要となります。この、特殊な知識がなければ謎を解くことができないという点が、本書がアンフェアだと評されがちな所以でしょう。

 ところが本書の場合には、前述のように作中の記述をもとにした推理によって、“エチオピア暦に関する知識が解決に不可欠である”という結論を導き出すことができます。そして現在であれば、その知識がウェブ検索(例えば「エチオピア 暦 - Google 検索」)で簡単に入手できるのですから、読者がその気になれば謎を解くことは可能なのです。

 解決に特殊な知識が必要となるミステリが一般的にアンフェアとされることが多いのは、やはりその特殊な知識を知らない、あるいは入手できない大多数の読者には解決が不可能となるからだと思われます。そうであるならば、WWWの発展によって特殊な(専門的な)知識へのアクセスが昔に比べると格段に容易になった現在にあっては、本書のように“何を”探すべきかということを示す手がかりが作中に配された作品は、十分にフェアであるというべきではないでしょうか。

 それでも、解決に不可欠なエチオピア暦に関する知識が作中に手がかりとして示されていないことに、不満を覚える向きもあるかもしれません。例えば綾辻行人『どんどん橋、落ちた』には、フェアプレイのルールの一つとして必要な手がかりは示すべし”と記されています(「伊園家の崩壊」より→「「フェアプレイと叙述トリック」についての落穂拾い - 三軒茶屋 別館」を参照)が、私も大筋ではこれに同意します。しかしながら、ミステリにおける解決の背後には(作中に直接記述されない)一般的な知識・常識といったものが存在するのがほとんどではないかと思われます。つまりは、必ずしもすべての手がかりを作中に記述する必要はないわけで、最終的にはやはり“読者が謎を解くことができるか否か”を基準とすべきでしょう。

* * *

 なお、金沢勉殺害の動機に絡んでいる、妊娠による“ドーピング”については、東野圭吾(以下伏せ字)『美しき凶器』(ここまで)でも扱われています。

*1: エチオピア暦から西暦への変換には、「suchowan's UniWiki FrontPage」内の「Description」(エチオピア暦から各種暦への変換)を使用させていただきました。
*2: “気の利いた者はモールで買ってきたかわいらしいプレゼントを渡していたが、ジェシカはそこまで気が回らず、恥ずかしい思いをした。”(87頁)というのは、単独では伏線として不十分かもしれませんが。
*3: “ハラダアユミ”を名乗っているのがジェシカだという可能性も、一応は頭に浮かびました。“彼女は「どういたしまして」と日本語で応えた。”(100頁)と書かれてはいますが、身近に日本人が三人もいたジェシカが日本語を学んでいないとはいいきれないでしょう。しかしその後に“スタジアムジャンパーを着た日本人女性は見あたらなかった。”(111頁)とはっきり書かれているので、その可能性は捨てざるを得ませんでした。
*4: さらにいえば、あくまでも「七年前」「ハラダアユミを名乗る女」という順序だと認識している限り、ここでの“ハラダアユミを名乗る女”の存在自体が“分身”だという疑惑が生じてしまうこともあるでしょうし、次の「アユミ・ハラダに呪われた男」で描かれたレース中の殺人事件が(一見すると)8頁でアユミが口にしたそのままだということもあって、“分身”という方向性が一層補強されているところがあります。

2008.01.07読了