ハイキャッスル屋敷の死/L.ブルース
A Louse for the Hangman/L.Bruce
本書では、ロード・ペンジに脅迫状を送った可能性のある人物(*1)や、ラチェットが殺害された夜に庭に出ていた人物など、疑わしい人物が数多く配置されているにもかかわらず、真相がかなり見えやすくなっているのは否めません。その大きな要因は、巻末の解説で真田啓介氏が言及している本書の“典型性”にあるといえます。
解説では、“ブルース作品において特徴的な謎の構成パターン”
として“二つ(時により三つのことも)の事件の関係性に謎を仕掛けること”
(いずれも359頁)が挙げられています。これはつまり、複数の事件からなる事件全体の構図にひねりを加えてみせるのがレオ・ブルースの得意技、ということになるのですが、しかしそれが作者の特徴として把握できるということは、読者に向けて作者が仕掛けたトリックの所在があからさまになってしまうことを意味します。
それでも、事件の関係性が隠されているだけの不可解な状態であればまだいいのですが、事件の関係性が偽装されて“偽の構図”が前面に出された状態では、ブルース作品の特徴を踏まえれば、“偽の構図”を反転させたものが真相だと見当がついてしまうことになります(*2)。本書でも、“ロード・ペンジが命を狙われる中、人違いでラチェットが殺された……ように見える”ので、それを反転させてやれば――作中のキャロラスと同じような思考をたどって――(動機など事件の細部はともかくとしても)“ロード・ペンジがラチェットを殺した”という真相は明らかです。
このように、本書では事件の核心部分(犯人)が早い段階で見え見えになってしまいますが、そこから犯人と探偵の攻防に着目して倒叙ミステリ的な読み方をすることもできるでしょう。偽装を鵜呑みにすることなく捜査を続けるキャロラスに対して、ロード・ペンジが新たな脅迫状や毒殺未遂事件など次々と手を打ってくる展開は、“犯人対探偵”ととらえればなかなか興味深いものがあり、特に毒殺未遂事件は、“厳重に警備された屋敷から出ない標的を狙った殺人計画が不発に終わった”ことを(ぎりぎり)不自然に見えない形で演出してみせた、絶妙な一手となっています。
やがて訪れるロード・ペンジの死も、唐突なピゴットの解雇やロックヤーの出立につきまとうわざとらしさなどから、それがロード・ペンジ自身の最後の一手としての、他殺に偽装した自殺であることは明らかだと思います。しかし二つの事件における偽装工作の齟齬(*3)を考えれば、ロード・ペンジの自殺が当初からの計画であったはずはないわけで、そこでロード・ペンジを自殺に追い込んだ“ロード・ペンジの死に大きな責任のある人物”
(297頁)――もう一人の“犯人”の存在が浮かび上がってくるのが、本書の白眉といえるでしょう。
ちなみに解説では、一旦は“ここで探偵は限りなく犯人の立場に近づいている”
とされているものの、そこから“犯人を断罪する者”
とキャロラスの役割がとらえ直され、さらに本書の原題について“Hangman(絞首刑執行人)には、断罪者に姿を変えた探偵のイメージが重ねられているのかもしれない”
(以上、361頁~362頁)とされています。
このような解釈にも一理あるとは思いますが、作中で本書の原題に当たる“死刑執行人などくそくらえ”
(340頁)という言葉が出てくる直前、キャロラスが“自分を偽るのではない限り、死刑執行人を偽ることには目をつぶることにした”
(339頁~340頁)と述べているところをみると、“死刑執行人”
はキャロラス自身の立場を指しているのではない――どちらかといえば“法による正義”の象徴であるように思われます。
何より、ユースタスの“父を殺したのは誰なんですか?”
という問いに対して、ロード・ペンジが自殺したという真相を明かすよりも前に、まずは“ぼくです”
(いずれも338頁)と自身を“告発”していることから、キャロラスの(ひいては作者の)認識ではやはり“探偵=犯人”である、ということではないでしょうか。
キャロラスが“犯人”という観点で物語を振り返ってみると、特にハイキャッスル屋敷を訪れてからのキャロラスの(一見)不可解な態度も、ラチェット殺しの真相を見抜いたことによる“動機”の発生からついに“犯行”に至った経緯を(間接的に)描いたものとして、違った形で見えてきます。その意味で本書は期せずして(*4)、キャロラスを“犯人”とした倒叙ミステリとしても読める――とりわけ再読してみた場合には――ように思いますし、ロード・ペンジと併せて二人の“犯人”の犯行を描いた二重の倒叙ミステリになっている、といえるかもしれません。
さて、真田啓介氏は巻末の解説で本書について、次の三つの難点を指摘しています。
○ロード・ペンジの自殺を偽装したトリックは、なかなか成立が危ういのではないか
○彼が手袋をはめていたことが最後まで伏せられているのはフェアでないし、警察がそれを問題にしていないようなのもおかしい
○ピゴットないしロックヤーに疑いを向ける工作は、ゴリンジャーに告白文を託したことと矛盾するのではないか
(362頁~363頁)
まず一つ目、ロード・ペンジが使ったのは某海外古典(*5)のバリエーションともいえる凶器移動トリックですが、凶器の移動よりも(*6)銃身の長いライフルの引き金を引けるのか、が問題でしょうか。個人的にはさほど気になりませんが……。
二つ目の手袋の件は、確かに読者に対してアンフェアであることは間違いないでしょうが、前述のように事件の真相が見えやすいことを考えれば、致命的な瑕疵とはいえないように思います。また警察の方は、ラチェット殺しの真相を見抜いていない以上、ロード・ペンジが(ピゴットに罪を着せて)自殺する動機が想定できなかった、ということはあるかもしれません。
三つ目の、ロード・ペンジのちぐはぐな行動はやはり大きな難点ではありますが、ロード・ペンジの告白文は謎解きに直接関わるわけではない(キャロラスの推理に不可欠な材料ではない)のですから、これはどちらかといえば“人間が描けていない”問題であって、極論すれば――後述するようにミステリゆえの問題ではあるものの――ミステリとしての問題ではない、といってもいいのではないでしょうか。
これらの難点について、解説では“謎の形成の仕方が特異だったせいでもあるまいが”
(362頁)とされていますが、いずれの難点もロード・ペンジの自殺に端を発しているわけですから、それが間接的な要因となっていることは確かでしょう。より正確にいえば、探偵役であるキャロラスに最後に謎解きをさせるために、ロード・ペンジは他殺に見える形で自殺しなければならなかった――それゆえに生じた難点ということになります。
これはつまり、キャロラスが“進行中の事件に対する意識的な介入により探偵の役割を逸脱する”
ことで、“堅固なはずの探偵小説のフォーマットは揺すぶられ”
(いずれも362頁)ることになる……にもかかわらず、作者レオ・ブルースがあくまでも(比較的)ストレートに探偵小説を指向したことによる、といえるでしょう。このあたりは、解説で言及されているアントニイ・バークリー『ジャンピング・ジェニイ』と――その探偵役ロジャー・シェリンガムと比べてみると一目瞭然で、しばしばバークリーとの作風の共通性を取り沙汰されるレオ・ブルースですが、時に“迷探偵”とも評されるシェリンガムを擁する『ジャンピング・ジェニイ』ほど大胆に探偵小説のフォーマットを揺るがすつもりはなかったことがうかがえます。
さらにいえば、上記の難点がレオ・ブルースの作風と密接に関連しているのも見逃せないところでしょう。すなわち、“ブルース作品においては、初期作を除いていわゆるトリックはあまり目につかない”
(360頁)とされているようにいわゆるトリックメーカーではないことが、自殺偽装トリックの細部の怪しさに表れているといえそうですし、“典型性”による真相のわかりやすさを自覚していたために手袋の件を伏せていたのではないかと思われます。そして、“いわゆる「状況証拠」に重きを置き過ぎ”
るがゆえの“解明の論理の詰めの甘さ”
(いずれも363頁)を補うために、自殺を他殺に偽装したにもかかわらず告白文を物的証拠として提示せざるを得なかった、ということではないでしょうか。
*2: このあたりは、叙述トリックが使われている(ことが明かされた)作品に通じるところがあります。
*3: ロード・ペンジの自殺ではピゴットまたはロックヤーに疑いを向ける工作が施されていますが、当初からその狙いがあったのであれば、ラチェット殺しの際にも同様の工作をするのが自然ではないかと思われます(そもそも、共犯とも思えない二人の容疑者が用意されているところからして、慌てて計画を立てたことが表れているともいえますが)。
*4: 作者としてはもちろん、キャロラスが“犯人”だと見抜かれることを想定してはいないでしょうが、ラチェット殺しの真相の見当がついた時点で、ロード・ペンジの自殺という決着も予想される可能性の一つではありますし、少なくとも(ロード・ペンジがロックヤーとともに屋敷を出た際の)真夜中の不審な足音をスルーしたところで、キャロラスがロード・ペンジの自殺を予期していたことは明らかでしょう。
*5: (作家名)アーサー・コナン・ドイル(ここまで)の短編(作品名)「ソア橋」(ここまで)。
*6: 銃身が長い上に、重い銃把がトラックの荷台側に位置するので、自殺した後に凶器が荷台に落ちるのはほぼ確実とみていいでしょう。
2016.10.07読了