ミステリ&SF感想vol.226

2018.05.27

聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた  井上真偽

ネタバレ感想 2016年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 殿様に見初められて無理矢理に城へ召し上げられた娘が、七日七晩泣き明かした末に殿様をはじめ男たちを毒殺したという、物騒な聖女伝説が伝わる地方で、結婚式の最中に事件が発生する。それは、同じ盃で酒を回し飲みした八人のうち、三人の男(と乱入した犬)だけが殺害されるという、何とも不可解な毒殺事件だった。たまたま当地を訪れて式に参列していた中国人美女フーリンは、同行していた少年探偵・八ツ星聯に引っ張られて事件の捜査に関わるが、事件をめぐる仮説は次々と否定されていき、真相は杳として知れない。やがて窮地に追い込まれた二人の前に、奇蹟を証明しようとする探偵・上苙丞が現れて……。

[感想]
 奇蹟の存在を証明しようとする探偵・上苙丞を主役とした、特異な形式のミステリ『その可能性はすでに考えた』の続編*1で、前作の大きな特徴となっていた、事件に関する仮説を次々と否定していく背理法のような手法は本書でも健在。その上で、色々な変更が加えられた結果、基本的なところは踏襲しつつも前作とはだいぶ趣の違う作品となっています。

 まず、前作では依頼人が語る過去の未解決事件、しかもこれ以上ないほど奇怪な事件が扱われていたのに対して、本書ではフーリンと八ツ星が遭遇した不可解な毒殺事件が“お題”とされているのが大きな違いです。そして事件の状況により、ハウダニット(の否定)が中心となっていた前作から一転して、本書では(ハウダニットも視野に入れながら)フーダニット(の否定)が前面に出ているのが注目すべきところで、(容疑者が限定された中での)フーダニットならではの消去法を応用して、“犯人不在”を示す*2ことで奇蹟の存在を証明しようという手法はなかなか興味深いものがあります。

 毒殺事件のフーダニットということで、前作よりもやや普通のミステリに近づいたような印象もあり、特に「第一部」は上苙がまだ登場しない――八ツ星少年が探偵役をつとめる*3――こともあって、あくまでも真相に近づくために“誤った解決”を否定していくという、普通の多重解決ミステリの途中までのような形になっています。ところが、「第一部」ラストの唖然とさせられる独白で様相が一変するのが実に鮮やかで、さらに「第二部」では(キャラクターなどの)設定を生かした予想外のスリリングな展開に突入するなど、物語の見せ方/演出が前作よりもさらに凝ったものになっているのが秀逸です。

 「第二部」の途中でついに上苙が登場すると、前作同様に“敵”との対決の構図に突入するとともに、仮説も否定も一段階レベルが上がった印象で、前作ほどではないものの奇天烈なトリックが披露される一方、思わぬ“手がかり”*4をもとにしたアクロバティックな否定の論理も実に見ごたえがあります。さらに、前述の「第一部」ラストの独白と絡んだ趣向、そしてその行き着く先に待ち受けている何ともユニークな“離れ業”には、脱帽せざるを得ません。

 ……と、このように面白い部分もあるのですが、少し細かく見てみると色々と気になるところがあるのが残念。とりわけ、前作からの変更点が裏目に出ている面があるように思われるのが苦しいところです。いくつか挙げてみると、

  1. 否定すべき仮説の数を前作よりも増やすために、犯行の機会がさほど限定されない毒殺が採用されたのだと思われますが、そのせいで(不可能犯罪とはいえ)前作ほど強固な不可能状況でないために、“奇蹟”というにはかなり違和感があります。
  2. 前作と違ってすぐに警察が捜査に着手できる状況であり、なおかつそれが誰の目にも明らか*5であるはずが、これまた否定すべき仮説の数を増やすために――可能性を限定させないために、普通に考えればあり得ない“証拠隠滅”がナチュラルに(?)行われているのがいただけません。
  3. “あらゆる可能性を否定する”という探偵の姿勢ゆえに、実現可能性がわずかにでも存在すれば、蓋然性や成功率を度外視した無茶なトリックであっても“仮説”として(一旦は)成立し得る――というこのシリーズならではの“利点”があったわけですが、本書の趣向によってその“利点”が損なわれている部分があるのが気になります。
  4. フーダニットが前面に出されているにもかかわらず、(省略)のは、釈然としないものがあります(……が、これは作者の都合も理解できなくはない、といったところです)。

 ということで、前作からすると個人的に好みでない方向へ進んでしまった感があるのですが、それでも面白い部分は十分に面白いと思いますし、前作を楽しんだ方であれば両者を読み比べてみるのもまた一興ではないでしょうか。

*1: 前作のネタバレや事件のつながりはありませんが、いきなり本書を読むとキャラクターの関係などわかりにくいところがあると思われるので、まずは前作からお読みになることをおすすめします。
*2: 某国内作家の短編((作家名)麻耶雄嵩(ここまで)(作品名)「答えのない絵本」(『メルカトルかく語りき』収録)(ここまで))を思い起こす方も多いのではないでしょうか。
*3: 上苙の元弟子でありながら、“奇蹟の存在を証明する”という上苙の姿勢とは相容れない八ツ星少年が、心ならずも(?)仮説の否定に終始することになるのが面白いところです。
*4: 真相解明ではなく仮説の否定のための材料ではありますが、上苙の手法は基本的に“仮説を否定するために何が起きたか/起きなかったかを明らかにする”ものなので、“手がかり”といっても差し支えないかと思います。
*5: 被害者が一人であればいざ知らず、三人がほぼ同時に倒れて苦しんでいる状況では、酒の回し飲みと無関係な急病などとは考えられないでしょう。

2016.07.13読了  [井上真偽]
【関連】 『その可能性はすでに考えた』

ブッポウソウは忘れない 翼の謎解きフィールドノート  鳥飼否宇

ネタバレ感想 2016年発表 (ポプラ社)

[紹介と感想]
 日本の鳥類学の第一人者・宝満英彦教授のもとで、主に野鳥を研究対象とする動物生態学研究室、通称“宝満研”。そこに所属する平凡な大学四年生の宗像翼は、なぜか鳥に関わる奇妙な事件にたびたび出くわすことに。そんな中、翼が片思い中の大学院生の先輩・室見春香が、突然研究室から姿を消してしまった……。

 “並外れた生き物オタク”の〈観察者〉鳶山久志を探偵役とした〈観察者シリーズ〉や、昆虫の世界で起きる様々な事件を描いた昆虫ミステリ『昆虫探偵』など、自然を題材とした作品を数多く発表し、また奄美野鳥の会の会長をつとめているという*1鳥飼否宇ならではの野鳥ミステリ連作です。
 昆虫自身(?)が主人公となっている『昆虫探偵』とは違って、本書では野鳥を研究する学生・宗像翼が主役で、人間の視点から野鳥の生態を眺めるとともに、(主に)人間界での謎に野鳥の生態が絡んでくる形のミステリとなっていますが、各篇で野鳥ネタの扱い方に変化をつけてあるところが目を引きます。と同時に、時おりユーモラスなやり取りも交えながら、翼の片思いの相手である室見春香をはじめとした研究室関係の人々がしっかり描かれているのも見逃せないところで、全体として楽しい“研究室ミステリ”に仕上がっています。
 なお、文庫版(ポプラ文庫)では『とり研の空とぶ事件簿』と改題されています。

「慈悲心鳥の悲哀」
 大学の演習林で、ジュウイチに托卵されたオオルリの巣を観察することになった翼だったが、やがて孵化してオオルリの巣を乗っ取ったジュウイチのヒナは、いつの間にか巣から消えていた。演習林に住み着いている三匹のノネコに襲われた可能性が高いが、翼が“イチロウ”・“ジロウ”・“ミーコ”と名づけた三匹のうち、“犯猫”は……?
 題名の“慈悲心鳥”はジュウイチの別名(→Wikipedia)。そのジュウイチのヒナの“消失”を発端として、犯人探しならぬ“犯猫探し”へと発展し、思わぬ顛末を迎える作品で、野鳥ネタの扱いもよくできています。翼の先行きが危ぶまれる(?)結末も印象的。

「三光鳥の恋愛」
 サンコウチョウのオスの繁殖戦略を研究テーマに、その求愛行動の観察に忙しい日々を送る翼。そんなある日、同学年の曽根みやこが突然、翼に対して怒ったような態度を見せるが、当の翼には原因がさっぱりわからない。その後、みやこが研究室に置き忘れたラブレターを見つけた翼は、誰に渡そうとしたものか気になってしまい……。
 翼が研究テーマに選んだサンコウチョウの生態に関する謎と、研究室内の“日常の謎”(?)とが組み合わされていますが、両者の関係が何とも絶妙で、小粒ながらも薀蓄ミステリの理想形の一つといってもいいかもしれません。

「耳木菟{みみずく}の救済」
 自宅で転んで頭を怪我して入院した博士課程の門司先輩から、研究対象のオオコノハズクの世話を頼まれた翼だったが、参考にした門司先輩の飼育マニュアルの間から、奇妙なヘッドギアの設計図が見つかった。本人に設計図のことを尋ねてみると、途端に様子がおかしくなってしまう。さらに、頭の怪我の原因にも疑惑が持ち上がり……。
 寡黙な先輩の入院をきっかけに、隠された事件(?)と先輩の秘密が掘り起こされていく作品で、謎の作り方/見せ方がなかなか巧妙です。そして、とあるミスディレクションが効果的。
 ところで、扉のイラストでは日本のオオコノハズク(→「日本の野鳥を撮る旅'09(1/4)【和田フォト】」)の代わりに、別種(別属)のアフリカオオコノハズク(→Wikipedia)が描かれているのが個人的に残念です*2

「鸚哥{いんこ}の告発」
 近隣の飼い主からヨウムを借りて、音声コミュニケーションの実験をしていた九千部助教が、実験室内で何者かに首を絞められて気絶する事件が起きる。そして、現場で事件を目撃していたはずのヨウムが、突然“トミーノハンコー”としゃべり始めた。ヨウムは、“トミー”こと修士課程の古賀冨吉先輩が犯人だと告発しているのか……?
 研究室内で事件が発生する、最も“普通のミステリ”色が強い作品ですが、ヨウムの“証言”の解釈*3を中心に推理が二転三転する多重解決の末に、意外すぎる犯人と真相――ややアンフェア感もあるものの、ぎりぎりセーフでしょうか――が明らかになる結末には唖然とせざるを得ません。若干気になるところもありますが、最も読みごたえのある作品です。

「仏法僧の帰還」
 一年前に春香と翼が協力して、渡りの経路を記録するためのジオロケーターを取り付けたブッポウソウが、再び演習林に帰ってきた。ブッポウソウの研究をしていた春香は戻ってこないまま、翼は一人でジオロケーターを回収するが……。
 最初の「慈悲心鳥の悲哀」に登場したブッポウソウの帰還から始まる、連作の最後を締めるにふさわしい作品。他の作品に比べるとかなり短い……というのは、実質的に“解決篇”のみ――“問題篇”は前の前の四篇(の中の断片的なエピソード)――であるためですが、(少々あざといミスディレクションによるとはいえ)巧みに隠された真相とその示し方が印象的です。
*1: 「鳥飼否宇 - Wikipedia」を参考にしましたが、もしかすると情報が古いかもしれません。
*2: 日本のオオコノハズク(→「Japanese Scops Owl (Otus semitorques) - Information, Pictures - The Owl Pages」)とは別種ではありますが、近縁のOtus bakkamoena(→「Indian Scops Owl (Otus bakkamoena) - Information, Pictures, Sounds - The Owl Pages」)をうちで飼育しているので……。
*3: ダイイングメッセージものに通じるところがあります。

2016.08.03読了  [鳥飼否宇]

大癋見警部の事件簿リターンズ 大癋見 vs. 芸術探偵  深水黎一郎

ネタバレ感想 2016年発表 (光文社)

[紹介と感想]
 “警視庁最悪の警部”こと大癋見警部を主役に据えた怪作『大癋見警部の事件簿』に、まさかの第二弾が登場。前作は(本格)ミステリのネタをお題にしたミステリパロディ/メタミステリ風味*1の連作でしたが、今回は“大癋見 vs. 芸術探偵”と銘打たれているように、一部の作品で“芸術探偵”神泉寺瞬一郎(→〈芸術探偵シリーズ〉)をゲスト(?)に迎えて*2全体的に芸術寄りの内容となっています。もっとも、〈芸術探偵シリーズ〉とは違ってあくまでも大癋見警部が主役なので、芸術の世界でもその破壊力は相変わらず、前作同様の実に愉快な怪作です。
 個人的ベストは、「ピーター・ブリューゲル父子真贋殺人事件」

「盗まれた逸品の数々」
 元華族である東薗寺家の屋敷に美術品泥棒が入った。当主の東薗寺是清氏は、大事なコレクションが盗まれたショックで倒れて気絶してしまったが、意識を失う直前に盗まれた品々を紙片に書き残していた。そこに記されていた美術品とは……?
 美術品盗難事件が扱われた作品で、フーダニット/ハウダニット/ホワイダニットではなく、“ダイイングメッセージ”によって“何が盗まれたのか?”*3が謎となっているのがユニーク。真相の方向性は見当がつきますが、その中でも一目瞭然の“アレ”が何とも強烈です。

「指名手配は交ぜ書きで」
 二人組のスリが現行犯で逮捕されたものの、名前も住所も黙秘したままでなかなか身元が判明しない。そんな中、たまたま取調室の前を通りがかった大癋見警部は、何と自ら取り調べを買って出たのだが……。
 ネタはほぼ“出オチ”に近いのですが、そこから先の展開には苦笑を禁じ得ません。大癋見警部畏るべし。

「大癋見警部殺害未遂事件」
 捜査一課の大部屋の隅に落ちていた黒革の手帳を拾った大癋見警部は、その内容を見て激怒する。そこには、“大癋見警部はコロス”などと物騒な文句が記されていたのだ。海埜警部補をはじめ他の刑事たちは、その手帳が誰のものかすぐに気づいたが……。
 捜査一課内で起きた凄惨な(報復の予感しかない)事件(?)に対して、思わず途方に暮れてしまう脱力ものの真相が用意されているのが何ともいえません。

「ピーター・ブリューゲル父子{おやこ}真贋殺人事件」
 フランドル絵画の評論や鑑定の第一人者・太田垣実が、自宅で何者かに殺害された。被害者は何とブリューゲルの絵を鑑定していたらしいのだが、肝心の絵は現場に見当たらず、ただ“大ブリューゲルの絵を子が台無しに”との鑑定結果だけが残されていた。ところが、やがて発見された絵を目にした“芸術探偵”神泉寺瞬一郎は……。
 事件の謎と絵画の謎がしっかりと組み合わされた、〈芸術探偵シリーズ〉であってもまったくおかしくない作品。特に絵画に関しては、父子で活躍した画家ブリューゲル(→「ブリューゲル - Wikipedia」)の、父子どちらの作品なのかという興味深い謎が扱われており、読みごたえがあります。とはいえ、あくまでも〈大癋見警部の事件簿〉の一篇であるがゆえに、何とも凄まじい真相と伏線が待ち受けています。

「とある音楽評論家の、註釈の多い死★1
 音楽評論家・松浦暢弘が自宅で殺害されているのが発見された。通常の捜査を始めた海埜警部補らをよそに、芸術愛好家である館林刑事は大癋見警部とともに、被害者のノートパソコンに表示されていた文書ファイルを調べ始める。やがて、被害者の音楽評論の秘密が明らかになっていき……。
 鳥飼否宇「問題作」『絶望的 寄生クラブ』収録)を思い起こさせる――しかし方向性は大きく異なる“注釈ミステリ”。被害者の評論活動に隠された“真実”が、大体において身も蓋もない注釈によって容赦なく暴露されていくのが愉快な一方で、真相の“ある部分”は見え見えではないかと思われますが、しかし“どうしてそうなるのか”が秀逸です。
*1: その批評性の高さゆえか、前作『大癋見警部の事件簿』は(残念ながら受賞は逃したものの)小説でありながら第15回本格ミステリ大賞の評論・研究部門で候補作となりました。
*2: ご承知のように、〈芸術探偵シリーズ〉『エコール・ド・パリ殺人事件』『トスカの接吻』で、二人はすでに競演を果たしているわけですが。
*3: 北山猛邦『先生、大事なものが盗まれました』に通じるものがありますが、アプローチの違いが面白いところです。

2016.09.25読了  [深水黎一郎]

わたしの隣の王国  七河迦南

ネタバレ感想 2016年発表 (新潮社)

[紹介]
 高校を卒業したばかりの空手少女・杏那と研修医の優は、人気テーマパーク〈ハッピーファンタジア〉でのデートを楽しもうとしていた。だが、早々に離れ離れになった二人は、“夢の国”と“現実”――別々の世界に引き裂かれてしまった。“夢の国”で、魔法で封印された密室での不可解な襲撃事件に遭遇した杏那は、〈ハッピーファンタジア〉のヒーロー“ハッピー・パピー”の命を受け、もう一つの世界を魔王の侵略から守るため、パークをめぐる旅に出る。一方の優は、現実のパークで起きた密室殺人事件の謎を解き、杏那を見つけ出そうとする。冒険と謎解きの果てに待ち受ける意外な真相は……?

[感想]
 本書は七河迦南の四年ぶりとなる新作*1で、ディズニーリゾート風の人気テーマパークを舞台にしたファンタジーミステリです。“現実”のテーマパークと、テーマパークが“現実化”したような“夢の国”とに物語が分岐した構成で、それぞれの世界に引き裂かれた恋人たちの謎解きと冒険が描かれています。“現実”と“夢の国”で重なり合うような二つの密室からの犯人消失を中心としつつ、魔方陣や暗号、魔法やアクションなどが盛り込まれた内容は、テーマパークさながらといっていいかもしれません。

 七海学園のシリーズの印象が強い方にとっては、帯に“犯人はすぐそこに。その名は目の前に。/でもあなたには、決して言い当てられない。”と挑戦的な言葉が躍り、主人公の杏那が“夢の国”で魔法使いの(フェル博士ならぬ)ヘル博士と愉快な“未捨理{みすてり}談義”を展開する本書は、少々違和感があるかもしれません。しかしながら、デビュー作『七つの海を照らす星』でも心温まる物語の陰に“誰も気づかない伏線”*2が仕込まれていますし、『アルバトロスは羽ばたかない』の大胆なトリックや『空耳の森』のトリッキーな○○など、これまでの作品にもミステリマニアらしい(?)一面は表れていると思います*3。本書は、どちらかといえばそのような一面を強めに押し出し、ミステリのマニアックな趣向を凝らした一作となっています。

 そのせいもあって……かどうかは定かでないものの、これまでの作品に比べるといささか読みづらく感じられるのが難点ではあります。まず、“夢の国”での杏那の冒険は面白くはあるのですが、特に後半は駆け足気味の展開でやけにせわしなく、暗号や魔方陣も落ち着いて考える暇がない状態。これは詰め込みすぎということもあるかもしれませんが、そもそもテーマパークの規模と物語の分量が合っていない感があり、設定と構成を考えるとやむを得ないようにも思われます*4。一方の“現実”では、“夢の国”とは対照的にほとんど動きがなく、じっくりと謎解きが行われますが、妙に長い説明台詞が目に付くのが苦しいところではあります。誤解を恐れずにいえば、物語の魅力よりも(失礼)ミステリとしての趣向を第一に追求した作品であって、メタレベルの“支配者”である作者の意思が随所に見え隠れする、ある種人工的な物語となっているあたり、好みが分かれるところかと思われます。

 いずれにしても、“夢の国”での密室と犯人/“現実”での密室と犯人を中心とした数々の謎が段階的に解き明かされていく解決は、十分に見ごたえがある――と同時に、何とも愉快な趣向にニヤリとさせられます。注意深く読んでいけば、作者が何をやろうとしているのかある程度見当をつけることはできると思いますが、もとよりサプライズにはさほど重きが置かれていない印象があり、それよりも大胆でユニークな伏線によって“ぎりぎりの仕掛けをいかにして成立させるか”こそがポイントといえるでしょう。事件の真相もさることながら、前述した帯の挑戦的な言葉に対して、(読者が気づくのは困難かもしれませんが)“犯人の名前を言い当てる”ために必要な手がかりが十分に示されているところに脱帽です。

 特に“現実”での事件が解決された後の終幕の味わいは、そこはかとなくこれまでの作品に通じるものがあるように思います――そして「エピローグ」の最後の最後もまた。やや趣が違うので戸惑いを覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、これもまた七河迦南らしい作品であることには違いありません。前述のように好みは分かれそうですが、非常に面白い作品です。本書で前面に出された作者の志向を念頭に置いて、これまでの作品を読み返してみるのも一興かもしれません。

 なお、文庫版(新潮文庫nex)では加筆修正の上、『夢と魔法の国のリドル』と改題されています。

*1: 気になる方も多いでしょうが、『七つの海を照らす星』などの児童養護施設・七海学園を舞台としたシリーズとのつながりはなさそうです。
*2: もちろん(?)私自身も読んだ時には気づかず、後にさる筋から教えていただきました(『七つの海を照らす星』ネタバレ感想の追記部分を参照)。
*3: このあたりが最も強く感じられるのが、単行本未収録の短編「おとめのカウントダウン」(小説すばる2011年10月号掲載)で、内容紹介は難しいので割愛しますが、物語よりも趣向に重きが置かれた技巧的な作品です。
*4: ディズニーリゾートを意識した舞台〈ハッピーファンタジア〉には、やはりそれなりの規模が必要な反面、物語の分量は“現実”のパートを差し引いたおよそ半分しか使えないわけで、なかなか難しいところではあるでしょう。

2016.09.29読了  [七河迦南]

ハイキャッスル屋敷の死 A Louse for the Hangman  レオ・ブルース

ネタバレ感想 1958年発表 (小林 晋訳 扶桑社文庫フ42-2)

[紹介]
 パブリック・スクールの歴史教師にして素人探偵のキャロラス・ディーンは、その探偵趣味を苦々しく思っていたはずのゴリンジャー校長から、直々に事件捜査の依頼を受ける。校長の友人である貴族のロード・ペンジが、謎の脅迫者に命を狙われているというのだ。依頼を断ったキャロラスだが、数日後の夜、ロード・ペンジの住むハイキャッスル屋敷で、主人のコートを着て森を歩いていた秘書が人違いで射殺されてしまう。事件が発生したことでようやく現地に赴いたキャロラスは、渋々捜査を始めるが……。

[感想]
 探偵小説研究会・編著「2017本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の海外本格ミステリ・ランキングで第4位にランクインした、歴史教師キャロラス・ディーンが探偵役をつとめるシリーズの第五作ですが、シリーズ中でもかなり異色の作品となっています。まず、レギュラーの一人・教え子のブリグリー少年*1がまったく登場しないのが異例ですし、探偵活動にいそしむキャロラスをゴリンジャー校長がたしなめる*2いつもの構図が逆転し、ゴリンジャー校長から捜査の依頼をしてくるのに対してキャロラスの方が乗り気でない様子なのも目を引きます。

 ブリグリー少年が不在のために、“レオ・ブルースにしてはユーモアに乏しい”といったような評判もある本書ですが、確かにユーモアはやや控えめながらも健在で、ロード・ペンジの使用人ら一部の登場人物は何とも珍妙な言い回しを連発して笑わせてくれますし、事件に対する姿勢がいつもと違うとはいえゴリンジャー校長は相変わらず愉快です。しかしながら、キャロラスによる捜査を中心に進む物語を普通に読んでいくと、控えめなユーモアではカバーしきれない奇妙な停滞感のようなものが漂うのが、本書の難しいところでしょう。

 そもそも本書は前述のようにシリーズの異色作なので、第一作『死の扉』など他の作品をいくつか読んでからの方がいい*3のですが、それらの作品を先に読んでいると事件の真相がわかりやすくなるのが困りもの。というのも、真田啓介氏の解説で本書の“典型性”とされているレオ・ブルースの“手癖”――技法の類似性が問題で、それを頭に入れるとただでさえ真相が見えやすくなってしまう*4上に、本書で扱われる事件/謎の性質との兼ね合いで、レオ・ブルース初心者以外はかなり早い段階で真相の核心部分に気づいてしまうのではないかと思われます。

 このように、早々に見えてしまう真相が作中では伏せられたまま、なかなかそこまで進んでいかないことが前述の停滞感につながっているところがあるので、むしろ予想できる真相を念頭に置きながら“どうなっていくのか?”に――事件がどのように解明されてどのような決着を迎えるのかに着目していく、ある種の倒叙ミステリ的な読み方をする方が本書をより楽しめるように思います。またそのような読み方をすることで、解説で言及されている本書の“特異性”も浮かび上がりやすくなる一面もありそうです。

 最後の謎解きにもあまり大きな驚きはないので、意外な真相を求める向きにはおすすめしがたいところがあるのですが、前述の“特異性”によって解決場面に一種独特の味わいが備わっているのが印象的。解説で指摘されているようないくつかの難点*5もあるものの、それもレオ・ブルースの作風と密接に関連している節があり、シリーズの異色作であるにもかかわらず、あるいは異色作であるがゆえに、作家性が強く表れた作品といっていいように思います。決して代表作とはいえませんが、レオ・ブルースを語る上では欠かせない一作ではないでしょうか。

*1: キャロラスの助手に収まって捜査に首を突っ込む生意気なブリグリー少年とのやり取りが、このシリーズのユーモラスな雰囲気を生み出す中心であることは間違いないでしょう。
*2: 学校の評判や体面を気にして、キャロラスの探偵活動に苦言を呈するゴリンジャー校長ですが、実際には毎回事件に興味津々の様子です。
*3: 巻末の真田啓介氏による解説にも、“ディーン物を読むのは初めてという方は、本書に取りかかる前に『死の扉』と『ミンコット荘に死す』を読まれることをお勧めする。”とあります。
*4: 『ミンコット荘に死す』の感想でも、““いかにもレオ・ブルースらしい”というのが難しいところでもあって、これまでに紹介されたあれやこれやの作品を読んでいると、何となく真相の見当をつけやすくなっているきらいがある”と書いています。
*5: そのうち一つはかなり大きな難点ではありますが……。

2016.10.07読了  [レオ・ブルース]
【関連】 『死の扉』 『ミンコット荘に死す』 『ジャックは絞首台に!』 『骨と髪』