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  4. 翼ある闇

翼ある闇/麻耶雄嵩

1991年発表 講談社ノベルス(講談社)

 本書には、都合四つの解決が盛り込まれています。すなわち、(1)多侍摩を犯人とする木更津の第一の解決、(2)木更津を犯人とするメルカトル鮎の解決、(3)霧絵を犯人とする木更津の第二の解決、そして(4)絹代を犯人とする香月の解決、です。

(1)多侍摩を犯人とする木更津の第一の解決

 死んだはずの多侍摩が棺の中で蘇生していたという信じ難い現象を前提とした解決ですが、探偵小説的な犯人の意外性はまずまずで、後の(3)につながる木更津の推理の傾向が表れているといえるかもしれません。

 もっとも、地獄の門の密室に“第三の鍵”が使われたというのは面白味を欠いていますし、首切り以外の装飾の意味が説明されていないのはいただけないところです。

(2)木更津を犯人とするメルカトル鮎の解決

 まず、メルカトル鮎による“密室講義”の六つ目の項目、“犯人がディクスン・カー小栗虫太郎などであった場合。”(239頁)には思わず苦笑。

 それはさておき、“銘探偵”メルカトル鮎であれば――椎月の息子でなかったとしても――事件の真相を見抜いていたのは間違いないところですが、犯人と秘密裏に接触するため*1に偽の解決をでっち上げざるを得ず、結果としてその真価が発揮されることなく終わってしまったのは残念です。

(3)霧絵を犯人とする木更津の第二の解決

 ある意味で本書の最大の見どころともいえる、何ともすさまじい解決です。その中核をなすのはもちろん、首のすげ替えと復活というあり得ない現象に基づいた密室トリック*2で、大胆な、というよりもやはり非常識な発想に、唖然とせずにはいられません。そして、それを警察が公式に受け入れている(らしい)ことにますます呆れてしまいますが、そこにはやはり探偵小説世界のヒエラルキーが関与しているように思われますし、(1)と違って検証が不可能であることも理由の一つではあるでしょう。

 一方、エラリイ・クイーンの〈国名シリーズ〉の見立てというミステリマニア向けの趣向、とりわけ『エジプト十字架』で犯行を締めくくるために首切りと見立てを繰り返したというあたりは、非常に面白いと思います。また、“靴”は甲冑の一部に含まれ、“オレンジ”はアーサー・コナン・ドイル「オレンジの種五つ」へのミスリードとなり、“裸”*3は見立てらしくなく、“アメリカ”は『死の乙女』の陰に隠され、“棺”と“帽子”は本来あってしかるべきもの……という具合にミスディレクションが仕掛けられていることもあって、事件がかなりの段階まで進んで初めてその意味が明らかになる、犯人にとって実に都合のいい見立てとなっているところも見逃せません。

 しかし、『日本樫鳥』が日本以外で〈国名シリーズ〉に含まれないというのは、ミステリマニアにとってはそれなりに常識――木更津がそこに気づかないのは不自然――であるようにも思うのですが……。

(4)絹代を犯人とする香月の解決

 日本語を読めない霧絵が、『The Door Between』を〈国名シリーズ〉だと認識しているはずがないのは確かで、“解決”を引っくり返すポイントとしてはなかなか面白いと思います*4

 しかしそこから先は、“久保ひさ”=今鏡絹代の復活、トリックも何もない密室、常人には理解し難いレベルでの(推理の)“操り”、そして唐突なアナスタシア皇女の登場と、最後にきてミステリの“お約束”をぶち壊す“超展開”の連打。メルカトル鮎と香月実朝が兄弟であることだけは、“頼家”と“実朝”という名前を手がかりとして推測可能かもしれませんが、それ以外については手がかりもへったくれもなく、本書が“アンチミステリ”と称されるのも十分に納得できます。

 いずれにしても、木更津やメルカトル鮎を手玉に取った犯人に打ち勝って、物語世界の中の最上位を占めることになったのは、ワトスン(あるいは“ヘイスティングス”(173頁))の役どころであったはずの香月であり、このあたりも“ホームズ―ワトスン”に代表される役割分担という“お約束”を破壊するものといえるでしょう。

*

 本書で二度も誤った(しかもとんでもない)解決を披露した木更津悠也が、その後も“名探偵”として活躍しているところは何ともいえませんが、『名探偵 木更津悠也』を読むとその理由はよくわかります。と同時に、本書では“やはり私はヘイスティングスか……”(173頁)とコンプレックスを吐露している香月が、そちらでは(一応伏せ字)“名探偵・木更津悠也”のプロデュースを楽しむようになっているのが少々意外でもある(ここまで)のですが、それは(一応伏せ字)本書の犯人との対決を通じて、“名探偵”を操るという行為を学んだ(ここまで)ということなのかもしれません。

*1: 木更津の推理(293頁~294頁)の通りに犯人と手を組もうとしたのか、それとも(椎月の息子であるという個人的な理由で密かに)犯人と対決しようとしたのかは定かでありませんが、後の作品で描かれるメルカトル鮎の人物像からすると、前者の行動はそぐわないように感じられます――もちろん単なる正義感の問題ではなく。
*2: 「バカミステリレビュー」「LOGIC&MATRIX」内)の下の方で面白おかしく取り上げられているなど、トリック自体はミステリファン以外にも知られているようです。
*3: 未読の方には“裸”が『スペイン岬』を指していることがわかりにくいかもしれませんが、「スペイン岬の秘密:ハヤカワ・オンライン」“大西洋に突き出した岬に建つ大富豪邸で起きた殺人事件。エラリイを悩ませる謎はただひとつ――なぜ犯人は被害者の服を脱がせたのか?”とあるように、冒頭発見される全裸の死体が『スペイン岬』の最大のポイントとなっているのです。
 ちなみに、『フランス・デパート殺人事件』『アメリカ・ロデオ射殺事件』といった、内容に即しすぎた大胆な邦題で知られる角川文庫版では、『スペイン岬の裸死事件』とされています。
*4: ただし、霧絵が〈国名シリーズ〉の見立てとは関係なく自殺したという可能性があるので、確実な決め手とはいえないでしょう。

2008.08.21再読了