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  4. 千年図書館

千年図書館/北山猛邦

2019年発表 講談社ノベルス(講談社)
「見返り谷から呼ぶ声」
 まず、見返り谷での“神隠し”の真相をハカセが解き明かすのが面白いところで、怪談めいた“底なし沼”がダイラタンシー現象(→Wikipedia)で科学的に説明されるあたりは、“物理の北山”の真骨頂といえるかもしれません*1。そして、底なし沼によって見返り谷に閉じ込められたクロネを救う、シロとの思い出を再現するような氷の“奇跡”が実に鮮やかです。

 しかしてメインのネタは、“どうか僕のぶんまで、強く生きて。”(45頁)という最後の一行でおわかりのように、視点人物のシロが死者だったことを隠蔽する叙述トリックです。前例のあるトリック*2ではありますが、この作品ではクラスメイトたちとシロの台詞を自然な会話に見せかけてあるのが巧妙。冒頭の“自転車を押して歩く二人の影(9頁)は手がかりとまではいえないように思います*3が、“相川は僕の名字だ”(13頁)といいつつ返事をしていない出席確認の場面などは、気をつけて読めば手がかりになり得るでしょう。

「千年図書館」
 “最後の一行”の代わりにでかでかと表示された記号(84頁)はいうまでもなく、放射能の存在を表すもの(→「放射能 - Wikipedia」)で、石碑の“オンカロ計画”(83頁)の文字は、“図書館”の正体がフィンランドの核廃棄物処分設備(→「オルキルオト原子力発電所#オンカロ処分場」)であることを示しています。“顔がないかわりに、でかくて丸い口が顎の下辺りで発達している”(75頁)という“エイオレカスヴォ”は、このようなイメージでしょうか。

 “神の火”を求めて“鉛色の箱”(65頁)*4を開いた村人たちが命を落とす結末は、単純に放射能の恐ろしさを描いたという見方もできるかもしれませんが、寒冷化による滅びを防ぐ手段となり得るかもしれない“神の火”を、知識の断絶ゆえに使いこなせない悲哀まで描かれているようにも思われます。いずれにしても――『私たちが星座を盗んだ理由』収録の「妖精の学校」と同じく――真相が作中で説明されないこと、すなわち登場人物たち自身が真相を知り得ないことが、結末の余韻を深めているのが見逃せないところです。

「今夜の月はしましま模様?」
 最後の一行よりも前に、言語生命体とは一体なんなのか――”(123頁)と説明が始まった時点で、それまでの佳月の視点での描写からメタ視点(記述者視点)に切り替わっていることがわかります。ということで、最後は前例もある*5〈読者が被害者〉オチで終わっていますが、この作品では言語生命体を登場させることで、〈記述者が犯人〉というよりも〈記述そのものが犯人〉となっているのが実にユニークです。

 月面の“しましま模様”に始まって、音楽生命体の登場から侵略計画の暴露、隣村での音楽生命体の“消失”と密室殺人(音楽生命体ならではの密室トリックが愉快)に至るまでの物語が、魅力的な“捨てネタ”……というのは言い過ぎかもしれませんが、結末に持っていくための“伏線”(?)として贅沢に使われているのがすごいところです。特に、密室が作られた理由(ノートを読ませるため)の解明が、そのまま結末のメカニズムの説明になっているのが秀逸。

「終末硝子{ストームグラス}
 塔の上に置かれた死体の状態を観察する屍体気象学というアイデアが凄まじいところで、(一応は)科学的であるにもかかわらずおぞましい印象を与えるだけでなく、男爵による妻殺しの疑惑をさらに補強することになっているのが絶妙です。

 かくして、終盤は男爵の狂気が暴走したような展開を迎えますが、不慮の事故で男爵が命を落とした後、“マイルスビーは地上から消えた。”(165頁)という一文で“世界の終わり”の真相が明かされたかと思えば、さらに“塔に避難することで、洪水から逃れることができた”(166頁)という最後の一行で予想もしなかった塔のもう一つの意味と男爵の真意が明らかになる、切れ味鮮やかな“反転”が衝撃的。

「さかさま少女のためのピアノソナタ」
 演奏を続ける限り時間が止まったままで、演奏を終えると時間が動き出すという状況で、飛び降り自殺を図った吉野八重を救うためには“演奏を続ける/終える”以外のことをしなければならない――と考えると、とりあえずは曲を逆に演奏するくらいしか選択肢が見当たりません。ということで、最後の一行の“楽譜台の楽譜は、上下さかさまに置かれていた。”(184頁)は――“ベートーベンの話”(184頁)*6でも補強されていますが――聖が“そうした”ことを表しています。

 聖が“九時五分”(176頁)にピアノを弾き始めたのが、最後には“九時ちょうど”(184頁)になっているわけですから、曲を逆に演奏することで時間が五分戻ったことになります。普通に演奏すると時間が止まるのに対して、逆に演奏すると時間が戻る――というのは、対称性を欠いているという理由で納得しがたいところがあるかもしれませんが、これは対称性の問題ではないように思います。前述のように“逆に演奏する”以外に選択肢がない一方、八重を救う術も“時間を逆転させる”以外にないと考えられる*7で、(たまたま)“逆”がかぶったために強調されているきらいはありますが、シンプルに“同じ楽譜をもとに異なる演奏をした結果、異なる現象が生じた”と考えれば、受け入れやすいのではないでしょうか。

 細かいことをいえば、逆に演奏する場合であっても、楽譜をさかさまにするとかえって演奏が困難になると思われるのが難点。左右だけでなく上下も逆になるのが問題で、頭の中で音程を変換*8しなければならないわけですから、楽譜の配置はそのままで右下から読んでいく方がまだやりやすいでしょう。とはいえ、逆に演奏したことを聖自身の台詞や独白で説明するのはいささか無粋ですし、八重に説明させるのも難しいと思われる*9ので、最後の一行でスマートに真相を明かすにはこれしかないのも確かだと思います。

(2019.06.13追記)
 tanato@<^っ)さんからの情報ですが、2019年6月8日に放送されたドラマでは、楽譜をさかさまにした状態の音符をそのまま――表現しにくいですが、上下逆になった左手/右手のパートをそれぞれ、楽譜が正しく置かれた状態の右手/左手のパートに見立てて――演奏する形になっていたようです。これならば、前述の問題が解消するのでまだしも演奏しやすいかもしれませんが、完全に別の曲になってしまうような気が……。

*1: 実際のところは、走るのではなく(“ある程度の速度”(35頁)とはいえ)普通に歩くのでは、力のかかり具合が立ち止まった状態とそれほど大きな差はなさそうですし、クロネが“不思議そうな顔して僕を見返し、横を抜けて”(43頁)いく間は異変に気づかれず、そこから急に助けを呼ぶ間もなく(?)沈んでしまったというのは、現象が急激すぎるようにも思われますが、まあそこはそれ。
*2: 国内作家の長編((作家名)乾くるみ(ここまで)(作品名)『セカンド・ラブ』(ここまで))を思い出しましたが、他にもありそうです。
*3: あくまでもシロの一人称での描写であり、“ハカセとユウキが並んで歩く帰り道を、僕はうしろからついていく。”(9頁~10頁)という位置関係をみると、歩く方向によっては(シロが実在していても)二人の影しか目に入らないこともあり得ると思われます。
*4: 鉛が放射線遮蔽材として使われるのは広く知られているので、このあたりで真相に気づいた方もいるのではないでしょうか。
*5: 最も有名なのは、(作家名)フレドリック・ブラウン(ここまで)の短編(作品名)「うしろを見るな」(ここまで)でしょう。
*6: “ベートーヴェンはシュタイベルトの新曲の楽譜を逆さにして譜面立てに置き、そのチェロパートの主題を題材にした即興演奏で勝負を制したと伝えられる”「ダニエル・シュタイベルト - Wikipedia」より)
*7: 例えば、“時間の流れがゆっくりになる”とした場合、墜落の衝撃まで無効化できるのかどうか、かなり怪しいところがあります(……と、ここまで書いたところでようやく気がつきましたが、飛び降りが途中で止まっている(時間が止まっている)にもかかわらず、八重がしゃべれるのはおかしいのでは……?)。
*8: 大まかにいえば、ト音記号(右手のパート)では中心の“シ”は変わらず、“ラ←→ド”・“ソ←→レ”・“ファ←→ミ”がそれぞれ入れ替わり、ヘ音記号(左手のパート)では中心の“レ”が変わらず、“ド←→ミ”・“シ←→ファ”・“ラ←→ソ”がそれぞれ入れ替わることになります。
*9: この曲(途中まで)くらい有名で特徴的なフレーズのある曲なら別かもしれませんが、一聴して“同じ曲の逆演奏”だと気づくのはかなり難しいでしょう。

2017.01.18読了