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モザイク事件帳/小林泰三

2008年発表 創元クライム・クラブ(東京創元社)
「大きな森の小さな密室」

 “問題篇”と“解決篇”の間に挿入された“読者への挑戦”の中の、ヒントめかした密室の謎が解ければ、自ずと犯人が明らかになります。”(29頁)という一文がくせものです。“密室の謎”が前面に押し出されると、どうしても密室を構成する手段(ハウダニット)に注意が向いてしまうのですが、そこで密室を構成する動機(ホワイダニット)が重要な手がかりとなっているというひねりがお見事。しかも、その動機そのものも例を見ないもので、非常にユニークな真相だいえるでしょう。

 しかしながら、真相が露見するきっかけとされている、“徳さんの手は血で汚れていた。”(23頁)という点はやや微妙です。徳さん自身は“解決篇”で、“ドアを抉じ開ける時、わしはあんたの背中を押した。血が付くのは、その時しかなかった。”(37頁)と述べていますが、“問題篇”の“爺さん、部屋に入ってから、死体に触ってたよな”(23頁)という山田の言葉が否定されていないため、今ひとつすっきりしない感じが残ります。もっとも、あくまで山田がそう主張しているにすぎないのであって、地の文では“徳さんは身を屈めて蓮井の体を観察した。”(21頁)と記されるにとどまるのですから、問題ないといえるのかもしれませんが……。

 さらにご丁寧なことに、“読者への挑戦”直前には、叙述トリックによるミスディレクションまで仕掛けられています。

 忠則は血の跡から少し離れて座っている徳さんを見て呟いた。「なるほど……そういう訳か」
「穴倉さん、何か気付いたの?」幸子が尋ねた。
「謎はすべて解けた! 犯人はこの中にいる!!」
(28頁)

 これは、最後の台詞を発した人物を伏せることで、それを穴倉の発言だと誤認させる叙述トリックです。探偵役の定番であるこの台詞によって、犯人である穴倉を探偵役であるかのように見せかけるという狙いがあるのは間違いないでしょう。ただ、雑誌に掲載された際であればともかく、本書巻末の「小林泰三ワールドの名探偵たち」をみれば穴倉が探偵役でないことは明らかなので、あまり効果的な仕掛けとはいえないかもしれませんが……。

「氷橋」

 自殺もしくは事故だと証明できない――他殺の可能性を排除できないため、依頼人以外の手による殺人であることを証明するという、西条の思考回路の飛躍(?)が印象的です。また、しきりにアリバイを持ち出そうとする乙田と、それをことごとく遮る西条のかみ合わなさも面白いところですが、西条が乙田のアリバイをまったく気にしていないのは、“乙田による殺人であることを証明する”という“決め打ち”に基づくものなのでしょう。

 SPring-8(「SPring-8 - Wikipedia」参照)まで持ち出してくるというあまりに大げさな引っかけが笑えますが、実のところはさほど有効な引っかけではないように思えます。乙田が食塩と口走っているのは唐突な印象が拭えませんし、そもそも犯人が氷のトリックを使ったこと自体が証明されたわけではないのですから。

 そう考えると、強引な“決め打ち”が結果的に真犯人の逮捕につながったところがこの作品のポイントなのかもしれませんが、それでもやはり今ひとつ面白味に欠けるように思います。

「自らの伝言」

 物語序盤の、ネタいじりでしかないように思える会話の場面に、すでに手がかりが仕込まれているところが秀逸です。

 当初“水からの伝言”とされた“ナホこ あのおんなはキケンだ”(98頁)というメッセージが、菜穂子に宛てた“自らの伝言”だったという真相は、見え見えではあるもののうまくできていると思います。そして、“水は文章など書かない。”(117頁)と断定し、それを根拠にメッセージの真相を看破する新藤礼都の姿が印象的です。

「更新世の殺人」

 “石器が更新世に埋まった”という誤った前提を不可侵のものとすることで、“超絶推理”のみならず奇怪な謎そのものを成立させるという豪腕に脱帽です。

 常識的に考えても、また“ゴッド・ハンド”ならぬ“ジーザス・ハンド”(132頁)といったキーワード*1をみても、前提が誤っていることは一目瞭然ですが、そのまま地殻変動やタイムマシン*2という無茶な推理に持っていった挙句、最後まで突っ込まずに済ますという、“当てて擦る”テクニック全開のプロットが強烈です。

 まるで“生殺し”のような展開に対して、最後の“だから、突っ込むとこはもっと他にあるだろうが”(161頁)という新藤礼都の捨て台詞がもたらす(ある種の)カタルシスは、(サプライズこそないものの)いわゆる“最後の一撃”ものに匹敵するといえるかもしれません。

 超限探偵Σが解き明かした事件の真相はこれ以上ないほど無茶苦茶ですが、それもひとえに“当てて擦る”展開で最後まで押し通すためのもの。石器が埋まる前に犯人が遺体を埋めたという、誰もが予想するシンプルな“真相”で終わらせるのではなく、誤った前提のままでも成立する*3真相までひねり出してしまう作者の徹底ぶりが何ともいえません。

「正直者の逆説」

 というわけで、伏せられた“お題”は〈メタミステリ〉でしたが、“いや。現に我々は小説の登場人物なんだから、それに気付かない振りをするのは、かえって読者に失礼というものじゃないかな?”(213頁~214頁)という丸鋸先生の台詞が、ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』のフェル博士の名台詞*4を下敷きにしているのが芸の細かいところです。

 ついでにいえば、“万能推理ソフトウェア”の探偵が“Σ”と名づけられるあたりは、特に「超限探偵Σ」『目を擦る女』収録)を読んでいればニヤリとさせられるところですし、その“Σ”が“そもそもの前提”(212頁)と言い出すに至っては、「更新世の殺人」の内容を考えると苦笑を禁じ得ません。

 そこから始まる論理クイズ的な展開は非常に面白いと思いますが、自分の知識では突っ込みきれないのが残念なところです。

 ところで、物語前半で延々と描かれた、どう考えても事件と無関係なドタバタは、“この本の中で、この短編だけ長過ぎてバランスを崩してしまってますし”(227頁)から始まる“ぎゃふんオチ”のための仕込みだったのでしょうか。

「遺体の代弁者」

 被害者の記憶を移植する“スピーカー・フォア・ザ・デッド・システム”を逆手に取った犯人のトリックがなかなか強烈。その一方で、被害者の記憶の中に巧妙な形で仕込まれた手がかりもよくできています。さらにその“スピーカー・フォア・ザ・デッド・システム”を利用した、どこかメタフィクション的な叙述トリックが実に見事です。

「路上に放置されたパン屑の研究」

 田村二吉の前向性健忘症という設定をもとに、“一人多重解決”ともいうべき状況を作り出しているのが見事。のみならず、本人にはまったく自覚のない(したがって完全にフェアな)“語り手=犯人”であり、なおかつ“探偵=犯人”であることで二吉自身の衝撃が倍増しているのが秀逸です。

 もちろん、読者にとっては早い段階で結末までほぼ見え見えなのですが、そのプロセスがじっくりと描かれることで、結末の徳さんの無邪気な悪意(?)が一層際立っています。

*1: 「ゴッド・ハンド 遺跡 - Google 検索」あたりを参照。
*2: さすがに“ターイムマスィ――ン”「未公開実験」『目を擦る女』収録)を参照)というわけにはいかなかったのでしょうか。
*3: ただし、他の部分――サイボーグ手術など――に無理が生じているのはもちろんですが。
*4: “われわれは推理小説の中にいる人物であり、そうではないふりをして読者たちをバカにするわけにはいかないからだ。”(第17章「密室の講義」;ハヤカワ文庫版272頁)

2008.03.16読了