ミステリ&SF感想vol.96

2004.12.03
『人魚とビスケット』 『鑢――名探偵ゲスリン登場』 『目を擦る女』 『緑色遺伝子』 『アイルランドの薔薇』



人魚とビスケット Sea-Wyf and Biscuit  J.M.スコット
 1955年発表 (清水ふみ訳 創元推理文庫211-02)ネタバレ感想

[紹介]
 人魚{シー・ウィフ}へ。とうとう帰り着いた。連絡を待つ。ビスケットより”――1951年3月7日に始まり、大新聞に掲載されてロンドン中の話題になった、一連の奇妙な個人広告。広告主の“ビスケット”とは、そして相手の“人魚”とは、一体何者なのか。好奇心に駆られて“ビスケット”に接触を図った作家の“わたし”は、ついに真実を知る機会を得た。それは、第二次大戦中に難破事故で長期間の漂流を余儀なくされた、“人魚”・“ビスケット”・“ブルドッグ”・“ナンバー4”の4人の壮絶な物語だった……。

[感想]

 裏表紙の紹介文には“海洋冒険小説とミステリの見事な融合”と記されていますが、、どちらかといえば海洋冒険小説の部分がメインでしょうか。“謎−回想−クライマックス”といった感じの三部構成で、最も分量の多い回想のパート、すなわち海洋冒険小説の部分が、前後のミステリ部分に挟み込まれたような格好になっています。

 まずはやはり、冒頭の謎めいた個人広告のやり取りが目をひきます。“人魚”や“ビスケット”といった暗号めいたネーミングに加えて、限られたスペースのせいで情報が小出しにされていることが、想像力を刺激し、興味をそそります。この、個人広告を介した“人魚”と“ビスケット”のやり取りは、やがて一つの終わりを迎えますが、最後にちょっとした謎が残されるのもうまいところです。

 続いて、背景となる漂流譚が語られることになりますが、この部分が出色の出来。難破事故によりゴムボートで漂流することになった4人の男女が、次々と訪れる災難を乗り越えて生き延びようとする様子は壮絶です。また、極限状況のもとで繰り広げられる人間模様が見どころで、互いに本名を名乗らないままニックネームで呼び合うことで、日常における立場や肩書きといった表面的なものがほとんど剥ぎ取られ、むき出しになっていくそれぞれの人間性が強く印象に残ります。難をいえば、この漂流譚が少々長すぎるようにも感じられるのですが、それは分量の問題ではなく漂流期間による印象かもしれません。

 最後は、現在に戻ってきてのクライマックス。謎解きもありますがさほどのものではなく、むしろひねりのきいた展開によるサスペンスが光ります。かなり風変わりな作品であるように思いますが、一読の価値はあるでしょう。

2004.11.17読了  [J.M.スコット]



――名探偵ゲスリン登場 The Rasp  フィリップ・マクドナルド
 1924年発表 (吉田誠一訳 創元推理文庫171-02・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 大蔵大臣が郊外の別荘で殺害されたとの情報をいち早く入手した週刊新聞<梟{アウル}>紙の編集長・ヘイスティングズは、第一次大戦の英雄にして明晰な頭脳を持つ友人・ゲスリン大佐を特派員として現地へ送り込む。ゲスリンがそこで目にしたのは、で頭を打ち砕かれた大臣の死体だった。捜査を開始した警察はやがて、凶器の鑢から検出された指紋をもとに、ある人物を容疑者として逮捕する。しかしゲスリンは、一見単純な事件の裏に隠された真相を少しずつ明らかにしていく……。

[感想]

 P.マクドナルドの実質的なデビュー作にして、いわゆる“黄金時代”の黎明期を代表する作品の一つとして名高い、古典ミステリの佳作です。書かれた年代が年代だけに、随所に古びて感じられるところがあるのは否めませんが、逆に先進的ともいえる部分もあり、驚かされます。

 時代のせいなのか、物語全体が何ともスローペースな展開になっているのは、人によって好みが分かれるところかもしれません。また、それを補うかのように導入されているロマンス(E.C.ベントリイ『トレント最後の事件』の影響でしょうか)は、少々やりすぎの感がなきにしもあらずですが、これについては、探偵役であるゲスリン大佐がより積極的に事件に関わるための動機づけになっている面もあると思います。

 本書の最大の見どころはやはり、その緻密なロジックでしょう。かなり細かい手がかりが全編にばらまかれており、それをつなぎ合わせて真相解明に至る過程が克明に記されている、終盤に挿入されたゲスリン大佐の報告書(文庫版で実に約50頁!)はまさに圧巻です。実のところは、細部に至るまでロジックとフェアプレイが意識されているあまり、真相がかなり見えやすくなっていると思いますし、また細かい手がかりの裏返しとして、犯人の余計な小細工(の失敗)が目につくのも気になるところです。しかし、それらの難点を考慮してもやはり、本書で展開されるロジックは大きな魅力です。

 犯人の動機はいかがなものかと思いますし、また真相の意外性という点では見劣りしますが、特にロジックを重視するミステリファンであれば必読の作品といえるのではないでしょうか。

 なお、本書では、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』に先駆けてマザー・グース(「Who Killed Cock Robin?」)が作品に取り入れられています(H.ヘクスト『誰が駒鳥を殺したか?』も同年)が、雰囲気を盛り上げるために(?)ゲスリン大佐が時おり口にするだけで、いわゆる“童謡殺人”ではありません。

2004.11.22読了  [フィリップ・マクドナルド]



目を擦る女  小林泰三
 2003年発表 (ハヤカワ文庫JA736)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 不条理なバカSFからファンタジックなハードSFまで、作者の幅広い作風とにじみ出る邪悪さが味わえる、バラエティに富んだ作品を収録したSF短編集です。

「目を擦る女」
 引っ越しの挨拶をしようと訪ねた隣家には、奇妙な女性が住んでいた。自分が眠っているのだという彼女は、絶えず目を擦り続け、目を覚ますことを異常に恐れる。彼女は何を見ているのか……?
 目を擦る女が怖いのはもちろんですが、いつの間にか彼女の言うことを受け入れてしまっている主人公も怖いと思います。淡々と、かつねちっこく続く狂気じみた描写の果てに、待ち受けている混沌が秀逸。

「超限探偵Σ」
 驚くべき推理能力を誇る探偵・Σ。合理的な解決が存在しないかのような難事件にのみ興味を示す彼は、今日もまた、不可能としか思えない事件を論理的に解き明かしてしまう……。
 純真な(?)ミステリファンは腹を立て、すれたミステリファンはつまらなく感じそうな……SFで味つけしたミステリのパロディ、というよりも、SFをベースにしたアンチミステリというべきかもしれません。ただ、それにしても、多少似たような先例もあるように思いますし、個人的には今ひとつ面白味に欠けるように感じられます。

「脳喰い」
 奇妙な天体と遭遇した辺境宇宙の有人基地には、頭蓋骨を切り取って脳だけを持ち去られた死体が残されていた――続いてティタン基地も全滅させた“脳喰い”は、地球へと向かう。人間の脳だけを持ち去るその目的は……?
 異色のファースト・コンタクトSF。前半のスプラッター描写と対照的な、美しくも虚しい(とも言い切れない)ハッピーエンドが印象的。

「空からの風が止む時」
 上空から絶えずが吹き下ろしてくる、丸い皿のような形をした世界。そこは今、少しずつ重力が衰えていくという危機に陥っていた。世界の変化を注意深く観察してきた少女・オトは、人々が生き残るための方法を提案するが……。
 「時計の中のレンズ」「天獄と地国」(いずれも『海を見る人』収録)のような、世界の構造の謎が中心となったファンタジック・ハードSFです(本書の中ではかなり浮いています)。“丸い皿のような形”の世界の正体は途中でだいたい見当がついたのですが、それだけに最後の衝撃が強烈です。

「刻印」
 日本にエイリアンが現れたらしい。突然出現した銀色のカプセルから、影のようなものが飛び去って行ったというのだ。ニュースの注意に従って戸締りをしようとした僕がトイレの扉を開けてみると、そこには何と等身大の蚊がいた……。
 ゲームソフト『蚊―か―』をテーマにしたアンソロジー『蚊―か―コレクション』に収録された怪作。とてつもなくバカで変態、というほめ言葉しか浮かびません。あまりにも不条理な状況と展開のせいで、一番最後のオチがもはやどうでもいいものに思えてしまうのは私だけでしょうか。

「未公開実験」
 20年ほど疎遠になっていた私たち旧友を呼び出した丸鋸遁吉は、奇妙な“時間服”を着て姿を現し、これから独自の理論に基づく“ターイムマスィ――ン”の実験を見せるという。実はすでに歴史の改変にも成功したというのだが……。
 骨格はオーソドックスなマッドサイエンティストものですが、主役のマッドぶりを際立たせる演出が楽しい作品です。

「予め決定された明日」
 来る日も来る日も算盤を弾き、果てのない計算を続ける算盤人。その一人・ケムロは、禁断の読み書きのスキルを密かに身に着け、計算の意味を知った。やがて、算盤の代わりに電子計算機を使うことを夢見るようになったケムロは……。
 算盤というローテクと気の遠くなるほどのスケールとのギャップが、鮮烈な印象を与えると同時に脱力を誘います。最後のパートの何ともいえない怖さが、いかにも小林泰三らしいところでしょう。

2004.11.23読了  [小林泰三]



緑色遺伝子 The Green Gene  ピーター・ディキンスン
 1973年発表 (大瀧啓裕訳 サンリオSF文庫26-A・入手困難

[紹介]
 白色人種の両親から、なぜか突然緑色の子供たちが生まれ始める。緑色人種の人口は次第に増加し、白色人種の権利を守ろうとする英国政府は弾圧的な政策をとり始め、一方ではそれに抵抗する過激派がテロ活動を繰り返す。人種差別の嵐が吹き荒れる英国に、天才的な数学者にしてコンピューター技師であるインド人・ヒューマヤンが招かれた。彼は、統計学的な研究の中で緑色遺伝子の秘密に関するヒントをつかんでいたのだ。だが、〈人種関係局〉なる公的機関で働き始めたヒューマヤンはやがて、何者かに誘拐されてしまう……。

[感想]

 SFのようでいてSFらしくないという、いかにもディキンスンらしい(?)作品。ミュータントテーマのSFであれば、緑色遺伝子の秘密を中心に据えるか、あるいは緑色人種の出現を人類の進化(変化)に絡めるという方向にいきそうなものですが、本書はそのような展開にはならず、if設定に基づくサスペンスという感じの物語になっています。

 実は緑色遺伝子は単なるシンボルにすぎず、実態は、緑色人種を多く生み出すケルト人種をサクソン人種が差別する、という構図に他なりません。つまり、緑色遺伝子という設定は、北アイルランド問題などにも通じる既存の対立を、より強調した形で描き出すために採用されていると考えられます。実際に、肌の色しか違わない緑色人種に対する差別は、現在の有色人種に対するものと何ら変わりがないように思えます。しかし、だからといってこのif設定に意味がないというわけではなく、白色人種であったケルト人種が差別を受ける側に転じることで、人種差別の不合理さが際立っていると思います。

 また、物語全体がインド人の主人公・ヒューマヤンの視点で描かれているのも巧妙なところで、新しく生じた“白”と“緑”の激しい対立の影響を受けて、彼は何とも微妙な立場に置かれることになります。異なる文明のもとで育った上に白色人種でも緑色人種でもない彼には、事件の渦中にありながら常にどこか蚊帳の外という感覚がつきまといます。第一部「ホワイト・サイド」・第二部「グリーン・サイド」という変遷を経て第三部「ノー・サイド」へと至り、アウトサイダーにふさわしい結末を受け入れるヒューマヤンの姿が印象に残ります。

2004.11.27読了  [ピーター・ディキンスン]



アイルランドの薔薇  石持浅海
 2002年発表 (カッパ・ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 スポンサーとの交渉のために、“南”のスライゴーにある宿屋に変名で宿泊した、北アイルランドの武装勢力NCFの幹部たち。ところが、その中の一人、副議長をつとめる男が何者かに殺害されてしまった。英国政府との和平交渉を目前に控え、“南”の警察の介入を許すわけにはいかない。NCFの面々は宿屋を制圧して泊り客を拘束しようとするが、泊まり合わせた日本人科学者・フジの機転によって協定が成立、協力して真相解明にあたることになった……。

[感想]

 変則的なクローズドサークルを得意とする作者のデビュー作。後の2作(『月の扉』『水の迷宮』)と同様に、特異な状況設定が光ります。物理的・地理的な事情ではなく、政治的な理由でクローズドサークルを成立させるというのが非常にユニークです。ただし、内部の緊張感が当初予想されたほどではない、というのは残念なところですが。

 外部犯の可能性は早々に否定され、容疑者は宿屋の女主人にコック、そして宿泊客を含めた総勢10名。ちなみに、NCFのメンバーたち自身も容疑を免れず、完全に潔白な人物が存在しないところが巧妙です。しかも、被害者を狙っていた殺し屋(ただし手口からみて今回の犯人ではない)が潜入していることが読者には明かされており、犯人探しだけでなく殺し屋探しも加わって、謎が錯綜した興味深い状況になっています。

 そして、謎だけではなく解明のプロセスと真相も非常によくできています。呉越同舟で議論が繰り返され、手がかりに基づく仮説が様々に展開されるあたりも十分に面白いものになっていますし、最終的に解決へとつながるロジックも鮮やかです。また、真相の方でよくできていると思うのは、単なるフーダニットで終わっていないところです。容疑者が完全に限定され、なおかつ容疑を免れる(ように見える)人物が存在しない、すなわち誰が犯人であってもおかしくないという状況では、犯人を意外な人物とするのは不可能といっても過言ではありません。しかし本書では、犯人の正体以外のところに意外性を生じるポイントが設定されているのが見事です。

 後味の悪くない終章も含めて、個人的には大いに満足。唯一の不満は、探偵役がスーパーマン的に描かれすぎているところくらいでしょうか。傑作です。

2004.11.27読了  [石持浅海]


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