ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. 掲載順リスト作家別索引 > 
  3. ミステリ&SF感想vol.247 > 
  4. 叙述トリック短編集

叙述トリック短編集/似鳥 鶏

2018年発表 講談社タイガ ニB03(講談社)
「ちゃんと流す神様」

 この作品での叙述トリックは、登場人物たちの年齢を誤認させるもの*1です。“会社で働いている”ことが、定年退職後の高齢者/もしくは中学生*2という真相を隠蔽するミスディレクションとなっていますが、真相が明かされても会社の従業員であることには変わりないので、衝撃が薄くなっているきらいがあります。もっとも、この作品でのトリックの目的はサプライズというよりも、“羽海ちゃん”以外の社員たちには実質的に犯行不可能だったことを隠すことにあり、その狙いは十分に達成されているといっていいのではないでしょうか。

 一方で、読者に対する手がかりが少々力不足なのは否めないところです。六反田女史の“当社の女子は女子なんてもんじゃない”(20頁)という発言は、年齢の問題だけでなく色々な解釈ができますし、その後の“羽海ちゃんは女子よ? このお肌だもん。でもねえ”(20頁)という言葉*3と合わせても、“羽海ちゃん”と他の女性陣*4の間に“それなりの年齢差がある”ことまでがせいぜいで、20代と40代くらいの差でも普通に成り立ちかねない台詞です。

 その後の、“私から見れば一目瞭然”(40頁)という別紙の指摘も、“犯人(の条件)が一目瞭然”であることを示唆するにとどまり、犯行可能な人間は一人しかいない”(40頁)という若井の独白が加わってようやく、犯行可能性の問題であることが確定しますが、それが年齢と結び付けられるかどうかはやや微妙。叙述トリックだと明かされているとしても、ある程度決定的な手がかりがない限りは何を誤認させられているのかわからない――意地の悪いことをいえば、“全員高齢者”ではなく“全員(見るからに)足が不自由*5という可能性もなくはない――わけで、これも“フェアプレイ観”の違いでしょうか*6

 ところで、作中の別紙は、淵が“事件発生から一度も口を開いていない”(45頁)ことから、淵の入れ歯がトイレに詰まったと見抜いていたようですが、この“推理”はさすがに常軌を逸しているのでは……?

*1: 拙文「叙述トリック分類#[A-2-2]年齢の誤認」を参照。
*2: この作品で明かされるのは“まだ十五歳”(49頁)という年齢までですが、「ニッポンを背負うこけし」“中学時代”(297頁)とされています。
*3: これ自体は、“羽海ちゃんが他の女性陣と違う”ことを示す手がかりとして不可欠ではありますが。
*4: これでは男性陣の年齢は不明ですが、容疑者にならないからいいのでしょうか……?
*5: “うちの課員にあんな軽やかな足音を立てる人間などいない”(29頁)という記述が伏線となります。
*6: 作者が、(叙述トリックで隠された真相ではなく)“事件の真相が解けるように書かれていればフェア”と考えている可能性もあります。

「背中合わせの恋人」

 この作品で使われている叙述トリックは、平松詩織を“松本さん”と誤認させるトリック……ではありません「堀木輝」のパートに登場していた平松詩織を“松本さん”だと読者が誤認するのは、語り手の堀木輝自身の勘違いによるもので、「読者への挑戦状」での“叙述トリックの例”と同じく、トリックは叙述よりも前の段階で仕掛けられているので、叙述トリックとはいえません*7。実際に「堀木輝」のパートだけを通して読んでみると、堀木輝の勘違いが最後に発覚するだけの話であることがよくわかるでしょう。

 叙述トリックといえるのは、堀木輝の勘違い(に基づく読者の誤認)を補強するための、二つのパートの“松本さん”が同一人物だと誤認させる“二人一役”トリック*8がまず一つ。そしてそれに付随する、「平松詩織」のパートの“妹のサークルの先輩の松本さん”(松本澪)を、“妹の高校からの友達の松本さん”(松本萌香)と誤認させる“なりすまし”トリック*9です。後者は単発の作品では珍しい――誤認先の人物(ここでは松本萌香)が実際には登場せず、なおかつ読者にとって既知の人物でなければ意味がないため――のですが、この作品では堀木輝の勘違いによって“登場人物だと思わされる”という、なかなか面白い手法が使われています。

 実際のところ、「平松詩織」のパートの“松本さん”が本当に“妹の高校からの友達”(松本萌香)であったとしても、平松詩織と“松本さん”の取り違え自体は変わらず成立することになるのですが、ここで属性の異なる“松本さん”を用意することによって、再履修した”(90頁)という決定的な手がかりに基づいて、二つのパートの“松本さん”が別人であること*10、ひいては堀木輝の勘違いまで、読者のみならず作中の別紙までもが解明できるようになっているところがよくできています。

*7: 「読者への挑戦状」での“叙述トリックの例”を踏まえると、作者は当然これも叙述トリックだと考えているのでしょうが……。
*8: 拙文「叙述トリック分類#[A-1-2]複数を一人と誤認させるもの (二人一役)」を参照。それぞれの“松本さん”の正体が平松詩織と松本澪なので、堀木輝の勘違いによる誤認と区別しにくいかもしれませんが、叙述トリックそのものはあくまでも“松本さん”同士の誤認であって、「堀木輝」のパートの“松本さん”が本当に“松本さん”であっても成立します。
*9: 拙文「叙述トリック分類#[A-1-3]単純に人物Xを人物Yと誤認させるもの (なりすまし)」を参照。
*10: 細かいことをいえば、「堀木輝の2」での妹とのやり取り(73頁~74頁)だけを見ると、こちらの“松本さん”が妹と同学年かどうかやや微妙にも思えます、先輩であれば“さっきの友達?”(73頁)という質問をスルーはしなさそうです。

「閉じられた三人と二人」

 この作品では、映画鑑賞中の“私”と別紙の描写に、映画の内容の描写を切れ目なく混在させることで、“現実”と映画を混同させる状況の誤認トリック*11が使われています。短編でさえメインのネタとしてはあまり例を見ないトリックですが、それはやはり、(一場面だけであればまだしも)トリックをある程度長く続けることが非常に難しいからだと考えられます*12

 この作品の場合、ストーリー性のある映画を利用することで難易度はやや下がっている気もしますが、しかし映画の内容が工夫されているところを見逃すべきではないでしょう。まず、映画の中の“日本人二名”が椅子に縛られたという状況が、映画館の座席に座ったままの別紙と“私”にうまく重ね合わされているうえに、映画の強盗たちが(おそらく)アメリカ人ということで、(日本語で話しているとすれば)別紙や“私”と会話が(成立し)なくても不自然ではなくなっているのが巧妙です。

 “私は指で「静かに」とジェスチャーをして”(140頁)という手がかりで、“私”が縛られていないことが示唆されていますが、これはいささか露骨すぎるでしょうか。

*11: 拙文「叙述トリック分類#[C-2]状況の誤認」を参照。
*12: といいつつ、かなり特殊な状況とはいえ、長編一本をこれで押しきった例もありますが。

「なんとなく買った本の結末」

 「読者への挑戦状」での最初のシーンがなぜ書かれたのか(12頁)というヒントの趣旨はおそらく、「閉じられた三人と二人」のように隠された真相を明かすだけでは不十分(もしくはそれが不自然になる)ため、メタレベルの“外枠”部分からの説明を要する類のトリックである、ということだと思われます。というわけで、この作品でのメインの叙述トリックは、作中作で描かれている年代を誤認させるもの*13で、作中作がその当時に書かれたという設定からすると、“秩父郡大滝村”(166頁)などの細かい手がかりについては“外枠”部分から説明する必要がありますし、作中作の中で事件の真相に直接関係のない情報(年代)に言及するのは不自然となります。

 この作品ではさらに、冒頭の一幕で“僕”が使った電話を固定電話と見せかける物品の誤認トリック、ひいては“僕はドアを開けて外に出た。”(165頁)を“自宅の玄関から出た”ように見せかける場所・状況の誤認トリックと、作中作それ自体にも叙述トリックが仕掛けられているといえます。ショルダーホンを使ったアリバイトリックそれ自体は、“特殊な知識”をそのまま使っただけなので面白味がありませんが、作中作の年代を見抜くことで携帯電話がますます盲点に入ってしまう――いわば、ミステリとして実用的でないアリバイトリックを、(何とか)実用的なレベルにまで押し上げるための叙述トリックということで、なかなか面白い使い方だと思います。

 気になるのは、“外枠”部分で別紙がいう“ヒント”です。まず、“あなたが私に『本で読んだこの話を』クイズに出す、ということ、それ自体”(191頁)が、どういう意味で“ヒント”になるのか今ひとつわかりにくいですが、これはもしかすると読者向けのヒントではなく、“駅裏の川俣書店”(191頁)などの背景事情を知っている別紙だけに通じるヒント、ということでしょうか。

 また、“私”が“『読んだ時、簡単に解け』た”(191頁)と言ったことの方は、電話を携帯することが当たり前の時代に育ったから、という趣旨かとも思われますが、これは無理があるのではないでしょうか。普通の携帯電話で“受話器を置いた”“フックにかけ”“ガチャリ”(いずれも165頁)と切ったりしないことはよくわかっているはずですし、携帯電話が当たり前とはいえ固定電話を知らないとも考えられない――バーにはまず間違いなく固定電話があるはず*14――ので、“受話器を置くタイプの携帯電話”を“読むまで知らなかった”(192頁)のであれば、“簡単に解け”るとは考えにくいものがあります。

*13: 拙文「叙述トリック分類#[B-1-1]日時そのものの誤認」を参照。ちなみに、“外枠”部分から説明した方がいいトリックは、これ以外にもあります。
*14: さらにいえば、後に明かされるように“私”が“羽海ちゃん”だとすれば、株式会社セブンティーズで働いていたわけですから、固定電話を目にする機会はいくらでもあったはずです。

「貧乏荘の怪事件」

 “ラーチャシーチャナノーンブワサーラー”と“ラーチャテーウィーノーンブワサーラー”というややこしい名前を利用した“二人一役”トリック……ですが、確かに“ンガボ君たち二人”(229頁)のようにぼかした記述もあるとはいえ、実際には(読者が気づくかどうかはともかく)二人の名前がそれぞれ堂々と明記されることで、別人という真相も明示されているに等しい*15わけですから、さすがにこれは叙述トリックとはいえないでしょう。むしろ、注意深く読まない読者自身がトリックになっている*16、というべきではないでしょうか。

 また、“二人一役”によって容疑者が一人隠されるところも、効果としては叙述トリック(人物の隠匿トリック*17)に通じるところがありますし、“中村先輩”が一同に容疑から外れる理由を説明する場面で、“ンガボ君たち二人”“ラーチャテーウィーノーンブワサーラー君と川野君、それに李君”“湯浅君と崔*18、それに被害者の李君”(いずれも229頁)と、李の名前をわざわざ二回挙げることで、、“タイ人”が二度除外されることを目立たなくしてあるところなどはよく考えられているのですが、やはり二人の名前が明記されている以上、これも叙述トリックとはいえないと考えられます。

 別紙がいうように、アリバイの条件が最も怪しい――犯人がトリックを仕掛ける余地がある――のですが、たとえそれを打破したとしても、人名トリックに引っかかっている限り犯人不在となってしまうところが巧妙です。裏を返せば、犯人不在という状況そのものが“人物の隠匿”を見抜く手がかりとなっているわけで、犯人当てとしてなかなかよくできていると思います。

*15: この点について、同姓同名の登場人物を利用した別の作品を思い返してみましたが、そちらでは当然ながら、名前だけでは別人だと判明しないので、叙述トリックに該当するといえます。
*16: 当然ながら自戒を込めて(苦笑)。
*17: 拙文「叙述トリック分類#[A-3]人物の隠匿」を参照。
*18: ところで、“中村先輩”がなぜか崔だけ、終始呼び捨てにしているのが気になったのですが……。

「ニッポンを背負うこけし」

 “別紙が五人いた”という“五人一役”トリックですが、「読者への挑戦状」での一人だけ、すべての話に同じ人が登場している(11頁)というヒント(に見せかけたミスディレクション)*19があからさまにすぎるので、いかにも同一人物のように描かれている別紙ではなく“助手”の方が同一人物という真相は、かなり見当をつけやすくなっているきらいがあります。

 少なくともバーテンダー(「なんとなく買った本の結末」の別紙)と医師兼ユーチューバー(「貧乏荘の怪事件」の別紙)の掛け持ちには無理がありますし、別紙がすべて別人だとすれば「閉じられた三人と二人」「なんとなく買った本の結末」では他に“私”しかいないので*20、そこから、この作品での“三ツ木”(“うーちゃん”)も含めた“一人六役”*21に思い至ることは難しくないでしょう。

 ただし“一人n役”の場合、同一人物であることを示す決定的な手がかりを用意するのはかなり困難で、一般的な共通点や類似点を積み重ねたとしても“同一人物っぽい”止まりになってしまう*22傾向があり、本書もその例に漏れません。ということで、作品が年代順に並んでいないという可能性の想定を許してもらえれば、「貧乏荘の怪事件」を“最初の事件”として、そこに登場する医師兼ユーチューバーの別紙だけが別人、という別解もこじつけられなくはないように思います。他の作品に登場する“別紙”の正体は、「貧乏荘の怪事件」に登場した湯浅か川野*23で、鮮やかな事件解決に感銘を受けて、自ら“別紙”を名乗りそのスタイルをまねるようになったのです。いや、中村→三ツ木が許されるのなら、湯浅か川野→別紙も十分にセーフでは?

 ……冗談はさておくとして、五人の別紙を勢ぞろいさせる、つまり事務所総出で解決に当たる必要がある大事件ということで、政治が絡んだ事件で大物の依頼人を登場させる、という狙いはわからなくもないのですが、それにしてももう少し何とかならなかったのか、とは思います。“水鳥川亨の行動とHEADHUNTERの犯行場所が一致している”(306頁)のは最近に限られるはずですし、HEADHUNTERの犯行自体が(不可能犯罪とはいわないまでも)誰にでも可能というものではないので、水鳥川に罪を着せるのは困難で、噂を流したところで一笑に付されるだけではないでしょうか。

 一方、自作自演で犯人をおびき寄せる別紙たちの計画はわかりますし、叙述トリックに合わせて人海戦術トリックが使われるのも納得しやすいのですが、“不可能犯罪”がおそらく本当に不可能なのが大きな難点。“雑技団みたく組体操をして縦に連なれば”(300頁)とさらりと書かれていますが、ある程度はこけし自体を支えにできるとはいえ、五人が縦に連なるためにはどう考えてもサポート役が必要*24で、五人だけではとても足りないでしょう。また、対象が単なる柱ではなく巨大こけしなのも問題で、“胴回り約三・二メートル。頭部は胴より太くて周囲約四メートル。”(259頁)という寸法からみて、頭部は胴に対して十数センチオーバーハングしているので、頭部での作業のために、土台の四人はこけしから体を離して腕だけで支えなければならず、全体が不安定にならざるを得ません。

 おそらくは、連作の締めとしてまず“五人一役”の叙述トリックが決まり、そこから逆算する形で作中でのトリックや事件が組み立てられたのだと考えられますが、前述のヒントを抜きにしても叙述トリックにはあまり面白味がない――“五人”という例はあまりないと思いますが、原理的に人数はいくらでも増やせるので――上に、作中でのトリックや事件にも難があるのが残念。唯一、“枠外”の「読者への挑戦状」でヒントに見せかけたミスディレクションを仕掛けてあるのがユニークではありますが、これも効果があるのかないのかよくわからないのが困ったところです。

*19: 「読者への挑戦状」では、これだけ“ヒント”とは明言されていないものの、他のヒントと同様に太字で書かれていますし、本来は「あとがき」でいわれるように“どちらかというとレッドへリング”(330頁)なのですが、狙いが見え見えにすぎて結果的にヒントになってしまっている、ような気が(「あとがき」をみると、作者はもともとヒントのつもりだったのかもしれませんが)。
*20: さらにいえば、共通して登場する人物は、二作目以降は――作品の順序が時系列に沿っていないとしても大半の作品で――“別紙”(という名前)を知っていることになるのですから、“別紙”に対する反応によってその候補者は限定されます。
*21: “一人二役”トリック(→拙文「叙述トリック分類#[A-1-1]一人を複数と誤認させるもの (一人二役)」を参照)のバリエーション。
*22: これは、本書での別紙の例――同一人物のように描いてあっても、最終的に別人とすることが可能――からもおわかりではないでしょうか。
*23: さすがに外国人留学生では厳しいと思われます。
*24: 腰を落とした状態(完全にしゃがんだ状態からは立ち上がれない)で肩までの高さが1メートル弱として、最後の一人は四メートル弱の高さまでよじ登らなければならないわけですが、少なくともその際に後ろから支えてやらなければ、全体が後ろに倒れてしまう危険性が高いと考えられます。

「あとがき」

 これも手法としてはユニークではあるのですが、「読者への挑戦状」でのヒントと各篇の内容から、この「あとがき」本当の最終話であることは見え見え。また、「読者への挑戦状」での一人だけ、すべての話に同じ人が登場している(11頁)を成立させるために、律儀に“羽海ちゃん”を登場させてあるのにはニヤリとさせられましたが、それ以外は物語の内容も叙述トリックもあまり面白いとはいえません。

 特に叙述トリックは、“似鳥{にたり}”を“似鳥{にたり}鶏”だと誤認させる“なりすまし”トリック(→「背中合わせの恋人」)もしくは人名トリック(→「貧乏荘の怪事件」)と、年齢の誤認(→「ちゃんと流す神様」)の組み合わせで、いずれも本書において既出なので“使い回し”という印象が拭えないところです。


2023.02.07読了