夏期限定トロピカルパフェ事件/米澤穂信
まず「第一章」と「第二章」について。
- 「シャルロットだけはぼくのもの」
小佐内さんが小鳩くんの犯行を見抜いた手がかりは、作中に
“ハンカチをポケットから出して、汗の滲むひたいに当てた”
(39頁)及び“ボックスからティッシュを一枚貰ってひたいに当てた”
(60頁)と記述されている行動の矛盾、すなわち“ハンカチを持っているはずなのに、なぜティッシュで汗を拭いたのか”という、“日常の謎”の発見にも通じるものになっています。ここから、“実はシャルロットはもう1個あった”という“意外な真相”につなげることもできたかもしれませんが、倒叙形式の方がより面白くなっているのは確かでしょう。読者は小佐内さんよりも多くの情報を手に入れることができるわけですが、小鳩くんの隠蔽工作そのものが手がかりを埋没させるミスディレクションとなっているのが面白いところ。そして肝心のハンカチを使った箇所は、
“ババロアを(中略)取れなかった分は拭って”
(49頁)や“麦茶は(中略)さっと拭いておいた”
(53頁)と、何で拭ったのかがしっかり伏せられています。しかしそれでも、小鳩くんがそこでハンカチを使ったことを読者が推理できるよう、他のものを使った可能性が周到に排除されているのがお見事。ボックスティッシュは小佐内さんが戻ってくるまで未開封のままですし、ポケットティッシュは
“手持ちがない”
(37頁)上にもらい損ねたことが示されています。巧妙なのがケーキの箱に入っていた紙ナプキンで、小佐内さんが戻ってきた後の隠蔽工作の中でさりげなく“一度でも使えば枚数が分かっただろうに”
(58頁)とあるのがよくできています。ところで、この作品はシリーズで初めての小鳩くんと小佐内さんの“対決”となっていますが、「終章」に至って攻守ところを代えた“対決”が展開されることを踏まえると、なかなか暗示的に思えてきます。
- 「シェイク・ハーフ」
健吾のメモは“半”という文字のように見えますが、まずは“なぜ口頭での伝言ではなくメモだったのか”という疑問を足がかりに、
“口頭では言い尽くせないほど大量の、あるいは覚えきれないほどの情報”
(92頁)という認識に至るところがよくできていて、そこから文字ではなく図――地図にたどり着くのは時間の問題。さらに、健吾が――もちろん謎のメッセージを残したつもりは毛頭なく――メモで十分に意味が通じると考えた、ことを大前提として地図の基点を探し出すという具合に、あくまでも筋道立てて展開される推理には、読者の思考をも導くという意図が表れているように思われます。健吾がメモを置き、小鳩くんがそれを取り上げた場面(80頁~81頁)は巧みに濁した描写になっていますが、三夜通りの地図が描かれたまつりのチラシという小道具とその扱い方は絶妙で、よくできた謎解きといっていいでしょう。
そして「おいで、キャンディーをあげる」では、本書のメインとなる“小佐内さん誘拐事件”が発生しますが、その真相はある程度――少なくともその方向性は予想できる方も多いのではないでしょうか。というのも、散見される細かい伏線もさることながら、本書のそれまでのエピソード、のみならず前作『春期限定いちごタルト事件』――そこで描かれてきた小佐内さんのキャラクターそのものが、最も強力な伏線となっているからです。
もう少し具体的にいえば、前作から本書にかけて積み重ねられたエピソードを通じて、十分な説得力を持つように描かれてきた小佐内さんの独特の行動原理が、恐るべき真相を読者に受け入れさせる伏線として機能すると同時に、真相へとつながるロジックの基盤となっているからで、それは小鳩くんの“小佐内さんを信じ抜くことで片がつく”
(207頁)という独白と、それに続く推理をみても明らかでしょう。
また、一般的な人物とは一線を画したその行動原理は、(誤解を恐れずにいえば)ミステリでいうところの“狂人の論理”に通じるところがあるようにも思います。もっとも、いわゆる“狂人の論理”が主に想定しがたい動機(ホワイダニット)を支えるものであるのに対して、小佐内さんの行動原理は――すでに明かされていることもあって――“小佐内さんが何をしたのか”(ホワットダニット)を支える形になっているのですが、いずれにしても、(いわゆる“特殊ルール本格”などと似たような意味で)その行動原理が通用する物語世界がしっかりと構築されている(*1)ととらえることもできるかもしれません。
このように、小佐内さんのキャラクターを“信じる”ことで真相の方向性は予想できると思いますが、(小佐内さん/作者が)“どこまでやるのか”は予断を許さないものになっています。物語の中心に据えられている〈小佐内スイーツセレクション・夏〉の次のターゲットという、実にしゃれた形で真相の一端が明かされた後も、“小佐内さんが誘拐計画を知っていた”→“小佐内さんが誘拐計画を誘導した”→“小佐内さんが誘拐事件に仕立てた犯人だった”と三段構えの真相が用意されているのが圧巻。
そもそも、小鳩くんの“探偵趣味”と小佐内さんの“復讐趣味”はベクトルが反対方向に近いので、いずれどこかでぶつかり合うことは当然予想できることだったかもしれませんが、そこで“犯人”による“探偵”の“操り”の構図まで出てくるところが容赦ないというか何というか。つまるところ本書は、ミステリであっても“名探偵小説”ではない、山田風太郎の某作品(*2)を彷彿とさせる屈指の“名犯人小説”といえるのではないでしょうか。
*2: 小池啓介氏が解説で言及している作品(244頁)と同じかどうかはわかりませんが、私は(以下伏せ字)『妖異金瓶梅』(ここまで)を連想しました。
2012.08.25読了