完全無欠の名探偵
[紹介]
財閥の総帥・白鹿毛源衛門は、高知大を卒業してなぜか東京に戻らず地元の短大に就職した孫娘・りんの様子を気にして、警備員の青年・山吹みはるをお目付役として現地へ送り込む。巨体に似合わぬ茫洋とした性格のみはるは、実は奇妙な超能力――自身はまったく自覚のないまま、他人の話に相づちを打つだけで、その当人に記憶の奥の不審事についての推理をさせる――の持ち主だった。かくして、白鹿毛グループのコネで無事にりんの同僚となったみはるは、相変わらず本人はまったく知らずして、りんが高知にとどまった目的――埋もれた“事件”の真相を少しずつ掘り起こしていく……。
[感想]
本書は、デビュー作『解体諸因』に続いて発表された西澤保彦の第二作であると同時に、(特に初期の)作者の代名詞ともいえる、出世作『七回死んだ男』をはじめとした“SF新本格”の、最初に世に出た作品です。が、他の“SF新本格”作品ではおおむね、導入されたSF設定があくまでもミステリの中での“特殊ルール”として扱われている(*1)のに対して、本書に限ってはそれだけにとどまらず――少なくとも結果的には――SFとしての興味をも兼ね備えた、やや趣の違う作品となっています。
もっとも、そのSF的興味を主として担う「fragment 1~9」でも、発端は“買ってきたケーキの箱の中身が“別のもの”にすり替わっていた”というシンプルながら鮮烈な謎ですし、物語の本篇にあたる「SCENE 1~9」では全篇で謎解きが行われている上に、その中心となる“完全無欠の名探偵”山吹みはるの超能力は――(「文庫版あとがき」によれば)いわゆる“後期クイーン問題”(*2)についての考察から生まれたというだけあって――(他の“SF新本格”のSF設定とは違って(*3))ミステリ要素から切り離せないもの。にもかかわらず逆説的に(?)、三村美衣氏が解説でいう“SFとしての魂”
が備わっているのが興味深いところです。
さて、作者の出身地である高知県を主な舞台として展開される「SCENE」は、デビュー作『解体諸因』と同様、〈連鎖式〉のように複数のエピソードが積み重ねられて一つにまとまる形式となっていますが、これもみはるの超能力から必然的に導き出されたものといえます。というのも、その能力がいわば“推理の触媒”であり、“セルフサービスの安楽椅子探偵”であるため、それによって実際に推理をする者はいわゆる“日常の謎”にも通じるささやかな“気づき”を端緒とし、また自身が知り得たことのみを手がかりに真相へと至ることになるわけで、個々の推理はコンパクトなものとならざるを得ないところがあるように思います。
それぞれの“事件”は、解き明かされる真相まで“日常の謎”風のものから、派手ではないとはいえ殺人事件まで、かなりバラエティに富んだものになっています。また、その中で展開される推理は短いながらも奇妙なロジックが目を引く――というのは、前述のように“セルフサービスの安楽椅子探偵”であることから必ずしも検証が必要とされず、その分自由度が高いこともあるかと思われます――もので、十分に楽しめます。と同時に、それらのエピソードを通じて複雑な人間関係が浮かび上がってくるのも見どころでしょう。
作中で多用されている土佐弁の雰囲気や、みはるの(失礼ながら)一本ネジが外れたような愉快な言動などである程度緩和されてはいるものの、読んでいて後味の悪い部分が目につくのが好みの分かれそうなところではあります。が、全体的にやや盛り込みすぎなきらいがあるとはいえ、最後に明かされる真相に至るまで精緻に組み立てられた構図には一読の価値があると思いますし、色々な意味で意欲的な作品であることも間違いないでしょう。
“私は、ことあるごとに、自分が書いているものはSFではない、本格ミステリだと強調している。それは決してSFを卑下しているのではなく、『七回死んだ男』に代表されるSF新本格には、SFマインドがない、と言っているのです。あくまでも堂々の本格ミステリとして読んでもらいたいと、そう願っているからです。”(同書345頁)と、ミステリが主体であることを強調しています。
*2: 「後期クイーン的問題 - Wikipedia」を参照。本書の設定は、“第一の問題”と“第二の問題”をともにクリアし得るという点で、非常にユニークだと思います。
なお、諸岡卓真『現代本格ミステリの研究』(北海道大学出版会)の中で、“後期クイーン問題”について本書を例にとって興味深い考察がなされています。
*3: 例えば、『七回死んだ男』での“時間の反復落とし穴”、『人格転移の殺人』での“人格交換”、『死者は黄泉が得る』での“死者の復活”と“擬似記憶”、『瞬間移動死体』での“テレポーテーション”、『複製症候群』での“コピー”など、いずれも一般的な(ミステリ要素のない)SFでよく扱われるものです。
2012.08.20再読了 [西澤保彦]
夏期限定トロピカルパフェ事件
[紹介]
目立つことなく日々を過ごす小市民を目指して、お互いを利用する互恵関係を結んでいる小鳩常悟朗と小佐内ゆき。そんな二人の高校生活も二年目の夏休みに入ったその初日、あちこちに印のつけられた街の地図とともに、〈小佐内スイーツセレクション・夏〉と題されたリストを渡された小鳩くんは……。
品切れで三個しか買えなかったシャルロット。箱を開ける間もなく席を外した小佐内さんを待つ間、シャルロットを食べてみた小鳩くんは、あまりのおいしさに二個目に手を出してしまい、何とか小佐内さんの目をごまかそうと隠蔽工作に走る……「シャルロットだけはぼくのもの」。
小佐内さんとの待ち合わせの前に入ったハンバーガーショップで、友人の堂島健吾に出会った小鳩くん。何やら調べているらしい健吾は突然席を立ち、「連絡してくれ」とメモを残して店を出て行くが、そこに書かれた“半”という文字の意味は……「シェイク・ハーフ」。
夏休みも終わりに近づいた“三夜通りまつり”の日、小鳩くんと小佐内さんは〈むらまつや〉のりんごあめ目当てに出かけることになった、のだが……。
[感想]
『春期限定いちごタルト事件』に続く〈小市民シリーズ〉の第二作で、高校入学あたりからの出来事が描かれていた前作からだいぶ作中の時間が進み、高校二年の夏休みの物語となっています。前作でも小鳩くんと小佐内さんの二人(と小鳩くんの友人・堂島健吾)だけがクローズアップされ、“学園の日常”という印象はやや薄かったのですが、本書では夏休みということで完全に学校を離れているのが興味深いところで、物語の中心には小佐内さんのスイーツめぐりが据えられています(*1)。
さて、物語全体としては長編の体裁を取っていますが、「第一章 シャルロットだけはぼくのもの」と「第二章 シェイク・ハーフ」はもともと雑誌「ミステリーズ!」に読み切り短編として掲載されたもので、その内容も比較的独立性が高いという、やや変則的な構成が目を引きます。というわけで、まずはその二篇について。
「シャルロットだけはぼくのもの」は、語り手である小鳩くんを“犯人”として、“その犯行がどのように暴かれるか”を描いた“日常の謎”風倒叙ミステリ。“犯人”視点の倒叙ミステリならではの(*2)頭脳戦――しかもケーキをめぐる小鳩くんと小佐内さんの対決とくれば、たとえささやかな“犯行”であっても実にスリリングです。そして、小池啓介氏の解説でも言及されているように、61頁8行目までの部分がよくできた読者への“問題篇”となっているのが秀逸。
読み終えてから振り返ってみると、仮に小佐内さんの視点で描かれていればオーソドックスな“日常の謎”になり得たところを、その“裏側”から見せることでより印象深い物語に仕上げてあるわけで、ユニークな試みがなされた傑作だと思います。
続く「シェイク・ハーフ」は、健吾が残したメッセージの意味を解読する暗号ミステリ……のようにも思えますが、健吾本人に暗号化する意図がないという点では、むしろダイイングメッセージものに近いところがあります。しかして、ダイイングメッセージものでは(ある程度仕方ないとはいえ)なおざりにされがちな“どうして謎のメッセージになっているのか”に、しっかりした理由が用意されている(*3)――どころかそれが解明への足がかりとされているところがよくできています。
その後、インターミッション風の――謎も解明もない――「第三章 激辛大盛」を間に挟んで、「第四章 おいで、キャンディーをあげる」では思わぬ事件が起こり、小鳩くんと小佐内さん、そして健吾も、それに翻弄されることになります……が。独立した短編として読むことができた「シャルロットだけはぼくのもの」と「シェイク・ハーフ」をも含めてすべてが伏線となり、長編――連続した一つの物語――としての姿が立ち現れてくるのが圧巻で、作者の手腕にうならされずにはいられません。
できるだけ先入観なしで読んでいただきたいので、あまりうかつなことは書けませんが、最後の最後まで緊張感が保たれたまま展開していくその果ては、予想以上にインパクトのある結末で、刊行当時に本書を読んでいれば――次作がまだ刊行されていなければ――悶え苦しんでいたかもしれません(苦笑)。とはいえ、本書単独としてはここまでやってくれれば十分すぎるほどで、〈小佐内スイーツセレクション・夏〉に付き合ったかのような“満腹感”の残る傑作です。
2012.08.25読了 [米澤穂信]
【関連】 『春期限定いちごタルト事件』 『秋期限定栗きんとん事件(上下)』
泡坂妻夫引退公演
[紹介と感想]
2009年2月3日に亡くなった泡坂妻夫が残した単行本未収録作品(短編小説と戯曲)を、すべてまとめて函入り二分冊としたもので、凝った装幀・造本(*1)も含めて愛蔵版といっても過言ではない、ファンにはうれしい作品集です。
内容の方も、(ミステリ)作家であるとともに紋章上絵師であり、またアマチュアマジシャンでもあった作者らしく、〈亜智一郎〉もの(→〈亜愛一郎〉)に〈ヨギ ガンジー〉もの、紋章上絵師ものにマジシャンもの、さらにはオリジナルのミステリ戯曲と、バラエティに富んでいます。初期の作品ほどにミステリ色の濃いものはほとんどありませんが、作者の多才さがよく表れているのは確かでしょう。
【第一幕 絡繰】
- 〈亜智一郎〉
- 「大奥の七不思議」
- 江戸の街を騒がす盗賊隼小僧が、何と江戸城内、紅葉山にある宝蔵を狙っているらしい。実際に城内で小僧の姿を見た者もいるのだが、一方で人に化けた狸だと言う者もあり、さらにお女中が庭の奥で怪しの者に出会う始末。その正体を、雲見番衆が確かめることになり……。
- “盗賊なのか狸なのか”というあたりがこの時代ならではのもので、全体的に非常に愉快な作品になっています。ある意味ものすごい真相には唖然とさせられますが、この結末はまた……(笑)。
- 「文銭の大蛇」
- 深川は浄心寺のご開帳に奉納された銭細工。新たに鋳造されたばかりの文久銭、ざっと二万枚をつなげて作られた金色に輝く大蛇は、大いに評判を取っていたのだが、押し入った強盗に奪い去られてしまったという。ちょうどそこに立ち寄った亜は、あることに気がついて……。
- 「ばら印籠」(『亜智一郎の恐慌』収録)でも扱われた写真術を発端に、大胆な盗難事件へと展開。亜の推理そのものはちょっとしたものにすぎませんが、その名探偵らしからぬ作中での扱われ方が、このシリーズらしいユーモアになっています。
- 「妖刀時代」
- 将軍上洛に伴って京都、二条城へと入った雲見番衆。尊皇攘夷の嵐が吹き荒れる中、手持ちの刀が今ひとつ心許ない亜は、名刀を探しにいくことに。その途中、無法者が落としていった刀を拾ってみると、何とそれが名のある妖刀だという。それを買い取っていったのは……。
- 妖刀に関する蘊蓄が楽しい作品。ミステリの要素はほとんどなく、しいていえば“その人物は何のために妖刀を買っていったのか”が謎といえる程度ですが、その真相――というか結末が作者らしいというか。
- 「吉備津の釜」
- 長州へ送り込まれた二人の御庭番が、その後に薩摩を経て備中岡山に潜入したところで消息を絶ってしまい、亜と古山がその行方を探すよう命じられる。かくして、町人に変装して岡山を訪れた亜と古山だったが、そこで吉備津神社の釜鳴神事の話を聞き込んだ亜は……。
- これは題材が題材だけに、ヨギ ガンジーもののようなところがありますが、何よりもまずそんなにのんきでいいのかと(苦笑)。しかしラストは……。
- 「逆鉾の金兵衛」
- 毛利家の屋敷に押し入った盗賊が、再びやってくるかもしれないということで、雲見番衆が警備を手伝うことに。はたして、屋敷に忍び込んできた賊はすんでのところで逃げおおせてしまい、あとに残されたのは変わった鼻緒の草履だけ。一同はそれを手がかりに賊を探すが……。
- 草履についての推理はあるものの、その持ち主を探す愉快な捜査活動の方に重きが置かれた作品で、「ねじれた帽子」(『亜愛一郎の転倒』収録)を思い起こさせるところがあります。
ちなみに、作中で言及される岡本屋の白蘭という花魁(94頁)は、〈宝引の辰捕者帳〉の一篇、「鬼女の鱗」(『鬼女の鱗』収録)の登場人物だと思われます。
- 「喧嘩飛脚」
- 江戸を騒がす薩摩浪士の様子を探るべく、薩摩屋敷のある品川を訪れた亜と藻湖は、遊郭で出くわした薩摩侍の様子をうかがううちに、成り行きで大坂からの飛脚が運んでいた一通の書状を目にすることに。そこには、何だかわけのわからない文が記されていたのだが……。
- 物語の展開が何だか唐突ですが、最後は暗号ミステリに。さすがに「掘出された童話」(『亜愛一郎の狼狽』収録)とは比べるべくもありませんし、直観的にわかりにくいところもありますが、時代ものならではの暗号ともいえるでしょう。
- 「敷島の道」
- このところ、江戸城大奥ご金蔵の近くで不審火が相次いでいるという。ご金蔵番の手伝いを命じられた雲見番衆だったが、明け方に現れて火をつけた怪しい者は、そのまま鮮やかに消え失せてしまった。一同が首をひねっていると、ご金蔵番が“敷島の道”の話を切り出して……。
- 「逆鉾の金兵衛」の登場人物と双子のような人物に苦笑させられます。これもミステリとしてはさほどでもないかな……と油断していると、最後の解決に思わずニヤリ。
- 〈幕間〉
- 「兄貴の腕」
- 侍の大小を丸ごと掏り取ってしまったことがあるほど、凄腕の掏摸だった兄貴。しかしそんな兄貴も、一度だけしくじって一文にもならない仕事をしたことが……。
- ショートショート風の短い作品ですが、予想外のとんでもないオチに脱帽しつつ、笑いをこらえきれません。快作です。
- 〈紋〉
- 「五節句」
- 更昌さんが持ち込んできた着物の紋は、背、両袖、両胸の五つの紋が全部違い、五つの節句にそれぞれちなんだ、見たこともないようなものだった。ところが、その紋の写真を目にした組合の勝浦さんは……。
- 「三国一」
- 反物を持ってきた山鹿屋さんは、ふと思いついたように“三国一”という紋があるか尋ねてきた。わたしは聞いたこともなかったのだが、数日後、勝浦さんに話してみると、“三つ星に一の字”のことだという……。
- 「匂い梅」
- 組合の池島さんの葬儀で出た話がきっかけで、引き取り手がない反物のことを思い出したわたし。十年ぶりに見つけ出した“匂い梅”の紋が描かれた反物を見ても、なかなか記憶は甦らなかったのだが……。
- 「逆祝い」
- 先日羽織に入れた“丸に剣片喰”の紋が、逆さまに描いてあるという電話がかかってきた。紋帳を確認しても正しい向きのはずだったが、先方はどうしても聞き入れず、仕方なしに紋を入れなおすことになり……。
- 「隠し紋」
- 喪服に入れる“丸に一の字”の紋の見本として届けられた、芝居町の風景という変わった模様の留袖。しかし、お客さんの家にあったという紋本に描かれていたのは、なぜか“丸に揚巻結び”の紋だった……。
- 「丸に三つ扇」
- 戦中から戦後の厳しい時代を経て、ようやく紋付を誂える人々も増えてきた昭和三十年代。かつて野菜を売りに来ていた田舎のおばさんが、“丸に三つ扇”の紋入れを頼んでくるが、持ち込まれた反物は……。
- 「撥鏤{ばちる}」
- 亡くなった母が、箪笥の一番下の引き出しの奥に隠すようにしまい込んでいた、見たことのない帯。華やかで不思議な感触のそれは、バチル――象牙細工だという。母はなぜその帯を使わなかったのか……?
- 紋章上絵師でもあった作者ならではの、紋や着物の世界を描いた情緒あふれる作品群で、「五節句」から「隠し紋」までは作者の分身ともいえる紋章上絵師を語り手とした連作になっています(*2)。
半ばエッセイめいた「丸に三つ扇」以外は、紋や着物を通じて隠された人の心の機微をあぶり出す、一種のミステリといっていいように思います。とりわけ、「五節句」の手がかりと推理、「三国一」のしゃれた結末、「隠し紋」の鮮やかな真相などは、なかなか秀逸です。また、「匂い梅」で掘り起こされるものや、「撥鏤」で描かれる心の動きも印象的。
- 〈幕間〉
- 「母神像」
- 写真展で母神像の写真を眺めていた岳史の耳に、聞き覚えのある女の声が――それが美和子との久々の再会だった。岳史はてっきり、美和子と別れてから永久に会えないものとばかり思っていたのだが……。
- 『湖底のまつり』などに通じる独特の官能描写が印象的。結末はある程度予想できるでしょうし、ありがちな部類に入るものではありますが、その演出がよくできていると思います。
- 「茶吉尼天」
- カメラマンの岡山は、画家のモデルが入れた彫物を撮影することに。そのモデル・上杉舞の背中一面を彩るのは、見事な茶吉尼天の彫物だった。だが数日後、とんでもない事件が報じられ、舞に容疑がかかり……。
- 茶吉尼天の彫物が物語の中心に据えられていますが、その扱い方――事件と絡めて謎を作り出す手際が面白く、またそこはかとなく作者が好みそうなネタになっているのも見どころでしょう。
【第二幕 手妻】
- 〈ヨギ ガンジー〉
- 「カルダモンの匂い」
- フランス料理店を訪れたガンジーらは、有名な料理評論家に間違えられて、三日は舌にしびれが残るという世界一強烈なカルダモンを危うく食べさせられる羽目に。話を聞いてみると、ガイドブックでなぜか不当にこき下ろされたのだという。一計を案じたガンジーは、不動丸とともにボーイに扮して……。
- 謎解きよりもトラブル解決の色合いが強いのが少々物足りないところですが、それでもなかなか先を読ませない展開は楽しめます。最後に明かされる“せこな手”には思わず苦笑。
- 「未確認歩行原人」
- ガンジーらとサーカスの団長が歓談しているところへ、近くの湖から這い上がってきたような巨人の足跡が見つかったというニュースが飛び込んできた。足跡の大きさと歩幅からみて、身長四メートルほどにもなるだろうという。サーカスの目玉に困っている団長は、早速巨人を捕らえようとするのだが……。
- メインの謎である“巨人の足跡”の真相は、それなりの工夫は施されているものの、“重箱の隅”では片付けにくい勘違いも含めて、いささか苦しいところ。動機にはニヤリとさせられるところもあるのですが、やや落ちる作品といわざるを得ないでしょう。
- 「ヨギ ガンジー、最後の妖術」
- ヨーガの屍のポーズをしていたところを、本物の死体と間違えられてしまったガンジー。近くにある寺の祭で商売をしにきたというのだが……(未完)。
- 題名は「オール讀物」の編集部でつけられたもので、いわゆる“最後の事件”という趣旨ではありません。
単行本でわずか4頁(*3)とごく短い分量で、導入部しかなく何が起こるはずだったのかもわかりませんが、登場人物の特性(?)からみて亜愛一郎もの(の一部)のような方向に行く予定だったようにも思われます。とにかく残念。
- 〈幕間〉
- 「月の絵」
- “餅をつくウサギ”がいる月を描いた正一の絵と、“泣いている女の人”がいる月を描いたあかねの絵が、一緒に上野の美術館に展示され、正一はおじいさんと美術館へ見に行くが……。
- 二枚の“月の絵”を題材にした、味わいのある掌編。最後の正一の小生意気な台詞が、微笑ましいというか何というか。
- 「聖なる河」
- ツアーで訪れたのんびりした異国で、揃って夫と別行動する四人の妻たちは、すっかり開放された気分で聖なる河へとやってきた。と、そこで由希子が夫のカメラを取り出して……。
- インドと思しき異国を舞台にした一篇で、短い中にも積み重ねられていく伏線がお見事。さらりとした結末も、物語の雰囲気にうまくはまっています。
- 「絶滅」・「流行」
- どちらもごく短いショートショートで、特に「流行」の方はわずか1頁しかないので、内容紹介は割愛します。ショートショートとしては素朴といってもいいかもしれませんが、こういう作品も書いていたんだな、というのが意外です。
- 〈奇術〉
- 「魔法文字」
- 松島を訪れたマジック・クラブの一行は、素焼きの茶碗や皿に文字や絵を描く楽焼きを楽しんでいたが、その中の一人、奈良本さんはおまじないのような奇妙な文句を書いていた……。
- 「ジャンピング ダイヤ」
- マジック・カーニバルでわたしの目を引いたのは、シルクを得意とする美人のプロマジシャン、ダイヤ千恵子さんだったが、ロープマジックが好きな彼氏の王下くんと一緒にいたはずが……。
- 「しくじりマジシャン」
- 奇術材料専門店・機巧堂に、雑誌の原稿を届けにきたわたしは、そこでの奇術仲間たちとの雑談をきっかけに、次号ではマジシャンの失敗を取り上げた原稿を書くことになったのだが……。
- 「真似マジシャン」
- プロマジシャンのマグス片淵くんに連れられて、初めて機巧堂を訪れた岸くんは、何かと憧れの片淵くんの真似ばかりしているようだった。芸術は真似ごとから始まるとはいうものの……。
- 【第一幕 絡繰】の紋章上絵師ものと同様に作者の分身といえる語り手の青瀬勝馬(*4)をはじめ、『奇術探偵 曾我佳城全集』(特に終盤)などに出てきた奇術関係者が登場する連作です。ミステリ要素はほとんどなく、奇術の世界ならではのエピソード――作者自身の体験/回想らしきものも含めて――を、“奇妙な味”の物語に仕立ててある感じですが、「しくじりマジシャン」で披露される奇術の失敗談などは特に興味深いものがあります。
余談ですが、「ジャンピング ダイヤ」冒頭の驚異のロープマジック(*5)には唖然。
- 〈戯曲〉
- 「交霊会の夜」
- マンションに引っ越してきた芙由子と征司は、前の住人夫婦が相次いで怪死を遂げたことを聞かされる。妻の守江は窓から転落死したが、その直後、鍵がかかって誰もいなかった部屋の中から、なぜか話し声が聞こえたという。一方、守江殺害を疑われた夫の卓郎は、取調べの最中に脳内出血で急死してしまった。しかも、その少し前にこの部屋で行われた交霊会で、守江の死が予言されていたというのだ……。
- 雑誌に発表された後、実際に上演もされたというミステリ戯曲。密室からの奇怪な転落死に、うさんくさい交霊会、さらに……と盛りだくさんの内容で、特に交霊会の場面などは舞台映えしそうな視覚的演出も。トリックには既視感のある部分もありますが、この作品集の中で最も分量があり、読みごたえのある一作です。
*2: 「丸に三つ扇」の語り手も紋章上絵師ではあるのですが、内容も雰囲気もかなり違っており、連作といえそうなところはありません。
*3: 同じ単行本で「カルダモンの匂い」と「未確認歩行原人」がともに28頁です。
*4: 巻末の新保博久氏による〈舞台裏〉「泡坂さん幕を閉じ」では、ネーミングにまつわる愉快なエピソードが紹介されています。
*5: 〈亜愛一郎〉などでおなじみの(一応伏せ字)“トレミー”の名が冠せられている(ここまで)ところからみて、間違いなく(一応伏せ字)架空のもの(ここまで)なのでしょうが。
2012.08.31 / 09.03読了 [泡坂妻夫]
2
[紹介]
座付き作家・御島鋳の脚本と演出が評判を呼び、今では年間観客動員数二十万人を誇るまでになり、専用稽古場まで構えている超有名劇団〈パンドラ〉。その舞台に立つことを夢見る青年・数多一人は、入団試験に心を折られそうになりながらもそれを乗り越えて、ついに憧れの〈パンドラ〉の一員となった。だがその矢先、一通の履歴書が劇団に届き、時期はずれの入団審査が特別に行われることになる。そして審査当日、団員たちの前に現れたその人物は……。
[感想]
本書のタイトルは“2”という何ともそっけないものですが、その意味するところはとりあえず、本書が『[映]アムリタ2』であり『舞面真面とお面の女2』であり『死なない生徒殺人事件2』であり……という具合に、これまでの全長編の続編になっていることを表しています。
当然ながら、それらを全部先に読んでおいた方が望ましいのですが、私見では『舞面真面とお面の女』と『小説家の作り方』の二作は、後回しにしてもそれほど大きな問題はなさそうです。一方、『[映]アムリタ』・『死なない生徒殺人事件』・『パーフェクトフレンド』の3作については、先に読んでおかないと何だかよくわからない箇所が出てくることになりますので、未読の方はまずそちらからどうぞ。
そしてもう一つ、カバーのあらすじでは本書序盤にある衝撃的な展開(の一つ)が明かされていますので、本篇を読む前にはできるだけ目に入れないことをおすすめします。
というわけで、まずはやはり、それぞれの作品の登場人物がちらっと顔を出す程度のリンクではなく、これまでの作品をしっかりとまとめて“一つの続編”に仕立て上げた豪腕に脱帽。おそらくは後付けの構想だと思われます(*1)が、独立していたはずのそれぞれの作品の内容を生かして、物語の中で違った役割を果たす要素として組み込んであるところなど、“適材適所”ともいうべき絶妙な処理がなされています。
そのような本書のテーマとなっているのは、“創作とは何か”。この“大風呂敷”が作者らしいところでもあり、またこれまでの作品を読んでいればそれがどのような方向に向かうのか、ある程度は予想できる部分もあるのですが、その“答え”に至るための道筋として“天才の仕事”が物語の中心に据えられているあたりなど、本書はこれまでの作品の中でも特にデビュー作『[映]アムリタ』の延長線上にある、といっていいでしょう。
今にして思えば、映画が題材とされていた『[映]アムリタ』では、“天才”の創作物を直接読者に示すことができない中、その常人離れした創作過程を描くことで“天才”が表現されていたわけで、例えば絵画や小説などと違って(*2)(原則として)“天才”といえども一人だけでは制作することができないという事情がうまく生かされています。本書でも同様の手法が採用され、そして何とか“天才”の要求に応えようとする主人公・数多一人の苦悩と奮闘を通じて、“創作とは何か”に近づいていく展開がよくできています。
もちろん物語が進むにつれて、その焦点は“天才の仕事”が生み出す創作物がどのようなものなのかに移っていくことになります。荒唐無稽といえば荒唐無稽ではあるかもしれませんが、物語そのものがどこへ行き着くのかも含めて、野﨑まどの本領が存分に発揮されているのは確かで、期待を裏切ることなく途方もない結末には圧倒されます。質量ともに、野﨑まどの現時点での集大成(*3)となる一作で、ファンにとっては必読でしょう(*4)。
*2: 実際、小説を題材にした『小説家の作り方』では、これとはだいぶ異なるアプローチがなされています。
*3: といいつつ、すでに次作『野﨑まど劇場』が刊行されていますが。
*4: なお、これまでの作品と本書との詳細な関係などについては、本書を読了後に「入門人間 - 2 野﨑まど 感想」をご覧になることをおすすめします。
ただし、上述のように私は本書の構想は後付けだと考えているので、(以下伏せ字)本書のナタリー=『[映]アムリタ』のナタリー(ここまで)という説には同意できませんが……。
2012.09.06読了 [野﨑まど]
不可能楽園〈蒼色館〉 上小野田警部、最後の事件
[紹介]
結婚を機に引退し、その後は一度も人前に姿を現すことなく山形県の屋敷に隠棲していた往年の名女優、美里織絵が亡くなった。生前に交友のあったオーナーの営む葬祭式場〈蒼色館〉にて、その告別式が盛大に行われている最中に、事件が発生する。織絵の屋敷に賊が押し入って見習いの執事と家政婦を刺殺、さらに織絵の双子の妹・浪江がかわいがっている孫の美咲を誘拐したのだ。だが、疑わしい関係者たちには鉄壁のアリバイがあり、捜査に乗り出した上小野田警部も頭を抱える。そして犯人から要求の電話が……。
[注意]
さほど大きなダメージになるわけではありませんが、帯の紹介文はできるだけ事前に目に入れないことをおすすめします。
[感想]
今年もやってきました、毎年恒例“倉阪流バカミス”の最新刊。加えて今回は、これまでに『紙の碑に泪を』と『新世界崩壊』で活躍をみせた、“美しい犯罪”を追い求め続ける迷探偵(?)・上小野田中生警部の“最後の事件”と銘打たれています(*1)。その花道にふさわしく、本書もこれまでの作品に優るとも劣らない堂々たるバカミスに仕上がっています。
内容はもちろん、『三崎黒鳥館白鳥館連続密室殺人』などこれまでの“倉阪流バカミス”の路線を大筋で踏襲したもの――すなわち、あからさまに怪しい描写に支えられた無茶すぎる“バカトリック/バカな真相”と、いい意味での“無駄な労力”の産物である膨大な〈○○〉とを柱にした、もはや唯一無二といっても過言ではない作風です。しかしその中で具体的なところをみると、これまでの作品とは一味違った趣向も目につきます。
これまでの作品の読者が最も戸惑いを覚えるのは、〈蒼色館〉が(一応伏せ字(*2))“そうしきかん”という名の葬祭式場であることが最初から明かされている(ここまで)点だと思われますが、そのために(一応伏せ字)隠されているのが何なのか(ここまで)見当をつけるのが難しくなっている感があります。実際のところ本書では、とある事情で〈○○〉の一部がかなりわかりやすくなっているのですが、少なくとも序盤ではそれが何を意味するのかさっぱりわからないため、途方に暮れるよりほかありません(苦笑)。
また、題名に掲げられた〈蒼色館〉が事件の舞台ではないのも異色。もちろん、誘拐事件がメインに据えられている時点でクローズドな舞台ではあり得ないわけで、とりわけ犯人からの要求が伝えられて以降は色々な“動き”がある――結果として(?)今までになくオーソドックスなミステリに近い意味でも先が気になる展開となっています――のですが、その中で〈蒼色館〉がどのような意味を持ってくるのか、というのも注目すべきところでしょう。
はたして、いつものように“バカトリック/バカな真相”と手間のかかった〈○○〉とが一つずつ明かされていく謎解き(*3)を経て、その果てに用意されているのは、これまたやや方向性が異なるといえなくもないものの、やはり十分にインパクトのある大オチ。好みの分かれるところもあるかもしれませんが、とにもかくにも記憶に残る退場を果たした上小野田警部の姿には、何ともいえない感慨が湧き上がってくる……ような気もします。上小野田警部と“美しい犯罪”よ、永遠なれ。
2012.09.14読了 [倉阪鬼一郎]