ミステリ&SF感想vol.26

2001.09.16
『反在士の指環』 『被害者を探せ』 『金庫と老婆』 『英国風の殺人』 『雨の檻』


反在士の指環  川又千秋
 2001年発表 (徳間デュアル文庫 か4-2)

[紹介]
 “アリスの環”によって形成される鏡面を利用した超跳躍航法“アリス・ドライブ”により、人類が銀河全体に進出した未来。その広大な空間をゲーム盤として、“紅后”“白王”という二大勢力が果てしない戦いを繰り広げていた……。
 故郷の惑星を滅ぼされた少年・ライオンは、傭兵・ポーンや鏡面物理学者・オイゲル博士らの協力を得て、“紅后”と“白王”に復讐を誓う。彼は虚実を自由に行き来する“反在士”だったのだ……。

[感想]

 かつて早川書房から刊行された『反在士の鏡』「反在士の鏡」・「夢界の虜囚」・「虚人の領域」を収録)に、未収録作品2篇(「反在士の帰還」・「鏡人たちの都」)と書き下ろし作品1篇(「反在士の指環」)を加えた完全版です。

 最初のエピソード「反在士の鏡」がSFマガジンに発表されてから20年以上が経過しているわけですが、まったく古びているように感じられないのが驚きです。その一つの理由として、この作品が科学技術ではなく観念をベースにしていることが挙げられるでしょう。“鏡の向こうの世界”や“銀河を舞台にしたチェス”といった観念によって“アリスの環”や“紅后”・“白王”、そして“反在士”などのガジェットが生み出され、この作品の世界が組み立てられているのです。

 未収録作品などを加えた完全版とはいえ、物語は完結してはいません。ライオンの復讐が成就するまでにはいまだ遠く、世界の命運も定かではありません。そして、おそらく続編が書かれることはないのでしょう。結局のところ、“紅后”や“白王”はおろか主人公であるはずのライオンでさえも、メタレベルに立ってゲーム盤を眺める作者にとっては駒の一つにすぎないのですから。それでも登場人物たちは十分に生き生きと描かれていますし、またそれによって鏡を挟んだ虚像と実像というフィクションも力を持ち得るのでしょう。

2001.08.29読了  [川又千秋]



被害者を探せ Pick Your Victim  パット・マガー
 1946年発表 (衣更着 信訳 ハヤカワ・ミステリ194)ネタバレ感想

[紹介]
 アリューシャン列島に配属され、退屈を持て余していたアメリカ海兵隊員たちは、荷物の詰め物として使われた古新聞までもむさぼるように読んでいた。と、ある記事の見出しが彼らの目に止まった。“ポール・ステットスン、家振会の役員殺害を認む”――しかし、記事の一部がちぎれていたため、肝心の被害者の名前がわからないのだ。たまたま隊員たちの中にかつて家振会に勤めていたロビンズがいたことから、彼に会の内幕を説明させ、10人の役員の中から被害者を推理して当てるというが成立した……。

[感想]

 まず、被害者を推理して当てるという構成がユニークです。L.ブルース『死体のない事件』などの前例もありますが、この作品では導入の仕方がよくできていて、被害者が誰だかわからないという状況が非常に自然です(決して『死体のない事件』が不自然だというわけではありませんが)。つまり一種の安楽椅子探偵ものであるわけですが、この点でも一風変わった手法が使われています。語り手のロビンズが出征した後で起こった事件であるため、事件自体についてはまったく語られず、家政振興会(=家振会)内部の人間模様のみがひたすら描かれているのです。

 その家振会の内実は、犯人となったステットスンを中心に役員同士の反目と憎悪が渦巻き、ロビンズの話を聞けば聞くほど、殺人とはいわないまでも何らかの事件が起こってもおかしくない状態です。ロビンズが事件の状況を知らないこともあって、海兵隊員たちはこの家振会の内実をもとにして主に動機の面から推理をしていくことになりますが、提示される“解決”はなかなかの説得力を持っています。そして最終的には、単なる動機の推測ではなく被害者指摘の手がかりがきちんと提示されていたことが明らかにされるのです。ユニークな状況を設定しながらしっかりと中身も伴った傑作といえるでしょう。

2001.08.30読了  [パット・マガー]



金庫と老婆 The Ordeal of Mrs. Snow  パトリック・クェンティン
 1951年発表 (稲葉由紀・他訳 ハヤカワ・ミステリ774)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 長編『二人の妻を持つ男』などで有名なパトリック・クェンティンの数多い短編の中から選りすぐった傑作集です。本格ミステリというよりはサスペンス寄りの作品が中心で、C.ブランド『招かれざる客たちのビュッフェ』にも通じるブラックな雰囲気が魅力的です。いくつかの作品でよく似たモチーフが繰り返されているところはやや気になりますが、いずれもよくできた作品ばかりです。
 個人的ベストは「金庫と老婆」「母親っ子」

「ルーシイの初恋」 Love Comes to Miss Lucy
 52年の生涯を独身で通してきたミス・ルーシイだったが、友人と共に訪れたメキシコ旅行でその運命は大きく変わることになった。ふとしたことで知り合った美貌のメキシコ人青年・マリオが、彼女に思いを寄せているようなのだ。自らの年齢と容姿をかえりみて、マリオの気持ちが理解できずに別れようとした彼女だったが、彼は遠く離れた場所まで彼女を追いかけてきた。そして……。
 もちろん恋愛小説ではありません。燃え上がる恋が暗転するとき、ブラックで救いのない結末が待ち構えています。

「汝は見たもう神なり」 Thou Lord Seest Me
 自分に子供がいない代わりに、よその小さな女の子たちをかわいがるルーミス氏。しかし彼は、その趣味を理解しようとしない妻に悩まされていた。ある晩ガス栓を閉め忘れて寝てしまい、明け方になってガスが漏れていることに気づいた彼は、妻が寝室に鍵を掛けて寝ているのを幸いに、ドアの隙間に詰め物をしてしまった……。
 全編が皮肉に満ちあふれた作品です。そしてラストでルーミス氏が到達した、他者には理解できない理想郷が、何ともいえない印象を残します。

「不運な男」 This Will Kill You
 ハリイは妻に殺意を抱くようになっていた。彼らのドラッグストアが繁盛しているのも妻の苦労と重労働のおかげであるにもかかわらず、重い鎖につながれて虐げられたように感じていたのだ。ついに彼は、妻が車で外出する直前にブレーキの配線にヤスリをかけた。計画の成功を夢見ながら……。
 ハリイの抱いた不当な殺意。それはあまりにも独善的なものです。彼の殺人計画も、事態が自分に都合よく運ぶことを期待しすぎています。自分の視点でしか考えられない男の末路は哀れです。

「ミセス・アプルビーの熊」 Mrs. Appleby's Bear
 結婚に失敗してミセス・アプルビーに養われる身となった二人の姪、トルーディとメラニーに対して、ミセス・アプルビーはさんざん意地悪を繰り返し、いいようにこき使っていた。姪たちも憎悪を募らせるものの、一文なしの彼女たちは他に行くあてもないのだった。そんなある日、ミセス・アプルビーに出されたお茶の中に、ガラスの粉末が入れられたのだ……。
 ミセス・アプルビーが語る子供時代の仔熊の話。現在は、それに象徴される無垢な少女時代とは対極にあるわけですが、彼女自身はその変化を、そして自らの悪意をも認識しながら、少女時代の思い出にすがろうとしています。事態が破局を迎えても……。

「親殺しの肖像」 Portrait of a Murderer
 級友のマーティンは、父親であるスレイター卿の愛情過多に悩まされていた。頻繁に学校へやってきてマーティンにつきまとい、息子への手紙も決して欠かさない。そんなスレイター卿は、周りの生徒からも揶揄の対象となっていた。そしてマーティンと私が彼の家で休暇を過ごすことになったとき、彼にとって事態は最悪のものとなった。私の目の前でさらに遠慮なく愛情を示す父親に対して、マーティンは……。
 相互理解を欠いた一方的な愛情は、不幸しかもたらさないのでしょうか。ある意味壮絶なラストが深い印象を残します。

「少年の意志」 A Boy's Will
 画家のゴドルウィンは、街で物乞いをする少年と出会った。そのセバスティアーノ少年の美しさに打たれた彼は、膝をすりむいた少年にハンカチと紙幣を与えた。その後少年は献身的に彼に尽くすようになっていく。しかしある日、ゴドルウィンとの間に誤解からのトラブルを起こした女性が殺されてしまった。そして現場には、血のついた彼のハンカチが落ちていたのだ……。
 ゴドルウィンがいつの間にか落ちこんでしまった罠。そこから脱しようとせず、少年に支配されるがままにまかせて、ある種の心地よさに甘んじてしまう彼の姿が印象的です。

「母親っ子」 Mother, May I Go out to Swim?
 ジョンにとっては母親と二人でいることがすべてだった。36歳になった今でも、彼は完全に母親の庇護の下にいたのだ。だが、母親の都合で一人旅となってしまった今回の旅行で、ジョンの前に一人の若い女性が現れた。彼女の魅力にひかれていった彼は、ついに自分が母親の掌の中に囚われていたことに気づく。そして……。
 母親という名の怪物と、支配された息子。その支配に気づき、そこから逃れようとするとき、息子にとって世界は反転することになります。ラストの演出の鮮やかさには脱帽です。

「姿を消した少年」 The Boy Who was Lost
 父親の死によって、母親を独り占めできるようになったことを喜ぶ9歳の少年・ブランソン。だが、そのバラ色の生活も長くは続かなかった。父親の遺言状に従ってやってきた二人の叔母は、ブランソンと母親の仲を裂こうとしたのだ。不満を募らせたブランソンは、ついに邪魔者を排除することを決意したが……。
 とんでもないことをしでかしながら、なぜこれほどに屈託がないのか。あまりにも自己中心的な少年の姿にはおぞましさすら感じられます。

「金庫と老婆」 The Ordeal of Mrs. Snow
 姪のローラと暮らしていたスノウ夫人にとって、素性のしれないブルースという男は予期せぬ闖入者だった。彼はローラに結婚を申し込み、家に転がり込んできて、いつの間にか夫人の経理をも扱うようになっていたのだが、サファイアの指輪が紛失した一件から、夫人は彼に疑念を持った。そして、ついに不正の証拠を発見して相手に突きつけた夫人だったが、開き直ったブルースは逆に夫人を金庫室に閉じ込めてしまった……。
 金庫室に閉じ込められながら助けを待つスノウ夫人と、事態を知らない外部の人々の様子とが、鮮やかに対比させて描かれています。これによってサスペンスが一層高まり、見事な作品に仕上がっています。

2001.09.02読了  [パトリック・クェンティン]



英国風の殺人 An English Murder  シリル・ヘアー
 1951年発表 (佐藤弓生訳 国書刊行会 世界探偵小説全集6)ネタバレ感想

[紹介]
 病に臥せる老貴族ウォーベック卿の邸に客たちが集うクリスマスの夜。ファシスト・グループ〈自由と正義同盟〉を率いる卿の息子ロバート青年、大蔵大臣を務める卿の従兄弟サー・ジューリアス、その部下の妻カーステアズ夫人、伯爵令嬢カミラ、そして歴史学者ボトウィンク博士らが顔を合わせたクリスマス・パーティの席上で、シャンパンを飲み干したロバートが毒死してしまった。さらに、何者かにそれを知らされたウォーベック卿も急死してしまう。雪に閉じ込められた邸の中、殺人者は暗躍を続けるが……。

[感想]

 題名が抽象的で、どのあたりが“英国風”なのかややわかりにくく感じられるかもしれません。実は、ネタの中心である動機英国ならではのものなのです。したがって、日本人にはややピンとこない面もありますが、個人的には十分納得のいくものです。そして、その真相が外国人であるボトウィンク博士によって解明されるというのもポイントといえるでしょう。この作品ではほぼ全編を通じて外国人の視点から英国というものが浮き彫りにされているわけで、最後に明かされる動機を含めて“英国風”の名に恥じない作品であると思います。

 また、中心となるネタだけに頼るのではなく、それを隠すための作者の技巧も見所です。このあたりは、解説でそれとなく例示されている類似の作品と比べるとよくわかると思います。犯人を指摘する論理がやや弱いように感じられるという弱点もありますが、まずまずの作品といえるでしょう。

2001.09.05読了  [シリル・ヘアー]



雨の檻  菅 浩江
 1993年発表 (ハヤカワ文庫JA389・入手困難

[紹介と感想]
 デビュー作「ブルー・フライト」を収録した初の短編集です。独特の美しさを感じさせる叙情的な作品が並んでいます。
 個人的ベストは「雨の檻」「セピアの迷彩」

「雨の檻」
 地球を離れて新しい惑星を目指す恒星間宇宙船。その窓には宇宙空間の代わりに、もう何年もの間ひたすら雨の風景だけが映し出されていた。無菌の部屋から出られないシノは、家族からも隔離されてロボットのフィーと二人きりで暮らしていたが、フィーの様子が次第におかしくなっていく。そしてついにある日……。
 隔離された無菌室で暮らすシノにとって、フィーはその孤独を多少なりとも癒してくれる唯一の“家族”です。そのフィーの様子がおかしくなったとき、シノの孤独は最高潮に達します。そして何ともいえない後味を残す結末。傑作です。

「カーマイン・レッド」
 山奥の美術専門学校に入学した“僕”は、級友たちにとけ込めず、いじめられ続ける毎日を過ごしていた。そんなある日、教授が教室に連れてきたロボット“ピイ”と出会った僕は、彼に親しみを感じるようになっていく。そして……。
 人間以外の存在との心の交流というのはSFでよく描かれるモチーフですが、この作品ではカーマイン・レッドという色をキーにすることで独特の印象を与えています。

「セピアの迷彩」
 ついに“私”のもとに彼女がやってくる。亜光速船での長い航海から戻ってきた彼女は、記憶を失っていたのだ。自分のクローン体として私を生み出し、私の人生を縛ってきた彼女――もう一人の“私”が。私は彼女を許さない……。
 双子よりも近い存在、クローン体とオリジナル。二人の“私”の間に渦巻く複雑な感情を鮮やかに描き出した作品です。クローンとして生まれた悲しみ、オリジナルの意思に縛られているという思い。人間のクローンが実現可能となりつつある今、より重要な意味を持つ作品といえるでしょう。

「そばかすのフィギュア」
 靖子のもとに送られてきた試作品のフィギュア。それは、彼女がデザインしたキャラクターをもとに、最新の技術で製造されたものだった。擬似神経を持ち、動くこともしゃべることも自由自在にできるそのフィギュア、彼女自身の分身ともいうべきキャラクター“アーダ”が目覚めたとき……。
 主人公は、自分の写し身“アーダ”の恋の行方を見守ることで、ちょうど鏡を見つめるように自分自身の心の奥底に踏み込んでいきます。物語が幕を閉じるとき、成長を遂げた主人公の姿が印象に残ります。

「カトレアの真実」
 猥雑な街、ビョーキの巣窟で出会った男は、頬にカトレアの入れ墨をしていた。その日から、死病に取りつかれた“私”と彼の暮らしが始まった。私は彼がすっかり自分のものになったと思っていた。彼は私に殺されたがっているのだ、と……。
 皮肉なプロット。胸を打つ叫び。重いテーマを淡々とした語り口で描いた作品です。

「お夏 清十郎」
 その時遡能力によって日本舞踊・白扇流の家元に抜擢された奈月。彼女は自分の身を削りながら時間をさかのぼり、今では廃れてしまった伝統芸能を発掘してくるのだ。時遡の夢の中で、失われた恋人・芙月に出会うこと。それが彼女を駆り立てていたのだった……。
 日本舞踊の名取りでもある作者の深い造詣が十分に生かされた作品です。時遡能力によって失われた恋人との逢瀬を重ねる家元・奈月と、その姿を見つめ続ける、いまだ恋を知らない若き次期家元・夢月を対比させることで、単なる踊りの技術を越えた何かを描き出そうとしています。

「ブルー・フライト」
 試験管ベビーとして生まれ、エリートとして航宙士を目指してきたアヤ。彼女の支えとなるのは、まだ見ぬ母親の“遺志”を伝える青いガラスのペガサス像だった。“翔びなさい、アヤ”――その言葉に導かれてきたアヤだったが、最終試験が近づくにつれて重いプレッシャーに耐えられなくなっていく……。
 作者が高校生の時に発表されたデビュー作。宇宙を目指すのは自分の意思なのか、それとも母親の“遺志”に縛られたものなのか。母親に会えないことがその葛藤に輪をかけています。青いペガサスのイメージが鮮烈です。

2001.09.11読了  [菅 浩江]


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