ミステリ&SF感想vol.94

2004.11.09
『死を呼ぶペルシュロン』 『人格転移の殺人』 『地の涯 幻の湖』 『水の迷宮』 『時間溶解機』



死を呼ぶペルシュロン The Deadly Percheron  ジョン・フランクリン・バーディン
 1946年発表 (今本 渉訳 晶文社ミステリ)

[紹介]
 精神科医ジョージ・マシューズのもとに、自分の頭がおかしいのではないかと相談に訪れた、ジェイコブ・ブラントと名乗る青年。彼のところに小人たちがやってきて、小遣い稼ぎの奇妙な仕事をさせるという。好奇心に駆られたマシューズがジェイコブに同行してみると、身長3フィートのユースタスという男が本当に現れたのだ。そしてユースタスは、人気女優フランシス・レイにペルシュロン種の巨大な馬を届ける仕事をジェイコブに命じたのだが……フランシス・レイは殺害され、容疑者として逮捕されたジェイコブは別人にすり替わり、記憶を失ったマシューズは精神科のベッドに横たわっていた……。

[感想]

 異様な心理サスペンス『悪魔に食われろ青尾蝿』で知られる鬼才のデビュー作で、こちらもまたとんでもない怪作です。まず、奇妙な患者に奇妙なアルバイト、そして奇妙な小人と立て続けに投入されることで、発端にしてすでに奇怪な物語世界が形作られています。さらに、殺人現場につながれた巨大な馬という何ともシュールな光景が秀逸。この、序盤の強烈なインパクトが、何ともいえない独特の魅力を放っています。

 中盤は殺人事件から一端離れ、好奇心から事件にどっぷりと浸かったために出口のない罠に囚われてしまったマシューズ自身の物語となっています。精神科医としての経験を生かして何とか退院しようとするやり口が面白いのですが、“かつての自分”をすっかり失ってしまったその姿はやはり哀れとしかいいようがなく、またその苦しみが生々しく描かれています。それでもやがて、マシューズは失われた記憶を取り戻すために、自分を罠に落とした相手を探し始め、その過程で奇怪な事件の真相もほんの少しずつ明らかになっていきます。

 とはいえ、マシューズの精神は依然として不安定なままで、物語の展開は予断を許しません。だれることなくスリルとサスペンスを保ったまま終盤に突入し、最後の最後には合理的な真相が示されます。伏線がやや不十分に感じられるところもあるものの、まずまず納得のいく真相といえるでしょう。しかし、それですべてがすっきりしたというよりもむしろ、それまでの眩惑を誘う描写とのミスマッチによって何ともいえない居心地の悪さが生じており、さらにいびつな犯人像がそれに輪をかけています。

 合理的な真相が明かされるところをみると、作者が(本格)ミステリを指向していたのは間違いないと思うのですが、片足はかろうじてその範疇にとどまっているものの、もう片足は完全にそこから踏み出したという感じで、結局できあがったのは最初から最後まで変な作品。しかも、決して狙ったものではなく、ちょうどJ.T.ロジャーズ『赤い右手』のような“天然もの”の雰囲気が漂います。どことなく中途半端なところが印象的な、“壊れたミステリ”の傑作です。

2004.10.21読了  [ジョン・フランクリン・バーディン]



人格転移の殺人  西澤保彦
 1996年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 カリフォルニア州S市のショッピングモールの片隅、寂れた雰囲気のファーストフード店に居合わせた人々は、突然の大地震に襲われ、店内にあったシェルターらしき建物の中に逃げ込んだ。だが、それは単なるシェルターではなく、“入れ替わりの環{スイッチ・サークル}”という人格交換システムだったのだ。かくして、大地震を生き延びた6人の人格は、ランダムなタイミングで次々と順番にスライドしていくことになってしまった。6人はCIAによって隔離され、とある施設の中に閉じ込められるが、やがて凄惨な殺人劇が起こる。犯人は誰の人格なのか……?

[感想]

 人格の入れ替わりという設定に基づくSFパズラー。2人や3人くらいならともかく、結構な大人数の間での人格転移という複雑な現象が扱われることもあって、事件が起こる前のルール説明にかなりの分量が割かれていますが、事件とは無関係の、いわば“もう一つの物語”の中で要領よく説明されており、退屈させられることはありません。『死者は黄泉が得る』などと同様に作動原理も、また誰が作り上げたのかも定かではありませんが、ルールそのものは意外にシンプルでわかりやすいと思います。

 大地震をきっかけに主人公たちが“スライド”サークル――人格転移の環――に組み込まれてからがいよいよ本番ですが、さすがに6人の間の人格転移ということで少々混乱を招く部分もないではないものの、登場人物たちの国籍(人種)や年齢、性別などがバラバラだという巧妙な設定(逆にいえばややご都合主義の感もありますが)もあって、それぞれの人格は(誰の体に入っているかにかかわらず)かなり区別しやすくなっています。

 ところが、殺人劇の幕が上がるとそれが一変します。殺人者が黙々と、しかも次から次へと犯行を重ねるとともに、“マスカレード”――人格転移――が目まぐるしく起こるという怒涛の展開で、誰が誰だかわけがわからなくなってしまいます。本書の狙いの一つはおそらく、“目撃者の目の前での犯行にもかかわらずフーダニットを成立させる”ことにあると思われるのですが、犯人にしゃべらせることなく一気に片をつけることでそれを達成し、また同時に得体の知れない不気味な犯人像を演出してパニックを煽るという手法が非常に巧妙です。

 ロジックの試行錯誤の果てに導き出されるのは、クローズドサークル内の連続殺人にもかかわらず完全に盲点としかいいようのない意外な真相。そして結末の処理もまた見事です。西澤保彦による一連のSFミステリを代表する傑作の一つです。

2004.10.23再読了  [西澤保彦]



地の涯 幻の湖  田中光二
 1987年発表 (徳間文庫 た8-28・入手困難

[紹介]
 マットグロッソの奥地にあるという幻の都“Z”を探し出そうとして、そのまま消息を絶った羽沢乙彦。妻の英子は最後に届いた手紙を手がかりに、ブラジルへとやってきた。そして、各地で乙彦の足跡をたどり、やがて同行者とともに密林の奥地に踏み込んでいく。目指すは、地図にも載っていない幻の湖のほとりにたたずみ、逃亡した黒人奴隷の末裔に守られた古代の都“Z”。困難な探検行の果てに待ち受けるのは……?

[感想]

 ブラジル、アマゾン川流域の奥地を舞台とした冒険小説です。まず目につくのが、現地の風俗、文化、歴史、そして自然に関する描写の膨大な情報量で、ディテールが克明に描かれることで臨場感が高まっています。ある意味、舞台となる土地こそが本書の主役であり、非常に魅力的な“旅”そのものが物語の中心といえるように思います。

 しかし、単なる紀行文ではなく冒険小説であるからには、主人公たち一行の旅は一筋縄ではいきません。光瀬龍氏の解説でも指摘されている、冒険小説ならではの“克服不可能と思われる条件”が、数多の困難となって主人公の眼前に立ちはだかります。そもそも、経験もない女性の身で密林の奥地へ踏み込んでいくこと自体が無謀ともいえるのですが、それ以前の段階においてさえ様々な障害が行く手を阻みます。しかも、目的地が人々を寄せつけない幻の都とくれば、冒険のスリルとサスペンスは十分です。

 残念ながら、主人公である羽沢英子のキャラクターに(あくまでも個人的に)今ひとつ好感が持てず、感情移入しづらい部分もあったのですが、エキゾティックな土地の痛快無比な冒険行に非の打ち所はなく、まさに冒険小説のお手本のような作品といっていいかもしれません。

2004.10.25再読了  [田中光二]



水の迷宮  石持浅海
 2004年発表 (カッパ・ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 深夜まで残業していた飼育係長の片山が急死してから3年。生まれ変わった羽田国際環境水族館は、新たな人気スポットとなっていた。その片山の命日、館長の波多野のもとに携帯電話が送り届けられる。その携帯電話に何者かが送りつけてきたメールは、水族館の水槽に何らかの危害を加えることを暗示する、脅迫めいたメッセージだった。その予告通り、次々と水槽に悪質な悪戯が仕掛けられ、職員たちの緊張は高まっていく。そして、職員の一人が殺害されてしまった……。

[感想]

 変則的なクローズドサークルものを得意とする作者の最新刊で、今回は水族館が舞台です。次々と水槽に悪戯を仕掛け、さらに観客に危害を加えることまで暗示する犯人の要求によって、警察を介入させることができなくなり、クローズドサークルが成立しています。

 事件は派手ではありませんが、犯人の巧妙な仕掛けや、細かい手がかりの配置、そしてロジカルな推理など、ミステリとしてはよく計算されていると思います。さらに、それを支える舞台や登場人物の設定もよくできていて、プロットに十分な説得力が備わっています。また、探偵役の事件への関わり方(事件との位置関係というべきか)がよくできているところも見逃せません。

 しかしそのミステリ部分は本書においては主役ではなく、あくまでも物語としての結末に奉仕する立場といえます。そして、真相が解き明かされた時に描き出されるスケールの大きな構図は、それまでの地味な事件と鮮やかなコントラストをなし、強い感動を与えてくれます。ミステリに無理矢理ドラマを持ち込まれるのはあまり好きではないのですが、本書の場合はドラマとミステリが絡み合うどころか、ミステリとしてのプロットが最初からドラマの中にきっちりと組み込まれているため、とってつけたように感じられることもありません。

 ただし、物語の結末そのものは決して万人受けするものではなく、かなり好みが分かれるところでしょう。個人的にはさほど大きな問題ではないと思うのですが、まったく非の打ち所がないというわけでもありません。真相が解明される場面までは傑作、結末はやや微妙、といったところでしょうか。

2004.10.27読了  [石持浅海]



時間溶解機 The Time Dissolver  ジェリイ・ソール
 1957年発表 (田中小実昌訳 ハヤカワ・SF・シリーズ3011・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 目を覚ましたウォルター・シャーウッドは、モーテルの一室で見知らぬ女と一緒のベッドに眠っている自分を発見した。慌てて外へ飛び出したものの、住み慣れていたはずの町の様子が、細かいところで記憶と一致しない。やがて、ガラス窓に映った自分の顔を目にしたシャーウッドは、思わずギクリとした。10年ほども年老いていたのだ……。
 目を覚ましたヴァージニア・アプルビイは、驚愕と恐怖に震えながら見知らぬ男を見送った。どうしてこんなことになったのか、何も思い出せない。今日の日付を確認したヴァージニアは愕然とした。彼女の記憶は11年前で途切れていたのだ……。

[感想]

 裏表紙の紹介には“SF界のウールリッチ”という異名が記されていますが、(他の作品は未読なのでわかりませんが)少なくとも本書に限ってはまったくその通りで、ウールリッチばりの心理サスペンスとなっています。作中の年代は本書の発表された1957年、つまり発表時点の“現代”が描かれており、SFらしい雰囲気はほとんどありません。

 本書では、主役となる男女二人がともに記憶を失っているというところが、一般的な記憶喪失サスペンスと一線を画しています。例えば上の『死を呼ぶペルシュロン』でもそうですが、オーソドックスな記憶喪失ものでは記憶を失った主人公だけが特殊な立場に置かれるのに対して、本書では対等な立場の二人が協力することになるわけで、当人同士の間の微妙な心理状況も含めて、ひと味違った雰囲気をかもし出しています。

 物語は、失われた記憶を補完しつつ奇怪な記憶喪失の真相を探るというミステリ的な体裁を取っていますが、おおよそ何が起こったのかはかなりわかりやすく、謎解きの興味がほとんどないのが少々残念なところです。それでも、疑問として残っていたある一点についての真相には、なるほどと思わされました。

 記憶を失ったことを奇貨として、白紙の状態から再出発するか、それとも、あくまでも記憶を失う前の人生を取り戻すことに固執するか。可能であったとしても重大な選択ですが、一人ではなく二人の問題であることが、その重さを一層増しています。苦悩の果ての結末が、強く印象に残ります。

2004.11.01読了  [ジェリイ・ソール]


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