ミステリ&SF感想vol.67

2003.07.28
『蛇の魔術師』 『凍るタナトス』 『世界の果てまで何マイル』 『悪魔に食われろ青尾蝿』 『焦茶色のパステル』



蛇の魔術師 The Serpent Mage  グレッグ・ベア
 1986年発表 (宇佐川晶子訳 ハヤカワ文庫FT118・入手困難

[紹介]
 廃ビルで発見された奇怪な死体。それは、〈王国〉からの侵略の前兆だった――異世界での苛酷な冒険を経て、現実の世界へと戻ってきたマイケルだったが、穏やかな日々は長くは続かなかった。突如、異世界の妖精たちが大挙して地球へと移動し始めたのだ。そして再び現れた“アイソメイジ”の影。現実世界が浸食されていく中、かつてその演奏を耳にした人々を〈王国〉へと送り込んだ〈無限協奏曲〉の楽譜を発見したマイケルは、その再演を決意したのだが……。

[感想]

 魔法と詩と音楽を中心に据えたファンタジー『無限コンチェルト』の続編です。前作では、異世界に放り込まれた主人公のマイケル少年が、数々の冒険を経て地球に戻ってくるまでが描かれていましたが、本書では逆に異世界の妖精たちが現実世界を浸食し始めます。基本的に現実世界が舞台となっていることで、前作よりかなり読みやすくなっているのはありがたいところ。また、妖精たちはもちろん、人間たちもどこかなじみにくく感じられた〈王国〉と違って、現実と幻想の間で何とか折り合いをつけようとするハーヴェイ警部補のような味のあるキャラクターが登場しているのも、リーダビリティを高めている要因といえるでしょう。

 さて、前作でわけもわからないまま魔法の修行をさせられた主人公のマイケルですが、本書ではその果たすべき役割が次第に明らかになっていきます。〈王国〉への再訪、強大な“蛇の魔術師”との対峙、そして“アイソメイジ”との再戦といった過酷な経験を余儀なくされるマイケルですが、それに見合うだけの力をつけていくとはいえ、その肩に科せられた役目はあまりにも重いもので、消耗していくその姿は痛々しくも感じられます。それでも最後には、500頁強の二冊分という長大な物語にふさわしい、美しく、見事な幕切れが待ち受けています。最初から最後まで膨大なアイデアとイメージが注ぎ込まれた、重厚な傑作といっていいのではないでしょうか。

 最後に、翻訳に関してツッコミを一つ。本文205頁には“クラヴィコードに似た楽器{シンクラヴィア}({}内はルビ)と書かれていますが、これは明らかに商品名の“シンクラヴィア(Synclavier)”でしょう。シンセサイザー/サンプラー/シーケンサー/デジタルレコーダーなどの機能を兼ね備え、フルセットの値段が一億円ともいわれたとんでもない代物です(今はメーカーも倒産してしまっているようですが……)

2003.07.13読了  [グレッグ・ベア]



凍るタナトス  柄刀 一
 2002年発表 (文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ)ネタバレ感想

[紹介]
 死を間近に控えた入院中の老人・瀬ノ尾是光が、ギプス用の石膏で頭部を塗り固められて窒息死させされた。是光は、死者の冷凍保存事業を推進する団体〈JOPF〉の中心人物だったのだが、そのJOPFでは、是光の息子で理事長の光司が殺害された上に死体を焼かれる事件が起こった。さらに、冷凍保存されていた是光の死体が、密室状態の冷凍室で首を切り離され、それを粉々に砕かれたのだ。その一方、JOPFの影では“手配師”と呼ばれる謎の人物が暗躍しているらしい……。

[感想]

 『ifの迷宮』と同様、生命倫理をテーマとした近未来ミステリですが、出生前遺伝子診断という技術を通じて“誕生”が扱われていた『ifの迷宮』に対して、本書ではクライオニクス(遺体の冷凍保存)、すなわち“死”が中心となっています。クライオニクスを推進するJOPFとそれに反対する勢力の対立、あるいは冷凍保存された遺体の扱いをめぐるJOPF内部の対立という構図を通して、様々な角度から追究されるテーマには、非常に興味深いものがあります。

 しかしながら、例えばSF作家L.ニーヴンが『時間外世界』「不完全な死体」『不完全な死体』収録)で見せた、冷凍睡眠者に対する徹底してシニカルな、しかしある意味で現実的な扱いに対して、本書では(仕方ないところかもしれませんが)蘇生処置を託される後世の人々の側の視点が欠落したまま、死者を冷凍保存する時点のみがクローズアップされています。それもあって、クライオニクスが死者との別れの悲しみを埋め合わせる希望という位置づけになっており、結果的にあまりにも楽天的、かつ過剰にドラマティックに扱われているように思えてなりません。そして、このような過剰な(あるいは強引な)ドラマ指向のために、本書のプロットにはかなりの無理が生じているところが残念です。ただ、このあたりは、人によって評価が分かれるところかもしれませんが……。

 ミステリとしては、柄刀一お得意の豪快なトリック中心ではなく、かなり細かいネタを積み重ねた、どちらかといえばプロット重視の作品となっています。個々のネタは玉石混交という感もありますが、密室トリックはなかなかユニークですし、犯人指摘のための手がかりの緻密さには圧倒されます。またプロットの方では、意表を突いた終盤の展開が非常に印象的です。しかし、ネタの盛り込みすぎもあってか、全体としてややまとまりを欠いた状態になっているのは否めませんし、また前述のように無理が生じている部分があるのも残念なところです。意欲的な作品であることは間違いないのですが、決して成功しているとはいえないのではないでしょうか。

2003.07.16読了  [柄刀 一]



世界の果てまで何マイル Talking Man  テリー・ビッスン
 1986年発表 (中村 融訳 ハヤカワ文庫SF1035・入手困難

[紹介]
 アメリカの片田舎で自動車整備工場を営む魔法使いトーキング・マンは、一人娘のクリスタルと気ままな生活を送っていた。ところがある日、謎の女に殺されかけたトーキング・マンは、お客のウィリアムズのムスタングを奪ってどこかへ逃げ去ってしまった。残されたクリスタルとウィリアムズは、おんぼろクライスラーを駆って捜索の旅に出たのだが、いつしか世界は姿を変えていき、旅は時の果てまで続くことになったのだ……。

[感想]

 SF、というよりはファンタジーといった方が適切な、奇妙で不思議な物語です。中心となるのはトーキング・マンを捜す旅、それもひたすら延々と続くドライブなのですが、これが何ともいい味を出しています。食料とガソリンの補給に立ち寄るごとに少しずつ姿を変えていく風景や、土地ごとに様々な変化を見せる風物は、広大なアメリカ大陸を実際に旅している気分にさせてくれます。そして、その途中からはいつの間にか文字通り世界が変貌していき、まさに夢のような旅が繰り広げられます。

 主人公であるクリスタルとウィリアムズの二人も、すっかり当初の目的を忘れて旅そのものに魅せられてしまっているように見えるほど、この驚異に満ちた旅は強烈な魅力を放っています。人によってはなかなか世界に入り込めないかもしれませんし、序盤は少々辛いところもあるのですが、非常にユニークで楽しいファンタジーに仕上がっていると思います。

2003.07.21読了  [テリー・ビッスン]



悪魔に食われろ青尾蝿 Devil Take the Blue-Tail Fly  ジョン・フランクリン・バーディン
 1948年発表 (浅羽莢子訳 翔永社ミステリ・入手困難

[紹介]
 精神病院に2年間入院していたエレンに、ようやく退院の日が訪れた。愛する夫・バジルのもとに帰ることができるのだ。優れたハープシコード奏者だったエレンは、演奏活動を再開しようとする。だが、音楽も、自宅も、そして夫との生活も、以前とはどこかが異なっていた。不安に怯えるエレンの前に姿を現したのは、かつて死んだはずの男。やがて、封印された忌まわしい過去が、次第にエレンを支配していく……。

[感想]

 精神を病んだ女性を主人公とした心理サスペンスです。最大の見どころは主人公・エレンの視点による異様な描写で、序盤こそ微妙な違和感にとどまっているものの、やがて現在と過去、あるいは現実(という保証はまったくないのですが)と幻想とが何の前触れもなく突然切り替わるようになり、何が起こっているのかよくわからないという強烈な不安感を煽ります。そしてまた、現在と過去/現実と幻想が交錯するという状態をさほど異常に感じていないように見えるエレンの異質さが、何ともいえない恐怖を誘います。

 終盤に登場するネタは、今となってはありふれたものとなってしまっていますが、発表された年代を考えるとその先進性は評価すべきでしょう。そして、そのネタをうまく使った結末のカタストロフィーは、強く印象に残ります。“早すぎた傑作”という歴史的意義を備えているだけでなく、全編からあふれ出てくる強烈な不安と恐怖には、一読の価値があるといえるのではないでしょうか。

2003.07.24読了  [ジョン・フランクリン・バーディン]



焦茶色のパステル  岡嶋二人
 1982年発表 (講談社文庫 お35-1)ネタバレ感想

[紹介]
 香苗は、突然の刑事の訪問に戸惑っていた。競馬評論家である夫の隆一が、殺人事件への関与を疑われているというのだ。だがその頃、東北の幕良牧場を訪れていた隆一は、牧場長とサラブレッドの母子・モンパレットとパステルとともに、何者かの狙撃を受けて命を落としていた。夫はなぜ殺されたのか? 隆一が残した“これ、本当にパステルか?という言葉の意味は? 事件の真相を探る香苗は、やがて競馬界を揺るがす恐るべき秘密に迫っていく……。

[感想]

 第28回江戸川乱歩賞を受賞した岡嶋二人のデビュー作ですが、その完成度の高さには改めて驚かされます。競馬という、さほど一般的でない題材を扱いながら、その知識をまったく持たない人物を主人公に設定することで、必要な知識を読者にも無理なく伝えていくという手法は巧妙ですし、何気ない描写や会話の中に細かな手がかりを潜ませていく手腕もまた絶妙です。さらに終盤のサスペンスも十分で、物語として非常によくできているといえるでしょう。

 前年に惜しくも受賞を逃した『あした天気にしておくれ』が子馬の誘拐事件という異色作だったのに対して、この作品は比較的オーソドックスなミステリとなっていますが、やはり競馬という特殊な世界ならではのユニークな謎は魅力的です。そして、真相の一部を小出しにしつつ、核心は巧妙に隠しておいて、最後に一気にぶつけてくるという手順はお見事。しかもその真相は、十分に強力なインパクトを備えています。

 少々気になる部分もないではないのですが、それでもやはり受賞も当然といえる傑作です。

2003.07.25再読了  [岡嶋二人]


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