今出川ルヴォワール/円居 挽
まず「第一章」の〈双龍会〉では、御堂達也が水呪坊殺しの疑いで〈御贖〉とされていますが、カーター・ディクスン『ユダの窓』さながらに達也が死体とともに密室内に閉じ込められる一方で、死亡推定時刻に達也は郵便局にいたというアリバイが成立している、一見すると矛盾した状況がユニーク。これだけをみると、黄龍側と青龍側は互角のようにも思えますが、その後の攻防の趨勢は大きく黄龍側に傾きます。
青龍側は“密室”を攻めるために“X坊”(苦笑)の存在を仮定していますが、それは黄龍側にとってダメージではない――黄龍側は“密室”に頼ることなく、青龍側のよりどころである“アリバイ”を直接崩しにかかっているからで、かつての〈権々会〉で盆を吊すのに使われた滑車による時限装置で、アリバイは無意味なものとなります。対する青龍側の、素手では不可能という反論にも説得力がありますが、そこで炸裂する黄龍師・天親雹平の“螢返し”――青龍側が持ち出した(単なるギャグかと思われた)“双子の弟・和也”を逆に利用して、達也のアリバイそのものを崩壊させているのが実に鮮やかです。
実のところは、このあたりの黄龍側の説明(81頁~82頁)はやや不足しており、“二つを一気に解く解法”
(81頁)というには手袋の件がなおざりにされている感がなきにしもあらず。つまり、滑車を使うつもりだった水呪坊(*1)の方が当然手袋を用意していたはずであり、達也がそれを使った後に一旦外に出て処分する機会があったこと(*2)、まで説明した方がよかったのではないでしょうか。
さて、追い込まれた青龍師・城坂論語ですが、かつての〈権々会〉で大文字が見えたというエピソードをもとにして、観相窓の存在を導き出すあたりは秀逸(*3)。さらに、観相窓から綱の繊維が――“実際に使われた”証拠として(*4)――見つかることで、容疑が達也から(観相窓を使うことができる)“X坊”へと完全に転じているのがお見事です。
しかし「第一章」のラストで、その証拠が実は、“ささめきの山月”が意図せず残した“偽の証拠”だったことが明かされるのが印象的です。
続く〈権々会〉でも数々の仕掛けが用意されていますが、やはり偽の大文字を出現させる最後の大技が圧倒的。「第一章」でトリックに使われた観相窓が再び利用されているところにもニヤリとさせられますし、“ささめきの山月”の“あの観相窓がいつか大怨寺を崩壊に導くかもしれない”
(109頁)という台詞が伏線として回収されているのもうまいところです。
“滑車の仕掛け(中略)水呪坊が御堂達也を殺すために用意したからだ”(82頁)。
*2:
“結局は殺す羽目になり、その作業の最中にX坊によって堂内に閉じ込められた”(81頁)というのも、水呪坊を殺害してそのまま閉じ込められたようにも読めるので、やや言葉足らずだと思われます。
*3: 大怨寺に大仏があった(56頁)という伏線も効果的です。
*4: いうまでもないかもしれませんが、このあたりは間違いなく某海外古典((作家名)カーター・ディクスン(ここまで)の(作品名)『ユダの窓』(ここまで))を下敷きにしたものでしょう。
2012.12.04読了