ミステリ&SF感想vol.203

2013.03.25

今出川ルヴォワール  円居挽

ネタバレ感想 2012年発表 (講談社BOX)

[紹介]
 京都・河原町今出川にある怪しげな寺・大怨寺。寺とは名ばかりの、凄腕の博徒たちが集うそこで殺人が起こり、疑いをかけられた龍樹家の龍師・御堂達也が〈双龍会〉に引き出されることに。ある事情から大怨寺への復讐をもくろむ達也は、仲間たちにもすべてを明かすことのないまま、黄龍師・天親雹平の前に窮地に追い込まれる。しかしそれも、やがて大怨寺で大々的に催される賭博勝負〈権々会〉の前哨戦にすぎなかった……。特製の数札を使ったゲーム〈鳳〉に挑むのは、龍師や大怨寺の博徒など錚々たる面々。二日間にわたって繰り広げられる、壮絶な大勝負の行方は……?

[感想]
 古都・京都を舞台に、一種の伝統芸能に近い私的裁判〈双龍会〉と、そこで激しい舌戦を繰り広げる若き〈龍師〉たちの活躍を描いた、シリーズ第三作(というわけで、必ず第一作『丸太町ルヴォワール』から順にお読み下さい)。ですが、本書ではこれまでの〈双龍会〉に加えてまた新たな舞台が用意され、スリリングな頭脳戦を中心に据えた青春群像劇というところはそのままながら、やや趣の違う物語となっています。

 前二作では〈双龍会〉がメインに据えられていましたが、本書では“本番”の前の前哨戦という位置づけで、そのため物語の序盤からいきなり〈双龍会〉に突入するという急展開。しかし前哨戦とはいえ、御堂達也が死体とともに密室に閉じ込められるカーター・ディクスン『ユダの窓』にも似た発端、しかも達也自身がすべてを語らない状況から、いかにして逆転へ持っていくかという、密室とアリバイ*1が絡んだ一進一退の攻防は、それだけでも十分に見ごたえがあります。

 またその過程で、達也と大怨寺の間の因縁が明らかにされることになりますが、それだけにとどまらず、これまでの作品でも匂わされていた復讐劇――高校生時代の“挑戦と敗北”も含めて、達也の過去に大きく踏み込んだ内容となっているのが見どころ。そして、かつて一敗地にまみれた相手とは別の――もう一方の怨敵である大怨寺を標的とした、達也の新たな復讐劇が物語の軸となり、その行方が興味の的となって読者を引き込みます。

 その復讐の舞台となるのは、大怨寺が主催する賭博大会〈権々会〉――作者のオリジナルと思しきカードゲーム〈鳳〉*2での、“何でもあり”の大勝負。ということで、これまでの〈双龍会〉も“裁判”といいつつそのような一面もあったわけですが、本書では完全にコン・ゲームが主役となっています。〈双龍会〉と違って“解明/説得のロジック”が存在しないのは致し方ないところですが、イカサマも含めて“勝つために何を仕掛けたのか”が一種のハウダニットとなり、ミステリに通じる面白さも備わっています。

 そして何よりも、(バックグラウンドも含めて)個性豊かな勝負師たちが繰り広げる勝負の展開そのものが、非常に魅力的に描かれているのは間違いありません。〈双龍会〉とはまた一味違った頭脳戦――熾烈な読み合いと騙し合いが前面に出された勝負は二転三転し、その果てには豪快な仕掛けによる凄まじい決着が用意され、満腹感が残ります……と思っていると、最後にはあまりにも強烈な“引き”が。次作『河原町ルヴォワール』で完結予定とのことで、大いに楽しみです。

*1: ストレートにミステリらしいパートなので、読み終えてみると逆にやや浮いている感がないでもない……ような気もしますが(苦笑)。
*2: 比較的シンプルでわかりやすく、ドラマティックな“一発逆転”も可能なルールで、よく考えられていると思います。

2012.12.04読了  [円居 挽]
【関連】 『丸太町ルヴォワール』 『烏丸ルヴォワール』 『河原町ルヴォワール』

{そら}の地図(上下) El Mapa del Cielo  フェリクス・J・パルマ

2012年発表 (宮崎真紀訳 ハヤカワ文庫NV1271,1272)

[紹介]
 1898年、ロンドン。小説『宇宙戦争』が好評を博した作家H.G.ウエルズを訪ねてきたアメリカ人作家サーヴィスは、自然史博物館の秘密の部屋にウエルズを誘う。そこには、“火星人”の遺体が隠されているというのだ……。/1829年、地底世界への入り口を発見すべくニューヨークを出港した南極探検船は、南氷洋で氷に閉じ込められた末に、奇妙な飛行物体に遭遇する。やがて探検隊は、襲い来る怪物と死闘を繰り広げることに……。/再び1898年。ニューヨークでも有数の資産家の娘エマは、大富豪ギルモアの求婚を受ける条件として、『宇宙戦争』で描かれた火星人によるロンドン侵略の再現を求める。そして“その日”――ウエルズのもとを訪れたロンドン警視庁特殊捜査部の特別捜査官クレイトンは、『宇宙戦争』そのままにロンドン近郊に宇宙船が出現したことを告げて……。

[感想]
 H.G.ウエルズ『タイム・マシン』を下敷きに、そのウエルズ自身を主役に据えて痛快かつ壮大な冒険を描いた快作、『時の地図(上下)』――そのストレートな続編*1である本書は、同じくウエルズその人を主人公としつつ、今度は『宇宙戦争』へのオマージュ。前作はSFともミステリともファンタジーともつかない、“どこに落ちるのかわからない”感覚が一つの魅力だったのに対して、本書はSF色がかなり強めの作品となっていますが、それでも一筋縄でいかないのは相変わらずです。

 三部構成のまず「第一部」は、勝手に『宇宙戦争』の続編*2を書いた作家ギャレット・P・サーヴィスと“本家”ウエルズとの出会いが発端で、『宇宙戦争』の結末に関する二人の議論なども興味深いものがありますが、サーヴィスに導かれてウエルズが博物館の秘密の部屋を訪れるくだりにはわくわくさせられるものがあります。そして、小説の中の存在ではなく実在の“火星人”の遺体――もちろんウエルズの描写とはまったく異なる姿の――との対面を果たす場面には、ホラーめいた衝撃があります。

 しかしそこで物語は一転。前作でおなじみの“神の視点の語り手”(作者)が登場し、読者は七十年前の南極探検――主役は地球空洞説を信じて探険を企画したジェレマイア・レイノルズ――へと案内されます。出港に至るまでの経緯からじっくりと描かれた末に、恐るべき怪物との壮絶な死闘が用意された探検物語には、思わず引き込まれます。そのクライマックスで、再び登場した“語り手”が繰り出す豪快な“大技”には唖然とさせられますが、辛くも生き延びたレイノルズと“もう一人”*3が恐怖を共有しながらその後の人生を送る姿が印象に残ります。

 そして再びウエルズの時代に戻り、前作(の「第二部」)を思い起こさせる風変わりな恋物語で幕を開ける「第二部」では、いよいよ『宇宙戦争』を下敷きにした“火星人の地球侵略”の勃発。冒頭から虚実が入り乱れ、またウエルズが書いた『宇宙戦争』とは似て非なる侵略劇は、どのように展開していくのか予断を許さず、緊迫感に満ちています。その中で、どこか謎めいたところのあるクレイトン捜査官をはじめ、ウエルズと行動を共にすることになった味のある登場人物たちの振る舞いが、大きな魅力となっています。

 侵略劇の顛末はそのまま「第三部」へと引き継がれ、“どのように収拾をつけるのか”が大きな見どころとなりますが、作者らしい豪腕が炸裂。伏線が回収され、また“ある種のトリック”――これにはうならされました――が暴露されながら、いわば“かくあるべき”結末に向かって収束していくのが見事です。と同時に、物語全体を通じて“物語の力”――人々に夢や希望、心の幸せをもたらす力が描き出され、讃えられているのが胸を打ちます。期待に違わぬ、前作に優るとも劣らない快作といっていいでしょう。

*1: 前作を読んでいないとわからない部分もあるかと思われますので、必ず前作『時の地図(上下)』を先にお読み下さい。
*2: 「エジソンの火星征服 - Wikisource」を参照。
*3: 下巻巻末の「訳者あとがき」では明かされていますし、勘のいい方は(一応伏せ字)この部分の元ネタの一つに気づけば(ここまで)お分かりになるでしょうが、事前に知らない方がより楽しめるのではないかと思います。

2012.12.10 / 12.16読了  [フェリクス・J・パルマ]
【関連】 『時の地図(上下)』

のぞきめ  三津田信三

ネタバレ感想 年発表 (訳 )

[紹介]
 奇妙な経緯で手に入った、市井の民俗研究者・四十澤想一が残した一冊のノート。詳細不明な怪異〈のぞきめ〉について記されたそれを読み終えてみると、かつて知人の利倉成留から聞いた怪異譚とのつながりが……。
 昭和の終わり頃、辺鄙な貸別荘地でアルバイトをしていた利倉成留ら四人の学生たちは、管理人に禁じられていた山道に入り込んだ末に、地図に載っていない廃村へとたどり着き、そこで恐るべき体験を……「覗き屋敷の怪」
 昭和の初期。学生・四十澤想一は学友の鞘落惣一から、故郷の山村にある実家に取り憑いた怪異の話を打ち明けられる。やがて四十澤は、〈終い屋敷〉と呼ばれ村八分扱いの鞘落家を訪ねるのだが……「終い屋敷の凶」

[感想]
 三津田信三の最新作は、作中に名前こそ登場しないものの明らかに三津田信三自身である作家*1を語り手に、現実との境界線を曖昧なものとした*2メタフィクショナルなホラーミステリで、デビュー作『忌館 ホラー作家の棲む家』に始まる〈三津田信三シリーズ〉*3に連なる作品ともいえます。ただし、それらの作品では三津田信三が主役として怪異に巻き込まれるのに対して、本書は“作者(三津田信三)が収集した実話怪談を紹介する”という体裁を取っているのが大きな違いです。

 これについては、同じようなスタイルの『ついてくるもの』の感想でも少し書きましたが、デビュー直後に比べると作者“三津田信三”の名前も顔もずいぶん知られていることもあって、その作者自身が主役として怪異に巻き込まれるのはいささか荒唐無稽に感じられるというか、かえって現実から乖離してしまうきらいがある――のを避ける狙いがあるのではないかと思われますが、閑話休題。

 物語は、“三津田信三”が登場する「序章」「終章」を“枠”として、その間に“本編”である実話怪談が、「覗き屋敷の怪」とその50年以上前にあたる「終い屋敷の凶」との二部構成で挟まれる形になっています。時を隔てて同じ場所で起きた二つの怪異譚が期せずして手元に揃う、薄気味悪い因縁めいた演出もさることながら、それらが単なる繰り返しではなく、同じ“怪異譚”といってもやや性格の異なる物語の重ね合わせによって、ホラーとミステリの融合が図られているのが秀逸です。

 まず利倉成留が語った「覗き屋敷の怪」は、純然たるホラーの味わい。何も知らない学生たちが、好奇心に誘われて禁を破った結果、怪異に襲われるという経緯は定番ともいえますが、じんわりとどこまでもついてくるような怪異の恐ろしさは特筆もの。また、打ち捨てられて久しい廃村ゆえに怪異の由縁を語る人もなく、ほとんど何もわからないまま恐るべき“現象”のみが描かれていくことで、怪異の理不尽さが際立っている感があります。そして、さらりと書かれた最後の一文の気味悪さがお見事。

 一方、「終い屋敷の凶」はやや違った趣で、後の廃村にもいまだ人々が暮らしている上に、記述者の四十澤想一も多少の事情を知った状態で村を訪れているため、より怪異の根源に近いところに迫っていく形です。そのため、恐怖の質や対象も「覗き屋敷の怪」とはやや異なる――「覗き屋敷の怪」ではいわば“純粋な怪異”であるのに対して、こちらではそこに忌まわしい因習が入り混じり、由縁がある程度わかるからこその恐怖ともいうべきものになっています。そしてその結末の、凄まじいカタストロフは圧巻です。

 ミステリでいえば“発端の謎”にあたる「覗き屋敷の怪」、そこに至る背景が掘り下げられていく「終い屋敷の凶」を経て、最後の「終章」は“三津田信三”による一応の“解決篇”といったところ。完全に怪異の存在が前提とされているだけに、何から何まで合理的な解釈がなされるわけではありませんが、怪異の隙間にちりばめられていた謎を浮かび上がらせ、“ある解釈”を導き出す手順は、作者の代表作である〈刀城言耶シリーズ〉を彷彿とさせます。ミステリを期待される向きには少々物足りないかもしれませんが、ホラーとミステリのバランスという点では随一といってもいいのではないでしょうか。

*1: 語り手である“僕”が執筆した作品として、“『忌館 ホラー作家の棲む家』にはじまる〈作家三部作〉”“刀城言耶シリーズの第一長篇『厭魅の如き憑くもの』”が挙げられています(いずれも11頁)
*2: 評論家・千街晶之氏が登場しているのにニヤリとさせられました。
*3: 〈作家三部作〉、すなわち『忌館 ホラー作家の棲む家』『作者不詳(上下) ミステリ作家の読む本』『蛇棺葬』『百蛇堂 怪談作家の語る話』と、番外編的な『シェルター 終末の殺人』

2012.12.26読了  [三津田信三]

妖神グルメ  菊地秀行

1984年発表 (創土社 クトゥルー・ミュトス・ファイルズ2)

[紹介]
 普段は茫洋とした高校生、しかしひとたび包丁を手にすれば、見るもおぞましき食材から天上の美味を作り出すイカモノ料理の天才・内原富手夫。その腕前に目を付けたのは、海底都市ルルイエで復活の時を待つ妖神クトゥルーを信奉する者たち。飢えたクトゥルーの完全なる復活には、富手夫の作る異形の料理が不可欠だったのだ。一方、邪教徒たちの動きを察知した諜報機関は、クトゥルー復活を阻止すべく、いち早く富手夫の身柄を確保しようと動き出す。かくして幕を開けた、若き天才イカモノ料理人をめぐる壮絶で奇怪な戦いの果ては……?

[感想]
 クトゥルー神話(→「クトゥルフ神話 - Wikipedia」)といえば今でこそかなり知られていますが(といいつつ私自身もあまり明るくはありませんが)、1980年代前半はまださほどでもない*1、そんな時代にいち早く発表された本書は和製クトゥルー神話の先駆けの一つであり、なおかつ“クトゥルーvsイカモノ料理人”という空前にして絶後の対決をぶち上げた、まさに怪作にして快作です。

 物語の軸は、クトゥルー復活を画策する勢力とそれを阻止しようとする勢力とによる、天才イカモノ料理人の争奪戦。しかして、ほとんど何も考えていないかのようなとぼけた高校生と、イカモノ料理への情熱が狂気の域に達した天才料理人との、“二つの顔”を持つ主人公・内原富手夫は、強大な二つの勢力にもただ翻弄されるばかりではなく、随所でその才を存分に発揮して積極的に事態を深い混沌へと導いていく――という、菊地秀行らしい破天荒で痛快なストーリーが展開されているのが魅力です。

 一進一退の争奪戦の結果として、富手夫がクトゥルーのもとへたどり着くまでには紆余曲折があるわけですが、それがいわばクトゥルー神話の“名所巡り&キャスト紹介”*2”に仕立ててあるところがよくできています。これは、前述のような時代の事情もあり、また最初に刊行されたソノラマ文庫というレーベルの要請もあるのかもしれませんが、いずれにしてもクトゥルー神話の概要がわかりやすく説明されているという点で、クトゥルー神話への入門書としてもうってつけの作品といっていいように思います*3

 一方、“イカモノ料理”という異色の題材も非常に秀逸。常識外の食材が用いられることで、食材から味を予想するのが困難になっているのはもちろんのこと、さらに“人ならぬもの”に食べさせるための料理という条件が加わり、その味は完全に想像を絶する――それゆえに逆説的に想像力を刺激されることになり、山田正紀の“想像できないことを想像する”という言葉にも通じる、ある種SF的な面白さにつながっている感があります*4

 二つの勢力にライバル料理人までもが加わり、一行(?)はついに妖神クトゥルーの待つルルイエへ。そこで明かされる最後の“オチ”(一応伏せ字)富手夫の狙い(ここまで))は、ある程度予想できる方もいらっしゃるかもしれませんが*5、なるほどと思わされながらもとんでもないものであるのは確かですし、その結末も含めて絶妙な幕引きといえるでしょう。おすすめです。

*1: 本書の「あとがき」でも“初刊行時に、クトゥルーをテーマとした長編といえば(中略)風見潤の「クトゥルー・オペラ」と故・栗本薫氏の「魔界水滸伝」くらいしかなかった。”(232頁)とされています。
*2: もちろん主立ったところに限られますが。
*3: 実際、私が最初に読んだクトゥルー神話は本書でした。
*4: イカモノ料理については、復刊された創土社版の巻末に付された「しかない料理研究家」五十嵐豪氏による「解説」で、料理研究家ならではの興味深い論考がなされています。
*5: 創土社版巻末の「解説」「資料」ではこの点が明かされているので、本編読了後に読むことをおすすめします。

2012.12.29再読了  [菊地秀行]

犯罪ホロスコープII 三人の女神の問題  法月綸太郎

ネタバレ感想 2012年発表 (カッパ・ノベルス)

[紹介と感想]
 前作『犯罪ホロスコープI 六人の女王の問題』からおよそ五年ぶりに発表された、黄道十二宮をお題とする〈星座シリーズ〉の後半*1にあたる作品集。前作同様、各篇の冒頭では星座にまつわる神話が簡単に紹介され、星座にこじつけた(苦笑)事件に名探偵・法月綸太郎が挑むというスタイルですが、前作以上にトリッキーなプロットに重きが置かれ、(一応伏せ字)事件の構図(ここまで)に工夫が凝らされているのが目を引きます。

 このあたりについて考えてみると、探偵役である法月綸太郎の立場、とりわけ警察との関係によるところも大きいのではないかと思われます。というのも、職業的な探偵ではない一方で警察と緊密な協力関係にある綸太郎は、往々にして“警察がすでに捜査している事件”に関わることになるわけで、現代の警察の捜査能力をもってしても綸太郎より先に解決に至らない――なおかつ後から出てきた綸太郎が解決できる――状況を作り出す必要があります。そのためには、(一応伏せ字)警察に見当違いのところを捜査させておく(ここまで)のが有効なので、そのような方向に向かうのも自然ではないでしょうか。

 その反面、(短編ということもあってか)明確にロジカルな推理がやや影を潜め、解決が主に“妥当な解釈を思いつくか否か”にかかってくることになるのは、やむを得ない部分もあるとはいえ、好みの分かれるところかもしれません。

「宿命の交わる城で」 [天秤座]
 自宅の浴槽で溺死させられたエステサロン従業員・小出成美と、帰宅途中に絞殺された元教員・奥寺道彦。関係なさそうな二つの事件をつなぐのは、現場に残されたタロットカード――それぞれマルセイユ版とウェイト版の、〈正義〉のカードだった。奥寺が生前、ある殺人事件の参考人として事情聴取されながら完璧なアリバイで無罪放免になったことを聞いた法月綸太郎は……。
 天秤座につながるのは“天秤を持つ女神”が描かれた〈正義〉のタロットカードですが、マルセイユ版とウェイト版の違いをうまく取り込んであるのが面白いところ。ネタは定番の“アレ”ですがそのひねり方がユニークで、鮮やかに導き出される真相は完全に予想外。そして、思わぬ伏線にニヤリとさせられます。

「三人の女神の問題」 [蠍座]
 十年前に解散した三人組のアイドルユニット、〈トライスター〉。彼女たちが所属していた事務所の元社長・折野耕成が殺害された。犯人はファンクラブの会長だった安田玲司で、ブログに犯行声明文を掲載した直後に服毒自殺を遂げていた。しかし捜査が進むうちに、〈トライスター〉の元メンバー――モッチ、メグ、アズミンの三人の中に、安田を操った共犯者がいる可能性が……。
 蠍座からオリオン座につなげて“三つ星”のアイドルユニットが物語の中心に。犯人が最初から明らかにされている中で、“黒幕探し”が主題となるユニークな作品であるとともに、ほぼ唯一ロジカルな推理――しかもミステリでは見慣れないロジック――が前面に出されているのが見どころです。

「オーキュロエの死」 [射手座]
 獣医師・須坂厚にかかった殺人の疑い。被害者は、須坂の動物病院に飼い猫を連れてきた飼い主だったが、やがて須坂にストーカー行為をはたらくようになっていたという。須坂の婚約者・佐治くるみに相談を受けた綸太郎が法月警視に探りを入れてみると、須坂の容疑は濃厚で逮捕も間近らしい。だが綸太郎は、被害者が“大木裕恵”という偽名を使ったことに着目して……。
 ある登場人物の趣味という設定で語呂合わせを多用し、射手座の神話になぞらえてありますが、その扱い方がなかなか面白いと思います。“いかにして真相を隠蔽するか”に注力されている感があり、最後に明かされる真相は盲点を突いた鮮やかなもの……ではあるのですが、推理が弱いところは難点といわざるを得ないのではないでしょうか。

「錯乱のシランクス」 [山羊座]
 音楽評論家・喜多島昭寛が、動けないよう拘束された状態で自室に監禁され、衰弱死した事件。現場には、喜多島が自ら足の指を傷つけて血で描いた、山羊座のシンボルと思しき奇妙な記号が残されていた。かつて、喜多島に酷評されたフルート奏者が自殺を遂げたのだが、酷評の原因は山羊座の神話をもとにしたドビュッシーの『シランクス』という曲の解釈だった……。
 ダイイングメッセージが山羊座のシンボルであるだけでなく、それに対応させるように山羊座のモチーフが配されています。ダイイングメッセージそのものが非常によくできていて、被害者の状況を踏まえるとメッセージに説得力がありますし、あまり例を見ない仕掛けになっているのも秀逸。そして最後のこじつけ(苦笑)には脱帽です。
 なお、作中で発見時に遺体がうつ伏せに近い姿勢”(154頁)とされているのは疑問。うつ伏せの姿勢では、目で見て確認することができないままメッセージを残さなければならないと思われる*2ので、仰向けに近い姿勢”の方が適切ではないでしょうか。

「ガニュメデスの骸」 [水瓶座]
 カリスマ経営コンサルタントである母・三ツ矢瑞代に頼まれて、一人息子の勇真は趣味の女装姿で、怪しい男に現金一千万円を手渡した。だが、金を受け取った相手の口ぶりからすると、それは誘拐された“瑞代の息子”の身代金だったらしい。瑞代には、当の勇真の他に息子はいないはずなのに、一体なぜ……? やがて、その男が何者かに殺害される事件が起きた……。
 水瓶座の神話とのつながりは薄い……と思っていると、豪快な語呂合わせに苦笑させられます。それはさておき、“存在しない息子”の奇妙な誘拐事件という発端から、あれよあれよと思っているうちに、とても手がかりとはいえない“ある言葉”にひらめきを得た綸太郎が導き出す、何とも凄まじい真相に唖然とさせられます。

「引き裂かれた双魚」 [魚座]
 美容企業グループの頂点に立つ経営者・碓田可南子が、オカルト研究家・堤豊秋の巧みな言葉にそそのかされて、二十五年前に事故死した息子の生まれ変わりを探しているという。その候補者が三人にまで絞られて、堤が行う儀式によってその中の誰が生まれ変わりなのかついに確定した――ところが、儀式を終えて控え室に引っ込んだ堤が瀕死の状態で見つかって……。
 魚座の神話になぞらえてある部分もありますが、“魚”そのものよりも……という作品。漠然と“何が起き(てい)るのか”を謎として物語が進んでいき、いよいよ事が起こったかと思えば急転直下の解決に至るという具合に、ミステリの常道から逸脱している感のある異色の一篇です。解決場面はある意味で愉快なのですが、全体としてやや面白味を欠いているのは否めません。

*1: 各篇はほぼ独立していますが、最後の「引き裂かれた双魚」には前作で扱われた事件に言及されている箇所もあり、他にも登場人物の関係などがあるので、前作から順番に読むことをおすすめします。
*2: 他にも、被害者の生死を確認するために“左胸に耳を当て”(154頁)るには、(現場保存の原則にもかかわらず)遺体を動かさなければならない、といった問題があります。

2013.01.01読了  [法月綸太郎]
【関連】 『犯罪ホロスコープI 六人の女王の問題』