殺人鬼/綾辻行人
本書のメインの仕掛けが、双子の登場人物たちを利用した叙述トリック(「叙述トリック分類」の[A-1-2]二人一役トリック)であることはいうまでもないでしょう。登場人物たちがいずれも一卵性双生児であるという時点で、それぞれのペアの年齢や性別が同一で容貌も酷似していることになるため、“二人一役”を成立させやすい状況となっているのはもちろんですが、作者の工夫は決してそれだけにとどまっているわけではありません。
まず、(“殺人鬼”を除いて)すべての登場人物が双子という奇抜な設定が目を引きますが、さらにそれが兄・姉と弟・妹の二つのグループに分かれているというのが非常に秀逸です。それによって、いわば“集団としての二人一役”という大がかりなトリックが成立しているという効果もありますし、また兄弟/姉妹が別のグループに分かれていることで、それぞれ名字だけで呼ばれてもさほど不自然ではなくなっている(*1)ところも見逃せません。
そして、その“集団としての二人一役”トリックを支えているのが、“双葉山の双子山荘”という特殊な舞台設定です。実際には離れた場所であるにもかかわらず、同じ場所だと誤認させられる([C-1-2]場所の関係の誤認の項、[表10-A]を参照)ことで、一つのグループだという思い込みがさらに補強されているのです。
また、例えば「第2部 A」で沖元(健介)が殺される場面が描かれ(144頁~157頁)、次いで「第3部 B」では沖元(優介)の死体が発見される場面が描かれる(175頁~184頁)という具合に、双子の片方が殺される場面ともう片方の死体が発見される場面とを二つのパートに振り分けることで、同じような描写の繰り返しを回避しつつ、二人ともに殺されたことをフェアに示すという手法が巧妙です(*2)。
この、同じような描写の回避についてもう少し説明すると、例えば“沖元”が殺される場面を二度(AパートとBパートの双方で)描くわけにいかないのはもちろんですが、“沖元”の死体が発見される場面を二度にわたって描く(*3)と、重要な伏線である死体の状況――服装や損傷部位など――の違いが際立ってしまうきらいがあります。本書では、双子の片方の死体が発見される場面を比較的冷静に描写しつつ、もう片方が殺される場面をスプラッタ風の残虐さをもって描くことで、死体の状況の違いが目立たなくなっているのです。
しかもこの描写の振り分けを利用して、さらに人物(死体)誤認トリックが仕掛けられているところには脱帽です。具体的には、まず「第1部 B」において大八木(鉄男)と千歳(エリ)が殺されたことを明示しておくことで、「第2部 A」で磯部が発見した男女の死体(121頁~123頁)を大八木と千歳のものだと誤認させるトリックで、少なくとも“二人一役”トリックが機能している限りは同じ死体だとしか考えられず、いわゆる“バールストン先攻法”が見事に決まっています。もちろん(叙述トリックによらない)“二人一役”に基づく“バールストン先攻法”は古典的なトリックですが、本書では叙述トリックを仕掛けることで“二人一役”の相手とは別人の死体を使った“バールストン先攻法”が成立しているのが面白いところです。
“二人一役”という真相を示唆する伏線は、序盤から驚くほど大胆に作中にちりばめられ、最終的には主なものが巻末の「蛇足」の中にまとめられています(300頁~302頁)。これはもちろん「はしがき」と同様に物語本編よりも上位のレベルから示されるものであり、作者が“蛇足”と表現したくなるのも理解はできます。が、叙述トリックの特性(*4)を考えると不可欠に近いものともいえますし、“発見された死体の状態”
に関するデータであるため、最後に一覧としてまとめられるのも十分納得できるところです。
*2: 「はしがき」に書かれたように
“三人称多視点の小説という形式”(8頁)が採用されていることが、この描写の振り分けをスムーズなものにしているところに注目です。
*3: まだある程度生存者がいる状況であれば、“別の”メンバーが発見することも可能ですから、繰り返してもさほど不自然にはならないでしょう。
*4: 別の作者の某作品の解説からの引用ですが、
“叙述トリックに関するフェアな伏線というのは(中略)額縁部分(作者の存在するレベル)で言及するしかない”のです。
さて、本書の中で最も気になるのは、茜由起子・由美子姉妹の“ユッコ”という愛称です。“由起子”→“ユッコ”に比べて“由美子”→“ユッコ”は少々無理があるように思えるのですが、それ以前にそもそも、二人が同じ愛称で呼ばれること自体がほとんどあり得ないでしょう。当然ながら、呼びかける時に二人を区別することができないからです。
二人がそれぞれ、互いに接点のない別々の環境――例えば異なるバイト先など――において、独立して“ユッコ”と呼ばれることはあり得るかもしれませんが、少なくとも二人が揃って所属する(そしてある程度は揃って出席することが期待される)〈TCメンバーズ〉という場では、二人がともに普段から“ユッコ”と呼ばれているはずはありません(*5)。もちろん、本書の中で“ユッコ”と呼ばれる場面では二人が揃っているわけではないのですが、だからといって他のメンバーがわざわざ呼び慣れない愛称を使う(しかも二つのグループが合流するまでの間に限って)というのは考えにくいものがあります。
この愛称が非常に強力なミスディレクションとなっているのはいうまでもありませんが、真相を踏まえてみると著しく不自然で、限りなくアンフェアに近いといわざるを得ないでしょう。
もう一つ、こちらは重箱の隅を突くようなものかもしれませんが、“TCメンバーズ”という呼称も少々気になります。“日本双子{ツインズ}クラブ”を省略するなら“NTC”か“JTC”だと思いますし、“メンバーズ”がくっついて(通称とはいえ)団体名となっている(“「日本双子{ツインズ}クラブ」(通称TCメンバーズ)という団体”
(299頁))のはおかしいのではないでしょうか。