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スクランブル/若竹七海

1997年発表 (集英社)

 「スクランブル」から「ココット」までの四つのエピソードでは、視点人物が殺人事件――「ココット」のみひき逃げ事件――について“誤った推理”を披露する一方、別の人物が各エピソードで起きた“事件”の謎を解き、さらにその人物が次のエピソードで視点人物となる、役割のリレーの趣向*1が盛り込まれています。

「スクランブル」
 盗難事件とはいえ、盗まれたのが弁当というあたりが、高校生が扱う“事件”としてふさわしいというか何というか。
〈マナミの解決〉
 まず、二種類の“事件”が組み合わされて“連続盗難事件”の様相を呈しているのが巧妙。ショルダーバッグ禁止(19頁)という学年則(?)、そして関口が“急に痩せ出した”(33頁)ことや昼休みになぜか図書室にいたこと(38頁)といった、細かい手がかりもよくできています。
〈夏見の推理〉
 第一発見者である篠山が犯人とする推理ですが、バドミントンのラケット*2を凶器に使った密室トリック(?)には苦笑させられますし、そもそも推理の出発点が被害者の身元誤認だったというのには脱力を禁じ得ません。
「ボイルド」
 転落事件には、一見して何者かの悪意がはたらいているようなところはないのですが、そこに清水が転落した合理的な理由を用意してあるところがよくできています。
〈洋子の解決〉
 薬の袋の手がかりは読者にはわかりづらいところがあります――洋子が目薬をさしている描写(57頁)はあるにせよ――が、単に清水の目が悪かっただけでなく、“カラス”とあだ名される先生の光り物が“凶器”になったところが巧妙。そして、目が悪いことを懸命に隠そうとしていた清水の心理が印象的です。
〈マナミの推理〉
逮捕されたと報じられた殿村が犯人とする推理で、シャワールームの扉の蝶番を外す密室トリックの痕跡が逮捕の決め手だとしていますが、扉と床の間に隙間があったという“開けっぱなしの密室”状況が、愉快なオチとなっています。
「サニーサイド・アップ」
 まずは吐瀉剤混入事件が、被害者・小早川の“自作自演”も含めて検討されますが、推理するまでもなく犯人があっさりと判明した後、小早川の奇妙な態度に隠された心理が謎として残る、少しひねった構成です。
〈沢渡の解決〉
 小早川の“自分で考えろなんて、言わないでください。”(120頁)という言葉などで、真相はかなりあからさまに示されている感があり、むしろ洋子がそれに気づいてあげられない余裕のなさ(?)が印象に残ります。
〈洋子の推理〉
 信川が犯人とする推理の根拠は、信川が顧問をしている文芸サークルの小冊子に掲載された“咲戸香波”による詩で、筆名が被害者・真田美樹子のアナグラムになっているのがミステリらしいところですし、現場の様子が詩の内容の見立てのようにも受け取れるのが面白いと思います。が、その詩が被害者ではなく宇佐の作品*3ということで、洋子の推理が完膚なきまでに否定されるのが鮮やかです。
「ココット」
 ひき逃げ事件とは別に、亡くなった鹿島がなぜか多数の本を借りていたという“日常の謎”が用意されていますが、「サニーサイド・アップ」と同じような形かと思いきや、沢渡が殺人事件の代わりにひき逃げ事件の推理をするという、やや異色のエピソードとなっています。
〈飛鳥の解決〉
 鹿島が借りていたのが“詩とか短歌の本(中略)厚さ五ミリくらいの薄い、新書サイズのやつ”(160頁)である一方、“最近、なんだか歌集の傷みがはげしくって”(141頁)というのも手がかりとなりますが、本好きからすると想像を絶する真相であるため、見抜きにくくなっているところがあるように思います。
〈沢渡の推理〉
 亡くなった鹿島との関係から、殿村が(ひき逃げ事件の)犯人とする推理ですが、推理は仮定に仮定を重ねた苦しいものですし、ひき逃げ犯が捕まったという情報であっさり否定されるのはご愛嬌。
*

 さて、殺人事件については本書冒頭の十五年後のパートで、犯人は金屏風の前に座っていた”(7頁)とされています。事件当時に新国女子学院にいたことが確実なのは、かつての文芸部員の一人である花嫁だけなので、素直に読めば花嫁が犯人だと受け取らざるを得ないでしょう。

 本書冒頭の時点では花嫁が誰なのか不明ですが、「スクランブル」から「ココット」までの最後に配された“十五年後”のパートの様子から、夏見・マナミ・洋子・沢渡の四人は花嫁ではない(冒頭で事件の真相に気づいた人物でもない)ことがわかります。そして、「フライド」で殺人事件の真相を解明しようとしている宇佐は、明らかに犯人ではあり得ない*4のですから、ミステリ的にみて花嫁にはふさわしくない――犯人が花嫁でないことがすぐに露呈してしまうため――ことになります。

 というわけで、「フライド」の最後、十五年後のパートで“飛鳥は(中略)金屏風の前で”(221頁)と明かされるよりも前に、飛鳥が花嫁であることは十分に予想できると思いますが、その飛鳥が「フライド」で、視点人物であるにもかかわらず殺人事件の推理を披露しない*5、すなわちこのエピソードだけ*6“定型”から大きく逸脱しているところに、飛鳥に向けられる読者の疑念を補強する効果があるように思います。

 ちなみに、本書冒頭のいまになって、急にわかったのだ。”(7頁)を念頭に置くと、事件の真犯人は宇佐がそれまで疑っていた人物ではなかったということになりますが、宇佐視点の「オムレット」と違って飛鳥視点の「フライド」の段階では、(飛鳥自身がそう受け取ったように)宇佐が別の人物を疑っているように解釈できる――少々記憶が怪しいですが、初読時は私自身そう考えていたと思います――ダブルミーニング的な描写によって、矛盾が生じないようになっているのが巧妙です。

*

 最後の「オムレット」では、高校時代と十五年後が交互に描かれて“シンクロ”する構成がまず秀逸で、高校時代(『三国志』紛失事件)と十五年後(殺人事件)の双方において、読者にとってはほぼ同じタイミングで“飛鳥が犯人”と名指しされるのが面白いと思います。

 殺人事件についての〈宇佐の推理〉は、被害者の死体が図書室からシャワールームに移動された、というところまではいいのですが、シャワールームについての飛鳥の“嘘”は(掃除のおばさんの存在で疑わしく思えるとしても)“中等部の掃除領域”(194頁)で説明がつきますし、図書室の閉館時間――“月曜日は三時半に閉館してしまいますけど”(62頁)――によるアリバイに気づかなかったのが痛いところではあります。とはいえ、犯人の動機などに関する飛鳥の台詞が紛らわしいのは確かで、勘違いもやむを得ないところかもしれません。

 一方、『三国志』紛失事件は“定型”の通り、最初の「スクランブル」の視点人物である夏見によって“解決”されますが、重要なのはやはり宇佐によって解き明かされるその動機“試したのが良かったのか悪かったのか……”(252頁)という飛鳥の台詞は意味ありげで目を引くものの、飛鳥が誰を疑っていたのか――殺人事件の犯人が誰なのかわからない限り、その真意を見抜くことは困難なわけで、殺人事件とセットになった謎の作り方が巧妙だと思います。

 ということで、実際の犯行現場が図書室であることを隠すため、本の修繕などを長く続けてきた末に、警察の介入を避けるために『三国志』持ち出しの犯人と名乗り出た人物、すなわちシンプルに考えれば最も強い動機の持ち主でもある信川が犯人とする、宇佐が「オムレット」で代弁している〈飛鳥の推理〉――実に周到に隠されてきた真相がお見事です。

 本書冒頭の十五年後のパートをよく読み返してみると、最初こそ“花嫁は(中略)金屏風の前にいた。”(5頁)とあるものの、その後に“まもなくお色直しがすむだろう。”(6頁)という記述があり、花嫁が中座したことが示されているので、“犯人は金屏風の前に座っていた。”(7頁)に当てはまるのは花嫁ではなく、盲点となっている仲人夫妻(と花婿*7)ということになります。そうすると、「フライド」の最後にある“飛鳥は信川先生(中略)と再会を果たした。まさか、こういう形になるとは夢にも思わなかったけれど。”(221頁)という記述から、仲人が信川であることに思い至るのも可能でしょう。

*

 ところで、本書の各エピソードの題名は卵料理からとられていますが、「1998年 第51回 日本推理作家協会賞|日本推理作家協会」の選評で、北村薫氏も“女性達の過去を振り返るところが卵という連想に繋がるのだろうが、各章の表題が、それぞれ、なぜそこに置かれるのか読み切れなかった。”としているように、その意味が今ひとつわかりにくくなっている感があります。

 題名の割に、“卵”が出てくる箇所がほとんどないのがまず難しいところで、「スクランブル」での殿村先生の弁当の“卵焼き”(21頁)を別にすれば、“卵”が出てくるのは(おそらく)以下に引用する、夏見と宇佐による結末のやり取りのみ*8

(前略)ま、特にひとりで転げてるあたしには、無理な相談だわ」
「どうやったら卵を立てられるかくらい、あんただって知ってるじゃないか」
  (中略)
「痛いだろうねえ」
「なにが」
「殻を割るのってさ」
「そのうち慣れるよ」
「割り続けていかなくちゃいけないんだろうねえ」
「ずっとね」
「ずっとか。しんどいなあ」
  (264頁)

 これをみると、“転げてるあたし”に対して“卵を立てる”という比喩が使われ、さらにそこからの連想で“殻を割る”(=成長)という話になっているので、ここでの“卵”は高校生の自分たちを指していると考えていいでしょう。

 ところが、その“卵”は孵化することが前提であるわけですから、題名の卵料理にはうまく当てはまりません。例えば、高校時代に等しく“孵化する前の卵”だった文芸部の六人の、卒業後に分岐した未来が六通りに調理された“卵料理”で表現されている――というのは、どう考えても比喩としてはすっきりと腑に落ちないものがありますし、上の北村薫氏の選評もそのあたりを指摘しているように思われます。

 そこで、結末のやり取りはひとまず脇に置いておき、題名と各エピソードの内容とを照らし合わせてみると、食材が共通する六種類の料理は、同じ食材でも調理のやり方次第で別の料理になることを表し、一つの殺人事件に対して複数の推理*9が示される“多重推理”を象徴している、と考えることもできるように思います。そして結末で、卵料理にはそぐわない“孵化する卵”の比喩が持ち出されることによって、事件からの十五年分は“殻を割る”ことができた六人とは対照的な、“調理された卵”――“孵化する機会を奪われた卵”である被害者・真田美樹子(さらにはひき逃げで亡くなった鹿島珠洲子も)の悲哀が強調されることになるのではないでしょうか。

* * *

*1: 泡坂妻夫〈夢裡庵先生捕物帳〉にも通じるところがありますが、各エピソードで二人が“探偵役”をつとめるところなど、そちらよりも凝った趣向といえるでしょう。
*2: バドミントン部での経験からすると、“ガットの張られていないバドミントンのラケット”(11頁)、ということはおそらく新品のラケット(ガットが切れたのならば、古いガットは新しいガットを張る時に始末するのが自然)を、カバーなしで持ち歩くのはかなり違和感がありますが、“部活は休み”(27頁)なのに居残ってスポーツゾーンをうろつく口実として、ガットを張ることを周囲にアピールする狙いがあったということかもしれません。
*3: これが単なる偶然の一致ではなく、最後に“アナグラムはわざと。詩もわざと”(263頁)と、心情的にも納得できる説明がされているのが周到であり、また印象深いものになっています。
*4: 宇佐が犯人だとした場合、事件から半年以上が過ぎ、自身がまったく疑われてもいない状況で、わざわざ事件をほじくり返す必要性はまったくないでしょう。
*5: 代わりにマナミが、“スパルタ”との共謀による殿村のアリバイ工作を疑う、“誤った(?)推理”を披露していますが……。
*6: 次の「オムレット」で、視点人物となる宇佐が殺人事件の推理を披露するのは、どう考えても明らかでしょう。
*7: 「スクランブル」の最後の、花嫁はお色直しから戻ってきてはいない。”(46頁)“ドレスに着替えた花嫁がしずしずと現れた……。”(48頁)といった記述から、ここでのお色直しは花嫁だけと考えられます。
*8: 「フライド」の最後には、飛鳥が“フライパンの上で焼かれているような気持”(221頁)と独白している箇所もありますが、はっきり“卵”にたとえられているわけではありません。
*9: 「ココット」はとりあえず別にしても、「フライド」でのマナミの(二度目の)推理を勘定に入れれば、本書全体では一つの事件に六通りの推理が示されていることになります。

2001.12.11再読了
2016.05.25再読了 (2016.06.15改稿)

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