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スクランブル/若竹七海 |
1997年発表 (集英社) |
「スクランブル」から「ココット」までの四つのエピソードでは、視点人物が殺人事件――「ココット」のみひき逃げ事件――について“誤った推理”を披露する一方、別の人物が各エピソードで起きた“事件”の謎を解き、さらにその人物が次のエピソードで視点人物となる、役割のリレーの趣向(*1)が盛り込まれています。
*
さて、殺人事件については本書冒頭の十五年後のパートで、 本書冒頭の時点では花嫁が誰なのか不明ですが、「スクランブル」から「ココット」までの最後に配された“十五年後”のパートの様子から、夏見・マナミ・洋子・沢渡の四人は花嫁ではない(冒頭で事件の真相に気づいた人物でもない)ことがわかります。そして、「フライド」で殺人事件の真相を解明しようとしている宇佐は、明らかに犯人ではあり得ない(*4)のですから、ミステリ的にみて花嫁にはふさわしくない――犯人が花嫁でないことがすぐに露呈してしまうため――ことになります。
というわけで、「フライド」の最後、十五年後のパートで
ちなみに、本書冒頭の *
最後の「オムレット」では、高校時代と十五年後が交互に描かれて“シンクロ”する構成がまず秀逸で、高校時代(『三国志』紛失事件)と十五年後(殺人事件)の双方において、読者にとってはほぼ同じタイミングで“飛鳥が犯人”と名指しされるのが面白いと思います。
殺人事件についての〈宇佐の推理〉は、被害者の死体が図書室からシャワールームに移動された、というところまではいいのですが、シャワールームについての飛鳥の“嘘”は(掃除のおばさんの存在で疑わしく思えるとしても)
一方、『三国志』紛失事件は“定型”の通り、最初の「スクランブル」の視点人物である夏見によって“解決”されますが、重要なのはやはり宇佐によって解き明かされるその動機。 ということで、実際の犯行現場が図書室であることを隠すため、本の修繕などを長く続けてきた末に、警察の介入を避けるために『三国志』持ち出しの犯人と名乗り出た人物、すなわちシンプルに考えれば最も強い動機の持ち主でもある信川が犯人とする、宇佐が「オムレット」で代弁している〈飛鳥の推理〉――実に周到に隠されてきた真相がお見事です。
本書冒頭の十五年後のパートをよく読み返してみると、最初こそ *
ところで、本書の各エピソードの題名は卵料理からとられていますが、「1998年 第51回 日本推理作家協会賞|日本推理作家協会」の選評で、北村薫氏も
題名の割に、“卵”が出てくる箇所がほとんどないのがまず難しいところで、「スクランブル」での殿村先生の弁当の (前略)ま、特にひとりで転げてるあたしには、無理な相談だわ」
これをみると、 ところが、その“卵”は孵化することが前提であるわけですから、題名の卵料理にはうまく当てはまりません。例えば、高校時代に等しく“孵化する前の卵”だった文芸部の六人の、卒業後に分岐した未来が六通りに調理された“卵料理”で表現されている――というのは、どう考えても比喩としてはすっきりと腑に落ちないものがありますし、上の北村薫氏の選評もそのあたりを指摘しているように思われます。 そこで、結末のやり取りはひとまず脇に置いておき、題名と各エピソードの内容とを照らし合わせてみると、食材が共通する六種類の料理は、同じ食材でも調理のやり方次第で別の料理になることを表し、一つの殺人事件に対して複数の推理(*9)が示される“多重推理”を象徴している、と考えることもできるように思います。そして結末で、卵料理にはそぐわない“孵化する卵”の比喩が持ち出されることによって、事件からの十五年分は“殻を割る”ことができた六人とは対照的な、“調理された卵”――“孵化する機会を奪われた卵”である被害者・真田美樹子(さらにはひき逃げで亡くなった鹿島珠洲子も)の悲哀が強調されることになるのではないでしょうか。 * * *
*1: 泡坂妻夫〈夢裡庵先生捕物帳〉にも通じるところがありますが、各エピソードで二人が“探偵役”をつとめるところなど、そちらよりも凝った趣向といえるでしょう。
*2: バドミントン部での経験からすると、 “ガットの張られていないバドミントンのラケット”(11頁)、ということはおそらく新品のラケット(ガットが切れたのならば、古いガットは新しいガットを張る時に始末するのが自然)を、カバーなしで持ち歩くのはかなり違和感がありますが、 “部活は休み”(27頁)なのに居残ってスポーツゾーンをうろつく口実として、ガットを張ることを周囲にアピールする狙いがあったということかもしれません。 *3: これが単なる偶然の一致ではなく、最後に “アナグラムはわざと。詩もわざと”(263頁)と、心情的にも納得できる説明がされているのが周到であり、また印象深いものになっています。 *4: 宇佐が犯人だとした場合、事件から半年以上が過ぎ、自身がまったく疑われてもいない状況で、わざわざ事件をほじくり返す必要性はまったくないでしょう。 *5: 代わりにマナミが、“スパルタ”との共謀による殿村のアリバイ工作を疑う、“誤った(?)推理”を披露していますが……。 *6: 次の「オムレット」で、視点人物となる宇佐が殺人事件の推理を披露するのは、どう考えても明らかでしょう。 *7: 「スクランブル」の最後の、 “花嫁はお色直しから戻ってきてはいない。”(46頁)や “ドレスに着替えた花嫁がしずしずと現れた……。”(48頁)といった記述から、ここでのお色直しは花嫁だけと考えられます。 *8: 「フライド」の最後には、飛鳥が “フライパンの上で焼かれているような気持”(221頁)と独白している箇所もありますが、はっきり“卵”にたとえられているわけではありません。 *9: 「ココット」はとりあえず別にしても、「フライド」でのマナミの(二度目の)推理を勘定に入れれば、本書全体では一つの事件に六通りの推理が示されていることになります。 2001.12.11再読了 2016.05.25再読了 (2016.06.15改稿) |
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