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嫉妬事件/乾くるみ

2011年発表 文春文庫 い66-4(文藝春秋)
『嫉妬事件』

 読者に対しては、被害に遭った本の中の一冊――ジョン・ディクスン・カー『疑惑の影』をゲストの天童太郎が借りる予定だったことが、部長(佐野重行)視点の地の文を通じて早い段階から明かされているため、登場人物たちがSF研などを疑っている中でいち早く“天童が狙われた”という構図が頭に浮かぶわけですが、そこからしてミスリードになっているのがお見事。

 やがて、『疑惑の影』の件が持ち出されて容疑者が一気に絞り込まれたところで明かされる、“語り手=犯人=被害者”の構図、そして“ウンコ爆弾”(89頁)“二個目”だった*1という事実はやはり衝撃的。かなり苦労したとはいえ、比較的手近なところで代わりのブツが見つかってしまう環境はいかがなものかと思いますが(苦笑)、後半に発覚する横山の“自作自演”などは、そのあたりに多少なりとも説得力を付与するために用意されたものかもしれません。

 “ウンコ爆弾”がすでに一度発動したことについては、床にまかれた火鉢の灰が重要な手がかりとなっていますが、“犯人が一度落とした”説(146頁)や“二宮の中途半端な対処”説(164頁~165頁)が煙幕となっていますし、誰しも“その可能性”は考えたくないという心理的抵抗が盲点を生み出しているようにも思われます(苦笑)

 もちろん読者にとっては、“床の灰は犯人の特定に結びつくような手掛りではないので(中略)検討の対象から外してくれればいいのだが……。”(165頁)という部長の意味ありげな独白がヒントとなっているのですが、作者としてはそこまでは見抜かれてもかまわない――というよりもむしろ、部長が“ウンコ爆弾”の被害を悲惨な実体験として語りつつ、地の文で天童に対する嫉妬めいた感情を明かすことで、“天童に対する悪意”という偽の動機が補強され、真犯人も含めた真相から目をそらさせられる仕掛けの一環ととらえるべきではないでしょうか。

 しかして、色々な意味でひどい(←ほめ言葉)最後の解決は圧巻。『疑惑の影』のポケミス版と文庫版の混乱から情報伝達者を疑うのは妥当で、ここまでくれば真犯人自体には大きな驚きはないのですが、自分で被るつもりだった”(208頁)という恐るべき動機には打ちのめされ、また“ジ・エンプレス”(39頁)自演プレス”(208頁)という語呂合わせには脱力を余儀なくされます。一方で、作中で何度か言及されているスティーブン・キング『キャリー』が伏線となっているあたりは巧妙です。

 ところで、「尾籠サスピション」という章題の元ネタになっている『疑惑の影』――原題が『Below Suspicion』――と、“かなり分厚い本”(102頁)の代表として使われているハンス・S・サンテッスン編『密室殺人傑作選』はさておき、それ以外の被害に遭った本はどのように選ばれたのかが気になっていたのですが、よく読み返してみると、少なくともアガサ・クリスティとP.D.ジェイムズ(エラリイ・クイーンも?)は“ミステリの女王”から“The Empress”(いずれも38頁)につなげるため、と考えてよさそうですね。閑話休題。

 そして、天童が赤江静流を疑ったきっかけ――“スカートの中に手を突っ込んだりしてた”(211頁)*2――がまたひどい上に、一馬の“お姉ちゃん、臭い(62頁)という言葉がフェアな手がかりだというのが……。さらに、静流の最後の告白とそれに対する部長の反応も含めて、ここまで徹底されればあっぱれというよりほかない結末です*3

*

「三つの質疑」

 この作品でまず目を引くのは、題名にもなっている(古井との)“三つの質疑”という手がかりから読者の目をそらすために、「読者への挑戦状」直前という重要な箇所に偽の手がかり――まったく意味のない“三つの質問”(248頁)を配してある点で、あまりにもあざとすぎる仕掛けに、憤懣を覚えながらも苦笑せざるを得ません。

 その手がかりにしても、“シラケた感じ”(222頁)“開けた感じ”(257頁)というのはいささか微妙な表現であるように思われますが、しかし古井が江戸っ子であったことが明かされた途端に、事件の様相が鮮やかに一変するのはお見事です。

 「解答編」の最後(261頁~262頁)で、探偵役の儀同笛朗博士がメタ視点に立った“余分な講義”を行っているのは、ジョン・ディクスン・カー『三つの棺』の“密室講義”――ギデオン・フェル博士が“われわれは推理小説の中にいる人物であり、そうではないふりをして読者たちをバカにするわけにはいかない”(ハヤカワ文庫版272頁)とメタ発言を始める――にならったものですが、この作品の場合は文章の表記や題名など本来は作品外からしか言及できない箇所について解説する必要があるわけで、パロディを巧みに使った趣向だと思います。

 そして、題名の“つぎ”→“つぎ”というもじり自体がヒントになっているところに脱帽です。

* * *

*1: 「エアミス研読書会第15 回(乾くるみ『嫉妬事件』)」での、“それにしてもウンコは凄いガジェットですね。この事件では顔のない死体役も指紋のない凶器役にもなっていますから。”というまるしゅんさんの指摘が秀逸。
*2: ただし、いかに“身体をぴったりと寄せ合っている。”(16頁)とはいえ、人目に触れる場所で“タイトスカート”(17頁)の中に手を突っ込むのは、かなり難しいのではないかと……。
*3: しかし、これも「読書会」での佐野くん、最後の独白のとき、賢者モードになってるんじゃないですかあれ。”(注:元ツイートでは下線部はURL短縮による伏せ字)というあいしんさんの意見で、結末の印象がさらにひどいものに(苦笑)。

2011.11.21読了