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空耳の森/七河迦南

2012年発表 ミステリ・フロンティア(東京創元社)

 以下のネタバレ感想では、『七つの海を照らす星』『アルバトロスは羽ばたかない』を未読の方のためにもできるだけ配慮はしておきますが、そちらを未読の方はご注意ください。

*
「冷たいホットライン」

 目標物を捉えた”(28頁)という記述に若干引っかかりを覚えたのですが、山小屋以外に思い当たるものがなかったのでスルーしてしまいました。読み返してみると、序盤に“うっかりしたら見逃してしまいそうな「**山登山口」の道標(9頁)も示されているのですが、正彦が“選択”を済ませた後の心理描写が巧妙で、真相がしっかりと隠蔽されています。特に、“自分が行かなければ、尚子を助けられる者はいないのだ。”(24頁)という独白のダブルミーニングなどは非常に秀逸です。

「アイランド」

 幼い少年の視点による描写だということもあり、また実際に序盤からちらほらと違和感もあるので、そこが孤島ではないということはかなり見え見え。さりとて、“本当はどこなのか”と考えてみると難しく、真相はなかなか意外。そして、空中に浮かぶ屋上庭園を“海上の孤島”になぞらえた見立てが、鮮やかな印象を残します。

 真相が明かされてみると、“ぼく”が手紙をビンに入れて海に投げた(54頁)エピソードが、知らぬこととはいえ恐ろしいというか……。

「It's only love」

 「5 あたし」でピッカが説明している(93頁)、結婚式に来ていたという“キラの彼女”が、他ならぬ“あたし”自身であることは読者の多くが予想できると思いますが、当の本人が気づかないのは半ば“お約束”といってもいいかもしれません。そしてそうなると、明らかに“あたし”とは別人である“年上の変な女”(失礼)が誰なのかということになるわけですが、母親という真相それ自体はやや面白味に欠けるきらいがなきにしもあらず。とはいえ、伏せられていた“あたし”の立場と、それゆえに母親と面識があったということが、結末をより印象的なものにしているのがうまいところです。

 本書を最後までお読みになった方はおわかりのように、冒頭に“2011.1.15”(73頁)と日付が示されたこの作品は、本書の時系列で最後に位置するエピソード(後述)であり、キラの突然の告白に対して“あたし”がどう答えたのか、推測する手がかりはありません。果たして今後の作品で描かれるのかどうか、気になるところです。

「悲しみの子」

 “光”と“クリスティン”が同一人物ではないかという疑念は早くから頭に浮かんでいたのですが、宏とアンナの――ひいては“光”と“クリスティン”の――“別居”が大きな障害となり、さらにN県とY県の福祉相談票(117頁~119頁)によってそれが補強され、真相が見えにくくなっているのが巧妙です。

 しかして、県境をまたいでつながった二つの家という真相は、現実的であるにもかかわらず、ある種のバカミス*1を彷彿とさせるインパクトがあります。読み返してみると、真相を見抜く手がかりとしては大画面テレビがあり、アンナの“買ったはいいがほとんど見てもいない新型テレビ”(121頁)と、“宏があの大画面のテレビを買った時には既に家族一緒に見ることなどほとんどなくなっていた。”(120頁)とが重なること*2、また後者はそもそも母親の清子が一人で暮らしていたはずの実家についての説明としてはおかしいことから、リビング/居間が同じ場所であることが示唆されています。

 “光”と“クリスティン”が一人、“別居”も一つの家、そして“光クリスティン”という一つの名前と、真相は全体的に方向性が統一されている感があり、エレガントといっても過言ではないように思います。しかしトリちゃんの迷推理は……(苦笑)

*1: 例えば、某国内作家(以下伏せ字)倉阪鬼一郎(ここまで)の一部の作品など。
*2: ただし、“液晶テレビ”(119頁)“プラズマテレビ”(121頁)の違いは気になりますが……。→これは、テレビも二台あるということになります。

「さよならシンデレラ」

 強盗事件の真相は、いわゆる“見えない人”トリックのバリエーションといってもいいかと思いますが、金の入った封筒の位置を手がかりに、アケミが殴られる前に金が抜き取られていたことを導き出すマサトの推理は、なかなかよくできています。

 しかし、最後に明らかになる“桜の舞女学院”の真相は……あまりにもやりきれないのでその可能性は考えたくなかったということもありますが、実際に非常に巧妙に隠蔽されているのも確かです。とりわけ、冒頭の母親とのやり取りが完全に反転してしまうのが凄まじいところで、“「あたしのお金だ」/「だってそのお金がないと」”(141頁)“今はあんたが行ってくれてるのだけが頼りなんだから”(140頁)というあたりは、真相がわかってみると目をそらしたくなるほどです。残念なことに、世の中にはそのような現実もあり得るのでしょうが……。

 作中でリコが回想する、小学校時代の『シンデレラ』と探偵ものをくっつけた――二つの物語を一つにまとめた劇の思い出を、(リコの心の中での)マサトへの別れの言葉につなげてあるところが、美しくも悲しく印象に残ります。

「桜前線」

 “ぼくはずっと君を(中略)殺そうと思っていた”(204頁)という台詞による“暗転”は鮮やかですが、その構図そのものには既視感もあり、さほどのものではないと思います。が、そこでようやく謎――カイエとリコのメールのやり取り――が提示されているのが面白いところ。

 やり取りの順序が食い違っていたという真相は、これまたどこかで見たことがあるようなものではありますが、“五十文字制限”によってメールが二通に分けられることで、メールの“数が合う”ことになり、互いに違和感を抱きにくくなっているのが巧妙。何年も前の長文メールの内容を覚えているというのは少々不自然かもしれませんが、よく考えられていると思います。

「晴れたらいいな、あるいは九時だと遅すぎる(かもしれない)」

 まず、導入部として置かれているジェノグラムの扱いが魅力的で、年齢と家族構成だけでなく、それを“どのように書いたか”も推理の手がかりとされているのがユニーク。占いの一種という見方もできるかとは思いますが、独特の手法には興味深いものがあります。

 作中で描写される問題の女性の様子をみれば、男に好意を寄せていることは――「It's only love」と同じように――明らかですが、疑いを抱くに足る“嘘”をそこに絡めてあるのがうまいところですし、その真相――立秋の日付が原因で生じた勘違い――が解き明かされる過程も鮮やかです。

 “山に辛い思い出がある”(244頁)とはいえ、同じように女性の態度(と男の趣味)を考えれば、“携帯の通じない場所”が山の上であることにも驚きはありませんが、先に雑誌に発表された「冷たいホットライン」での“山の上では携帯がつながりにくい”という下り(19頁)が、(おそらくは)後付けで伏線とされているところが面白いと思います。さらにいえば、「晴れたらいいな」という題名がDREAMS COME TRUEのヒット曲「晴れたらいいね」――歌詞が山へ行こうで始まる――を連想させることからして、これも伏線として用意されたものなのかもしれません。

 ところで、話の内容から予想できた方も多いのではないかと思いますが、終盤の“松橋警部”(247頁)という呼びかけによって、(最後の「空耳の森」まで待たずとも)問題の女性が「冷たいホットライン」に登場した尚子だとわかります。

 そしてそうなると、『七つの海を照らす星』をお読みになった方であればこの時点で、(以下伏せ字)最後の“彼女の名前を呼んだら、わたしの友達が、自分が呼ばれたと思ってびっくりした”“あれ、お友達の名前って全然――”(いずれも248頁)(ここまで)という秀逸な手がかりをもとに、(一応伏せ字)“安楽椅子探偵”が誰なのか(ここまで)を見抜くことができるようになっています*3。このあたりの技巧は、何とも作者らしいものだと思います。

*3: いうまでもないかとは思いますが、(以下伏せ字)“「尚子」と似た名前で育ち、今は「全然」違う名前の友達”を持つ人物(ここまで)のことです。

「発音されない文字」

 カフェ・ヴァーミリオン・サンズでの、それぞれの少女たちに合わせて用意された装飾から、そこに隠されたテーマが読み解かれていくところがまずよくできています。しかしその、テーマを解読するという行為それ自体が、“犯人”の真の目的につながっていくところが圧巻。主人公にとって、実の母親が少女たちを次々と犠牲にしたというだけでも耐え難いはずですが、その少女たちがいわば自分の“身代わり”だったという真相はあまりにも凄絶です。

 圧倒的な支配力で絡め取ろうとする、もはや怪物的としかいいようのない強大な存在と対峙して、敗北を目前にした主人公を救ったのは、大事な“あのひと”。たとえ今は“声を聞くことができない”(261頁)としても、その存在の大きさは(このエピソードだけでも)十分に伝わってきます。

(以下伏せ字;『七つの海を照らす星』『アルバトロスは羽ばたかない』を既読の方のみご覧ください)
 前二作をお読みになった方はおわかりのように、“小松崎直”(262頁)の名前を出した主人公は野中佳音であり、“わたしの友達”(257頁)は北沢春菜です。また、少女“K”(254頁)は西野佳澄美で、少女“R”(256頁)は鷺宮瞭です。さらに、最後に主人公を待っていた“見知った人”(281頁)は、海王さんだと考えて間違いないでしょう。

 佳音の実の母親が夫から暴力を受けていたことは作中でも言及されている通りですが、『アルバトロスは羽ばたかない』で重要な要素となっているカフェ・ヴァーミリオン・サンズのオーナーだったというのには驚かされました。しかし、『アルバトロスは羽ばたかない』の作中にしっかり伏線が張ってあったことにまた驚愕。ざっと確認してみた限りですが、少なくとも同書159頁~160頁の“どこかで見たことがあるような気もする”という記述と、244頁下段終わりの方の台詞は、佳音とオーナーの関係を示唆する伏線といえるのではないかと思います。
(ここまで)

「空耳の森」

 “永遠子の声”を亜紀の耳に届けたウォークマンのホットラインボタンは、その昔私が使っていた機種にはなかったように思いますし、もっと若い読者にとってはまったく初耳だったのではないでしょうか。しかし、序盤にそのホットラインボタンについての会話を、「冷たいホットラインに登場した力武尚子が耳にするという形で示すことで、“ホットライン”という言葉を読者に印象づけてあるのが巧妙です。

 “とわこ、いつかはいくね”が“ほんとはこいつ可愛くね”だったという真相は何とも微笑ましいものですが、“ほんと、とぶっきらぼうに答えたが(中略)「んと」にしか聞こえない。”(293頁~294頁)と、しっかり伏線が張られているところがよくできています。

*

 しかしこの作品の最大の見どころは、これまでの各エピソードの主要登場人物たちが(一部は正体を明かして)再登場するカーテンコール風の趣向によって、バラバラな短編に偽装されていた各エピソードが一つにつながり、連作短編集としての姿を現すところにあります。

 「冷たいホットライン」で出会った力武尚子と松橋警部補(後に警部)が、「晴れたらいいな、あるいは九時だと遅すぎる(かもしれない)」で再会していることが示唆されていましたが、「空耳の森」でそれが完全に確定。

 「さよならシンデレラ」「桜前線」に出てきた“カイエ”が、七海学園の保育士・河合恵美子として登場してきたのには驚かされましたが、“ピッカ”(「悲しみの子」の法条光クリスティン)や“キラ”(河崎明)*4との関係や、“七つも年上”(305頁/102頁)という言葉から、「It's only love」の主人公“あたし”でもあったことがわかります。また、リコの母親の話からすると、287頁に登場している“大柄な女性介助者”がリコではないかと思われます*5

 さらに、296頁~297頁で説明されている武藤茜が、「アイランド」の“お姉ちゃん”であることも間違いないでしょう。

 なお、これらの中には前作までに引き続いての登場となっている人物もいます*6が、以前の作品での登場が本書の仕掛けに影響を及ぼすわけではありません。

 そして、再三言及される“あのひと”が、「桜前線」に出てきた“カイエの後輩”であり、「悲しみの子」で法条光クリスティンが出会った学生ボランティア(304頁参照)の“トリちゃん”であり、「晴れたらいいな、あるいは九時だと遅すぎる(かもしれない)」で松橋の背中を押した(288頁)“安楽椅子探偵”であり、「発音されない文字」の“わたしの友達”である――“わたし”は“学習ボランティアの女性”(297頁)として「空耳の森」にも登場しています――ことも、本書だけを読んでも十分に把握できると思います。

 その“あのひと”が(そこに至るまでの経緯はさておき)どのような状態にあるかは、作中でも説明されています(288頁~289頁)。そうすると、最後の“右手を真横に、左手をその少し下に。それから両腕を思い切り真横に広げた。”(306頁)という手旗信号が、(「手旗信号 - Wikipedia」などで)アルファベットの“H”と“R”を表していることがわかれば、「発音されない文字」で示されている“H”(259頁)「さよならシンデレラ」で示されている“R”(158頁)とを合わせて、“H”のイニシャルを持つ“あのひと”が意識を取り戻したことをみんなに知らせるものだというところまで、読み取ることは可能でしょう。

 その後、“あのひと”はどうなったのか――ということで、“2008.6.1”(285頁)の出来事である「空耳の森」よりも時系列でになる*7エピソード、冒頭に“2011.1.15”(73頁)と日付のある「It's only love」をみてみると、“カナ”(『空耳の森』の塔ノ沢加奈子(297頁))の結婚式に出席している様子はないものの、“キラ”が“彼女なら言いそうなことだけど”と評している、“結婚式に緊急の用事で出られなくなり、代わりに祝電を打った仲間”(いずれも89頁)が、無事に復活した“あのひと”だと考えていいのではないでしょうか。

*4: 河合恵美子=“カイエ”が“偶然その前から顔を知っていた”(303頁)というのは、「桜前線」で救急車を呼んだ男の子(206頁~207頁)が河崎明だったということかもしれません。
*5: また、「It's only love」で“あたし”=“カイエ”が“これから友達と呑む約束してる”(96頁)という幼なじみの女友達も、リコのことではないでしょうか。
*6: 少なくとも河合恵美子と武藤茜は前作までに登場しています。
*7: ついでに他のエピソードも年代を調べてみると、以下のようになります。
  • 「冷たいホットライン」2000年「晴れたらいいな(以下略)」“七年前”(233頁)
  • 「アイランド」2004年~2005年「空耳の森」“中学一年生”(296頁)(ただし一つ年上)の武藤茜が“十歳”(43頁)
  • 「It's only love」2011年(73頁)
  • 「悲しみの子」2004年“二十一世紀最初の五輪が(中略)アテネで開かれた今年”(108頁)
  • 「さよならシンデレラ」1997年「桜前線」(過去)“十六”(197頁)の“カイエ”が“中学三年生”(139頁)
  • 「桜前線」(現在)2006年「空耳の森」“一緒に働いて三年目”(295頁)の“あのひと”が“今年就職したばかり”(181頁)
  • 「桜前線」(過去)1998年“来年七月に人類は滅亡する”(214頁)
  • 「晴れたらいいな(以下略)」2007年“八月も後半”(225頁)“二年前、二〇〇五年”(245頁)
  • 「発音されない文字」2007年“十二月十六日”(253頁)
  • 「空耳の森」2008年(285頁)
 ということで、時系列に沿って並べると、「さよならシンデレラ」「桜前線」(過去)「冷たいホットライン」「悲しみの子」「アイランド」「桜前線」(現在)「晴れたらいいな(以下略)」「発音されない文字」「空耳の森」「It's only love」の順になります。
2012.11.02読了