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追いし者 追われし者/氷川 透

2002年発表 ミステリー・リーグ(原書房)
・叙述トリックについて

 本書では自称の使い分けによる叙述トリックが使われていますが、(特に序盤では)私的な場面と公的な場面での違いという理由には説得力が感じられますし、“追う者”と“追われる者”という立場を利用したミスディレクションや、“モトムラハルシゲ”から“元村治成”への表記の切り替えという伏線などは非常によくできていると思います。ただし、せっかくの効果を損ねてしまう欠点があるのが残念です。

 まず、自称の使い分けに必然性を与えるために公私の区別という理由を導入していながら、S市を訪れる場面でもそのまま“おれ”と“わたし”の使い分けが行われているのは、明らかに問題でしょう。S市訪問は、倉田係長からの電話を受けた場面を除いて完全に私的な状況であり、“わたし”という自称を使う必然性はまったくないので、前述の説得力が台無しになってしまっています。

 もう一つ、“わたし”のパートにいくつかアンフェア気味な記述が目につくのも難点です。
 例えば、“いっそ、S市はわたしの生まれ故郷なのだと言ってしまいたい衝動にも駆られた”(59頁)については、小宮山が“S市生まれでない人間にだって、そういう衝動に駆られる権利はある”(215頁)と説明していますが、“権利”で片づけてしまえば何でもありになってしまうわけで、いささか乱暴にすぎるでしょう。例えば、“いっそ”の前に“詮索されるのにうんざりしたわたしは”と書いておけば、詮索を打ち切るために説得力のある理由をでっち上げようとしたという、不自然でない説明もできたと思うのですが。
 また、倉田係長からの電話を受けた際には“条件さえ異なれば、立派にセクハラとして訴えることができそうだ”(67頁)と独白していますが、“条件さえ異なれば”とただし書きがついているとはいえ、男同士という状況でいきなり“セクハラ”という言葉が出てくるのは、やはり不自然に感じられます。さらに、(和也から元村との関係を聞き出す前なので)どのような人物かもわからない元村が“わたしのからだを奪おうとする”(102頁)可能性を想定するに至っては、論外といわざるを得ません。いずれも、若い女性に対して強い性欲を示す“おれ”としては、およそ考えられない発想ではないでしょうか。
 そして、“妄想”と断ってはいるものの、“このS市にわたしを追う者がいるとすれば、ほかでもない元村こそその最有力候補ではないのか?”及び“東京でのわたしを追う者もまた元村だったのではないのか?”(102頁〜103頁)という箇所も疑問です。元村と“おれ/わたし”との関係は香坂澄香を介したものでしかなく、“おれ/わたし”が直接接点のない、しかもS市在住の元村治成に追い回されているという発想が出てくること自体、やや無理があるように思います。
 これらはもちろん虚偽の記述ではなく、また絶対にあり得ないともいえませんが、“おれ”としてはかなり不自然な思考により“わたし”を香坂澄香と誤認させようとするものであり、アンフェアな印象を受けるのは否めないところです。


・事件の真相と「外挿」について

 本書では、南條博隆と小宮山徹志が登場する「外挿」のパートにおいて、作中作に仕掛けられた“おれ”と“わたし”の叙述トリックが比較的早い段階で明かされ、さらに小宮山の指摘を受けて「最終章」が書き直されたという設定になっています。

 “おれ”=“わたし”であることを作中作の中で示すのは、例えば早南美の話を聞いて三人の会合を設定したのが“おれ”であることを最終章で明示するなどすれば不可能ではありませんが、自称の使い分けの理由や“モトムラ”→“元村治成”という伏線などについては作中作の叙述トリックはメタレベルからの解説が不可欠です*1)。それが、「外挿」のパートが導入された理由の一つであるのは間違いないでしょう*2
 一方、作中作はパズラーではなく、殺人事件の真相をメタレベルから解明(推測ではなく)することはできません。したがって、事件の真相はあくまでも作中作の中で示される必要があります。つまり本書には、メタレベルからの叙述トリックの解体と、作中作での事件の真相の提示という、二つの謎解きが存在するのです。

 ここで問題になるのが、二つの謎解きの微妙な関係です。
 作中作の叙述トリックの機能は、“わたし”(記述から犯人とは考えにくい)を香澄と誤認させることで彼女を疑惑の圏外に置くというシンプルなものですが、裏を返せば、(「外挿」で小宮山が見抜いたように)叙述トリックを見破られてしまえば犯人も予測できてしまう危険性があるといえます(あくまでも“見当がつく”程度ですが)。
 逆に作中作では、“おれ”の疑惑を香澄以外の人物、すなわちもう一人の主要登場人物である早南美に向ける必要がありますが、早南美を犯人とする根拠は動機以外にはほとんどありません。そのため、早南美を告発する際には彼女のS市訪問に言及せざるを得ず、必然的に叙述トリックが露見してしまうことになります*3

 作者はこの問題を解決するために、実に思い切った、しかも巧妙な手段をとっています。一つは、作中作の叙述トリックをいわば“捨てトリック”として早い段階で明かしてしまうこと。そしてもう一つは、香澄を犯人とする「最終章」の概要を示しておいて、それを南條に書き直させていることです。
 本書の読者は、香澄を守ってきた“壁”(作中作の叙述トリック)が取り除かれた段階で疑惑を植え付けられた後、それが裏付けられるはずだった「最終章」が書き直されたことで香澄に対する疑惑を捨て去る方向に導かれてしまうのではないでしょうか(しかも「修正された最終章」で追加されたアリバイがそれを補強します)。つまり、「外挿」における、南條が「最終章」を書き直したという記述そのものが新たなミスディレクション(あるいは叙述トリックともいえます)になっているのであり、それこそが本書における「外挿」の主たる機能なのだといえるでしょう。

 ただ残念なことに、作者の狙いが非常に面白いものであるにもかかわらず、実際にはそれほど効果が上がっているとはいえません。
 一つには、主要登場人物が少ないために選択肢が限られてしまい、多少のミスディレクションでは香澄に対する疑惑を完全に取り除くことはできないからです。「修正された最終章」に登場するのは“おれ”・香澄・早南美の三人だけで、このうち“おれ”を犯人とするのはほぼ間違いなくアンフェアになってしまうので不可能、そして早南美を二つの事件の犯人とするのは当初の「最終章」におけるダミーの真相そのまま。となれば、たとえアリバイがあろうとも、あるいは早南美が“自白”しようとも、香澄に対する疑惑を完全に捨て去るまではいかないでしょう。
 また、この「外挿」によるミスディレクション自体がかなり地味でわかりにくいというのも難点で、しかも作中作の叙述トリックがどうしても前面に出てしまうために一層目立たなくなっているのも苦しいところです。

*1: 特に自称の使い分けについては、前項で指摘したように“おれ/わたし”のS市訪問の場面で破綻していることもあって、作中作だけで読者がそこまで読み取るのはおそらく無理でしょう。逆にいえば、小宮山がそこまで読み切っているのは、よくいえば超人的な読解力のなせる業であり、悪くいえばご都合主義以外の何物でもありません。
*2: その意味で、南條博隆が書いた作品(すなわち本書から「外挿」を除いたもの)には大いに問題があると思います。
*3: 早南美の話を聞いたのが“わたし”ではなく“おれ”だったとすれば、この問題はクリアされますが、今度は“南條博隆が書いた作品”の読者に対して“おれ”=“わたし”という真相を示すことが難しくなるでしょう。

・小宮山徹志について

 この項では、『密室は眠れないパズル』の内容に触れますので、そちらを未読の方はご注意下さい。

[↓以下伏せ字;範囲指定してお読み下さい]

 作中で、南條博隆が書いた小説を読んでその仕掛けを見破った人物の名は、何と小宮山徹志。『密室は眠れないパズル』をお読みになった方はおわかりのように、かつては東都出版の敏腕編集者であり、作家の卵であった氷川透をデビューさせようとしている最中に、殺人事件を起こしてしまった人物です。

 しかしながら、小宮山は事件解決後に逮捕されたはずであり、しかも作中に記されたその年齢によれば『密室は眠れないパズル』から5年ほどしかたっていないので、普通に考えればまだ獄中にあるはずです(動機からみて情状酌量の余地はないと思われるので、刑期を終えて出てくるには早すぎるでしょう)。脱獄したという可能性もないとはいえないかもしれませんが、それにしてはあまりにも大っぴらに行動しすぎです。したがって、『密室は眠れないパズル』の結末(から想定される現状)とは明らかに矛盾しています。この矛盾にもかかわらず、本書に小宮山が登場しているのは一体どういうことなのでしょうか。

 単純に考えれば、本書の「外挿」は一連の“氷川透シリーズ”における作中の“現実”とはリンクしていない、ということになるでしょう。そして、メタフィクション仕立ての本書における原稿の読み手という立場の謎解き役にふさわしい人物として、『密室は眠れないパズル』で謎解き役としての資質を披露した小宮山が選ばれた、というところでしょうか。

 と、これだけで終わっては面白くないので、もう少しだけ妄想を。

 「外挿」のパートではもう一つ、“あの氷川透を見いだした”という小宮山の台詞も気になります。“見いだした”という表現は単に“最初に才能を見抜いた”という意味なのかもしれませんが、“あの氷川透”という言葉から“氷川透”がすでに作家となっていると考えられるので、小宮山自身が“氷川透”のデビューに関わったというニュアンスがあるように感じられます。

 もちろん、『密室は眠れないパズル』の結末では“氷川透”の東都出版からのデビュー話は没になってしまったわけですが、そもそも本書に小宮山が登場していること自体がその“現実”と矛盾しているのですから、他の点でも“ずれ”が生じていてもおかしくはないでしょう。つまり本書の「外挿」は、『密室は眠れないパズル』の事件が起きなければあり得た“もう一つの現実”――小宮山が逮捕されることもなく、“氷川透”はそのまま東都出版からデビューした――という“if設定”を描いたものだと解釈することもできるのではないでしょうか。

[↑ここまで伏せ字]

2005.12.22読了

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