ミステリ&SF感想vol.112

2005.09.30
『あなたの人生の物語』 『密室は眠れないパズル』 『自殺の殺人』 『ナイトサイド・シティ』 『瞬間移動死体』



あなたの人生の物語 Stories of Your Life and Others  テッド・チャン
 2002年発表 (浅倉久志・他訳 ハヤカワ文庫SF1458)

[紹介と感想]
 大半が錚々たる受賞歴を誇る作品8篇を収録し、さらに作者自身による「作品覚え書き」を加えた評判の高いSF短編集です。が、正直なところをいえば、大いに気に入った作品とピンとこない作品が半々くらいでした。
 特に面白かったのは、「バビロンの塔」・「あなたの人生の物語」・「七十二文字」

「バビロンの塔」 Tower of Babylon
 バビロンに築かれているは日々その高さを増し、やがて月や太陽、さらに星々の高さをも越え、ついに空の丸天井へと達した。そして呼び寄せられた鉱夫たちは、空の丸天井に穴を掘り始める。偉大なるヤハウェははたして、丸天井の奥に何を用意しているのか……?
 舞台となる古代バビロニアの宇宙観をもとに宇宙を描き出し、さらに一つの“飛躍”を加えた作品。バビロニア人の“現実”に“架空”の要素が加わっているという意味で、“バビロニア人にとってのSF”といえるかもしれません。神の怒りを恐れつつ作業を進めた末に、“天啓”を得たかのように世界の“実像”の理解に至った主人公の昂揚が、強く印象に残ります。

「理解」 Understand
 脳に損傷を受けて植物人間となっていた“わたし”は、新薬を使った治療により奇跡的に回復した。それどころか、常人を遙かに超える域まで知能が向上し、あらゆる物事に意味と秩序を見出すことができるようになったのだ。かくして、超人類への道を歩み始めた“わたし”は……。
 主人公の能力が果てしなくエスカレートしていく展開は、おそらく意図的なのでしょうが、やりすぎで笑えます。終盤は迫力十分ですが、結末が何だかよくわからないのが残念。一応伏せ字にしておきますが、(以下伏せ字)“知覚”と“理解”は違う(ここまで)ということなのでしょうか。

「ゼロで割る」 Division by Zero
 数学者のレネーは研究中に、数論の中に決定的な矛盾を発見してしまう。その発見は、数学の無矛盾性をよりどころとしてきたレネーに致命的な打撃をもたらした。夫のカールは、そんなレネーを何とか支えようとするが……。
 これも個人的には今ひとつピンとこない作品。最後の章の(以下伏せ字)“9a=9b”(ここまで)は、(以下伏せ字)カールのレネーに対する感情移入が、“ゼロで割る”ことで左辺と右辺を等号で結ぶようなものだ(ここまで)、ということを暗示しているようにも思えますが……。

「あなたの人生の物語」 Stories of Your Life
 地球を訪れたエイリアン“ヘプタポッド”とのコンタクトを通じて、その特異な言語を学ぼうとする言語学者のルイーズ。だが、その言語、とりわけその文字表記は難解だった。まったく異質な思考様式に基づくそれを少しずつ理解し始めたルイーズは、やがて……。
 エイリアンとのコンタクトの顛末と、“あなた”への語りかけとが交互に繰り返される、一風変わった構成の作品です。言語による効果は(以下伏せ字)川又千秋『幻詩狩り』(ここまで)を思わせるもので、非常に面白いと思います。そして、二つの物語が最後につながってくるところが鮮やかです。傑作。

「七十二文字」 Seventy-Two Letters
 適切な七十二文字の“名辞”を与えることで、ゴーレムを動かすことができる――幼い頃から名辞に興味を抱いてきたストラットンは、長じて命名師となり、新たな名辞の開発にいそしんでいた。その彼が、ある貴族の要請を受けて、人類の危機を救う計画に参加することになったのだが……。
 スチームパンク風の錬金術SF。歴史改変ものではなく完全にパラレルワールドもの(例えばP.アンダースン『大魔王作戦』のような)ですが、“ゴーレム”(を動かすための“名辞”)と“前成説”というネタを組み合わせた結末が、現実世界のアナロジーのようにも思えるところが秀逸です。

「人類科学{ヒューマン・サイエンス}の進化」 The Evolution of Human Science
 「ネイチャー」に掲載された科学記事風のショートショート。超人類知性体の登場が人類科学に与える影響がテーマとなっています。結末からにじみ出る皮肉が何ともいえません。

「地獄とは神の不在なり」 Hell is the Absence of God
 神を信仰しないニールは、天使の降臨によって最愛の妻を失った。そのまま天国へと昇っていった妻の魂と再会するために、自分も天国へと向かう方法を模索するニール。神を愛することを拒む彼にとって、残された手段はただ一つだったのだが……。
 天使の降臨を一種の災害として描いたところは面白いと思いますが、不条理な神(天使)という概念自体は、例えば山田正紀の作品などで見慣れたもので、目新しさはありません。しかし、反感を抱えつつも天使を手段として利用しようとする主人公の、したたかさのようなものは印象的です。そして結末はなかなか強烈。

「顔の美醜について――ドキュメンタリー」 Liking What You See :A Documentary
 子供たちに“カリー”――“美醜失認処置{カリーアグノシア}”を受けさせる親が増え始めていた。それは、脳内の神経経路の一部を閉鎖し、顔の美醜を判断できないようにして容貌差別を防止しようというものだった。そして、推進派と反対派の思惑がとある大学で衝突し……。
 顔の美醜を中立化する“カリー”という技術について、様々な立場の人々の意見を積み重ねたドキュメンタリー形式で書かれた作品です。いきすぎたポリティカル・コレクトネスはどうも気持ち悪く感じられるのですが、その中にあって柔軟さを保ち続ける主人公の姿が爽やかな印象を残します。

2005.08.25読了  [テッド・チャン]



密室は眠れないパズル  氷川 透
 2000年発表 (原書房)ネタバレ感想

[紹介]
 ミステリ作家志望の氷川透は東都出版ビルを訪れ、編集者の小宮山とデビュー作の打ち合わせをしていたが、夜も遅くなり、学生アルバイトでミステリマニアの上野らも加わってそのまま酒宴が始まった。そんな中、突然社内に悲鳴が響き渡る。氷川らが駆けつけてみると、そこには営業部長の岡本が、ナイフで刺されて死に瀕していた。その岡本は、常務の大橋を犯人と名指しして息絶えてしまう。ところが、当の大橋はやがて、エレベーターの中で刺殺死体となって発見されたのだ。そして、建物の出入り口は外から封鎖され、外線電話は不通。社内に閉じ込められてしまった8人は……。

[感想]

 柄刀一『3000年の密室』や城平京『名探偵に薔薇を』と同様、第8回鮎川哲也賞の最終候補となりながら受賞を逸した原稿をもとにした作品(受賞作は谺健二『未明の悪夢』)で、ロジックを重視したフーダニットです。もちろん「読者への挑戦」付き。

 まず、出版社の建物内部という風変わりなクローズドサークルが目をひきます。ご承知のように、論理的に犯人を特定するためには原則的に、何らかの形で容疑者を限定してやる必要があるわけで、その意味でロジカルなフーダニットとクローズドサークルとは相性がいいのですが、孤島や嵐の山荘といった手っ取り早い手段をとることなく日常に近い舞台を作り上げたところは好感が持てます。

 事件の状況は“動く密室”に“裏返しの密室”となかなかユニークですし、J.D.カーの“密室講義”(『三つの棺』)を連想させる密室の分類も興味深いところです。また、被害者も含めた登場人物一人一人の位置と動きを少しずつ明らかにしていくアリバイ崩し的なプロセスも印象的です。しかしやはり圧巻は、細かいロジックの丁寧な積み重ねによる解決です……が、しかし。

 残念なことに、主にトリックに関して若干の難がある(ロジカルなフーダニットと相性がよくないトリックが使われている、というべきでしょうか)ために、ある程度ミステリを読み慣れた読者であれば、作中で展開されるロジックによらずして犯人及び真相(の大半)の見当をつけることも十分可能になっています。そうなると、ロジックそのもの(一つ一つのステップ)にはさほどの面白味がないだけに、丁寧な積み重ねがかえって仇となり、解決を前にした無用な足踏み(もしくは解決の後の蛇足)のようにも感じられてしまいます。

 ストイックなまでにロジックにこだわり、すべてがロジックに奉仕している、といえば聞こえはいいのですが、ロジックそのものが自己目的化してしまい、真相を隠すためのトリック/真相を示すためのロジックという本来の役割が薄れている感があります。とにかくロジックが大好きという方には間違いなくおすすめですが……何とももったいない作品です。

2005.08.29読了  [氷川 透]



自殺の殺人 Death in Botanist's Bay  エリザベス・フェラーズ
 1941年発表 (中村有希訳 創元推理文庫159-17)ネタバレ感想

[紹介]
 嵐の夜、父親のエドガーがなかなか帰ってこないことに不安を抱いたジョアンナが、勤務先の植物標本館に電話で問い合わせてみると、エドガーはすでに帰宅したという。実はその時、エドガーは身投げを図っていたのだ。通りすがりのトビーとジョージらに助けられたエドガーはしかし、自分を助けてくれた相手に悪態をつく。そして翌朝、標本館までエドガーを送り届けたジョアンナだったが、父親は一発の銃弾で命を落とした。その死は当然自殺だと思われたのだが、警察の捜査で他殺の可能性も浮かび上がってきて……。

[感想]

 E.フェラーズの〈トビー&ジョージ・シリーズ〉第3長編です。このシリーズは毎回、事件の全体像がとらえにくいのが特徴のようですが、本書の場合はある登場人物の死が自殺なのか他殺なのか判然としないという発端で、一見すると焦点がはっきりしているようにも思えます。ところが、捜査を通じて少しずつ明らかになる事実によって、混迷が一層深まっていくところが面白く感じられます。

 正確には事件の状況は、自殺か他殺かわからないというよりも、自殺のようでも他殺のようでもあるというもので、双方を示唆する証拠や証言、手がかりが錯綜し、二転三転していく事件の様相からは目が離せません。

 また、このシリーズの読者にはすでにおなじみだと思いますが、トビーと並んで“もう一人の探偵役”であるジョージが、いわば“別働隊”として見えないところで動くために、彼がつかんだ手がかりの意味が読者の目から隠されているところが巧妙です。本書でも相変わらず、マイペースに大活躍をみせています。

 最後に明らかになる真相は、それほど意外なものとはいえないかもしれませんが、よくできていることは間違いありません。読みやすい翻訳も含めて、十分に楽しめる作品といえるでしょう。

2005.08.31読了  [エリザベス・フェラーズ]



ナイトサイド・シティ Nightside City  ローレンス・ワット=エヴァンズ
 1989年発表 (米村秀雄訳 ハヤカワ文庫SF1030・入手困難

[紹介]
 強烈な陽光と大量の放射線が降り注ぐ惑星エピメテウスでは、居住可能な夜側に位置するクレーターの中にシティが築かれ、繁栄を続けていた。だが、その後の調査で惑星がごくわずかな速度で自転していることが判明し、やがて訪れる“夜明け”とともにシティは居住不能となることがわかったのだ。そして“夜明け”が目前に迫ったある日、しがない稼業を営む女探偵のカーライル・シンは奇妙な話を耳にする。シティの中で最初に太陽に照らされるために早々に放棄され、“宿なし”たちの住処になっている“西はずれ”の土地を、密かに何者かが買い占めているというのだ……。

[感想]

 小柄ながらタフな女探偵カーライル・シンを主人公としたSFハードボイルドです。物語の舞台は、I.アシモフ「夜来たる」を裏返したような変わった設定の惑星ですが、滅びがすぐそこに迫ったシティに漂う閉塞感のようなものが、ハードボイルドというスタイルには合っているように思います。

 “コム”と呼ばれる端末からのハッキング(クラッキング)で情報を収集するあたりや、苛酷な環境で生き延びるための“共生体”による身体改造など、随所にサイバーパンク風の味つけが施されていますが、物語の骨格はハードボイルドそのもの。しがない探偵のシンは、大した金にならない依頼を引き受けて懸命に謎を探り、時には騙され、時には殺されかけながらもしたたかにそれを乗り越え、自分なりの矜持を守ろうとします。その姿は、ハードボイルドの主人公にふさわしい魅力を放っています。

 せっかくの興味深い謎に対して、残念ながらその真相は拍子抜けで、本格的な謎解きを期待して読むのはおすすめできません。しかし、真相が明らかになった後に残るものを考えれば、ハードボイルド的にはむしろこれが正解のようにも思えます。

 前述のようにミステリ(謎解き)としては期待外れですが、ハードボイルド好きでSFに抵抗がない方には間違いなくおすすめの一冊です。

2005.09.07読了  [ローレンス・ワット=エヴァンズ]



瞬間移動死体  西澤保彦
 1997年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介]
 人気作家にして精神的サディストの景子と、生来の怠け者で精神的マゾヒストの“俺”。二人はお似合いの夫婦だったが、景子の何気ない一言がきっかけで殺意を抱いてしまった俺は、完全犯罪の計画を練り始める。誰も知らない俺の能力をもってすれば、日本に帰国してからロサンジェルスに残った景子を殺害することも可能。なぜなら、俺は(条件付きながら)テレポーテーションができるのだから。かくして、鉄壁のアリバイを確保しながら景子の待つロサンジェルスへと瞬間移動してきた俺だったが、予想外の事態が……。

[感想]

 L.ニーヴンの「脳細胞の体操――テレポーテーションの理論と実際――」『無常の月』収録)からヒントを得たという作品で、テレポーテーション(瞬間移動)を扱った希有なSFミステリです。

 このテレポーテーション、SF方面ではおなじみのアイデアではありますが、空間的な障壁(例えば密室)も時間的な障壁(アリバイ)も無効化してしまう反則技で、ミステリへの応用がきわめて難しいネタといえます。実際、アンフェアなSFミステリの典型としてしばしば挙げられるほどで、このネタをうまく使った作品として挙げられるのは草上仁「転送室の殺人」『市長、お電話です』収録)くらいでしょうか。

 本書の場合にはまずプロットが秀逸で、テレポーテーション能力を持つ主人公の視点による倒叙ミステリ風の発端から、予期せぬトラブルでパズラーへと転じることにより、読者に対してフェアプレイを仕掛けようとしています。また、テレポーテーション能力そのものにも厳しい条件が設けられてオールマイティの反則技ではなくなり、フェアなパズラーが成立するようになっています。ちなみに、その条件とは以下の通りです。
  • “燃料”としてアルコールが必要(毎回酒を飲む必要がある;ちなみに主人公は下戸)
  • 自分の体以外の物体を持ち運ぶことができない(衣服も移動しないので、移動直後は全裸)
  • 目的地にある物体が何か一つランダムに選ばれ、自分と交換で出発地に移動する(“バランスウェイト”)
 このように厳しく、かつユニークな条件によって引き起こされるスラップスティック・コメディ的な展開が面白く、特に終盤に主人公を襲う危機と、そこからの脱出策は見どころです。

 しかしながら、肝心のミステリ部分については物足りなさが感じられます。テレポーテーションを扱ったパズラーという難題に挑戦し、それを見事に成立させているところには感心させられますが、そのために強引なトリックが使われていたり、あるいはご都合主義的な展開がみられたりと、随所に無理が生じているのが気になります。また、事件の真相もその大半が見えやすく、予想を大きく超えるものではないところも残念です。

 全体的にみて面白くはあるものの、個人的に今ひとつ釈然としない結末も含めて、やや不満の残る作品です。

2005.09.12再読了  [西澤保彦]


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