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くらやみ砂絵/都筑道夫

1970年発表 角川文庫 緑425-23(角川書店)
「不動坊火焔」
 まず不動坊火焔の呪殺のからくりについては、匂い消しのための“和蘭陀香水”という小道具は面白いと思いますが、配下である“イブクロ”の特殊技能によるものだということは予想できる範囲内でしょう。もっとも、呪殺のからくりが謎解きの中心にあるわけではありませんし、そのことはセンセーが玉太郎の命を守るよう頼まれた時点で明らかなので、まったく瑕疵とはいえません。
 この作品のポイントは、呪殺の標的が山城屋仁兵衛から玉太郎に変更されたことにより、本来ならあり得ないはず*1フーダニットが成立している点で、呪殺を扱いながらもプロットにひねりを加えることで、予想外の謎が生み出されているのが秀逸です。そして、至極あっさりしてはいるものの、解決のロジックもまた見事。

「天狗起し」
 奇天烈な“お題”に対して作者もさぞや苦労したことと思われますが、おそらくはその副産物である“別解”が作中に盛り込まれ、多重解決となっているのが面白いところです。また、下駄常のレギュラー化――下駄常がセンセーの知恵を借りにくるという基本フォーマットの完成と機を同じくして、下駄常に手柄を立てさせつつ口止め料をせしめるために必須となる*2、シリーズ独特の解決の二重構造――探偵役による意図的な“偽の解決”――が確立されているのが興味深いところです。
 “お題”がどの程度具体的なものだったのかはわかりませんが、幸右衛門の死骸を通夜の席に気づかれないように早桶から運び出すのはかなり困難で、最初の“解決”(幸右衛門と留五郎の男色関係)から最後の真相に至るまで、一貫して長崎屋の身内による複数犯とされているのは致し方ないところでしょう。
 必然的に、“なぜ留五郎が殺されたのか?”及び“なぜ幸右衛門の死骸が早桶の中から消えたのか?”という二つのホワイダニットが焦点となっていますが、“表向きの解決”もまずまずではあるものの、やはり最後の真相が実に見事。何といっても、切支丹という秘密を中心に据えることで、幸右衛門の死骸を早桶から消失させる困難をあっさりとクリアしているのが巧妙ですし、“幸右衛門の死骸を守る”よりも遥かに切実な殺人の動機には説得力があります。“でえも天狗”とはややわかりやすすぎる手がかりかもしれませんが、“駄右衛門天狗”との言い換えは面白い工夫だと思います。

「やれ突けそれ突け」
 小花蝶吉が転落した状況を踏まえれば、による反射光を使ったトリックはかなりわかりやすいとはいえ、長い竹竿という小道具の使い方がなかなかうまいところです。
 漠然とした予告に乗じた殺人という真相は少々物足りなく感じられますが、予告を仕掛けた伊太郎の目的からすれば漠然とした予告でなければならないわけで、二つの“犯行”には単なる偶然以上の微妙なつながりが設定されています。また、お栄が雲井吉三郎に惚れているために伊太郎に協力したというあたりも、地味ながらよく考えられていると思います。

「南蛮大魔術」
 天竺胡蝶斎の大魔術が茶番であることは見え見えで、それがメインの謎解きだとはさすがに考えにくいところ。さりとて(山崎屋宗右衛門の背中の古疵が重要な要素であることは何となく予想できるものの)他に謎らしい謎は見当たらず、読者としては困惑を余儀なくされます。そして、頁数も残り少なくなったところで突然行われる謎解き――真の狙いである“後半”の事件が発生する前に解決されてしまうという、型破りの結末が圧巻です。

「雪もよい明神下」
 福助の芸を利用したトリックであることが比較的早い段階で暗示されているため、一緒に落ちたという真相にもさほどカタルシスが感じられないのがもったいないところですが、他にどうしようもないように思われるのも確かですし、実のところは不可能犯罪にはさほど重きが置かれていません。
 中心となるのはあくまでも、“なぜ半鐘が鳴らされたのか?”という謎であり、しかもそれが共犯者の変心によって不条理なものとなった事件の構図で、ポイントの外し方が何ともいえません。

「春狂言役者づくし」
 羽子板の押絵の中に重要なものが隠されていたという真相は、コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズものの1篇*3を思わせますが、作中でセンセーが指摘している(265頁〜266頁)ように、羽子板が盗まれるだけであれば“羽子板にいわくがある”ことが見え見えになってしまうところ、役者殺しという途方もないミスディレクションには脱帽せざるを得ません。和次郎を一種のサイコキラーに仕立てることで、常軌を逸した真相に多少なりとも説得力を持たせてあるのも巧妙です。
 表面的な事件の“主”(役者殺し)と“従”(羽子板による“予告”)を入れ替えてみれば、“どうしてわざわざ、前じらせをするのか?”(238頁)という疑問も氷解。そして真相が明らかにされてみると、“羽子板どろぼうの始末をつけろ、と八丁堀の旦那はいうが、役者ころしの下手人は、どうでもいいような口ぶりだ”(233頁)という下駄常の述懐が、何とも皮肉なものに感じられます。
 “左刃の切出し”(254頁)及び“繃帯の右手で、筆をつかうまねをしてみせて”(258頁)という、さりげない伏線もよくできています。

「地口行灯」
 最初にクローズアップされるのは“強盗に入った死人の謎”ですが、この作品の最大の見どころはやはり、喜三郎が残したユニークなダイイングメッセージです。拙文「私的「ダイイング・メッセージ講義」」でも取り上げていますが、メッセージが完全に破壊されたとしか見えない――実際に犯人はそのつもりだった――にもかかわらず、実はメッセージが完成していたというもので、ミステリ史上空前絶後のネタではないかと思われます。
 しかも、喜三郎が無筆だったという設定が絶妙で、犯人の名前が書けないために外見的な特徴を残すしかなかったことに説得力が備わっているとともに、“無筆の人間が何かを書き残した”という逆説的な謎が加わっています。一方、犯人も無筆であり、なおかつ喜三郎が無筆であることを知らなかったために、自分を告発するダイイングメッセージを自らの手で完成させてしまったという皮肉が何ともいえません*4
 いずれにしても、一見すると“汚れとしか、いいようがない”(302頁)ものが、一目瞭然のグラフィカルなダイイングメッセージに変貌する結末は圧巻。ダイイングメッセージものでは(おそらく)例を見ない、最後の最後にようやく犯人が登場するという構成は、もちろん明快すぎるメッセージ――犯人が登場した途端に謎でなくなってしまう――ゆえの必然で、フェアな手がかりを示しにくいことを逆手に取って“最後の一撃”に仕立ててあるのがよくできています。
 なお、シリーズの中で本書に限って文中に図版が挿入されているのは、“木の葉は森に隠せ”の格言そのままに、302頁に描かれている血のしみをさほど意味のないものだと思わせるための、実に周到な工夫だと考えられます*5

*1: 呪殺を行う“犯人”が不動坊火焔であることが明示されているため。
*2: 目当てが礼金の場合には普通に解決すれば十分ですが、口止め料を得るためには“表向きの解決”をでっち上げる必要があります。
*3: (一応伏せ字)「六つのナポレオンの胸像」(ここまで)。羽子板の枚数を考えてみると、そちらへのオマージュという意図もあるのかもしれません。
*4: 犯人としては、自分の顔に痣があることは知っていたでしょうが、江戸時代の鏡の映りの悪さや犯人が男であること(それほど鏡を見る機会があるとは思えない)を考えれば、痣の具体的な形までは把握していなかったというのが妥当なところではないでしょうか。
*5: とりわけ、「やれ突けそれ突け」において、“きちさんしぬ”という文字がわざわざ図版として挿入されていることが解決に何の影響ももたらさなかったという“肩すかし”が、雰囲気を出すための図版という思い込みを助長している感があります。

2009.07.03再読了

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