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シンフォニック・ロスト/千澤のり子 | ||||||||||||||||
2011年発表 講談社ノベルス(講談社) | ||||||||||||||||
まず事件については、工藤麻衣子と成瀬光男に対する動機を考えれば(本来は)かなりわかりやすいはずですし、物語終盤での泉正博の“気づき”(250頁)を待たなくとも、工藤麻衣子の死体が
しかしやや真相が見えにくくなっているのは、その犯人――市ノ瀬愛絵その人が死んでしまったこともありますが、見逃せないのが視点人物である泉正博に疑惑が向くように描かれている点です。例えば さらに、「第四章」から始まる泉に対しての告発と、それを受けた泉の独白が、泉正博に対する疑惑を補強しているのはいうまでもないでしょう。そしてその裏にある、奇数章と偶数章を連続した物語と見せかける叙述トリック――1990年(奇数章)と2007年(偶数章)とを同時期に見せかけるトリック(→拙文「叙述トリック分類#[B-1-2]」;[表7-A]を参照)と、“泉正博”と“日向泉”を同一人物に見せかける“二人一役”トリック(→拙文「叙述トリック分類#[A-1-2]」を参照)の組み合わせ――が秀逸です。 もちろん、二つのトリックのそれぞれは見慣れたものではありますし、それらを組み合わせた前例もあります。名字と名前の混同による“二人一役”トリックは意外に珍しいようにも思いますが、それでも少なくとも近年の作品に一つ前例があります(*2)。しかし本書の場合、トリックの扱い方に非常にユニークなところがあると思いますので、そのあたりを少し詳しく検討してみます。 *
実際のところ、本書に何らかの叙述トリックが仕掛けられていること自体は、早い段階から見え見えといってもいいでしょう。端的に表れているのは、一部の人物以外はやけに名前が出てこない点で、とりわけ部長や副部長、そして偶数章の“パーカッション一年生男子”については、それなりに納得できそうな理由もないではない―― そして、奇数章と偶数章が連続していないことを示す決定的な手がかり――奇数章と偶数章の間の明らかな不一致としては、少なくとも以下の表に示す(1)部長の名前、(2)副部長の名前、(3)音楽室のベランダの柵、があり(*3)、特に(1)と(2)については前述のように具体的な名前がなかなか出てこないことが読者の注意を引いてしまうために、かなり目立つものになっていると思います。
このように、叙述トリックの存在がかなりあからさまなだけでなく、奇数章と偶数章が“別の物語”だという真相に直結する手がかりまでもがわかりやすく示されているのは、叙述トリックものとしては相当に異色といえますが、それでもトリックの具体的な細部まで見抜くことは困難ではないかと思われます。それは、手がかりのわかりやすさとバランスを取るように、読者をミスリードする仕掛けが卑怯なまでに強力(苦笑)だからです。
奇数章と偶数章が連続していると見せかけるトリックを支えているのが、両者の著しい類似であることはいうまでもありません。そのうち、“事件”の進行がシンクロしている点については、(作中にも
実をいえば、上記の手がかり(1)と(2)は初読時に気づいたものの、自分ではどうにも筋の通った説明をつけることができないまま、親切なヒントとして用意されている桜刑事の
taipeimonochromeさんが指摘している(*5)ように、この過剰ともいえる共通性を 「第十六章」は切なさに満ちた幕切れとなっていますが、次の「終章」で再び仕掛けられた時間差トリック(?)がうれしい驚きにつながっているのが巧妙で、実に見事な結末といえるでしょう。 *
ところで、一つ気になるのが「第十章」で日向泉のもとに送られてきたCD。その内容は1990年当時のデモ演奏とそれに続く部員たちの雑談ですが、過去の音源が吹奏楽部に残されていたのはいいとしても、1990年にはまだCDレコーダーは(少なくとも一般的では)なかったはずで、直接CDに録音するのは不可能だったということになります。
そうすると(*6)、1990年当時にカセットテープ(かMD……はすでにあったかどうか)に録音された―― つまり、音源をCDに焼き直してラベルを書いた人物の目的は、それを2007年2月16日に録音されたCDとすり替えて日向泉に送りつけることだったと考えられるわけで、これも太田部長の“告発”の一環だったということではないでしょうか。
*1: 終盤に示されている、
“死体がなかったら、自分で作ればいい。”(242頁)というもの。 *2: (発表年)2010年(ここまで)に発表された作品 → (作家名と作品名)飛鳥部勝則『黒と愛』(ここまで)です。 *3: とりあえず私が気づいたのはこれだけですが、他にもあるかもしれません。 なお、 “〈おっかさん〉”(33頁)と “おかちゃん”(143頁)は、両方同時に存在していても矛盾がないので決定的な手がかりとはいえません。 *4: 事件を受けて、転落防止の対策が施されたというところでしょうか。 *5: “この仕掛けの要となるのは、ある人物におけるある設定で、普通であればこうした仕掛けのための設定は人工的に過ぎて物語から遊離してしまうこともしばしばながら、本作の場合、ボーイの恋模様を中心に据えた青春物語としての骨格が明確であるからこそ、その設定の「動機」が明らかにされた刹那(271p上段)、事件の構図から滲み出す悲哀と切なさが最大限の効力を発揮するという趣向になっています。”(「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » シンフォニック・ロスト / 千澤 のり子」)。 *6: (失礼かもしれませんが)作者の生年が1973年であることを考えれば、“1990年にCD録音が可能だった”という勘違いの可能性はないでしょう。 2011.03.09読了 | ||||||||||||||||
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