春期限定いちごタルト事件/米澤穂信
- 「羊の着ぐるみ」
健吾を引っ張り回した高田の行動はあからさまに怪しいものですが、全体的に怪しいためにかえってその意味が見えにくくなっているところがあるように思います。その中で、“なぜ校舎の外に出て手を振ったのか”という着眼点から引き出される、“ジャージの裾が濡れたのを隠すため”という結論はなかなかよくできています。校舎の外にポシェットを隠した高田としては、本来は校舎の外に注意を引きたくないはずですが、あえて外に出ることが最良の隠蔽になっているのが面白いところです。
高田くんがポシェットを隠した理由についての推理は、やや妄想気味の感がないでもないですが、悪意はない“青春の暴走”といった感じの真相には(許容はしないまでも)納得はできます。しかしその高田の
“お前らにはわかるだろ?”
(54頁)という言葉を受けたやり取りによって、真相そのものが探偵役にとっての皮肉だったことがはっきり示されるのが何ともいえません。しかしそうなると、本書のカバーなどのあらすじで
“恋愛関係にも依存関係にもない”
ことが明かされている(*1)ために、衝撃的とまでは感じられないのが少々もったいないところではあります。実際、この結末に至るまで二人の関係はぼかして描いてありますし、小佐内さんの“そうよね。……わたしも、そうなの”
(56頁)という言葉には『儚い羊たちの祝宴』での最後の一行の趣向に通じる味わいがあり、作者自身もそれを意図していたようにも思えます。もっとも、本書の場合は二人の関係を明かさないと紹介しづらいところがあるので、致し方ないかもしれませんが。- 「For your eyes only」
一見すると同じような二枚の絵に、
“じっくり見れば”
わかる“ところどころ違うところ”
(いずれも84頁)があったというのは大きな手がかりですが、(読者は絵の実物を見ることができないのもさることながら)巧みに配置された余計な情報がミスディレクションとなって、真相を見抜くことは難しくなっているように思います。小鳩くんは“この件は資料読解で片がつく”
(99頁)と述べていますが、そこに挙げられている健吾のノートと学生新聞からの“要点”それ自体がくせもの。さらにいえば、“『君』が人間以外なら個数だし”
(98頁)という言葉もなかなかあざとい(苦笑)。しかし、序盤からの勝部先輩の態度である程度は予想できたとはいえ、ほのぼのした真相を容赦なく一刀両断するような、そして謎を解いた小鳩くんにとっても残酷な、結末のインパクトが強烈です。
- 「おいしいココアの作り方」
推理合戦がどのように展開するのかと思っていると、単純に仮説が次々と脈絡なく挙げられていくのではなく、“問題の捉え直し”というコンセプトが示されているのに感心。前提となる条件(*2)と材料がかなり限定されているからこそ可能な話ではありますが、最初の“ホットミルクを注ぐ器がないのはなぜか”から、“ホットミルクとココアパウダーを混ぜ合わせる器がないのはなぜか”を経て、最後の“四つ目の濡れた存在は何か”に至る設問の変遷が非常に面白いと思います。
表に見えない“四つ目の濡れた存在”が牛乳パックそのものだったという真相には唖然……というか、冷蔵庫の中に牛乳パックがあった(141頁)ことが手がかりと同時にミスディレクションにもなっている――当然冷えているものだと思わされてしまう――のが秀逸です。知里が怒るのも無理はありませんが、健吾らしい真相と思えてしまうのも確かです(苦笑)。
- 「はらふくるるわざ」
“事件”が起きたのがテストの最中であること、そして瓶が割れたことによる効果を考えれば、(具体的な手法まではともかくとして)カンニングに思い至るのはさほど難しくはないでしょう。犯人が証拠を残したままだったのは、さすがにご都合主義といわざるを得ないところがありますが、まあそこはそれ。
面白いのは、あまり目立たないながらもミステリとしては型破りな展開で、小佐内さんが語った“事件”をお題にした安楽椅子探偵ものかと思いきや、小佐内さんが小鳩くんに謎解きを依頼することもないまま、その小佐内さんを置き去りにして小鳩くんが一人でこっそりと謎を解き、しかも解き明かした真相を黙して語らないというのは、ミステリの常道からはだいぶ外れています。
もちろんそれは“小市民を目指す”という約束に基づくもので、それ自体がうまくプロットに生かされているのが目を引きますが、同時に、これまでのエピソードで小鳩くんの探偵活動を止めようとしてきた小佐内さんが約束と本性の間で葛藤をみせる一方で、小鳩くんは完全に自発的に探偵活動を行いながら約束を盾にそれを隠蔽するという具合に、二人の関係に新たな一面が生じているのが興味深いところです。
- 「狐狼の心」
発端となる謎――““サカガミ”が自転車を乗り捨ててどこへ行ったのか”の解答には脱帽。チェーンが外れてもかまわず自転車を飛ばした挙げ句に何もない道路のそばで乗り捨てるという、不可解な行動にすっきりと説明がつけられていますし、目的地は道路そのものという逆説的な発想も光っています。
そこから先の“推理の連鎖”もまたよくできています。特に、「おいしいココアの作り方」で少しだけ言及された自転車の目撃談と印鑑盗難事件(116頁)が手がかりとして組み込まれることで、一気に大きな事件へと“飛躍”するところがお見事です。
事件を通じてついに明らかになった小佐内さんの、外見には似つかわしくない“狼”の本性はやはり強烈。「エピローグ」では二人とも反省している体ですが、ラストの様子を見ても“小市民”になるのは明らかに無理。まあ、そうでなければ話は続かないのですが……(苦笑)。
*2: “犯人”である健吾自身には明らかにトリックを仕掛けるつもりがないのが重要で、隠蔽のための偽装工作を想定する必要がない分、推理しやすくなっているのは確かでしょう。
2012.07.18読了