ネタバレ感想 : 未読の方はお戻りください
  1. 黄金の羊毛亭  > 
  2. 掲載順リスト作家別索引 > 
  3. ミステリ&SF感想vol.168 > 
  4. 虎の首

虎の首/P.アルテ

La tete du tigre/P.Halter

1991年発表 平岡 敦訳 ハヤカワ・ミステリ1820(早川書房)

 まず、〈虎の首〉の密室殺人事件については、被害者自身の協力を受けてクライヴに気づかれないように侵入したというのは少々面白味を欠いていますが、鍵穴から覗かれないようにする工夫が凝らされているところはよくできていると思います。そして、外部から施錠するトリックに〈虎の首〉そのものが使われている――〈虎の首〉の特徴的な構造が巧妙に生かされている――ところはなかなか面白いと思います。

 大きな問題となるのは動機で、例えばカーター・ディクスン『ユダの窓』とは違って、容疑者となるべきクライヴにマグレガー少佐を殺害する明確な動機が見当たらないために、ミスリードが弱くなっている*1のが難点。それどころか、実質的に動機が想定できそうな人物は遺産を相続する(であろう)ジムただ一人で、真犯人が見え見えになっているのがいただけないところです*2

 そして、ジムが逮捕された時点で〈虎の首〉の密室殺人と“スーツケース事件”が別個の事件だという可能性が濃厚になり、さらにパーシヴァルが怪しく描かれすぎていることもあって、クライヴを〈虎の首〉の密室殺人の容疑者とすることで、つまり一種の“被害者”とすることで(“スーツケース事件”の)犯人ではないと見せかける“バールストン先攻法”を応用したような仕掛けを見抜くことも、さほど困難ではありません。しかし、“スーツケース事件”の発端がエスター殺害だったという真相には驚かされました。

 実のところ、ドーラがエスターになりすまして登場している八月九日(84頁~85頁)八月十四日(142頁~144頁)八月二十四日(177頁~179頁)八月二十七日(183頁~188頁)の場面では、地の文に名前が書かれることなく“彼女”や“恋人”といった曖昧な表記――叙述トリックが仕掛けられていることを想起させる――に終始していますし、“「気分はどうだい、ミス・エスター・ダヴ?」とクライヴは陽気な口調で言った。/「上々よ。でもつまらないこと言わないで。よくそんな冗談が言えるもんだわ……」”(142頁~143頁)という会話に至っては、“冗談”が“ミス・エスター・ダヴ?”を指しているとしか考えられない以上、別人によるなりすましを露骨に示唆するヒントとなっています。

 ところが、物語の序盤でほんの少しだけ言及されているドーラの存在を思い出さない限り、エスターになりすましている該当者が見当たらない*3ことに加えて、何気なく読んでいるとエスターが“退場”するきっかけがさっぱりつかめないために、別人によるなりすましを半ば疑いつつもすっかり騙されてしまい、前述の“そんな冗談”というヒントも何かの誤訳ではないだろうかとさえ思い込んでしまいました。

 それはもちろん、「第一部」において二つのパートをカットバックで描いた作者の巧妙な仕掛けによるもので、“スーツケース事件”の発生が(「スーツケースの殺人者を追って」で)描かれた後の箇所まで、(「レドンナム村の出来事」では)地の文で“ベッドに入り、いびきをかいて眠っているエスターの脇に横たわった。”(76頁)とエスターの登場が描かれているために、ずれた日付がはっきり記されているにもかかわらず、“スーツケース事件が発生した後もエスターは健在”という誤認が生じているのです。この、物語の構成によって時系列――出来事の順序を誤認させる叙述トリックは、非常によくできた仕掛けといえるのではないでしょうか。

 そして、レドンナム村での奇妙な盗難事件――最初はメアリー、次いでダンカン牧師による――が、エスター殺害を連続バラバラ殺人事件へと発展させるとともに、さらには“スーツケース事件”の犯人がダンカン牧師の周辺にいることが露見するきっかけとして組み込まれているのもうまいところです。ただし、七月二十八日(77頁~80頁)にロンドンまでクライヴと同行したダンカン牧師が、クライヴがスーツケースを持っていたことに気づかなかったとは考えにくいので、クライヴを疑っている様子がみえない*4のは少々不自然に感じられます*5

 事件の真相を見抜いたツイスト博士が、犯人を司直の手に委ねることなく私刑を(黙認どころか)そそのかしたという結末は、かなり意表を突いたものだと思います。というか、その心理が今ひとつよくわからないのですが……作中で口にしている“犯人に人間の裁きを逃れるチャンスを与えてあげたと思えば、少しは気が楽になります”(213頁)というのをそのまま鵜呑みにもできませんし……。

*1: 読者はともかくとして、(ツイスト博士を除いて)ハースト警部らがこの点を考えもせずにクライヴを犯人だと思い込んでいるのは、さすがにいかがなものかと思います。
*2: もちろん、この密室殺人が本書においてはメインではなく、しかもそちらの犯人が明らかになることが“スーツケース事件”のミスディレクションになり得る、ということは念頭に置いておくべきでしょうが。
*3: 会話の内容などから、問題の女性がエヴリンでもキャロルでも(あるいはメアリーでも)ないことは明らかです。
*4: “帰宅がいつもやけに遅いので、ほかの人より気になっていたんです。”(161頁)という台詞から、ダンカン牧師はパーシヴァルを疑っていると考えられます。
*5: “スーツケースが二つ置いてあったんです。(中略)一方のスーツケースをつかむと、少し先の植込みの裏に隠しました。”(160頁)とあることから、もう一つのスーツケースも犯人の持ち物だったと考えるのが妥当なので、クライヴが持っていたスーツケースに気づけば疑惑を向けるのが自然でしょう。

2009.01.15読了