踊るジョーカー 名探偵 音野順の事件簿
[紹介と感想]
優れた推理の才能を持ちながら、とても気弱な性格で引きこもり気味の音野順。学生時代からの友人である推理作家・白瀬白夜は、仕事場の一角に探偵事務所を開いて自らは助手となり、音野を立派な名探偵に仕立て上げようとするが……。
雑誌掲載された四篇に書き下ろしの「ゆきだるまが殺しにやってくる」を加えて刊行された北山猛邦初の短編集であり、名探偵・音野順と助手の白瀬白夜というコンビを主役とした連作になっています。“こ、この事件は……必ず私が……(中略)と、解き明か……して……みせるかもしれません……”
(20頁)といった具合に“弱気すぎる名探偵”という異色の造形が新鮮ですが、そこからさらに麻耶雄嵩の某作品(*1)に通じるところのある特殊な名探偵と助手の関係が――しかしあくまでコミカルに――描き出されているのも興味深いところです。
〈『城』シリーズ〉や『少年検閲官』など今までの作品とは打って変わって、完全に現実ベースの世界が舞台となっていることもあり、全般的にトリックの豪快さが減じているきらいはありますが、随所に作者らしさが見受けられるのは確かで、まずまずの作品集といっていいのではないでしょうか。
- 「踊るジョーカー」
- とある邸宅、鍵のかかった地下室で主人が殺害された。現場にはなぜか無数のトランプが散らばり、凶器のナイフにもトランプの束が突き刺さっていたが、その大半が不吉なジョーカーだったのだ。半年ほど前から身辺にトランプが出現するようになり、被害者は怯えていたらしいのだが……。
表題作らしく本書の中では比較的派手な部類に入る、密室殺人が扱われた作品。なかなか巧妙なポイントのずらし方が目を引きますし、やや小粒ながらも“物理の北山”の真骨頂というべきトリックは秀逸です。
- 「時間泥棒」
- 両親を亡くした姉弟が暮らす屋敷から、なぜか次々と時計が消えていく。消えた時計はいずれも安物で盗まれるほどの価値はなく、泥棒だとすれば両親が残した数々の美術品が手つかずのままなのが不可解だった。依頼を受けた音野と白瀬は、早速屋敷を訪れて調査を始めるが……。
作者にしては珍しく、(トリックではなく)シンプルな謎と気の利いたロジックを中心に据えた作品で、物語のコミカルな雰囲気と謎―解決がうまく合致しているあたりも好印象。
- 「見えないダイイング・メッセージ」
- 発明品を大ヒットさせて資産を築いた社長が、自室で強盗殺人の被害に遭い、死に際に手元のカメラで一枚のポラロイド写真を残した。どうやらそれは、特注の金庫の鍵を開ける暗証番号を伝えようとしたダイイングメッセージらしいのだが、何の変哲もない時計と棚が写っているだけで……。
“また時計か。これじゃ前と話がかぶる。どうしてくれよう”
(128頁)という白瀬の台詞には思わず苦笑させられますが、死に際に思いついても不思議ではない程度ながら十分に意表を突いたダイイング・メッセージの真相は、やはり非常によくできていると思います。そしてそれだけで終わっていないのが、この作品の面白いところです。 - 「毒入りバレンタイン・チョコ」
- 大学の研究室で手作りのバレンタイン・チョコレートを食べていたゼミ仲間の一人が、急に倒れて病院に運ばれ、何とか一命を取り留める。原因はチョコレートに混入していた毒物だと判明するが、毒が仕込まれていたのは三十個ほどの中のたった一つだけ。無差別殺人か、それとも……?
ただ一個だけ仕込まれた毒チョコを、“いかにして被害者に取らせるか”(と同時に“いかにして被害者以外に取らせないか”)という不可能状況が興味深いところです。カードマジックにおける“フォース”(フォーシング)(*2)を連想させますが、(技能や心理によらない)作者らしいトリックが圧巻……とはいえ、実行には少々難がある気もしますが。
- 「ゆきだるまが殺しにやってくる」
- 雪の山道で迷った末に、とある豪邸に何とかたどり着いた音野と白瀬。そこでは、一人娘の花婿を決めるゆきだるま作りのコンテストが行われていた。なぜか音野も交えてコンテストは続行されたが、その最中に花婿候補の一人が殺害され、凶器のバールはゆきだるまの腕に……。
花婿選びのゆきだるまコンテストという奇天烈な状況、そして事件解決後のお間抜けな展開がコミカルな印象を与えていますが、中心に据えられたトリックは国内の大家による某名作を思わせる見事なもので、ミステリとしてしっかりした作品であることは間違いありません。ただし、コミカルな雰囲気と殺人事件とがミスマッチを起こしている感があり、読後に釈然としないものが残るのが残念。
2008.12.09読了 [北山猛邦]
【関連】 『密室から黒猫を取り出す方法』
神の家の災い Murder Most Holy
[紹介]
一三七九年六月。摂政ジョン・オブ・ゴーントの宴に招かれた検死官ジョン・クランストン卿は、酔ったはずみの大言壮語の果てに、四人の人間が怪死を遂げた〈緋色の部屋〉の謎をわずか二週間で解くという賭けに乗せられてしまう。アセルスタン修道士の知恵を当てにするクランストンだったが、そのアセルスタンはかつて籍を置いたブラックフライアーズ修道院で起きた修道士連続殺人事件の調査を依頼されていた。さらに、アセルスタンの守る聖アーコンウォルド教会の改修工事中に敷石の下から謎の人骨が発見され、治癒の奇跡を起こしたと評判になってしまい……。
[感想]
検死官書記のアセルスタン修道士と検死官ジョン・クランストン卿のコンビを主役とした歴史ミステリのシリーズ第三弾。前二作が同じ年の出来事だったのに対して、本書はその二年後に設定されており、アセルスタンとクランストンの身辺にも微妙に変化があったりなかったり。
前二作でもミステリ部分は小ネタを寄せ集めたような形になっていましたが、本書には“人を殺す部屋”・“修道士連続殺人”・“奇跡を起こす人骨”と三つの謎が盛り込まれています。その構成はロバート・ファン・ヒューリック〈ディー判事シリーズ〉にも通じるところがありますが、そちら(特に初期の五作)とは違ってそれぞれの謎が完全に独立しているのが少々残念なところ。しかも、それぞれに関する調査が並行して少しずつ進んでいくという展開により、あっちへ行ったりこっちへ来たりと終始バタバタして忙しない印象を与えているのは否めません。
もっとも、その忙しなさは事態の重大さ・深刻さを映し出しているといえるのかもしれません。とても支払えない大金を賭けてしまったクランストン検死官は、賭けに負ければ摂政ジョン・オブ・ゴーントに支配されるという憂き目に遭うことになりますし、一方のアセルスタンは自身の守る教会での大騒動には速やかに収拾をつける必要があるのはもちろんのこと、修道院での事件を解決できるか否かも自身の今後を大きく左右しかねないという状況。いずれを後回しにできるようなものでもなく、タイムリミットサスペンス的な興味が生じているのが見どころといえます(*1)。
それぞれの謎はやや小粒で、謎解きとしては少々物足りなく感じられます。“奇跡を起こす人骨”の真相には、この時代ならではのものともいえる部分もありますが、やはり他愛のない謎であるのは確か。カーター・ディクスン『赤後家の殺人』ばりの“人を殺す部屋”の謎はまずまず面白くはあるのですが、解決を導くための手がかりが不足気味(*2)なのが残念なところ。それに対して、作者の“手癖”ともいうべき(*3)不可解な言葉が手がかりとなっている修道士連続殺人は、時代・舞台・状況にふさわしい動機が光っています。
謎が小粒とはいいながらも、物語終盤に至ってそれが立て続けに解決されていく場面は十分に見ごたえがありますし、すべてが決着した後に訪れる大団円には感慨深いものがあります。キャラクターの魅力に負っている部分が大きいのは確かですが、やはり安心して読むことができるシリーズで、次作も楽しみです。
2008.12.20読了 [ポール・ドハティー]
【関連】 『毒杯の囀り』 『赤き死の訪れ』
殉教カテリナ車輪
[紹介]
美術館の学芸員・矢部直樹は、地元の画家の作品を集めた展示室で目にした東条寺桂という無名画家の絵に惹かれ、その足跡を調べ始めた。三十三歳で突然絵を描き始めた東条寺桂は、妻子を顧みることなく制作に没頭し、わずか五年の間に五百余点を描き上げた後、ひっそりと自殺を遂げたという。作品の大半が失われてしまった中、遺された二枚の絵、『殉教』と『車輪』に込められた主題を探ろうとする矢部だったが、やがて浮かび上がってきたのは、二十年近く前の雪の聖夜に東条寺桂の義父の家で起きた不可解な二重密室殺人の謎だった……。
[感想]
第9回鮎川哲也賞を受賞した飛鳥部勝則のデビュー作。巻頭に(作中の画家・東条寺桂の作品という設定の)自筆の油絵(*1)が配され、さらに図像解釈学(イコノロジー)という耳慣れない学問がキーワードになっていることでも話題を呼びましたが、決して物珍しい題材に寄りかかった作品ではなく、細部までよく考えられた隙のない本格ミステリとなっています。
まず、美術館の学芸員・矢部直樹と事務員・井村正吾との会話を中心とした物語の導入部「I 一九九七年 春」において、本書の重要な要素が実に要領よく提示されているのが目を引きます。本書の“売り”ともいえる図像解釈学――描かれた図像を手がかりに作品の主題や創られた意味を探る――がミステリの謎解きの手順になぞらえてわかりやすく説明されるとともに、そこから展開されるミステリ談義の中でメインの謎である二重密室殺人事件が“二つの密室殺人が同時に起こる。しかも犯人は一人である。むろん凶器も一つである”
(31頁)と簡潔にまとめられるなど、新人らしからぬ手際が光ります。
そして、いわば物語の“表層”である「I 一九九七年 春」から、矢部が図像解釈学のアプローチも試みつつ東条寺桂という画家に迫っていく「II 一九九五年 夏」を経て、二重密室殺人事件の顛末が東条寺桂自身によって記された手記「III 一九七六年 冬」という“深層”へと、段階的に掘り下げていくかのような物語の階層構造が巧妙なところで、視点と雰囲気を変えながら読者を物語の奥深くへ引き込んでいき、本書の主題というべき東条寺桂の人物像を強く印象づけることに成功している感があります。
前述のように巻頭に口絵として配された二枚の絵画、『殉教』と『車輪』は、そのどこか奇妙なモチーフがわけのわからない不安感をかもし出しているようにも思われますが、「II 一九九五年 夏」においてその主題が図像解釈学のアプローチによって少しずつ読み解かれていくプロセス――作者である東条寺桂の内面も踏まえつつ、限られた情報から蓋然性の高そうな解釈を引き出していくという手順――は、例えば(解釈の内容自体はさておき)ダイイングメッセージの解読などに通じるところがあり、確かにミステリの謎解きに似た興奮を与えてくれます(*2)。
続いて、ついに東条寺桂自身の言葉でその内面が綴られていく「III 一九七六年 冬」は、それまで“外”の視点から描かれてきた奇矯な人物像に関する“解決篇”のような様相で、納得とともにある種の感慨をもたらしてくれます。それでいて、事件が起きると途端に古式ゆかしい“雪の山荘”ものという雰囲気に転じているのが面白いところですが、前述のように強力な不可能状況は一筋縄ではいかないものですし、意表を突いた“変調”が加えられた解決は圧巻。そして、きっちりと配置された手がかり/伏線の妙には脱帽せざるを得ません。
後の作品にみられる“歪み”のようなものが少ないために、そちらで慣れてしまうと少々物足りなく感じられるのは否めませんが、図像解釈学と本格ミステリを結びつける独特の手法による、飛鳥部勝則ならではの特異な傑作といっていいのではないでしょうか。
2009.01.02再読了 [飛鳥部勝則]
タイム・リープ あしたはきのう
[紹介]
高校二年生の鹿島翔香は、気がつくとなぜか同級生・若松和彦の部屋に二人きり、わけもわからず部屋を出たところで階段から足を滑らせて転落する――という奇妙な“夢”から目覚めた。気を取り直していつものように登校したものの、周囲の様子がどうもおかしい。今日は月曜日のはずなのに火曜日の時間割が始まり、級友たちも当たり前のようにそれを受け入れていたのだ。月曜日の記憶がなくなっている……? 帰宅して自分の日記帳を開いてみた翔香は、自分の筆跡で書かれた見覚えのない文章を発見する。“あなたは今、混乱している。若松くんに相談なさい。”――翌水曜日の昼休み、ようやく相談を持ちかけた和彦は案に相違して冷たい態度で、途方に暮れる翔香だったが……。
[感想]
『クリス・クロス 混沌の魔王』で第1回電撃ゲーム小説大賞金賞を受賞した作者の第二長編で、ラジオドラマ化や実写による映画化もされた代表作。筒井康隆『時をかける少女』を思わせる(*1)女子高生を主役としたタイムスリップSFであるとともに、張りめぐらされた伏線やロジカルな解決などミステリ的興味にも満ちあふれた作品です。
物語の冒頭、奇妙な“夢”から目覚めた主人公・鹿島翔香が、最初にはっきりと自覚する異変は“月曜日の記憶の喪失”という形で表れます。未来へタイムスリップした瞬間に意識がなかったためにそれを自覚できず、(主観的には区別のつかない)記憶喪失という比較的穏当な現状認識からスタートする導入がうまいところで、タイムスリップという異常な現象であることが少しずつ明らかになっていくのと歩調を合わせてじわじわと恐怖/不安が高まっていく展開に、読者としても知らず知らず物語に引き込まれていきます。
翔香が体験するタイムスリップ――作中で“(ランダム)タイムリープ”と命名されている――は、大まかにいえばあるきっかけで意識がランダムに過去や未来の自分の体に飛び込むという現象(*2)で、翔香の主観では(基本的には)意識が連続しているにもかかわらず日時がたびたびシャッフルされるような状態となります。“タイムリープ”がそのような現象であるということが、翔香が入手する“手がかり”をもとに論理的に解明されていく過程、さらにその前段階として、本書の“探偵役”である同級生・若松和彦にどうやって“タイムリープ”を信じさせていくかが、本書前半の大きな見どころといえるでしょう。
過去へのタイムスリップ/タイムトラベルには付き物ともいえる――時間SFの醍醐味の一つである反面、時に物語を過剰に複雑化させてしまう原因ともなり得る――のがタイムパラドックスですが、本書では徹底して“いかにしてタイムパラドックスを回避するか”に力が注がれています(*3)。これも事態に対処するのが翔香一人ではなく和彦という協力者あってのことで、事態を理解した協力者であり続けるために過去の改変を許さないというスタンスの下、“タイムリープ”を続ける翔香を正常な時間の流れの中にいながらにしてコントロールしていく和彦の鋭い思考が印象的です。
シャッフルされた時間を体験する翔香――ひいては翔香の視点で記述された物語を読む読者――にとっては、しばしば“過去”よりも先に“未来”が提示されることになりますが、このような(叙述の)時系列の逆転によって未来の事象(結果)が過去の事象(原因)の伏線となっているのが面白いところです。と同時に、その過去の事象は翔香(及び読者)にとってはこれから体験する出来事でもあるわけで、“何が起こったのか?”を溯って解き明かしていくミステリ的な興味と“これから何が起こるのか?”を主眼としたサスペンス的な興味とが、いわば同じベクトルに沿って生じているのが秀逸です。
全編にちりばめられた大量の伏線が回収されていくにつれて、“なぜタイムリープが始まったのか?”というそもそもの原因が最後の謎として浮かび上がってくる構成もまた見事。翔香がついにその原因に対峙するクライマックスを経て、円環が閉じられるような結末は時間SFでは定番といえば定番ですが、それが大きな満足感をもたらしてくれるものであることもまた事実。隅から隅まで何ひとつおろそかにすることなく緻密に構成された傑作です。
*2: これも本書の下敷きとなった作品として挙げられているF.M.バズビイ「ここがウィネトカならきみはジュディ」(フィリップ・ホセ・ファーマー他『タイム・トラベラー』収録)が、やはり同じような現象を扱った作品となっています。
*3: 「タイム・リープ あしたはきのう - Wikipedia」には
“タイムパラドックスの問題に正面から取り組み”とありますが、これにはあまり同意できません。
2009.01.06読了
虎の首 La tete du tigre
[紹介]
休暇から戻ってきたツイスト博士を駅で出迎えたのは、奇怪な事件の捜査で疲れ切ったハースト警部だった。郊外の小さな村レドンナムの駅で、さらに続けてロンドンの駅で、スーツケースの中から切断された女性の手足が見つかったのだ。話を聞かされるや否や事件に興味を抱いたツイスト博士だったが、持ち帰った自身のスーツケースの蓋を開けてみると……。
事件の発端となったレドンナム村では、奇妙な盗難事件が相次ぐ中、インド帰りの元軍人マグレガー少佐が密室内で撲殺される事件が起きた。現場で同じように殴られて重傷を負った男は、凶器となったインドの杖〈虎の首〉から出現した魔神の仕業だというのだが……。
[感想]
巻末の「訳者あとがき」によれば今後は年二冊刊行にペースアップされそうな(*1)、ツイスト博士シリーズの最新刊。帯に書かれた“ツイスト博士、愚弄さる”
というキャッチコピーが刺激的ですが、スーツケースに詰め込まれたバラバラ死体にインド魔術絡みの密室殺人と、内容の方もかなり派手な事件を扱ったものになっています。
まず「第一部」の、ツイスト博士らに焦点を当てた「スーツケースの殺人者を追って」と、レドンナム村の人々の様子を描いた「レドンナム村の出来事」とが交互に繰り返される構成が面白いところで、前者ではツイスト博士が巻き込まれたある意味愉快な騒動も含めた“スーツケース事件”の展開が興味を引く一方、後者では事件の発端となったレドンナム村に顔を揃えた人々の思惑が不吉な予感を漂わせるなど、読者にとっては事件の表裏両面を俯瞰しているような形になっています。
“スーツケース”事件の捜査は半ば暗礁に乗り上げ、二つのパートが合流するのはしばらく先かとも思えた「第一部」の終盤、犯人がレドンナム村の限られた人々の中にいることを示唆する匿名の手紙が届きます。見方によっては安直な展開であるようにも思えますが、ある程度読み進めて背景事情がわかってみると十分に説得力が感じられますし、短い分量で要領よく話を進めていく手際によって読者が物語に入り込みやすくなっているのは確かでしょう。
そしてツイスト博士ら捜査陣がレドンナム村に乗り込む「第二部」、いきなり飛び出すのがインド魔術(*2)が絡んだ密室殺人です。「レドンナム村の出来事」で、序盤からたびたびインド仕込みの怪異譚を披露して盛り上げて(?)いたマグレガー少佐が、魔術師の杖〈虎の首〉から魔神が出現するという話を証明しようとした挙げ句、自身が“魔神に殺されてしまった”という事件は、ベタといえばベタながら面白いものになっていると思います。
被害者以外の人物が密室内部に閉じ込められているという状況は、カーター・ディクスン『ユダの窓』などに通じる、第三者に罪をかぶせるための密室であることは明らかですし、密室トリックも――そしてもう一つの不可能状況である消失トリックも――さすがに“驚天動地の大トリック”というわけにはいきませんが、それでも本書ならではの工夫が凝らされているところは見逃すべきではないでしょう。
複数の恋愛関係も含めた登場人物の思惑が錯綜して複雑な様相を呈する一方、事件の方は少しずつ解きほぐされていく過程で隠されているべき部分までがかなり見えてきてしまうのがいただけない……と思っていたのですが、終盤に明かされる“ある真相”は完全に予想外で驚かされました。それを終盤までしっかりと隠し通している、アルテらしからぬ(?)巧妙なミスリードに完敗です。最後に用意されている、ミステリ的ではない意味で意表を突いた結末も面白いところで、飛びぬけたところはないとはいえ全体としてみればまずまずの佳作といっていいのではないでしょうか。
なお、マグレガー少佐の甥である“ジム・マグレガー”
が、巻頭の登場人物一覧では“ボビー・スター”
となっていますが、これは単純な誤りです。決して叙述トリックではないのでご安心を。
*2: 本が発掘できないので確認できませんが、『カーテンの陰の死』あたりでもインド魔術に言及されていたような……作者の趣味でしょうか?
2009.01.15読了 [ポール・アルテ]