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透明人間は密室に潜む/阿津川辰海

2020年発表 (光文社)
「透明人間は密室に潜む」
 まず密室内での犯人の隠れ場所については、探偵が丁寧に可能性をつぶしているため、死体の周辺であることは見当がつきますが、(後に犯人が独白しているように)死体の上に立ったり座ったりするのは不可*1。そうすると死体の上に横たわるしかない*2のですが、死体の心臓部に突き立てられた出刃包丁が大きな障害となる――と思っていると、包丁を自分の体ごと刺したという壮絶なトリックに圧倒されます。また、死体が全裸だったことから出発して、金槌と折れた包丁をもとに隠れ場所を解き明かす推理もお見事。

 犯人が逮捕された後、いよいよ不可解な動機が明かされるのかと思いきや、そこにつながるフーダニットが隠されていたことに仰天。序盤に犯人が“元本業であるメイクアップアーティスト”(12頁)と独白している一方で、内藤彩子は“そういった職業についた経歴はありません”(35頁)とされているのですが、ここでの“お前は一体、何者なんだ?(35頁)という内藤の問いが、そのまま読者にも突きつけられていたことにうならされます。某国内短編そのままの手がかり*3と、透明人間ならではのエピソードにさりげなく隠された手がかりによって、犯人の身元を解き明かす推理も鮮やかです。

 そこから明かされる、“存在しないはずのDVの痕跡を隠すため”という逆説的な動機も、やはり透明人間ならではのもの。“尾行が絶対にバレない”という評判の探偵の正体まで含めて、これぞ“究極の透明人間ミステリ”(?)というべき傑作です。

「六人の熱狂する日本人」
 六人の裁判員全員が〈Cutie Girls〉のオタクだったというとんでもない事態*4には苦笑を禁じ得ませんが、それぞれタイプの違うオタクたちが揃っていることで、終始番号でしか呼ばれないにもかかわらずそれぞれのキャラが立っているのもさることながら、オタクとしての“濃さ”が異なるせいもあって事件に対するスタンスに差があり、それが議論を進める原動力となっている感があるのがうまいところです。

 さて、赤いライトの持ち手に血が飛び散っていなかったことから出発して、犯行時に被害者が赤いライトを取り出したと推理するところまではいいとして、いきなり〈御子柴さきが犯人〉を意味するダイイングメッセージという解釈が飛び出してくるのには、さすがに唖然とさせられます。しかも、“アイドルを証言台に立たせるため”というとんでもない動機から、陪審員たちが一致団結して推理を進めていく展開は、笑うよりほかありません。とはいえ、結論から逆算する形の推理を通じて、湿布のゴミ、灰皿の燃えカス、多すぎるライトなど、前半で提示されていた疑問が次々と解決されていく様子は、十分に見ごたえがあります。

 御子柴さきを被告とする裁判に呼ばれないことを知り、一転して“有罪”の結論を出そうとする陪審員たちの目論見が、職業裁判官の反対に遭って潰えるか――と思われたところで、まさかの裁判長までもが〈Cutie Girls〉のオタクだったという結末は、何ともいえない味わいを残しながらも、落としどころとして絶妙といえるでしょう。

「盗聴された殺人」
 “音の手がかり”で最初に問題となる謎の“不協和音”については、“コポッ”という水の音から“下地の音”が特定された後、“もう一つの音”についての場合分け(172頁~173頁)が興味深いところですが、これだけでは何の音なのか特定できない*5のが難しいところで、ファックスが届いていなかったこと*6と、次の“一定の足音”、さらにソファのスプリング*7との“合わせ技”ということになるでしょうか。

 その“一定の足音”ですが、最初の“足音が次第に大きくなる。”(149頁)に対して、“また足音が(中略)一定の大きさとリズムで聞こえた。”(150頁)と、“リズム”を付け加えることで目立ちにくくしてあるのがうまいところです。ということで、“一定の足音”から、犯人が盗聴器の仕掛けられたテディベアを抱えて歩いたことが導き出される*8のが鮮やかですが、ここで判明した犯行現場の偽装の方は問題ではなく、盗聴器の移動自体が決め手となるのが巧妙。

 かくして、盗聴器の存在を知っていた人物――調査員の深沢が犯人ということになるのですが、冒頭の「現在」のパートで“わたしと所長を含めても三人のこぢんまりとした事務所”(137頁)と、事件解決後の現在も事務所にもう一人いることが示されているため、深沢に疑いを向けるのが困難になっているのが周到な仕掛けです。

「第13号船室からの脱出」
 脱出ゲームの内容の方は、第一問から第三問まではさほど難しくないパズルという印象ですが、作中の大学生二人組の反応そのまま、第四問でひっくり返ってしまうのが面白いところ。カイトのメモ(243頁)に仕込まれた露骨な暗号により、鏡を使ったメタな仕掛けであることは予想できるかもしれませんが、第一問から第三問までが(鏡で)“反転”するのが凝っていて、特に第二問の変容は秀逸です。また、解答用紙の注意書きという地味な(?)手がかりから、再交付の必要性にまでたどり着く推理は、マニアックというか何というか……。

 誘拐事件の方はまず、マサルによる狂言誘拐という真相を、カイトに見抜かせるための手がかりが非常によくできています。他にもやりようはあるのかもしれませんが、“猪狩海斗様”という呼びかけ一つでやってのけるのは、とにかくスマート。一方で、カイトの“魔法”は“詰めが甘い”(283頁)どころかいくら何でも無理があります*9し、実際にマサルは“最終問題には投票しない”(261頁)と独白しているので、読者としても想定すらしない――ところが、そのマサルが最優秀賞に輝いてしまうのは、まさに青天の霹靂。

 ということで、“マサルとカイトの勝負”と見せかけておいて、ノーマークのスグルが一段上からすべてを操る“黒幕”としての正体を現す仕掛けには脱帽。しかも、脱出ゲームを利用して船室から脱出するのみならず、それをきっかけにして家からの“脱出”まで果たしたという、三重の“脱出”を描いた物語がお見事です。

*1: 作中で言及されている理由(56頁)に加えて、不安定なので体勢を崩して露見しやすくなる、という問題もあるかと思います。
*2: 細かいことをいえば、死体の胸の傷からの出血はまだ完全には乾いていないはずなので、犯人の体に押しつぶされると毛細管現象で不自然な形に広がるはずですが、まあそこはそれ。
*3: (作家名)泡坂妻夫(ここまで)の短編(作品名)「曲った部屋」(『亜愛一郎の狼狽』収録)(ここまで)ですが、これはオマージュ(の意図もあるかもしれませんが)というよりもむしろ、そちらの作品を読んだことのある読者への手がかり――フーダニットが隠されていることを示唆するヒントとして用意されたものではないでしょうか。……いや、一瞬気にはなったものの、ハウダニットとホワイダニットに気を取られて、まったく予想もしていなかったのですが(苦笑)。
*4: “偏った”陪審員を事前に除外できる制度はロバート・J・ソウヤー『イリーガル・エイリアン』で知りましたが、作中でも言及されている(107頁~108頁)ように、この作品のケースでは少々難しいようにも思われます。
*5: “不協和音”が“十四秒間”(155頁)続いたのであれば、その間ほぼ一定の周波数で“もう一つの音”が鳴り続けたと考えられるので、“下地の音”と同じく機械の作動音である蓋然性が高い、とまではいえそうですが。
*6: ファックスを送ってから“もう二週間”(162頁)にもなってようやく、届いたか確認するのはどうなのか、とも思いましたが、殺人事件が起きたことを踏まえれば妥当なところでしょう。
*7: 作中で大野が“そのソファに、何か変なところがあったりしなかったか?”(177頁)と尋ねていますが、現場がリビングではない――最初の“スプリングの軋む音”(148頁)もリビングのソファではない――ことまで推理できたとしても、はたしてこの質問を思いつけるかどうか、やや気になるところではあります。
*8: 作中では“その場で足踏みをしているか、盗聴器を持っているか。”(190頁)とされていますが、厳密にいえばもう一つ、盗聴器を中心にして円を描くように――すなわち盗聴器から等距離を保ちながら――歩き続けた可能性もあります(もちろん現実的ではありませんが)。
*9: もっとも、カイトとしては他に手がないわけですから、いちかばちかで“魔法”を仕掛けつつ、スグルを安心させるために自信のある様子を見せていた、ということかもしれません。

2020.07.10読了