扇谷いみなによる“嵐の山荘講義”では、“動機面での謎解き『ホワイダニット』があまり重視されない傾向にある” (205頁)と大胆な分析がなされていますが、これはその後の天乃原周による“解決”の中で言及されている、“嵐の山荘”でない場所での事件における容疑者の絞り込み(253頁〜255頁)と比べてみると、その意味するところは明らかで、犯人を特定する要素として優先順位が相対的に低い、ということでしょう。
実際のところ“嵐の山荘”もの(クローズドサークルもの)のミステリでは、せっかく構築したクローズドサークルによる謎解きの“パズル性”を徹底すべく、動機の有無で読者に犯人の見当をつけられるのを防ぐために、容疑者全員に動機があることが示されるか、あるいは逆に完全に伏せられて誰にも動機がないように思われるか、どちらかの場合が大半であるように思われます。
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さて、まずは周の“解決”について。
- ・フーダニット
- “嵐の山荘講義”を補強材料として、犯行の動機を一旦は度外視しておき、犯行の機会――アリバイの有無に着目した推理は妥当ではありますが、よりによってサイモン殺しの動機が最も想定できない〈ジュノーが犯人〉という結論は、やはりなかなかのインパクトがあります。もっとも、五百蔵教授と千田川所長のアリバイがかなり強固であるため、他に犯行が可能な人物が見当たらないのも確かですが……。
これに対して、最終章で佐杏先生は、第一の事件は〈神室が犯人〉とした方が“よっぽど無理なく事態を説明できる” と指摘し、周自身も“とりあえず押し切るべき要素は『ハウダニット』一つで済んでいた” (いずれも291頁)と同意しています。確かに、ジュノーがサイモンを殺す動機を考える必要はなくなりますし、さらにいえば密室の目的も、それなりに自然なものを用意できる――第一の事件はもちろん自殺に見せかけるため、第二の事件では例えば、神室がサイモンを殺したことを知ったジュノーが、あえて第一の事件を再現することで復讐を完成させようとした、など――というメリットもあります。
しかし〈複数犯人説〉を採用した場合、別の問題が生じかねないのが難しいところ。というのも、第一の事件の犯人となる神室が、自分を殺そうとするジュノーにわざわざ密室トリックを教える理由がない(*1)ためで、そうすると“解明”すべき密室トリックを二種類用意するか、あるいは二人の犯人がそれぞれ独自に思いつくことができるような――平たくいえば比較的単純なトリックでなければ、いささか不自然なことになってしまうでしょう。少なくとも、周が“解明”したサイフォンのトリックのように“独創的”な(*2)トリックを、神室とジュノーの二人がそれぞれ思いついたというのは、“解決”の説得力を欠くことになるのではないでしょうか(*3)。
- ・ハウダニット
- 第一の事件ではマスターキーが密室内にあり、第二の事件では警察に押収されていたという違いはありますが、二つの事件の密室で共通するのはマスターキーが使えなかったことで、マスターキーを使わなければマスターロックは(他に魔術以外では)不可能なのですから、実際にはロックがかかっていなかった――扉がロックされていると偽装するトリックにつながっていくのは妥当でしょう。
そして“扉をふさいでいたのは何だったのか”について、現場の通気孔からつながっているサウナに関係者の目を向け、“水”という解答に自力で気づかせる、周の謎解きの手順が巧妙です。“水圧で扉が開かなかった密室”には前例もあります(*4)が、コーヒーサイフォンをヒントにした――国内作家(作家名)島田荘司(ここまで)の長編(作品名)『水晶のピラミッド』(ここまで)の“アレ”を思い起こさせる――水の移動トリックと組み合わされているのがユニークですし、ジュノーにのみトリックを実行する機会があったところがよくできています。
とはいえ、佐杏先生も指摘しているように通気孔の位置が致命的なのは明らかですし、そもそもコーヒーサイフォンと“上下は逆になって” (267頁)いるせいで、熱湯を戻すのに重力が使えないのも難しいところ。このように、トリックが実行不可能であることは歴然としているのですが、これは周の“解決”がでっちあげであることを示唆する読者へのヒントととらえるべきでしょう。
- ・ホワイダニット
- 〈ジュノー犯人説〉で最大のネックとなる動機ですが、
“『再生』失敗による集団変死事件” (114頁)のエピソードを伏線として、実験の失敗の影響を受けて錯乱した状態での犯行という、なかなかうまい落としどころが用意されています。
もっとも、佐杏先生が指摘するように、錯乱した状態で複雑なトリックを考案・実行できるとは思えませんし、錯乱してサイモンを殺害したところで我に返ったとしても、そこから現場を密室にする理由がまったく見当たらないのが苦しいところではあります。
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周の“解決”に潜む上述の難点に加えて、冒頭の“後日談”での“今回もまた、事件の真相が魔術師の密室へと封じられてしまった” (10頁)という記述、さらに前作『トリックスターズ』をお読みになった方であれば佐杏先生と周の“四月の事件を思い出せ” ・“この事件はあの類のものなんですか?” (いずれも241頁)といったやり取りから、周の“解決”がでっちあげ――“表向きの解決”であることは、十分予想できるでしょう。
魔術師が希少すぎる存在となっている設定ゆえに、魔術師が関わる真相は(オズの介入もあって)そのまま公表できない――その結果として、多重解決の必要性が生じているのが面白いところです。と同時に、謎解きが二重になることで、物語半ばで退場して“メタ探偵”の立場に収まった佐杏先生にも、最後に“探偵としての見せ場”が用意されることになるのが巧妙です。
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というわけで、最後に明かされる真相について。
- ・フーダニット
- 周による“解決”がでっちあげであることに気づけば、そのまま〈ジュノーが犯人〉とは考えづらくなる……ところがあるようにも思われるので、これは多重解決であることをうまく利用した仕掛けだと考えるべきかもしれません。
また、前作『トリックスターズ』を読んだ読者からすると、野放しになっているはずの“あの人物”の存在がレッドへリングになるところもあるのではないでしょうか。
- ・ハウダニット
- 密室トリックそのものは“魔術を使った”という身も蓋もないものですが、それを可能にしている魔術師の正体――サイモンではなくジュノーの方が魔術師だったという、読者の意表を突いたところに仕掛けられた大胆すぎる真相が実に鮮やか。サイモンが一人で――今回の実験のようにジュノーから離れた状態で、魔術を演術しようとすればすぐに露見したのでしょうが、サイモンが下半身不随で介助が必要であるために、真相が隠され続けてきたというのも納得できるところです。
実験が失敗する危険にジュノーがいち早く気づいていること(133頁)が手がかりとなるのはもちろんですが、さらにいえば“現実的{リアル}かつ論理的{ロジカル}”に成功するはずの実験が失敗したことそのものが大胆な手がかりといえますし、その原因についてサイモンが“まさか演術力不足?(中略)魔術師二人分の演術力で足りないなんてことがあるはずがない!” (137頁)と自問自答しているところもよくできています。
- ・ホワイダニット
- 第二の事件が起きたことによる効果、とりわけ密室の効果を考えれば、サイモンの自殺を他殺に見せかけるためという可能性は早い段階で頭に浮かびますが、サイモンの自殺の動機は凄絶。幼い頃からの魔術としての自負を完膚なきまでに打ち砕かれたその心境は、察するに余りあります。
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*1: ジュノーが神室を脅して口を割らせた、と考えるのも相当に無理があるでしょう。
*2: 実行不可能なトリックなので、当然といえば当然ではありますが。
*3: もっとも、捜査を担当するのが須津警部なので(失礼)、その辺はあまり気にしなくても大丈夫かもしれません。
*4: 他にもあるかもしれませんが、国内作家 (作家名)谺健二(ここまで)の短編 (作品名)「ヒエロニムスの罠」(『恋霊館事件』収録)(ここまで)。
2005.12.02 電撃文庫版読了
2016.01.30 メディアワークス文庫版読了 (2016.02.20改稿) |