鷲見ヶ原うぐいすの論証/久住四季
本書の最後に明かされる真相では、ミステリとしては陳腐な部分が目につくのは確かです。“入れ替わり”のための首なし死体という古典的にすぎるトリックはもちろんのこと、千代辺雛子の〈判別直感{ポリグラフ}〉で裏付けられた“クローズドサークル内に犯人不在”(*1)という不可能状況に対して、人格交代による記憶の欠落という解決が持ち出されているのもさほど面白味があるとはいえません。しかし、本書においてはそれらはあまり重要でないように思われます。
例えば、本書の冒頭(12頁~19頁)、麒麟館の事件が自分の仕業だと“悪魔”が自白しているのに対し、譲は事件が人間による犯罪だと――そして自称“悪魔”が悪魔ではないと――“論証”する旨宣言しています。つまり、自称“悪魔”は少なくとも人間だと“論証”され得る存在であることが最初から示唆されている(*2)わけで、途中で言及される〈イマジナリー・コンパニオン〉を手がかりに霧生那由の別人格(*3)という真犯人に到達するのは困難ではないでしょう。
重要なのはやはり、“なぜ〈鷲見ヶ原うぐいすの論証〉が挫折し続け、ついには放棄されたのか”――否定されたはずの“入れ替わり”のための首切り(247頁~249頁)、そして“那由による犯行”(272頁~274頁)という真相が成立し、クライマックスでうぐいすが“論証”を放棄し、代わって譲が“論証”を行うことになったのはなぜか――であり、また譲の“霧生可思議の存在を当て嵌めてみると――事態はまるで違う様相に変化する。”
(366頁)という独白にも表れているように、明らかになった犯人を出発点として解き明かされていく、不合理な様相を呈していた事件の全体像であると思われます。
その根本にあるのは、譲が“どうして博士を殺したんだ”
(16頁)・“なんで博士を殺した”
(366頁)と二度にわたって問いかけているように、“可思議”の動機、すなわち“なぜ――このような形で――事件を起こさなければならなかったのか”であり、(“可思議”が発見できなかった)霧生博士の日記を自発的に改竄させるためという真相は非常に面白いと思います(*4)。
解決場面では、霧生博士自身が計画していた“入れ替わり”の概略のみに言及され、事件の細部については説明されていませんが、冗長になるのを避けるとともに真相の重要な部分を埋没させないためと考えれば、致し方ないところかと思われます。さらにいえば、霧生博士が本当に死んでいることを裏付けるのは“可思議”の自白のみ(後述するように、首なし死体は霧生博士のものではないと考えられます)で、客観的な証拠は何一つ示されないというものすごいことになっているのですが、“可思議”の計画からすればむしろそうでなければならないというべきでしょう。
というわけで、解決場面であまりはっきり説明されていないいくつかの事柄について。
霧生博士の本来の計画をよく考えてみると、身代わりの死体を利用して“入れ替わり”を行うためには、死体の首を切断して館の外に持ち去る必要がある(*5)わけですから、“犯人役”の人物(譲の推測では薬歌玲)が館の外に出ることができた状況でなければなりません。それを、消去法を成立させるためのクローズドサークルと両立させるシナリオとしては、“犯人役”の人物が霧生博士を脅して金庫を開けさせた後に殺害した、というものが考えられます(*6)。
一方、真犯人たる“可思議”としては、霧生博士が死んだと断定されてしまうのは都合が悪いわけですから、発見された首なし死体は霧生博士が入手した身代わりがそのまま使われたと考えていいでしょう。そうすると、死体の首を切断して館の外に持ち出し、森の中にでも処分するところまでは霧生博士の計画通り(*7)なのですから、その時点まで霧生博士が生きていたと考えるのが妥当です。
そしてその場合、館の外に出るには(館の中から開錠できない勝手口ではなく)玄関扉を使うのが自然ですから、その鍵が納められていた金庫はすでに開けたままだった蓋然性が高く、したがって霧生博士だけでなく“可思議”も館の外に出ることができた(金庫の開錠ナンバーを知っていたか否かにかかわらず)はずなので、死体の首を処分する際に館の外で霧生博士を殺害したと考えていいのではないでしょうか。
ここで、(霧生博士の計画とは違って)招待客の中に“犯人役”を作らない場合には、玄関扉が開錠されたままでは霧生博士自身の関与があからさまに疑われてしまう――“博士自身の計画”に信憑性がなくなるおそれがある――ので、“可思議”としては玄関扉(及び金庫)を施錠しておく方がベターでしょう。
*2: もちろん、『トリックスターズ』と共通する世界の物語であることが、悪魔の実在、、ミスディレクションとなっている感はあります。
*3:
“麒麟館には六人の人間がいた。”(13頁)という一文により、そこで挙げられている六人以外の人間が存在しなかったことが暗示されている、というのは穿ちすぎかもしれません。
*4: 那由に対する性的虐待という背景には閉口させられる部分がありますが……。
*5: 首の身元が判別できなければ十分なので、館の内部で首を“処分”することもまったく不可能とはいえないかもしれませんが、“入れ替わり”を隠蔽するためには“消失”させてしまう方がより安全でしょう。
*6: 譲は
“本来は、玲が殺されるはずだったのだろう。失踪、あるいは自殺に見せかけて。”(373頁)と推測していますが、館が閉ざされたままであれば“失踪”はあり得ないわけで、やや説明不足の感があります。
*7: 霧生博士の立場としては、最初に“犯人役”を殺害するという可能性もないではないですが……。
2009.08.12読了