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孔雀の羽根/C.ディクスン

The Peacock Feather Murders/C.Dickson

1937年発表 厚木 淳訳 創元推理文庫119-04(東京創元社)

 まず二年前の事件については、犯人と被害者双方の思惑がぶつかり合って不条理な様相となっているのが面白いところです。特に、高価なはずのティーカップが置き去りにされていた――犯人が持ち去ることができなかった――理由や、被害者が身を守るために警察に送った手紙がティーカップの存在によって犯行予告と誤解されてしまうあたりがよくできていると思います。

 そしてその“犯行予告”が現在の事件において再利用され、犯行予告としての意味合いが補強されているところもなかなか面白いとは思いますが、いかにもうさんくさげな“秘密結社”があまり効果的に感じられないのが残念。これは一つには、一貫して警察の側に焦点が当てられているという構成にもよるもの――マスターズ首席警部などがまったく“秘密結社”の存在を信じていない――で、結果として少々ちぐはぐになっている感があります。

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 さて、現在の事件――キーティング殺しは、警察の厳重な監視にもかかわらず犯人が現場から消失するという、いわゆる“視線の密室”となっていますが、そのポイントは以下に引用するマスターズの台詞に端的に表れています。

(前略)この男が遠くから撃たれた可能性がほんのわずかでもあるとあんたがいってくれれば――そう、万事好都合なんだ。窓は開いていたし、二発の弾丸は窓を通して撃ち込まれたのかもしれないということになるからね。しかし、あんたが殺人者は部屋にいたに違いないというなら(中略)その場合はお手あげなんだ」
(52頁)

 マスターズが指摘しているように、外部からの犯行だと考えれば何も不思議なことはないわけで、密室外部からの犯行をいかにして密室内部での犯行に見せかけるか、というのがトリックのポイントとなっています。ディクスン名義の別の長編*1でも同種のトリックが使われていますが、そちらでは犯行手段そのものが偽装されているのに対して、本書では手段はそのままに犯行の状況のみを偽装するという手段がとられています。

 その第一段階として用意されているのは、事前に空包によってできた髪の焼け焦げを利用したトリックで、死体に残されているのが実際に至近距離から発砲された痕跡であるために、“犯人が室内にいた”という誤認が強固なものになっているところが巧妙です*2。また、被害者であるキーティング自身が髪の焼け焦げを隠そうとしていた*3ことで、真相が見えにくくなっているところもよくできています。

 加えて、開いた窓越しに拳銃を投げ込むという第二段階のトリックまで仕掛けられているところは実に周到です。犯人が密室から“消失”する際に持ち去ったとも考えられるので、現場で凶器が見つからなくても問題はないかと思われますが、やはり現場に残されている方が“犯人が室内にいた”という偽装に説得力が高まるのは当然。しかも、投げ込まれた際の衝撃によって拳銃が暴発することで、実際に密室内で発砲されたという“裏づけ”が生じているのが見事です。しかしそこまででやめておけばいいものを、暴発した銃弾がたまたまキーティングに命中するというところまでやってしまうのが、何ともカーらしいというか……。

 犯人が“一流のクリケット選手”(313頁)だとしても、拳銃を投げる距離が二十メートルばかり”(33頁)というのは少々遠すぎるようにも思われますが、窓の寸法をかなり大きくすることで実現可能性を高めてある*4のも抜け目のないところ。また、現場に運び込まれた家具に関する報告(125頁)の中でさりげなく窓の寸法を示すという、手がかりの配置が実に秀逸です。

 第二の殺人――バートレット殺しは、ナイフ投げという面白味のないトリック*5が使われているのは残念ですが、“投げる”という動作が第一の殺人のトリックと共通し、同じく“偉大なクリケット選手になっていたでしょう”(136頁)という伏線に支えられているところがよくできています。しかし、第二の殺人に関する見どころはやはり、“解決篇”の途中で新たな死体が飛び出すという意外な展開と、死体を隠蔽する“人間椅子”トリックでしょう。

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 “32個の手がかり”は、その大半はやや弱すぎるようにも思われるものの、さすがにこれだけ積み重ねられると壮観です。ここで興味深いのは、謎解きがハウダニットを介したフーダニットという形になっている点で、作中の“ひとたび非凡な探偵がそのトリックに気づけば、殺人者は一巻の終わりだ。”(297頁)というH.Mの言葉がそのまま体現されているのが印象的です。

* * *

*1: ディクスン名義の長編(以下伏せ字)『プレーグ・コートの殺人』(ここまで)
*2: ちなみに、この空包による痕跡を利用したトリックは、後にカー名義の長編(以下伏せ字)『悪魔のひじの家』(ここまで)で再利用されています。
*3: なお、このあたりを指して“急性ハゲ隠しトリック”と称する向きもあるようです(ハヤカワ文庫版『死が二人をわかつまで』に付された若竹七海氏の解説を参照)。
*4: もっとも、ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』によれば、“カーはキーティングが窓を外に開いたのではなく押し上げたと書いている(注:本書34頁“誰かが外をのぞこうとして窓を押しあげたらしい。”から、その窓は横に開く窓ではなく、上げ下げする窓だったはずだ。したがって、キーティングが撃たれたとき、窓の上部はまだガラスで覆われていたはずで、カーが書いた綿密な寸法は半分にしなければならない。(中略)開いた窓の狭い隙間から銃を投げ込むのはほとんど不可能に近い。”(同書173頁)との指摘もあるようです。個人的には、寸法が半分になっても“不可能に近い”とまではいえないように思われるのですが……。
*5: ポール・アルテが(以下伏せ字)『カーテンの陰の死』(ここまで)でほぼ同じトリックを使っているのはいかがなものでしょうか。

1999.09.27読了
2009.02.28再読了 (2009.04.11改稿)