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最終更新日03/07/24

コラム

コラム122

思いやり

 私が今まで精神面で話してきた中でとても大切な事があります。
言葉の言い方は違っても、他人と自分が接する中でもっとも大切な事は『思いやり』だと思っています。
他人を思いやれれば、人間が人間と接する『優しさ』も『配慮』も『共存』もすべてがここから来ていると私個人としては思っています。
ですが、私を含めて人間は自己中心な生き物です・・・思いやると言う事は自己中心的考えとはまったく異なる考え方です。

『思いやり』はただ相手に対して『優しい』とかを言うものでは無い筈です。
相手をいたわりながら、相手にとってどうするのがいいのか?を考えて行動する必要性があるので・・・・・。
問題は他人を『いたわる』と言う行為は上辺の付き合いの人間同士の関係では、それ程までに深く入り込んで接する事は不可能な行動です。
おそらく、自分自身に取って本当に親しい人達に限られてくる行動だと思います。

他人に接する事を従来の自分の形を崩してまで、他人に尽くすと言うのではなく自分が普段当たり前に生活している中で自分が自分自身で居られる接し方で人に接する事が出来なければ・・・それは他人に接する自分の生き方に無理をしていると言う事にもなります。(自分でも実際にありましたが・・・・)

他人への『思いやり』を完璧にこなす事が出来れば、それが出来る人は『神様』になってしまうと僕は思います。
ですから、
普通に考えれば自分自身にとって本当に相手を思ってやる事が出来る人は家族とか恋人とか友人とか本当に限られた人達になってしまうと思います・・・・。(自分自身が仲良くなりたい人・・・)

でも、
人間の根本はどこまで行っても自己中心的なのが人間の本質であるので・・、
結局、自分自身の為に生きていくのが普通であり当たり前ですからしょうがないんですけど・・・『思いやり』が本当に出来る人って、私の経験上だと人付き合いが上手な人とは限りませんね。
逆に不器用な人に限って本当の『思いやり』や『優しさ』を持っている人の方が多いような気がします。
自分が傷つくのが怖いから他人と接するのを避けている人も居ましたから・・・それらの人は傷つく怖さを知っている人だからこそ他人を思いやる事が出来ると思っています。

どんなに他人と付き合って仲が良くなっても他人である限り、お互い知らない事だらけです。

どこまで行っても他人である事実がある限り、『思いやり』を無理なく続けていく事「親しき中に礼儀あり」が出来なくなってしまうのは人間同士の親しくなることによる『馴れ』によるものだとしても人間自身の課題かもしれませんね。
人と会話をしていると偶に聞く言葉で「釣った魚に餌はやらない」と言うのは・・・・僕としては何も言えないですけど・・。

『思いやる』と言う事の本当の意味を知っているのは自分の強さと弱さを知っている人に限られるような気が、この頃します。
そう言う人が他人へ『思いやる』ことの出来る人かもしれません。
そして、それが出来る人はほんの一握りかもしれないと・・・・この頃、思っています。(自分にはまだまだ無理な領域ですが・・・(苦笑))

どちらにしても言葉で『思いやり』の意味を言う事がとても難しいですが、
『思いやる』と言う意味も他人への行動もすべてにおいて、私自身が理解仕切れていないのですが、
自分が大切にしたいと思える・・・ごく限られた人に対しては、例えそれが出来なくても「そう思う事がすごく大切なんだろうな」とこの頃感じています。

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