最終更新日03/12/13 |
コラム148
相談の形 |
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私自身が多くの相談を持ち掛けられたりしている中で「本来、相談される側とする側の『形』と言うのがある筈ではないのかな?」と思う出来事が合ったので話してみます。
相談と言う事は本人が悩んでいて、それを私に言ってきたと言う過程は別に構わないのですが、悩んでいる出来事を私と話しただけで解決できるのならば「初めから相談なんてしないだろう」と言う極論になりますが、人によっては人と話す事によって、自己完結して次に進む事が出来ると言う場合があります。 会話する事で悩みのストレスを発散して、次に進むと言う事です。 別に私(他人)をストレスの発散口にするのは、私に限らず人間誰でも普段している事ですが、精神面で、例えば夫婦間とか恋愛面で相手の異性に関するトラブルがあった場合の相談で、相談の内容がもはや、私に話すレベルではない、はっきり言えば○○や○○○○しか無い、後は・・・(省略)・・・・しか無いような選択肢しか残されていない話を私に相談して来た時、私は慰めや意見を言ったのに関わらず、その相談者は同じ事を繰り返してそのままずるずると言う話がありました。 自分でもありますが、人間は自分が悲劇のヒーロー的な意味合いで他人に同情や味方になって欲しくて相談すると言う場合がありますが、その過程で私に相談したとしても、それは何も解決にはつながらない筈です。 この事で友人が面白い意見を言っていましたが「女性が仲が良いとはいえ、異性である私に相談する事自体が変!」だと言っていました。 ですが、本当に辛い時は誰でも言いから話を聞いて欲しいと言う時がありますけどね。 最後に、人は多くの悩みを抱えています(程度の差は在ったとしても)。 他人はあくまで他人です、相談する事が出来る人が居る事はとても良い事だと思いますが、あくまで自分で考えて自分で決めない限り、他人任せでは何も変わらないと言う事だけは、私が相談役と自分が経験した出来事の中で分かった唯一の事実です・・・。(ちょっと寂しく辛い事ですが・・・) |
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