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最終更新日03/12/07

コラム

コラム147

写真写りの悪さ

 遥か昔のコラムで写真の印象と言う内容を書きましたが、この中で「自分の写真写りをよくする事が出来る」と書いていますが、私の場合、どちらかと言うと写真写りは良い方ではありません・・。

しかも、比較的、自分では「いいかなぁ〜」と思った写真でも周りに言わせるとあんまり良くないそうです。
神経質とか実物よりも貧相とか・・・散々言われました(涙)

コラムの中で何枚か私が写った写真を載せていますが周りの指摘では写真よりも実物の方が良いみたい・・・と言う事は、いくら光の加減を調整したりしても実物通りに写真に写らない・・・・「何らかしらの理由があるのだろうな」と昔から思っていました。

ここでの写りのよさと言う定義は、私の周りの人から言われる事が多かったの事と自分としても写真写りが悪い事はよく理解していました。
そんな中で昔から「何で写真の写りが悪いのだろう・・・?」と思っていました。
よく写っている人は写っているのですけどね(笑)

ここから話す事は僕自身の憶測なので個人のいい加減な話になりますが、考えて見ると写真は物体を正確に捉える事が出来たとしても人間一人一人が持っている雰囲気などの視覚で捉えずらい『感覚』を写真では表す事が無い為かもしれないと考えています・・・・。
私自身が持っている雰囲気などが他人へどう感じられているかは把握は仕切れていませんが友人などからそれらの要因が人の外観以上に良し悪しに繋がっているようです。

これらの雰囲気は目に見えるものでは無い為、今一説明出来ないですけど、私が写真よりは実物の方が良いんじゃないと言われる理由の一つにはなると思います。
後、実際に写真写りが良い顔、悪い顔と言うのが在るそうですが・・・・今一分かりません(笑)

私が知っている実話で、実物は結構良いのに写真写りが悪い人が、お見合い用の写真を渡すと写真写りが悪いので外観で損するから、写真を見せないで直接で会ったほうが良いだろうと言う事で計画的に写真無しで在ったら相手が一目ぼれして結婚まで繋がったと言う話を聞きました。
この例は極端ですが、本当に写真写りが悪い人が実際に何人か居ます。

ですから、写真の中でカッコよく(笑)写る事が無理なのはよく分かっていますが写真は、その時その時の記録である為、写真が残れば、フィルムの中に自分の思い出が残る事は良い事だと思っています。
写真の存在価値はカッコよく写るのではなく、記録として残す事が目的だと思っています・・・・が、見合い写真とかの場合だと写りが良い方が特でしょうねぇ〜(笑)

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