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最終更新日04/01/11

コラム

コラム154

コラムと日記

 コラムを読んでいると私が考えている事を言葉で表現仕切れていないとしてもある程度は文章として書かれていると思っています。
伝わり方は人それぞれなので疑問ですけど・・・。

「よく文章に書けるよね」と言う事を言われる事があるのですが裏を返すと、書けると言うよりも考えを言葉にする事が出来れば自ずと文章にする事が出来ると思っています。

日常の生活での会話ではなく、自分の事、特に精神的な会話となると酒の入った時に本音で話すとか、悩んでいる時に限って話すとか、案外、人は考えを話す機会がそれ程無いと言うことです。

話す機会が少ないのは、精神面の会話を嫌がっている事も原因の一つです。
ですから、考えを言葉にしなくても人は生きていけますが、考えを纏める必要性は必ず有る筈です。
でも、幾ら精神的なことを考えて纏めていても文章に書くためにはその事を整理しないといけなくて、僕の場合も分け分からなくなって苦労しています(笑)。

精神面の考え方を文章に出来る人はあまりいません、逆にいうとその機会が少ないからです。僕もコラムとか書いていなかったらまずこんな事書きませんね(笑)

所が一つだけ精神面を書く機会が普通にあります・・・・・
それは日記です。
自分自身がその日に有った事を書き記せば自ずと精神面の事を書く事になるからです。
私も昔、日記を書いても一ヶ月程度で挫折しましたが、今コラムを書きながら当時書いていた日記の内容は精神の成長に影響するんじゃないかなと思っています。
もちろん、文章力もですが(笑)

今、他人に精神的な問いをされて、即答で答えられない人がいたとしてもそれが人間性とか精神の強さなどの判断には当てはまりませんが、それを言葉で話す事が出来る必要性がある場合があります。
「必要性?」と言うのは今までコラムで話していますが、上辺で人は他人を判断します。

自分を表現、自分の考えを明確に話せない人は話せない人として周りが見る場合があります。

仕事が出来る、人当たりがよい、人間性がよい、どれも生きていく中で大切な事ですが、今、人として何か大切な事を忘れていると思う社会の中で人間が人間として考える事は大切だと思います。
私が自分を追求しているのもそれが理由の一つですね。
考えなくても立派だったら考えませんけど(笑)、考えて次に進むしかないと思うのが自分の考え方ですからね。

私はコラムを日記形式にはしたくありませんでした。
普通、日記は本人がその時に有った出来事を書きますので、「どこ行った」「楽しかった」「悲しかった」と言う事を書くと当事者が後で読むのに都合が良くても何も知らない第3者が読んだ時に読める形とは限りません。
それは、
日記とHPに書かれているコラムとでは、日記は『自分だけが読む物』、コラムは『色んな人が読む物』の違いが有るからです・・・・。

ですから、あくまで僕は「こう考えています」「こう思っています」と言う言い方で、後の判断は読んでくれた方が決めればいいと思っています。
日記で「どこ行きました」と言う話にすると今迄コラムで書いて来た内容の殆どが書く事が出来なかったと思いますから・・・・・でも、コラムを書くようになって日記を書き続ける事は案外、大切な事かも知れないと思うようになりましたけど・・・。

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